第57話 魏呉同盟
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魯粛が亡くなった後、陸遜が大都督に就き西進する準備を整えていた。孫権は陸遜が手駒不足で困らないよう謹慎していた呂蒙を復帰させて補佐役に就けようとした。魯粛から危険視されていた呂蒙が補佐役に就けば掻き回されると考えた陸遜は丁重に断った。孫権は特に理由を聞く事なく了承したが呂蒙はそれを聞いて陸遜に恨みを抱いた。陸遜が魯粛の話をしていれば孫権もそれを踏まえた上で呂蒙に上手く話をしていた筈だ。陸遜は呂蒙に対して遠慮があった為に言わなかった事が後の混乱を招く事に繋がる。
呂蒙は軍に復帰して孫権直属部隊の将軍に就いた。呂蒙は将軍の権限で程普や周泰を復帰させて自身の勢力を着実に拡げていった。また孫権の政務上の相談役として張昭を復帰させてその座に押し込んだ。相談役は長年張紘が務めていて孫劉同盟継続派の重鎮として文官を束ねていたが病を理由に隠退して後を魯粛が引き受けていた。呂蒙は魯粛が居なくなった隙を突く形で孫権の周りを孫劉同盟反対派で固める事に成功した。
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孫権は劉備から漢中侵攻の通告を受けて陸遜に対して青州侵攻の準備を行うよう指示を出した。陸遜は先に魯粛から指示されていた事もあり将兵を鍛えつつ孫権からの出撃命令を待っていた。孫権がその時に攻撃命令を出していれば陸遜によって青州は呉の手に落ちていたと思われる。
劉備が献帝の勅許を得て漢中王を名乗った直後、孫権が体調不良で倒れて指揮を執る事が不可能になり代理として一族の孫喩がその座に就いた。孫喩は呂蒙や張昭と同じように孫劉同盟反対派であり魏と同盟してでも荊州や交州を呉の領域に加えようと考えている強硬派だった。
孫喩は呂蒙と張昭の二人と結託して陸遜を都督に降格させて徐州軍指揮官として封じ込めた。水軍都督の徐盛も理由を付けて解任して予備隊の将軍として建業に封じ込めた。呂蒙は大都督の座に就き、周泰を水軍都督に据えて軍権を握る事に成功した。張昭も孫劉同盟反対派の文官を高位に就けて賛成派を閑職に追いやっていた。
呂蒙と張昭による事実上の無血クーデターが成功した直後に司馬懿が建業を訪れた。司馬懿は曹操からの要請を受けて呉に向かおうとしたが孫権が健在なので話を聞かないだろうと判断して自主的に取り止めていた。今回は呉に政変が起きたとの知らせを受けて急遽訪問したものである。
張昭と呂蒙は司馬懿に対して孫権は心変わりして劉備と対決する意思を示したので魏と同盟を結びたいと申し出た。司馬懿は呉の状況を事前に調べており、手を結んでも差し支え無しと判断して魏呉同盟を結ぶ事にした。魏は長安と宛から侵攻、呉は江夏と建安から侵攻する事で話は纏まった。
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建業では水軍の動きが活発になり素人目に見ても出撃命令が出ている事が明らかだった。張松が孫権の機嫌伺いに訪れたのはこの時期だった。張昭らは劉備の使者が訪れるとは思っていなかったので非礼な対応を取ってしまい不信感を抱かれた。そこで張松に対してそれなりの饗応を行い、水軍は青州侵攻の下準備を行う将兵を輸送する為に動く予定なのだと伝えていれば誤魔化せていたかもしれない。
張松によってもたらされた情報で荊州は警戒態勢を布いてしまったので呉は荊州侵攻について再考しなければならない状況になった。本来なら魏に使者を送り侵攻時期の調整を行うのが筋だったが呂蒙はその意見を聞き入れず魏が示した時期に合わせて予定通り荊州に攻め込むと宣言した。