81 幸せなぬくもりに抱かれましょう
朝夕が涼しくなり、温かい布団が恋しくなる季節がやって来た。これから冬になるにつれて、ますますそのぬくもりから逃れられなくなる。その怠惰に誘う魔の手は、すぐそこまで迫っていた。
今日は休日であり、エリーナはクリスとともにドルトン商会を訪れていた。なんでも新商品の試作品を見て欲しいらしい。いつもならカイルとミシェルがローゼンディアナ家を訪れているため、珍しいと思いつつもエリーナは立派な建物へと入って行ったのだった。
いつも商談で使う洒落た部屋は応接用のソファーとテーブルに調度品があるだけの部屋だった。だが今日は、窓際にドンっと大きなベッドが置いてある。そしてその手前に立っていたミシェルが満面の笑みで新商品の名前を口にしたのだ。
「新商品はね『お嬢様の布団と枕』だよ」
「お嬢様の布団と枕?」
それを復唱したエリーナはベッドに近づいて、ふわふわと寝心地がよさそうな布団に目を落とす。そういえばベロニカからお土産としてもらった絹織物で布団を作ると言っていた気がする。
カイルとクリスは近くにあるソファーに座り、こちらの様子を伺いつつ他の商談を進めているらしい。ミシェルは得意げに胸を張って、試作品の説明をする。
「この布団はね、まずマットの部分を改良したんだ。高級な絹を使ったのはもちろん、今までのような綿だけではなくて、ひつじの毛や羽毛を混ぜたんだ。そうすることで硬すぎず、沈み過ぎない最高の寝心地を実現したんだよ」
「まぁ、すごい」
「それにかけ布団はこれから寒くなるでしょう? でも今までのは重くて寝苦しかった。そこで、全部羽毛にしてみたんだよ。しかも、何度も洗って乾かしてふわっふわにしたんだ」
ミシェルにかけ布団を渡され持ってみると、驚くほど軽い。しかも手触りもよく、じんわりと熱が広がっていく。
「すごく温かいし、軽いわ。これはよく眠れそう」
ミシェルの言葉に乗せられ、どんどん欲しくなってくる。この雲のような布団にいますぐ飛び込みたい。
「それだけじゃないんだよ! 何といっても今回の目玉はこの枕! 枕の良し悪しは睡眠の質を左右するんだ。だから、その人に合った高さと材質の枕にしないといけないんだよ。ということで、ちょっとエリーナ様の高さを図るからここに寝て」
ポンポンとベッドを叩かれ、エリーナは困惑してクリスに視線を向ける。人様の家で横になると言うのは恥ずかしい。
「計測だし、ベッドの寝心地も確認してほしいから気にせず寝転んだらいいよ」
「……じゃぁ、お言葉に甘えて」
靴はそのままでいいよと言われたので、肌触りのいいマットに寝かせてもらう。計測のためか線がたくさん入った枕に頭を乗せると、マットはほどよく沈み包み込まれているようだ。ついでにとミシェルは掛布団をかけてくれた。
「なにこの幸せな柔らかさと温かさ……すぐに眠れる自信があるわ」
これは敗北である。このせいで冬の寒い朝は起きられない自信ができた。
ミシェルは嬉しそうに微笑みながら、枕を見て計測結果をメモしていた。それをもとにエリーナに合う枕を作るのだ。
「枕も最高のものを作るから、楽しみにしていて」
楽しそうに笑うミシェルが怠惰に引き込む小悪魔に見えてきた。エリーナはお昼寝したい誘惑を振り払って起き上がる。さすがに人様のベッドで眠るわけにはいかない。
そしてカイルとクリスは他の試作品を見てくると部屋から出て行き、用事が終わったエリーナはミシェルとお茶をすることになった。お嬢様のプリンクッキーをつまみながら、ほっと一息つく。
するとそこにミャオと、小さな体がドアの隙間から滑り込んできた。
「あ、ルル。こっちに来たの?」
小走りでミシェルに駆け寄った子猫は、学園で見た時より一回り大きくなっていた。ミシェルの肩に飛び乗って、頬をペロペロと舐めている。くすぐったそうに笑うミシェルと子猫はいい絵になっていた。
「ほらルル~、お母さんが来たよ~」
そう言ってルルを両手で抱えて渡してくる。
「ちょっと、勝手に母親にしないでよね」
ルルを優しく受け取って、そっと撫でた。つぶらな瞳を向けられ、可愛さに頬ずりしたくなる。これがエリーという名前だったらと思うと、とんだ羞恥イベントだ。
「ルルは頭がよくて、人懐っこいんだよ」
「あら、商会のいい看板猫になるわね」
ルルはしばらくエリーナの膝の上で大人しくしていると、弾かれたように顔を上げて膝の上から降りた。ベッドに興味が惹かれたようで、その上に飛び乗って丸くなる。窓からは光も入っており、絶好のお昼寝スポットだ。
「ルルも布団を気にいったみたいよ」
「も~、エリーナ様のために作ったのに」
そう口を尖らせるが、嫌そうではない。ルルもそこが最高の寝心地だと分かったのだろう。
エリーナはくすりと笑って、ミシェルに顔を向ける。
「ミシェル、いつも素晴らしい商品を作ってくれてありがとう」
その裏にはカイルの涙ぐましい働きがあるが、まずはミシェルに感謝の気持ちを伝えた。エリーナの暮らしは、今までの悪役人生を踏まえても一番いい。
「エリーナ様のもの全てを僕が作るのが夢だからね」
「何その夢」
「だって、僕が作ったものを見たら、僕のことを思い出してくれるでしょ?」
そう片目を閉じて笑うミシェルを見て、エリーナは今までのミシェル作品を次々と思い出していった。本にランプ、美容用品にそして布団。贈り物はその物だけでなく、渡してくれた人の思い出と一緒になってそこにある。
つまり、エリーナの周りにはミシェルに関わるもので溢れているのだ。そう考えるとなんだか気恥ずかしくなってくる。
(一番厄介かもしれないわ)
知らぬうちに心の奥深くまで入り込まれているのかもしれない。これはルドルフ以上の策士かもしれないと、無邪気に笑うミシェルに一抹の恐れを抱いたエリーナだった。
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