29 商品開発の裏をのぞきましょう
昨日の雨が嘘のようにカラリと晴れ、庭園の草花は色鮮やかに咲き誇っている。その一角に丸テーブルと長時間座っても疲れない特注の椅子、太陽から肌を守るパラソルという読書スペースがあった。
一日経って頭が冷えたエリーナは少し重い胃をごまかしつつ、パラソルの下で新作のロマンス小説を熟読していた。朝起きてから不敬罪になっていないかと昨日の発言を少し反省したが、過ぎたものは仕方がないと開き直っての読書だ。
今読んでいる小説はベロニカに勧められたもので、学園に入学した少女が聖魔法を使えると判明し、聖女を目指して奮闘するというもの。その中で様々な男性とのイベントがあり、もちろん悪役ライバルキャラの少女もいる。
(悪役といえば、闇魔法よね)
何度か魔法のある乙女ゲームで悪役を演じたが、どれも闇魔法を得意としていた。気高くも意地の悪い笑みを浮かべながら掌から闇を立ち昇らせるのは、なかなか爽快だったのだが……。
(聖魔法には敵わないのよね)
ちょうどヒロインが不正を行った悪役キャラを魔法で成敗したシーンだ。ここで悪役は舞台から降り、あとはヒロインが聖女となり王子と結婚して終わりだろう。
(王道だけど……ちょっと過激さが足りないわね)
最後まで読み終え本を閉じ、ふぅと息を吐いて視線を上げる。
「ひゃぁ!」
庭の草木を見て目を休ませようとしたのに、そこにいるはずのない人が視界に入って心臓が飛び跳ねる。少し腰を浮かしてしまった。
「こんにちは~。真剣な表情で読んでるんだもん。声かけられなくて」
両肘をテーブルにつき、顔を包むように乗せている。そんな子供っぽいしぐさも、彼がすればよく似合っていた。
「ミシェル……どうしてここにいるの」
早鐘を打つ心臓を宥め、恨みがましい目をミシェルに向ける。百歩譲ってここが学園なら彼がいるのも頷けるが、ここはローゼンディアナ家である。不法侵入なら今こそクリスに持たされている笛の本領発揮だ。
「クリス様に商品を届けに来たんだよ。今兄さんがクリス様と話してる。それで僕は、商談が終わるまで庭を見てようと思ったんだ」
庭先で読書をするエリーナを見つけ、読み終わるまでずっと観察していたらしい。気配に気づかないほど集中していたなんてと、エリーナは半笑いを浮かべた。
「淑女の顔を眺めるのはいい趣味ではないわよ」
「でも、エリーナ様の顔は芸術品みたいだから」
にこにこと邪気のない笑顔で恥ずかしげもなく誉め言葉を口にする。
(わぁ……マダムたちに売り込みに行けばいい線行きそうね)
彼の兄はミシェルが商品開発に打ち込んで社交の場に出ないことを愚痴っていたが、ミシェルの顔と言動は年上受けがよさそうだ。
「それに、アロマが出来たら持っていくって言ったでしょ?」
そう言って、ウエストポーチから取り出した小瓶には薄紫色の液体が入っている。金色のラベルに書かれている商品名は『僕の香りに溺れて』……。それが目に入ったとたん、エリーナは自分が口にしてしまった言葉を思い出し、羞恥に身もだえする。
「その言葉は使わないでって言ったわよね」
「えー。ご令嬢方に人気だよ?」
一番売れてるよと言いながら、ミシェルは小瓶の蓋を開けた。甘さの中に柑橘系の爽やかさがある香りで、エリーナが思いついた通りのものになっていた。悔しいが好みの香りである。
「さっき、クリス様にエリーナ様をイメージした香りだってお伝えしたら、十個お買い上げいただいたんだ」
自分をイメージしたと言われて、もう一度小瓶に視線を落とす。薄紫と金色はエリーナの瞳と髪の色だ。喜々として買い込むクリスの姿が容易に想像でき、頭を抱えたくなった。ただただ恥ずかしい。
「……よかったわね」
そうとしか言えなかった。
「僕のとこの商会はクリス様のおかげで持ち直したところもあるから、クリス様に喜んでいただけて嬉しい限りなんだよ」
「あら、そうなの?」
クリスは色々な分野に投資を行っているらしいが、その具体的な事業を聞いたことはなかった。少し興味を惹かれたエリーナは、目で続きを促す。クリスの投資家としての成功話が聞きたくなった。
「もともとはあまり大きな商会じゃなくって細々と経営していたんだけど、ある日クリス様はうちが経営しているカフェを一つ買われて、オーナーになられたんだ」
カフェのオーナーとは少し意外だった。クリスは茶会でご令嬢方と、王都で有名なスイーツの話をよくするためその分野に興味が出たのだろうかと思いつつ、相槌をうつ。
「それで有名な菓子職人を集めてプリンの開発に力を入れられたんだよ」
「プリン……」
エリーナの大好物だ。少し話の雲行きが怪しくなってきた。
「今王都で大流行している『お嬢様のプリン』は、カフェ・アークがレシピを持ってるんだ。いまや工房もできて、売り切れ続出なんだよ」
「そ、そうだったの……」
知っている。昨日、そのお嬢様のプリンをカフェ・アークで十個食べたところだ。今日の朝も、昨日買っておいたそのプリンをデザートに食べた。
「あのカフェ、クリスがオーナーだったのね」
どうりでいつも人で混んでいるのに一番よい席に案内され、すぐにプリンが出てくるわけだ。
「エリーナ様への愛がなせる業だよね~。他にもいろいろあるけど、一番はプリンかな。そのおかげで商会は大きくなって、他国とも取引するまで成長したよ」
クリス様さまさまと軽い調子で笑っているが、エリーナは笑って流せない。優秀だとは思っていたが、財力に才能が合わさるとここまで大事になるのかと、顔が引きつってしまう。迂闊にクリスにものを言えなくなった。今まで色々とクリスはお土産だと持ちかえっているが、気安く使っていいものではなかったのかもしれない。
「ちょっと待って……お嬢様のって、櫛や化粧品もあるわよね。それに、このアロマもお嬢様シリーズよね」
「そうだよ。全部クリス様がエリーナ様の美を引き出すために開発を指示されて、爆発的に王都で広まったんだ。今はどれも入手困難だよ」
「クリスすごい……」
なんだか胃が痛くなってきた。胸やけが今になって来たのかもしれない。以前、ローゼンディアナ家を継げなくても大丈夫と言っていたが、今なら納得だ。むしろ一貴族よりも商人として世界中を飛び回ったほうがいい気がしてきた。
「だから、クリス様はうちにとって救世主様であり、お得意様ってこと。これからもちょくちょく顔を出すからよろしくね」
その後、クリスとミシェルの兄であるカイルを交えてお茶を楽しんだ。まだまだ出てくるクリスの逸話にエリーナは驚かされっぱなしで、クリスは自分のことが話題に上がるのは不本意そうだったが、最後はエリーが一番だからといつもの調子に戻った。カイルは笑える失敗談も多く話してくれ、少し機嫌を損ねたクリスを横目に楽しませてもらった。
昨日の憂鬱を吹き飛ばす、楽しい一時になったのだった。