07,進め、進め、進め!
――自分は一度、自ら死を選ぼうとした事があったッス。
……でもダメだったッス。
恐くて、できなかったッス。
「それで良い」
おじいちゃんは、愚かな選択をしようとした自分を責めようともせず、ただ抱きしめてくれたッス。
「苦しければ嘆けば良い。辛ければ膝を折れば良い。死にたくなったらそう叫べば良い。……それでも、生きてさえいれば、それで良いんだ」
「……こんな世の中、でもッスか……?」
……自分は何も、悪い事はしていないはずッス。
おじいちゃんだって、そうッス。
だのに自分たちは、こんな……。
「シュガー。月並みな言葉だがね、それだけに当然の事を言うよ。――死んだら、そこで終わりだ」
「……苦しくて辛いのが続くだけなら、終わった方がいいと思うッス」
「この世に不変の事象など存在しない。試しに、明日から毎朝、同じ時間に空を見てみるといい。前日に見た雲と寸分違わず同じ雲など見つけられないさ。万事万象は変わるものなんだよ。変えられなくとも、変わる事はあるんだ。だから、生きて変わるのを待つ」
「……ほんの少し変わったとしても、ずっと、大しては変わらないかも知れないッス」
「それは酷く運の悪い話だな。うむ、確かにそれも有り得はする。だが、逆も然り。運が良い話もあるかも知れない」
「おじいちゃんは、すごく前向きッスね……」
「前向きでなければ、老いぼれるまで生きてはいないさ」
白い髭を豪快に揺らして、おじいちゃんは笑っていたッス。
「シュガー。確かに我々は、嫌われ者だ。それも、かなり理不尽に嫌われている。そう、理不尽なんだ。我々を嫌う連中には、確固たる理屈がない。ただ漠然と、我々は邪悪だと決めつけているだけなんだ」
「………………」
「だから、証明すれば良い。『我々はそちらが決めつけているほど、邪悪ではない』とな」
「……そんなの、無理ッスよ」
「ハッキリ言おう、無理ではない」
「自分らの話なんて、聞いてもらえる訳がないッスよ!」
「その通り。だからまずは行動するんだ。話は聞いてもらえなくても、行動は見てもらえる。我々を嫌う者ほど、警戒してよく見てくれる」
「何をしても、悪い方向に解釈されるに決まってるッス」
「では、文句の付けようがないくらい、真っ直ぐに行動し続ければ良い」
「……簡単に、言うッスね」
「ああ、言うだけならタダだ。それに理屈としては間違っていないつもりだよ」
そう言って、おじいちゃんは古いアルバムを取り出してきたッス。
「もうとっくの昔にいなくなってしまったがね。一人、いたんだよ。ワシの事を、友と呼んでくれたヴルターリア人が」
古ぼけた写真の中には、つるつる顎の若いおじいちゃん。そして、隣には――屈託なく笑う、ヴルターリアの若騎士がいたッス。
「我々が決めつけているほど、彼らは頑固者ではないよ」
「……でも、一人だけ、だったんスよね?」
「ああ、一人だ。充分だろう? ワシは充分だった。彼が教えてくれた喜びは、今思い出しても存分に笑える」
おじいちゃんの笑顔は、写真の頃よりもシワが増えていたけれど、明るさは増しているように見えたッス。
「シュガー。決めるのはお前だが、ワシは何度でもおせっかいに助言するぞ。行動してみろ。真っ直ぐに。そうすればいつか、一人くらいは見つけられるさ。お前に『生きろ』と言ってくれる、お前の事をありふれた一人の人間だと理解してくれる。そんな物分りの良い奴がな」
◆
――進め。
自分が倒れているのかどうかすら、定かではない。
しかし、視界は揺れ続けている。
降雪が後ろへ流れていく。
だからきっと、進めている。
このまま進め。
両脇に抱えた二人も、ちゃんといる。
……と言うか、もう、腕が凍りついてしまっていて、放しようがないな。
安心してどんどん進め。
先ほどから、足元でパキパキバキバキと何かが割れ砕けるような音が鳴っている。
きっと、歩を進めるべく足が曲がる度に、腕同様に凍りついた足の血管や筋肉繊維が割れ砕けているのだろう。
痛みなど、感じない。ならば耐えられる。
騎士になるための修行を思いだせ。
戦闘訓練で腕の骨が砕けたあの日。
痛みに喘ぎながら、強くなるために剣を振り続けた。
耐久訓練で胃が破裂したあの日。
筆舌に尽くせない痛みに耐えながら、明日の体力を得るために胃に食糧を詰め込んだ。
進撃訓練で足を撃ち抜かれ大穴を空けられたあの日。
秒の間に幾度も意識を点滅させるほどの痛みを噛み締めながら、ゴールに辿り着くため千切れかけの足を引きずって走り続けた。
厳しい修行ではあったが、持って生まれた貴族的恵体のおかげで言うほど苦ではなかった。
――……苦であると思えば心が折れると知っていたから、そうではないと信じて乗り切った。
そう、乗り切れたのだ。あれだけの痛みを。
痛みがないのなら、耐えられない道理がどこにある?
己の限界を疑え。そんなもの信じるな。
そもそもそんな無価値な存在、認識すらしなくていい。
だから、進めるだろう? 進め。進め。進め。
「……ル、バン、卿……」
「!」
今の声は……シュガーミリーか?
ふん、伊達に騎士ではないか。その状態から意識を取り戻すとは。
だが、悪いな。今は、貴様に構っている余裕などない。
「自分……なんて、置いて、いくッス……」
……はぁ?
何を言っているんだ、この庶民出身は。
いくら庶民と言えど、度し難いレベルのバカだな。
「……ことわ、る……!」
口内も喉も凍りついていて喋るのも一苦労なんだ。
バカな事しか言えないのなら、できれば黙っていてくれないか?
「ふざ……けてる場合、じゃ、ないッス……このままじゃ、みんな、死ぬ……だけ……ッス……!」
「ふざけているのは、貴様だ……! 俺は、貴族、だぞ……! この程度の山……生きて、登り切れない道理が、あるか……!」
「……二人も……抱えてちゃ、無理ッスよ……!」
「たかが、庶民を二人だ……! 何度も言わせるな、俺は貴族……たかが庶民二人がのしかかってきた所で、壊れる器ではない……! 逆に……この程度ができずして、何が貴族かァァァァ!」
もう黙っていろ。
貴様がどんな理屈を掲げようと、俺がそれに取り合う道理はない。
俺は貴族だからな。庶民の理屈になど、下るものか!
「……ッ…じ、ぶんは……【魔族】、ッス……!」
「……!」
魔族……確か……ああ、西方で隔離・管理されていると言う一族か。薄らと聞いた覚えがある。
伝承の時代、英雄と対峙した魔神に加担した者達の末裔だ。
黒騎士以上に忌み嫌われ、疎まれ……あらゆる知識を持つ事を是とされる貴族教育の中ですら、ほとんど触れられない魔の一族。
……ああ、道理で、色々と納得が言った。
シュガーミリー・アリスターン。
魔女王の名を家名とする理由……貴様は、魔女王の末裔か。
黒騎士について異様に誇張されたデマを信じていたのも、魔族だからだろう。
なにせ、現代の魔族が不遇に囲われているのは、魔神――闇の精霊に祝福された者が、御先祖様をたぶらかした事が発端。
子孫がそんな輩と関わり、愚行を繰り返さないように、闇の精霊やそれに関わる者については膨大な憎悪を織り交ぜて語り継いでいくのも納得だろう。
……で?
魔族だから、嫌われ者だから、見殺しにしろと? ここに置いていけと?
負荷を減らして、俺とシオの生存率をあげろ、と?
傑作だな。よりにもよってそれを、黒騎士でありながら生きようともがく俺に言うのか?
「関係のない話だ……黙って……寝て、いろ……!」
魔族だろうと人間だ。
俺は人として、その命の尊厳、踏み躙るつもりなど毛頭ない。
「……でも……!」
えぇい、これだから庶民は、手間がかかる!
「大体……貴様、魔族であり、ながら……騎士になれたと言う事は……名誉ヴルターリア人、だろう……?」
確か、魔族はヴルターリアの国民としての権利を認められていないはずだ。
ヴルターリア人以外がこの国で騎士や霊術師になるには、名誉ヴルターリア人として認められる必要がある。
そして名誉ヴルターリア人として認められるには、かなり厳しい審査があると聞く。
ただでさえ審査員に悪感情を以て接されるだろう魔族の貴様が、その審査を通過したのだろう?
そこに、どれだけの苦労があった?
更にそこから騎士になるため、あの修行も受けたんだろう?
どうして魔族を虐げるヴルターリアに仕えると言う選択をした理由は知らんが、貴様のようなバカに悪企みができるとは思えない。
前向きな理由で、騎士を目指したに決まっている。
そのために、たくさんの苦労を乗り越えてきたに決まっている。
努力――中でも、結果を出した努力。
貴様の――いや、君のその行動は、とても尊いと評価されるべきものだ。
ただの魔族だろうと見捨てる理由には成り得ないのに……君はその魔族の中でも、一際、尊いときた。
懇願されたとしても、死なせてなどやるものか……!
「……身のほどを……弁えろ、シュガーミリー・アリスターン……! ……君は……生きるべきだ……!」
だから黙って、俺に運ばれていろ……!
「――ッ………………下ろして、ください……ッス……」
この期におよんで……いや、待て、「置いていけ」ではなく、「下ろせ」?
「……じ、分で、歩いて……みせる、ッス……!」
「…………ふん」
……良い面構えだな。まるで貴族だ。
芯まで凍りついてしまった腕が砕け散らないように慎重に、少しずつ開き、シュガーミリーを下ろす。
「……立てる、か?」
「ぐぎ……ぅ……もち、ろん……ッスゥゥゥ……!」
ここまでずっと運ばれているだけだったのだ、足腰もすっかり凍りついてしまっているはずだ。
無理そうならまた抱えるから言え――と伝えようとしたまさにその瞬間、シュガーミリーが、立ち上がった。
「……ッぎ……! さ、ぁ……! い、きま、しょうッス……!」
「ああ……当然、だ……!」
庶民である君がそこまでやれる。
その事実が、俺に取って、この上ない支えになってくれる。
頼もしい限りだよ、まったく。
庶民ができる事なら、貴族は更にその上の事をできて当然。
――進め。
進め、進め、進め、進め……!
俺は――俺たちは、必ずこの山を登り切る!
必ず、必ず……だほあッ!?
「ぃ……!? しぇ、ルバン、卿……!?」
ぐぉおおお……む、無我夢中で進み過ぎた……今、何かに引っかかって、転んでしまったのか……?
ぐぅ、全身の感覚がないせいでよくわからんが、視界が雪に埋まってしまったし、おそらくそうだろう。
こんな雪山で一体、何に引っかかったと? いや、ついに足がもげたのか!?
とにかく、目で確認を………………、ッ!
これは……まさか、旗か?
雪の上に転がっているのは、棒と、その先についた布……間違いない、布に刷り込まれている五本の剣が交差するエンブレムは、騎士団のもの。
俺が転倒したのは、雪の中に埋もれていたこれを蹴り上げた拍子にか。
これは間違いなく、騎士団の旗だ。
棒部分にはへし折れた痕跡がある……先ほどの吹雪でへし折られ、雪に埋まっていた……そう考えるのが妥当か。
何故、こんな高地に騎士団の旗が転がっているのか?
決まっている……!
「ッ……!」
この意味を、シュガーミリーも理解したらしい。
急いで立ち上がり、シオの状態を確認後、登頂を再開する。
ああ、心なしか、先ほどより前進するスピードが増した気がする。
我ながら、体は正直だな、まったく!
――そして、ついに――
「ここ、か……!」
見上げれば首が痛くなるほどに高くそびえる壁。見渡す限り、壁はどこまでも続いている。
城壁、だろう。防衛を目的とした、城塞の外壁。
城壁の上には――先ほど、雪に埋もれていたものと同じ旗がずらりと並んでいた。
間違い、ない……!
「着いた、ぞ……!」
王立騎士団北方駐屯基地。
魔物の侵攻を食い止める目的を帯びた山頂の防衛要塞。
――俺たちは、辿り着いたのだッ!!