30,地獄の底まで落ちていけ
……まったく……ギリギリ、だったな。
霊卿ゼンゼロイの激しい霊力供給でほんの少し意識がトんでいたのもあるが、一番の原因は魔徒側の時間設定ミスだと言う事にしておこう。
今はともかく、
「シオ! 無事か!?」
「ふぃ、ぅ……はいッ!」
ああもう、ガン泣きじゃないか!
だがしかし、可哀想と言う印象はない、あれはどう見ても嬉し笑い泣き!
フッ……俺の登場に、そんなにも歓喜感激したか!
本当に可愛い兵士だな君は! 君と出会ってから俺の性癖はどこまでも歪んでいっている気がするぞ!?
っと……ひとまず、第一目標達成だな。
「よし、ディズ、シオの傍にいてくれ」
「ヴォッフ!」
霊獣纏撃を撃つために手甲に融合させていたディズを切り離し、シオの傍に付ける。
さぁて……ここまでは、順調だ。
「ふむ。足労に感謝する、ミッソ・シェルバン」
「……随分と、上からだな。魔徒風情が。高貴な人間様に近寄るのが、そんなに畏れ多いのか?」
崖の上からこちらに語りかけてきた青髪の女武士。
使い魔の主、状況から推察してシオを拉致したのも、今、シオを魔物の餌にしようとしたのも、奴か。
「挑発には乗らぬ。貴公に近寄って、近距離であの竜を出されては対処できぬ。故に、この距離は死守させてもらうぞ」
……仮に、俺が霊卿ゼンゼロイを召喚して術を発動しても、術が届く前に遠距離斬撃で俺を斬り殺せる距離、か。
先ほど飛び込む際に見えたが、もう一体の魔徒、アンヘッタは女武士からかなり距離を取って座っていたな。
万が一、女武士が究極禍撃・呑地啜天の対処に失敗しても、安全に逃走できる距離。
つまり、術を撃って女武士を仕留められたとしても、霊卿ゼンゼロイに霊力を根こそぎ持って行かれた所にアンヘッタが来る。
あそこにアンヘッタがいる事で、俺は下手に術を撃てない訳だ。抑止の楔と言った所。
……ああ、そう言う配置でくると霊卿ゼンゼロイも予想していた。
つまり、「貴様らが俺から距離を取ってくれる」のも、「抑止のために貴様ら同士も距離を取った状態で待っていてくれた」のも、こちらに取って予定の内だ。
あとは……霊卿ゼンゼロイの指示通り、『時間稼ぎ』をしつつ、『足止め』の策を考えるか。
「魔徒……答えろ。何故、俺がここを目指している最中にも関わらず、シオが窮地にあった? 要求に従えば、無事に返還すると言うのは嘘だったのか?」
「嘘ではない。だがしかし、こちらの不手際は認めざるを得ない。何分、先ほど貴公の術に掠った後遺症で、拙者の気配知覚の精度が格段に落ちているのだ。アンヘッタは元々そちらには疎い」
「使い魔の動きは把握していなかったのか?」
「警戒してくれた事、誠に感謝する。だが残念ながら、あの使い魔は伝言と秒読み、そして案内以外の機能を設定していない」
まぁ、それくらいの頭は回るか。「何か仕掛けがあるかも知れない」と思わせるだけで、心理的拘束力は充分。そんな所だろうと予想はできても、断定はできない以上、疑念に縛られる。うかつに裏の裏をかこうとはできない。
……行動は軽率な癖に、悪趣味な手法にだけは造詣が深い……つくづく、忌々しい。
しかし……そうか。
気配察知の精度が落ちていると。
それは、霊卿ゼンゼロイの予想を遥かに超える好都合だ。
唯一の懸念要素が、消えた。
この作戦の要、『奇襲』を事前に察知され、対応されてしまうかも知れないと言う懸念が。
ならもう、『足止め』は必要ないな。
――と言う事です。霊卿ゼンゼロイ。
『うぬ、それは実に好都合』
ですね。あとは、準備が完了したら教えてください。
「………………………………」
「さて、では、再交渉といこうか。貴公がしおらしく従うのであれば、そこな小娘、無事に根城まで帰還させると約束しよう」
「………………………………」
「…………おい?」
「………………………………」
「……おい、ミッソ・シェルバン。聞いているのか?」
『……準備完了じゃ』
――了解。
「魔徒。ひとつだけ、言っておこう」
「なに?」
「貴様らの、負けだ」
◆
――王立騎士団北方駐屯基地。魔境側、城壁上。
「うぬ。それは実に好都合。急ぎ『照準』を絞る必要はなくなった、とくれば……始めろ。銀騎士の女よ」
生首ではなくちゃんと四肢を生やした状態で、ゼンゼロイは宙に浮いていた。
まるで玉座に座すような体勢で浮遊しながら、ゼンゼロイが指示を出した相手は――二ツ星の銀色騎士腕章を嵌めた女騎士、北方駐屯部隊隊長パイシス・ガローレン。
「承知しました、霊卿ゼンゼロイ……シャン・ベルム・ヴィ・ヒエラノエル。来い、シャルベット!」
魔境側の山面に生えるように顕現した人型の巨体。
パイシスの霊獣、精霊が生み出した生物兵器――霊物巨兵のシャルベットだ。
「ブルルルルァァァアアアア!!」
シャルベットが景気よく咆哮。
そして、その咆哮に開いた大口から、ヌゥッと飛び出した円柱の物体――氷でできた大砲!
「良い具合よな。さて……そこな眼鏡の娘、くぅたんだったか?」
「クーミン・ミンタンですが」
「では略してくぅたんで問題ないな。汝も用意しておけ。妾の指揮下において、もたつく事は許さぬ」
「はい。霊卿ゼンゼロイ」
隊長補佐官、クーミンの返事に満足したように頷き、ゼンゼロイはふよふよと移動。
シャルベットが口から出した大砲の方へと向かい、その膨大な髪の毛を触手のように操って、砲身に接続。
「アタシの妹はどうですか? 霊卿ゼンゼロイ」
「うぬ。問題なし。ゴーレム遊びは妾もよくやった故な」
ゼンゼロイはシャルベットの操縦権の一部を支配下におき、大砲の照準を定める。
狙いは――魔境の遥か彼方、魔徒二匹。
流石に精霊の視力を以てしても見えないし、魔境に満ちた瘴気のせいで気配察知も上手くいかない。
だが、狙える。
何故なら、ミッソに与えた祝福を介して、彼からあらゆる情報を得られるからだ。
「小僧が外から受け取る情報も、内から発する情報も、妾には筒抜けよ」
故に、見える。感じる。魔徒の位置と、ミッソたちとの位置関係。
ミッソたちを巻き込まず、魔徒だけを撃てるポイントを、割り出す。
「……準備完了じゃ」
照準セット完了、あとは、
「撃て」
「承知」
指示を受け、パイシスはその手を、軍配が如く振り下ろした。
「やるぞ、妹よ――絶凍冷撃・界蓋瞬到ッ!!」
「ブルルルァァァァァアアアアアアアアアアアア!!」
――この世の果て、世界の蓋にまで一瞬で到達し、それすらも凍り付かせてしまう――
そんな壮大な謳い文句ですら、大袈裟だとは笑えないほど。
その絶対零度の冷気砲撃は、刹那の間に魔境の空を駆け抜けた。
◆
……凄まじいな……。
銀煌の光の柱が天から降ってきたと思ったら……辺りが一瞬で、氷漬けだ。
絶対零度の冷気を超圧縮した超長距離砲狙撃――絶凍冷撃・界蓋瞬到か!
かつて、魔徒の一体を瞬殺したと言う一撃でもあると言う。
あらゆるすべてを――霊力すらも凍り付かせて、完全に砕く。故に霊力由来の超再生能力を誇る魔徒ですら、再生できずにそのまま死ぬ訳か。
……と言うか、遥か頭上の崖上に着弾したのに……まったく、俺の鎧もあちこちが少し凍ってしまっている。
シオは……俺よりも距離があったし、ディズの陰に隠れていたからどうにか無事だな。寒そうに震えてはいるが。
「さて……シオ、少しここで待っていてくれ」
「は、はひ!」
「ディズ。シオを頼んだぞ」
「ヴォウ!」
両名とも、良い返事だ。
と言う訳で、足に力を入れて、跳ぶ。
霊装で大幅に脚力も強化されている。この程度の崖、ひと跳びで登れる。
崖の上には――いた。
やれやれ、やはり、防がれていたか。
女武士も、距離を取っていたカラフル幼女も、体のあちこちを激しく凍らされているが、完全凍結とはいっていない。動いている。俺と目が合った。
以前に仕留めたと言う魔徒のように近距離でぶち込んだならともかく、発射から着弾まで数秒はあったからな。
……いや、まぁ、全速力のディズでも一〇分近くかかる長距離を数秒で駆け抜ける砲撃と言うのもバカげたものだが。
ともかくその数秒分の時間で、多少の防御行動は取れるだろうさ。それにより、魔徒どもは致命傷を回避、半凍状態程度でどうにか済んでいる。
ああ、もちろん――それも、霊卿ゼンゼロイの予想通りだとも。
さぁ、残り二手で詰みだ。
その一手目!
――霊卿ゼンゼロイ!
『うぬ! いつでもよいぞ!!』
「究極禍撃・呑地啜天ァァッ!!」
遠く、雄々しい咆哮が響き渡る。
竜と化したゼンゼロイの雄叫びだ。きっと今頃、北方駐屯基地の上空にて、空を覆い尽くしているのだろう。
「……ォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
間もなく、咆哮で地を振るわせながら竜が飛んできた。
相変わらず、光々しくも禍々しい、雷霆を纏った黒い巨竜だ。
これが殺意を以て自分に飛んでくるだなんて、想像したくもない。
だが、同情はしないぞ。魔徒。
俺は、貴様らを殺す事に、何も感じない。
服についた埃をつまんでゴミ箱に入れる時、「ああ、この埃はこれから他のゴミと一緒に焼却炉で燃やされてしまうのか、可哀想だな」なんて思う奴がいるか?
尊厳なき命など、埃と何も変わらないと知れ!
「身のほどを弁えて、消えろ! 魔徒が!」
「ヴァアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
「こ、こんな、莫迦な……莫迦なァァァァァァァ!?」
まずは、女武士! 貴様だ!
闇の竜が大口を開けて急下降。
女武士は、氷漬けになり霊術触媒としての機能が死んだ黒剣をヤケクソに振り回していたが、当然、意に介するまでもない。
モルヒネイド同様、断末魔の叫びもろとも、霊卿ゼンゼロイが噛み砕き、呑み尽くす!!
――次だ!
『当然じゃ!』
「ヴァオオオオオオ!!」
「ぴッ、じょ、冗談じゃあないなのです!!」
カラフル幼女魔徒、アンヘッタは椅子と氷で接着されていたスカートの裾を破り、何度も転びながら無様に逃走を開始した。
やはり逃げるか、菓子蒐集家。伝承と同様に。
――それも、霊卿ゼンゼロイと彼女の予想通りだ。
貴様らを仕留める最後の一手、喰らうが良い。
◆
魔徒アンヘッタは考える。
自身の快楽のためにできる最善手を常に考える。
アンヘッタに取っての快楽とは、自分より弱い者をいたぶり、嘲嗤う事。
とことんまで貶めて、とことんまで踏みつけて、最期は高らかと嗤い下しながらボリボリと喰い散らす。
そのためにできる最善手。
それは徹底的に弱者のみを狙い、徹底的に強者を避ける事。
だから弱者を虐げる事に余念はない。
だから強者から逃げる事に躊躇いはない。
――真っ直ぐに、逃げる。
仲間がやられた。仲間をやった強者が、こちらに来る。
振り返る素振りもなく、一心不乱に、とにかく強者が迫ってくる方向とは逆方向に、ひたすら逃げる。
幼さ由来の可愛げも、余裕綽綽な憎たらしさも、すべて投げ捨てて。
脂っこい汗だけならまだしも、涎まで振り溢しながら、アンヘッタは走る。逃げる。
「ええ、お前なら、そうするでしょう」
「……ッ!?」
すひゅん、と珍妙な滑空音と共にアンヘッタの目の前に舞い降りた影。
その女を、アンヘッタはよく知っている。
肩にかからない程度に切り揃えられた髪に、知性を象徴するような眼鏡。
騎士団の制服に、右腕部分には紐が付いた蒼空色の腕章。
空の霊術師、クーミン・ミンタン。
その表情は、無。
ただし、何もないから無表情なのではない。
ただただ、彼女の激情に、表情筋の処理が追いついていないのだ。
――すべて、ゼンゼロイと、そして彼女の予想通り。
女武士がやられれば、まず間違いなく、アンヘッタは逃走を図る。
だから、それを阻む役割を担うべく、竜化したゼンゼロイの陰に身を隠しながらクーミンもここへやってきた。
魔徒の気配察知を掻い潜るための処置だったので、ゼンゼロイに随伴した戦術的意味は薄くなってしまったが――おかげでこの「まったくの想定外だった逃走を阻む者の登場」に酷く狼狽するアンヘッタの顔を見れたのは、幸いだとクーミンは思う。思わず、口角が歪んでしまう程度には。
「ぴ、ぁ、く、クーミンちゃ――」
「私を地獄に落とす。お前はあの時、そう言った。そして実際、私は地獄に落ちた気分だった」
思い返す、最低最悪の記憶。
父を奪われ、絶望の地獄に叩き落とされ、泥にめり込んだ頭を更に踏みつけられたようなあの日の仕打ち。
この魔徒を殺すためだけに、クーミンは霊術を極めた。
ついに、この時が来たのだ。彼女の人生において、これ以上はない。彼女が誇る優れた霊術技能、その面目躍如の時が。
「お前は、地獄の底まで落ちていけ」
アンヘッタが何を言う暇も与えない。当然、防御術式の展開など許さない。
そのために、術の早撃ちも極めたのだから。
「極吹撃・鳳凰薙流!!」
その手から放つ暴風で、吹き飛ばす。
憎き魔徒の、矮小な体を、その背後に迫る闇の竜の口へと向けて、全力全霊で吹っ飛ばす!
「げぁばッ!? く、ぴ、ひ、ぃいいい!?」
闇の竜は、万象を吸引する。
その引力に捕えられた瞬間に、アンヘッタの体は竜の口の中へ。
「ぞんな!! 嘘だァ!! ボリボリするのはァァアンの方で――ャッ」
「黙って死ね」
アンヘッタの最期の嘆きは、クーミンの容赦のない一言に添えられた風の斬撃によって下顎もろともぶつ切られ、そして、
「ヴァアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
闇の竜の腹底へと、消えた。