03,雪山へようこそ
世に言う「北極の地」。
ヴルターリア王国が制覇した大陸の最北端、北方凍土。
季節? 何それ。春? 夏? 秋? そんなの有り得ないでしょ。雪が降らない日が三日以上続くとか、世界の終りを悟るレベルの異常気象だよ。
……そんな事を当然のように言う世間知らずがたくさんいるらしい、ド田舎の常冬地方。
豪雪に閉ざされた北方凍土では、他国どころか他領と交易をする事すらも一苦労。
そのため領地内での自給自足が主、つまりは内向的な発展をしており、全国的な視点からみると世間知らずな者たちが量産されているのだとか。
「……ここが北方か……すごいな……」
最高クラスの霊獣馬車を使い、寄り道なしでも一〇日を越える旅の末、ついに辿り着いた北方の首都・ベリコの町。
首都、と言うの形式上の話で、その様相は王都郊外にも劣る貧相なもの……だと、聞いていたが……成程。
雪化粧、とはよく言ったものだ。
馬車から降りて、真っ白な町並みに感嘆してしまう。
弱い陽光に照らされて煌めく、白雪に覆われた世界……うむ、美しい。
……美しい……のだが。
やれやれ……特注の防寒コートを着ていても若干身震いしてしまう寒さだな……白い息に氷粒が混ざって煌めくレベルだ。
このコートには霊術による防寒加工が施されているのだが……それを貫通する寒さとは……これが自然の猛威……!
町をうろつく市民たちも着ぶくれで真ん丸なシルエットが基本。
幾十年と暮らす住人ですら、防寒具をふんだんに使わなければ外をうろつけない……人間が体ひとつで適応できる限界を悠々と越えた寒さである証左。
町並みひとつですら景色は最高に良いが、ゆっくりと眺めるには少々辛い環境だな。
特に致命的な事に、俺は寒いのが余り好みではない。
騎士として高度な極地環境適応訓練は受けてきたが、耐えられるからと言って平気だと思ったら大間違いだ。
さっさと騎士団の駐屯基地に入って暖を取りたい。
ああ、そうだな。基地ならばきっと霊術式の暖房器具も充実している事だろう。暖かな室内からこの町並みを眺めたい。是非。
「ほぁあ……な、何と言うか、町並みも、その、王都とは……こう、雰囲気が違いますね!」
申し訳程度に添えられた護衛の兵士――シオが子供のようにはしゃいでいる。いや、はしゃぎたいのをぐっと我慢はしているけれど、抑えきれないでいる様子。
可愛いのは顔だけにしとけよ貴様。護衛任務が終わる前にどんな間違いが起きるかわからんぞ。
馬車旅中も「本当に男なの? ねぇ?」と問い詰めたくなる可愛らしい寝顔を見せつけてくれてまぁ……危うく暴走しかけたのは内緒だ。童顔は凶器。
それはさておき……ふむ、確かにシオの言う通り。
雰囲気が違うと言うか、そも、建造物からしてまるで違う。
町を構成する建造物はどれも、ドーム状だ。
理由は想像に容易い。毎日のように雪が降るためだろう。
王都のように平屋根や三角屋根の建物では、数時間おきに雪かきをしなければ雪の重みで建物が圧潰する。その手間を軽減するための知恵……道理だ。
「おや……ぁ、あれは一体……? そこら中にありますが……」
ん? 小首を傾げて、何かあったのか?
ああ、あれは……。
「あの雪飾りは、スノーマンだな」
「ふえあ!? しぇ、シェルバン卿、ど、どうして僕が、ぎ、疑問に思った事を……!?」
「……今、君は思いきり声に出していたが?」
「ほ、ほぁ……にゃ、何と言う失態……!」
一度、股座のブツの形状が本当に雄型なのかを検分させて欲しい可愛らしさだな貴様。
シオが小首を傾げて疑問の視線を送っていたのは、先ほどから民家の軒先に必ずと言って良いほどに設置されている雪製の工作物。
三つの雪玉を積んで作られた飾り物だ。一体一体、造型に若干の差はあるが、雪玉を三つ重ねて一番上の玉に石ころの目・木枝の鼻・細く割れたレンガの口があしらわれているのが大体お決まりらしい。
「スノーマン……雪で作る人形。いわゆる儀式的積物の一種だな」
実際に見るのは俺も初めてだが、シェルバン家嫡男として受けてきた英才教育の中で知識は得ている。
北方がヴルターリアの領土になる前からある風習、北方先住民の伝統だ。
それが今もなお、入植民にまで受け継がれている、と言う事だろう。伝統が守られるのは良い事だ。何もないよりは味気がある。
「とーてむ、たわー……?」
む、そんな事も知らないのか?
いや、まぁ、君は庶民の出のようだしな。貴族である俺のスタンダードを基準にするのは酷いか。
仕方ない、知識ある者として、答えてあげよう。
「儀式に用いる触媒、その中でも『物を積み重ねる』『生物を模した装飾を施す』と言う単純にして強力な二つの手順で概念を強化した代物の事だ。スノーマンはその中でも『雪の精霊と交信し、雪害の発生を抑える祈祷』に使う触媒だよ」
伝承の時代が終わり、人の世から精霊が消えてしまった途端。
精霊の恒常的な庇護を失った人間たちは、自然災害による被害が一気に増加した。
北方ではその性質上当然ながら、雪害が顕著であったと言う。
スノーマンはそんな事情から生み出されたトーテムタワー。
雪の精霊と交信するための媒体であり、あれを通して高次元世界にいる雪の精霊に訴えかけ、自身や大切な誰かの安全を祈願するための物なのだ。
と言っても、本当に効果があるのはきちんと精霊の祝福を受けた騎士や霊術師がこさえるスノーマンだけだろう。
雪の精霊に祝福された銀の騎士か霊術師あたりが作れば、効果はてきめんに違いない。
今、そこら中に設置されているのは、それにあやかっているだけ。術式ではなくおまじないの類。
「ほぁああ……シェルバン卿は博識なのですね! ご、ご教示、ありがとうございます……!」
庶民が物を知らんだけ、だとは思うがな。
まぁ良い。博識だと言われて機嫌が良くならない人間はいない。
当然の事だとしても、賛辞を受けるのは好い事だ。
「……で、だ。そんな博識の俺でも疑問なんだが……一向に、騎士団の駐屯基地らしきものが見当たらないな」
町の案内図がないのは、ド田舎相応だ。仕方ない。話通りなら観光業が盛んなはずもなし。
それでもこんな小さな町なら、適当に歩いていればそれらしい建物は見つけられるはずだとタカをくくっていたのだが……。
「そ、そうですね……し、しかし……御者さんは北慣れしている様子でしたし……場所が違うとも、ぉ、思えないのですが……」
ああ、あれだけベテランの風情を醸し出してクールに決めていた御者がそんな初歩的なミスをしているとは思えないし、思いたくない。
あれだけの雰囲気を纏っていてもそんなザマとか、人間不信になる。
だがしかし、であれば、一体どういう事だ? 見逃した? そんなバカな。
「仕方ない……もし、そこの御老人」
現地の人間に道を訊くとしよう。
早速、通りすがった老人に声をかける。
老人の腰は見事なまでに曲がっているが、足取りは確か。毎日雪の上を歩いているが故の逞しさだろうな。
「はいよ、何だい……って、ん? 兄ちゃん、騎士様かい? 黒い腕章だなんて、初めて見るが」
「……あ、ああ」
……世間知らずが多い、とは聞いていたが……この反応、まさか黒騎士の悪評も知らないのか?
好都合ではあるな。余計な悪感情無しに話を聞いてもらえる。
「おやおや、騎士様がこんな老いぼれに何か用ですかね。なんなりと言っておくんなせぇ」
「良い心がけですね、御老人。道を尋させていただきたいのです。王立騎士団の北方駐屯基地はどこでありましょうか?」
「お、あんた様は他所から来たのかい? これからはこっちでお仕事を? んじゃあ、これからよろしくお願いしますわ」
「ええ、はい。まぁ当然に」
騎士団の職務は国の防衛・維持、つまりは国民生活を守る事も含まれる。
やるべき事はやる。騎士として、庶民をよろしくしてやるのは言われるまでもない。
だが、「守られて当然だ」などとふんぞり返らず、よろしくと頭を下げるその態度……うむ。田舎庶民であっても、御老輩は礼節と言うものをしっかりと弁えているな。接していて気分が良い。
「で、騎士団の駐屯基地、でしたな。そりゃああっちの方です。町を出て、真っ直ぐ真っ直ぐ進んでくだせぇ」
「なに……? 町を出る……のですか?」
「北方駐屯基地は、山ん天辺ですから」
「……………………」
……なんだと?
◆
「……シェルバン卿、も、申し訳ありません……先ほどは、ぼ、僕が先に気付いて、み、道を尋ねるべきでしたのに……シェルバン卿に、ぉ、お手間を……!」
「構わない。俺の都合だ」
俺は寒いのが余り好きではないんでね。
一刻も早く、基地に辿り着きたいんだ。
君が訊きに行って、その回答をまた君の口から聞かせてもらうより、俺がさっさと訊いた方が早く済むと踏んだだけ。
……むしろ、すまないな。
身分が上の俺に率先して行動されては、君の立つ瀬がない、と言うのもわかる。
君が申し訳なさそうな顔をするのは当然だ。その理由も心情も理解する。
ノブリス・オブリージュの観点からして、俺は貴族として、君が気付いて動くまで待ってやる余裕を持つべきだったろう。
でもね、本当、もうね。寒い。
ごめん。待つとか無理だった。
俺だって人間だもの。無理はあるよ。
情けない事を言うのは趣味ではないから明言は避けていたけれどね。
もうぶっちゃけよう。俺は寒いのが大嫌いなんだ。
「……お、あれか」
町を出て真っ直ぐ真っ直ぐ歩くこと小一時間。
前方に大きな山が見え、その麓には小屋があった。
あの小屋が、山頂に構えられた王立騎士団北方駐屯基地との連絡所。
あそこに辿り着けば、運搬装置で山頂まで運んでもらえると老人が言っていた。
「よし、シオ。少し急ぐぞ。頑張れるな?」
「ぁ、ひゃ、はい! も、もち、もちろんです!」
あの山と小屋以外、辺りは見渡す限りの雪原。あれで違いはあるまい。
そして現在進行形でしんしんと雪が降り、寒さは相変わらずだ。俺はさっさとこの寒さからオサラバしたい。
それに……シオが先ほどから目に見えて寒さに震えている。兵士として多少身は鍛えているだろうが、騎士になるべく鍛えられた俺ほどではないのは当たり前だし、着ているのも霊術加工などはしていない普通の防寒具……当然の限界だな。むしろ彼は意外にも我慢強い方だろう。
急ぐ理由しかないな、これは。
「お待ちしておりました」
「どぅわッ!?」
「ほにゃあは!?」
ぅ、うおおおう!? び、びっくりした……余りの驚愕に貴族らしからぬ声が出てしまったぞ……!?
い、いきなり、目の前に眼鏡の女性が、すぴょーんって……意味不明な効果音と共に降ってきた……!?
「騎士シェルバン、そしてその護衛の方、ですね」
突如現れた女性……こちらが大いに驚いているにも関わらずぴくりともしない無表情に、その眼鏡、そして肩にかからない程度で丁寧に切りそろえられた髪が、冷静で知性的な印象を与えてくる。
身に纏っているのは、白を基調に金のラインが入ったデザインの軍服――王立騎士団のものだ。
だが、腕章の形が違う。騎士の腕章にはない垂れ紐……あれは、霊術師の腕章。色は青……いや、蒼空色。
風の精霊の祝福を受けた、空の霊術師だな。
騎士の補佐として一般兵や霊術師が騎士団に配属される事はあると聞く。その類か。
そして、今いきなり降ってきたのは、風の霊術で飛行してきたから。
団服一枚で防寒套を纏っていなくても平気そうなのは、同様に風の霊術で身辺の外気を弄っているからだろうと推測できる。
……そんな芸当を涼しい顔で……相当な技量の霊術師だな。
そのレベルまで辿り着くのは並大抵の苦労ではなかっただろうに。
霊術師は霊獣の召喚や霊装の展開ができないため、それらを介さず己の体ひとつのみで霊術を行使する。
自然、使える霊術の質は騎士に劣る訳だ。故に「騎士の下位互換」だ「成り損ない」だと揶揄される事も多いと聞くが……それでも、腐らずに邁進したのか。
好感を抱くに値する。相応の笑顔で応対しよう。
「ああ、間違いなく。ミッソ・シェルバン。そして護衛のシオ・コンフェットだ」
「ぁ、ひゃい! ショ・コンはへあとです!」
言えてないぞ。元々のあがり癖もあるだろうが、寒さで舌が強張っているのが拍車をかけているな。
「私は王立騎士団北方駐屯部隊隊長補佐、クーミン・ミンタンと申します。人事部部長も兼任しております」
ふむ、部隊長補佐兼人事部のトップがお出迎えか。
まぁ、黒騎士とは言え俺は一応まだシェルバン家の嫡男だしな。
正式な廃嫡まで秒読みに入っているが、今はまだ最高貴族。
歓待している風に体裁は整えるだろう。
「助かったぞ、ミンタン隊長補佐官殿」
俺はともかく、シオは限界に近い。風の霊術でひとっ跳びさせてくれると実に有り難い。
「助かった? ……はて、何か勘違いをされていませんか? 別に私は、あなた方の送迎に来た訳ではありませんよ?」
「……なに?」
「私は、ガローレン隊長殿からの伝言を預かってきたのと……そして、あなた方を地獄に叩き落としに来たのです」
地獄……? 待て、一体どう言う……――
――疑問を口にする暇はなかった。
「ラウド・ヘクト・バ・ブルムテンペイダ。我が霊格は蒼穹。吹き抜ける天ツ風――吹撃・鳳凰薙流」
クーミン・ミンタンの唐突な詠唱。霊力の奮起を促すための霊言と、霊術発動の合図。
そして、刺すような冷たさを含んだ猛烈な風。
今日、俺は人生で初めて――空を飛んだ。
「な、なんでぇぇぇぇぇーーーーッ!?」
「ほ、ほあああああああーーーーッ!?」