第26話 ギルドの崩壊、女神の誕生 その2
クエストを失敗して運ばれてくる大量の負傷した冒険者たち。
その光景を前にして、ニーアは拳を握った。
「ありえんありえんありえんありえん……。なんだこれは、あの小娘だけでなくあの小僧にもコケにされているというのかっ!?」
ニーアは地団駄を踏む。
悔しそうに歯を食いしばる口元からはかすかに血が滲んだ。
「に、ニーア様! 申し訳ございませんが、どうか負傷した冒険者の皆様の回復に助力をお願いいたします!」
緑髪のヒーラーの少女が地に頭を着けて懇願した。
「うるさいっ! 使えぬ奴らなど、どうでもいいわ! 私はギルド長だぞ!? 私の魔力をそんなくだらない事に使いたくないわ!」
「どうか! どうかお願いいたします! お力を貸してください! このままでは救える命が――」
「お嬢ちゃん、諦めろ。ニーア様は忙しいんだ」
ガナッシュは二日酔いの頭を抑えながら笑った。
「ニーア、無理はいけねぇ。昨日は寝てないんだろ? 何も出来ずに指を咥えて眺めてろ、いや、お前の心境的には『爪をかじって』が正しいかな?」
「が、ガナッシュ……はは、何を意味を分からない事を言っているんだ? お前はさっさと自分の部屋に戻って寝ていろ」
ニーアは少し表情を青ざめさせた。
「なんだ、俺の思い違いか? だが、顔色が悪いぜ?」
「酔っぱらいのお前に言われたくはないな。私はコレで万全なんだよ」
「そうか? なら、怪我人たちの回復を手伝ってやらねぇとな。お前ならいっぺんに治せるはずだろ、神器"ニルヴァーナ"を手に入れたお前なら」
「そ、そうなのですかっ!? お願いいたします、ニーア様! どうか冒険者様達を救ってください!」
緑髪の少女は涙を流しながらニーアの膝にすがりついた。
「……うっ。くそ、邪魔だっ!」
ニーアは緑髪の少女を蹴り飛ばした。
ガナッシュは彼女を受け止める。
ニーアの様子はおかしかった、明らかにうろたえている。
ガナッシュの発言に、周囲の冒険者たちの注目もこの場に集まっていた。
「さ、酒飲みガナッシュの戯言だ! みな、真に受けるな!」
「神器"ニルヴァーナ"は『白魔道の最高位装備』だ、"広域回復魔法"が使える。数年前にこのギルドが襲撃された際、ギルネ様が冒険者達を救ったのはみんな覚えているだろう」
「が、ガナッシュ、金に困っていたな! 少し融通してしてやろう! だからもう妄言は止めてどこかへ――」
「だがもし、もしも……の話、ニーアが『夜通し試行錯誤したが、自分には"ニルヴァーナ"を扱いきれなかった』なら話は別だが――おっと」
ニーアの拳を、ガナッシュは千鳥足で躱した。
「馬鹿なっ! ありえんだろうっ! 私は! 魔法で成り上がる為に何十年も努力をしてきた! あんな、私の半分も生きていない、"雑用"なんかにうつつを抜かす小娘に扱えて、私に神器を扱えないわけがない!」
「嫉妬か……。吐き気がするな、これが酒のせいかは分からんが」
ニーアは痛いほどのギルド員たちの視線に晒されながらニルヴァーナを呼び出した。
聖なる白杖がその手に現れる。
「ふぅ~、良し……今度こそ……ゆくぞっ! "広域回復魔法"!」
ニーアの気合の入った声とは裏腹に、周囲には一切の魔法効果は現れなかった。
「くそっ! くそっ! なぜだ、あの小娘が昔やった時と同じようにしているはずなのに魔法が発動しない! この杖は偽物だ! あの小娘め、私に偽物の神器を掴ませたな!」
ニーアは杖を投げ捨てた。
「ぼ、冒険者の皆様! お願いします! もう私達医療班の魔力も尽きてしまいました! どうか回復薬をここに集めて来てください! 負傷した冒険者の皆さんは危険な状態なんです!」
緑髪の少女は何度も地面に頭を着けてお願いをした。
ニーアに蹴り飛ばされて出来た顔の傷など気にもとめていない。
目の前の命を一つでも多く救う為に、必死になっているようだった。
「ふん、勝手にやってろ! 使えない冒険者たちなど死んでも構わん!」
ニーアは杖を蹴り飛ばすと、ふてくされたようにギルド長の執務室へと戻っていった。
「あぁ……どうすれば、包帯が全然足りない、消毒液も……こんな時、ティム君さえいてくれれば……」
泣きそうな表情で怪我人にキズぐすりを塗る緑髪の少女を横目にガナッシュはニーアが捨てていった"ニルヴァーナ"を拾う。
「ほれ、お嬢ちゃん。こいつを試してみたらどうだ?」
「それは、"ニルヴァーナ"ですか? ニーア様でも扱えなかった神器を私なんかが扱えるはず――」
「わかんねぇぞ? 案外、お嬢ちゃんの方が凄かったりしてな。とにかく、やってみる事だ、コインは投げてみなきゃ裏か表かも分かりゃしねぇ」
「は、はい……そうですね」
少女はガナッシュから白杖を受け取るとすがるように抱きしめた。
「お願いします、お願いします……ニルヴァーナ様。冒険者の皆さんの傷を、どうか癒やして差し上げてください……」
少女の涙が杖に落ちると――杖は輝きを放った。
《立ち上がりなさい、貴方がそんな様子だとみんなが不安になりますよ?》
「っ!? こ、声が!? 声が聞こえます!」
緑髪の少女はキョロキョロと周囲を見回した。
どうやら自分にしか聞こえていないらしい声に戸惑う。
《あの思いやりの欠片もない男の手から離れられて良かったです。どうやらギルネリーゼとは違って貴方は私が助ける必要がありそうですね。まぁ、あの子は天才でしたからね》
緑髪の少女はうろたえたまま、頭の中に響く声を聞いた。
《いいですか、広域回復魔法は杖を掲げて"ルピ・ニルヴァーナ"と叫ぶのです。噛んだり、言い間違えたりしてはダメですよ、格好悪いですからね》
「えっ!? は、はい!」
少女は頭の中に聞こえてきた指示に従って立ち上がる。
そして、痛そうにうめき声を上げる多くの冒険者達の前でニルヴァーナを掲げた。
「"広域回復魔法"!」
柔らかな光が空から降り注ぐ。
その光が怪我をした冒険者達の身体を包んでいった。
次第に部屋からはうめき声がなくなり、ケガをしている冒険者達は不思議そうに自分のふさがった傷口を触りながら身体を起こした。
「み、皆さん……! 良かった、本当に良かった!」
杖を握ったまま、緑髪の少女は涙を流して崩れ落ちた。
「め……女神様だ……」
奇跡を目の当たりにして冒険者の誰かが呟いた。
「た、助かった……てっきり俺はもう死ぬだけかと……!」
「本当に苦しかった、もう殺してくれとすら……」
「ニーア様でも扱えなかった神器を、あの緑髪の子が……」
命を救われた冒険者は次々に頭を下げる。
冒険者達がひれ伏す様子を見てガナッシュは笑った。
「んで、女神様のお名前は?」
ガナッシュは杖を持ったままへたり込んでしまっている少女に手を差しのべる。
「――へ? わ、私はフィオナと申しますが……」
「そうか、フィオナか。そうだったな……分かった」
彼女を立ち上がらせると、ガナッシュはギルド員達に向けて言い放った。
「これで、お前らも分かったんじゃないか? "フィオナ"と"ニーア"、『俺達はどっちについていくべき』か!」
「……えっ!? えっ!?」
ガナッシュの突然の発言にフィオナは杖に身体を預けるように立ちすくんだ。
しかしすぐに言葉の意味が分かり、慌てて否定する。
「ガナッシュ様、何をっ!? わ、私なんてただの下級ヒーラーの1人に過ぎません……人様の上に立つような人間じゃ――」
「ニーアは神器を使えなかったが、フィオナは使えるっ! ニーアは冒険者を見捨てたが、フィオナは見捨てなかったっ!」
ガナッシュは話を聞かずにフィオナの両肩に手を乗せてギルド員達の前に立たせる。
そして大声で発破をかけた。
「幸い、今は幹部が全員出払っている! いるのはクエストをサボったこの俺と、このギルドの何もかもをめちゃくちゃにしたニーア! そして、俺にはこの女神様がついている!」
「「う――うぉぉぉぉぉおおおお‼」」
ガナッシュの演説に冒険者達が沸き立った。
冒険者達も解放されたがっていたのだ、ニーアによる恐怖の支配を。
初めて『弱い者』になった事で。
『いたぶられる立場』になった事で。
人の痛みを今更に理解した。
そしてこの数年間、彼らは『与えられてきた』だけだ。
自分たちの力で環境を作ろうとしたことがない。
そんな子供のような都合の良い感情をガナッシュは巧みに煽動する。
「ニーアをここから追い出し、この少女、フィオナ様をギルド長にする! お前ら、フィオナ様についてくるかー!?」
「「うぉぉぉぉぉおお!」」
しかし、肝心のフィオナはガナッシュに両肩を掴まれたまま、震えていた。
「そ、そんな……私がギルド長なんて……ぜ、絶対に無理です……」
ガナッシュは『仕方がない』とでも言うようにフィオナの耳元で呟く。
「フィオナ、お前も本当はティムが受けてきた扱いに納得がいってないんだろ? だが、ティムについて行くことが出来なかった。当然だ、このギルドの医療担当であるお前は患者を放って行けるほど無責任じゃないからな。それに、ティムには"ギルネ様"がついて行った。『自分なんかいなくても大丈夫』だと諦めたんだろ?」
全てを見抜かれたようなガナッシュの言葉にフィオナは頬を赤く染めた。
「が、ガナッシュ様……。なぜそれを……?」
「俺はよくふらふらしてるからな、意外と周りが良く見えてるんだ。特に"若者の色恋沙汰"は良い酒のつまみになる。すまんな、趣味が悪くて」
歓声を上げて湧き上がる冒険者達の中。
ガナッシュはフィオナの心までもを煽動する。
「フィオナ、ティムは"最高の冒険者"になるそうだ」
「は、はい! ティム君ならきっとなれると思います! 優しくて、思いやりのある最高の冒険者に!」
「もし、お前がこの大ギルドのギルド長になれば、いつか冒険者のティムを助けられるかもしれねぇぜ?」
「わ、私がティム君をっ!?」
フィオナはニルヴァーナを握りしめた。
「――わ、私、頑張りますっ!」





