第27話 ギルドの崩壊、女神の誕生 その3
「ニーア! ニーア=プラウドはいるかっ!?」
冒険者たちが荒々しくギルド長の執務室を開くと、ニーアは椅子に腰掛けていた。
ニーアは落ち着き払ったかのような様子で対応する。
「なんだ、お前ら騒々しい。冒険者の治療なら私は手伝わんぞ。そもそも、なんだその口のききかた――」
「ニーア、お前にはこのギルドから出ていってもらう」
ふらふらとした足取りでガナッシュがニーアの前に出た。
「な、なんだガナッシュ? こんな有象無象を引き連れてくれば私に勝てるとでも思ったのか? 酒も抜けていないフラフラの状態で?」
「勝てるさ、2人がかりだからな」
ニルヴァーナを持ったフィオナがガナッシュの隣についた。
「……なんだ、先ほど私に泣きついていたヒーラーの小娘ではないか。使い物にならない杖なんて持たせて何をしてるんだ?」
「フィオナ、さっきお願いした補助魔法を俺に頼む」
「は、はい! えっと、状態異常回復」
杖から放たれた柔らかな光がガナッシュを包み込んだ。
「ふぅ、気分が楽になったぜ。サンキューな」
「に、ニルヴァーナ様が怒ってます……『酒の酔い覚ましなんかに使うな』と……」
「おっと、"3対1"だったか。悪いな、ニーア」
フィオナが神器を使う様子を見て、ニーアは机に拳を力いっぱい叩きつけた。
拳の血が、書類を濡らしていく。
「ば、馬鹿なっ! ありえん! 私ですら扱えなかったのにそんなただの――下級魔道士の小娘が神器を扱えるとでも言いたいのか!?」
「フィオナの方がお前より"上"だったってことだろう。ニーア、だめだぞ? 酒ばっか飲んでないでちゃんと真面目に鍛錬をしないと」
「――――――っっ!!」
声にならないといった様子で拳を握り、ニーアはガナッシュを睨みつけた。
ガナッシュは心から愉快そうに笑っている。
「ニーア、分かるだろう? 魔道士のお前がシラフの俺をこの間合に入れちまった時点で勝ち目がねぇ。俺が敵対したと分かった時点で逃げるべきだったな。もっとも、そんな事考える余裕もないほどにここで悔しがってたなら話は別だが――って、この部屋の有様を見れば分かるか」
執務室は酷く荒れていた。
引き裂かれた書類が散乱し、棚は破壊されている。
「ここはフィオナの部屋になるんだ。八つ当たりはここまでにしておけよ」
「ふ、ふざけるな! 私よりもそんな小汚い小娘の方が優れているとでも――」
――チンッ
刀を鞘に収める音がかすかに部屋に響いた。
――カシャンッ!
次の瞬間、ニーアの首にかかっていたギルド長の証の紐が斬られて床に落ちた。
酔いから覚めたガナッシュが最速の剣技を放ったのだ。
ギルドの冒険者達にはもちろん、ニーアですら反応は出来なかった。
「ニーア、お前の曇った瞳じゃ見えなかっただろうが……今、お前の首を斬り落とした。死人に口はない、もしもまだ戯言をぬかすなら今度こそ首を落とす必要があるが?」
「――っくそ!」
ニーアは部屋を出て行こうとする。
それを、ガナッシュが道を阻んで止めた。
「おっと、あぶないあぶない。ここのギルドを辞める時は『ケジメ』が必要だったな。どうする? お前が『ギルネ様にやらせた方』と、『ティムにやった方』……痛い目を見たくないならお前が持ってる宝具は全て置いていきな」
「……くっ!」
ニーアは身につけた宝具を全て外して投げ捨てるように机に置いた。
「くそっ、なんで神器は私ではなく貴様なんかに……! この小娘が……!」
「──っ!?」
ニーアがそう呟いた瞬間──
ガナッシュは不意にフィオナの目の前に手を出して、何かを握り潰すように拳を丸めた。
握ったガナッシュの拳の中から血が噴き出し、フィオナの顔にかかる。
「──おい、ニーア。本当に首を斬って欲しいならさっさとそう言えよ……」
ガナッシュは額から血管が浮き出る程に激昂していた。
ニーアは血液がしたたるガナッシュの拳を見つめながら腰を抜かす。
「ば、馬鹿なっ! 無詠唱とはいえ、私の風魔法を素手で握り潰したのか!?」
「馬鹿はてめぇだろ。フィオナの顔はてめぇが今捨てた宝具全てなんかよりも価値があるものだ。てめぇの汚ねぇツラとは違ってな! オラァ!」
「──ぐはっ!」
ガナッシュはニーアを殴り飛ばした。
冒険者達から歓声が上がる。
焦点が合わない瞳で床に倒れるニーアを見下ろしながら、ガナッシュは握ったままの自分の拳をもう一方の手の平に打ち付けた。
「……やっぱり、俺は酒にでも酔わないと我慢ができねぇな。ニーア、早く消えてくれ。このままだとフィオナにもっと嫌なモノを見せる事になっちまう。お前の首が落ちるよりもな」
「ひぃぃ!」
ニーアは怯えた様子で部屋から走って出ていった。
ガナッシュは頭を抱えてため息を吐く。
「……フィオナ、悪かったな。クソ優しいお前はニーアにやり返すことなんて望んでなかっただろ」
「い、いいえ、ガナッシュ様! ティム君とギルネ様が出ていかれた後、私は部屋に引きこもって泣いていましたので、聞いたお話でしかないのですがニーア……は、戻ってきたティム君に酷いことをしたと聞いています」
フィオナはにこやかにガナッシュに向き合った。
「なので、スカッとしました。私だってムカつく事くらいはあります」
「なんだ、言ってくれればもう2、3発は殴ったのに。フィオナの口からギルド追放を言い渡したら、きっとあいつ憤死してたぞ」
ガナッシュは笑いながら、ギルド長の証を拾い上げた。
「さて、もう一度結んで……と。ほら、フィオナ」
ガナッシュはフィオナの首にギルド長の証をかけた。
「ほ、本当に私がギルド長になるんですね……」
「心配するな、このガナッシュ様がついてる」
「で、ですが……もし他の幹部の皆様が戻ってきて、反対されてしまったら……。私もニルヴァーナ様を使えば能力強化は出来ますが、こちらはガナッシュ様しか……」
「あぁ、まだクエストに行ってるあいつらか。そういえば俺もクエストを依頼されてたな、サボって酒を飲んじまったが……」
ガナッシュは懐からクエストの受注書と"緑色に輝く鉱石"を取り出して、机に置いた。
「"討伐報告"をサボってた。Aランクのアダマンタートルを討伐して、"心臓鉱石"を採取した。今、ギルド長に納品する」
「……へ?」
フィオナとギルドの冒険者たちは騒然とした。
「この程度の依頼をまだ終わらせられないってことは、幹部も大した奴はいねぇみたいだな」
「あ、アダマンタートルって最高硬度を持つ鉱石モンスターじゃ……どうやってこんな短時間で」
「そんなの、頑張って急いで斬ったに決まってんだろ」
冒険者の質問にガナッシュは得意顔で答えた。
そして、ギルド長の証を首にかけたフィオナの肩に手を置く。
「さて、フィオナ。このギルドはもうお前の思い通りだ。どうする?」
「わ、私は……。うん、私はっ!」
フィオナはニルヴァーナを強く握る。
――そしてギルド員達に向き合った。
「このギルドを変革します! クエストは『人命救助』、『雑用』、『護衛』などの"社会貢献活動"を主とします! ギルド内の雑用係は全員で"当番制"とします、雑用係を新たに雇用したりはしません!」
「…………」
フィオナの言葉にギルド員達は言葉を失った。
何もかもが変わりすぎる。
今まではモンスターを狩って、飯を食って、酒を飲んで、雑用は全てティムに任せて。
それだけで良かった。
「ふ、フィオナ様、それはあんまりです。俺たちは腕っぷしを買われてこのギルドに入ったのに」
「そ、そうですよ! それが雑用なんて――」
冒険者の数人が抗議の声を上げた。
しかし、フィオナは折れない。
「これは決定です。あなた達は『自分たちがいかに助けられていたか』を自覚をしてもらう必要があります。嫌ならここを出ていって構いません」
「そうだ、出ていくといい。 もっとも――」
抗議の声を上げた冒険者達の腰に差した剣が輪切りになって床に落ちた。
「こんなにゆっくり斬っても反応できないようじゃ、また同じようにモンスターに殺されかけるだけだろうがな」
ガナッシュはすでに刀を鞘に収めていた。
冒険者達は未だにガナッシュの刀身すら一度も見ていない。
「それぞれ思うこともあると思います。今日は各自部屋に戻ってゆっくりと考えてください。そして、思い返してみてください『自分たちがどのようにして冒険者足りえたのか?』を」
フィオナはそう告げると、ガナッシュだけを部屋に残して執務室の扉を閉めた。
扉を締めきると、緊張の糸が切れたかのようにフィオナは扉の後ろでへたれ込む。
「フィオナ、最高だったぜ。あの様子だと昔からずっと言いたかったんだろ?」
「が、ガナッシュ様、ご助力いただきありがとうございました」
ガナッシュは親指を上げて笑顔で突き出した。
「良い案だと思うぜ、アイツらはまだ子供だ。歩き方から教えてやらなきゃならねぇ……全く、誰があんな奴らを入団させたんだか」
「ガナッシュ様、私の入団はガナッシュ様がじゃんけんで決めましたよね……」
「……ま、まぁ、人を育てるのもギルドの役割だよな!」
ガナッシュは誤魔化すように頭をかいた。
「これだと幹部達は全員辞めちまうんじゃねぇかな? 一応アイツら武闘派らしいし、旅にでも出るかもしれねぇが」
「もし、旅先でティム君達に会っちゃったりして、ティム君が酷いことをされなければ良いのですが……」
「そうだな。それと、ギルドの活動方針も全て変わるんだ、ギルド名も『ギルネリーゼ』から変えた方が良いと思うぜ」
「そ、そうですね……"冒険者ギルド"から"救護院"のような場所になるわけですから……」
ガナッシュはニヤリと笑った。
「それなら良い案があるぜ、『フィオナ・シンシア救護院』なんてどうだ?」
「フィオナ・シンシア……あっ!」
フィオナは顔を真っ赤にした。
「なーに、この帝国の名前を入れただけだ。『シンシア』なんてよくあるファミリーネームだし、誰も分かりはしないさ」
「そ、そ、そうですね! 帝国の名前を入れただけですもんねっ!」
フィオナは何度も頭を縦に振った。
「それで、フィオナはこのギルドをどうするのが目的なんだ?」
「……私はこのギルドの社会貢献で帝国に認められ、"ギルドとして大きな力"を持とうと思います」
「それが、冒険に出ちまったティムの助けになるのか?」
「はい。実は昔、勇気を出してティム君の部屋に行ったことがあるのですが、その時にティム君が私に少しだけ話してくれたんです。ティム君には、もっと大きな打ち倒すべき相手がいます!」
「――な、何っ!?」
ガナッシュは興奮すると、フィオナに執務室の椅子を差し出した。
「よし、ここに座って、"その事"を詳しく話してくれ」
「す、すみません、さすがにガナッシュ様でもティム君の事情を私が勝手にお話しするのは――」
「あぁ、"そっち"の事じゃない。男にはみんな秘密があるもんだからな、聞こうとは思わねぇさ」
ガナッシュは懐から酒瓶を取り出した。
「どうだ。"勇気を出してティムの部屋に行って"、それで手くらいは握れたのか?」
「が、ガナッシュ様……?」
フィオナの面食らった様子を他所にガナッシュは今日一番の真剣な表情で語り始めた。
「いいか、ギルネ様は手強いが、お前の方がティムを想ってた時間はなげぇ。諦めんじゃねぇぞ」
完全に恋バナをサカナに酒を飲み始めようとしているガナッシュにフィオナは困惑する。
《フィオナ、私もそのティムという青年と貴方の話が気になります。話しなさい》
「に、ニルヴァーナ様まで!?」
フィオナは完全に逃げ道を失った。
・次回から、またティムたちの旅に戻ります。





