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29,とある兵士の憧憬


 僕は、騎士になりたいと思っていました。


 精霊様の祝福を受けて、霊装れいそうと呼ばれる鎧を身に纏い、霊獣れいじゅうを召喚・騎乗する戦士。

 あらゆる災厄を討ち払う光輝を纏い、霊獣と共に疾駆する雄姿。


 強さの象徴。

 憧憬の具現。


 ……でも、僕には無理でした。

 精霊様の祝福を受け入れるには、厳しい修行で肉体を作り変える必要があります。


 人智を越える精霊の力を借り受けられるようになるには、当然、人を越える肉体がなくては始まらない。


 僕には、人体を根底から改造するに等しいその修行に耐えられるだけの素養がなかった。


 ……そうして、僕はただの兵士になりました。


 ぁ、いえ、兵士が悪いだなんて、思ってません!

 兵士だって立派なお仕事です! みんなを守る重荷を抱えて懸命に努める! 生半可で勤まるものではないとわかっていますとも!

 兵士になれただけでも、僕なんかには身に余る光栄ですよね!


 ……でも、やっぱり……。


 いえ、未練がましいのは、なしです。

 僕は割り切りました。


 騎士になれずとも、騎士様を支える事はできる。

 騎士様を支え、その雄姿を見て心躍らせるだけでも、ええ、それもまた、身に余る光栄です。


 僕は、それ()良いんです……。


 ――と、そんな風に少ししょぼくれていたある日の事。

 僕は兵士として、ある高貴な御仁の護衛を務める事になりました。


 その御仁は、最高貴族家出身でありながら黒騎士――闇の精霊の祝福を受けてしまった騎士様でした。


 世間一般で言う所、黒騎士は最悪です。


 過去、伝承や歴史において、黒騎士はいつも悪役で、世を乱す者。

 闇の精霊に魅入られる輩、所詮はろくなもんじゃない……と。

 そう言う歴史的背景があり、当世では黒騎士と言うだけで前科百犯のような扱いを受ける、と聞いた事があります。


 そして、御仁もその例に漏れず……黒騎士だからと言う理由だけで事実上の廃嫡となり、北方の極地へと左遷される、との事でした。


 僕が務める事になったのは、御仁が北方へ向かう間の護衛です。


 疑問を解消する良い機会だと思いました。

 疑問と言うのは「黒騎士になるような人は本当にろくでもないのか」と言う事です。


 僕にはどうにも、そんな事が信じられないのです。

 騎士を志して挫折したからわかる事があります……半端な覚悟で、精霊の祝福を受けるための修行を乗り越えられる訳がない。


 護衛中、僕は御仁を、失礼にならない程度にチラチラ観察する事にしました。


 最初、御仁はとても……やさぐれていました。護衛の僕に変な絡み方をする程度には。

 ……それもそうでしょう。つい先日まで最高貴族として暮らしていたのに、黒騎士に認定された途端、特に悪い事もしていないのに家族から切り捨てられ、更には王都からも追放され、僻地へと飛ばされるのですから。

 誰かに八つ当たりしたくなる気持ちは、僕にだって理解できます。


 でも、御仁の態度はすぐに一変しました。

 僕のような有象無象の一兵士に「少々やさぐれて意地悪な態度を取ってしまった」と言う旨の謝罪をしたのです。


 青天の霹靂でした。


 別に悪いとは思いませんが、貴族様は誰かに頭を下げる事に慎重です。

 だから……特に僕みたいな下身分の者に謝るだなんて、思いもしなかったので。


 それからも、御仁の態度は意外な事が多かったです。


 僕みたいなのを事ある事に褒めてくれたり、無知な僕を責めるどころか優しく丁寧に物を教えてくれたり、僕の鈍くささが招いた失態も雑に流してくれたり、情けない事に護衛中に倒れてしまった僕を助けてくれたり。


 ……ろくでもないなんて、とんでもない。

 むしろ、逆の印象ばかりです。


 あの人は――



   ◆



「――起きろ。そろそろ刻限だ。小娘」


 追憶の夢から僕を引きずり出したのは、魔徒の声。

 和服を身に纏った青髪の女武士……僕を、この洞窟の中まで連れてきた魔徒……!

 僕を捕まえた時は片腕を失っていたのに、今ではすっかり再生済。


 ……どうやら僕は、恐怖の余り、結構な時間、気を失っていたみたいです……。

 本当に、自分で自分が情けない……。


 ここがどこなのか、ハッキリとはわかりません。

 ただただ、とても広い洞窟だとしか。

 天井には一点だけ、天窓のように穴が開いていて、暗闇と言う訳ではありませんが……この常冬の地では、陽光なんてか細いものです。

 視界はとても悪く……ほひゃあ!?


「おい小娘。後ずさりたい気持ちは察するに易いが、余り動き回るな。そろそろ刻限ではあるが、まだ僅かに間はある。一応、最後の最後までは生かしておかねばならん」


 が、崖……? あ、危うく、落ちる所で――うッ……。


「青ざめたな。安心しろ。もしも時間内にミッソ・シェルバンが来れば、手前をあそこに放り込む事もない」

「……ッ……!?」


 ――僕の眼下、崖のようになっているその下では、見てしまったのを後悔して仕方なくなる量の魔物が、蠢いていました。

 へどろを押し固めて作ったような、単眼大目玉の気色悪い怪物で構成された海……え、僕、もしかしてあそこに放り込まれるんですか……!?


 いや、と言うか……、


「シェルバン卿が、来る……?」

「ああ、手前は人質だ。あの黒騎士をここに呼び出すためのな」

「まぁ、アンは来ないと思うなのですけどね」


 不意に加わった幼い声は、女武士の遥か後方、岩を削って作った椅子の上でだらりとくつろぐカラフルドレスの幼女。

 あの子も、確か、魔徒。


 幼女が不意に指を鳴らすと、魔物が一匹、物陰から幼女の元へ。

 幼女は何を思ったのか、霊術を発動。黒い光で構築した薄い布で魔物を包み込むと――ひと包みの、黒い飴玉キャンディに変えて、口に放り込ッ……!?


「人間はいざとなれば、他人なんて簡単に切り捨てるなのです。やっぱ狙うなら親子なのですよ。特に親の方は、子供を守るためなら何でもするなのですよアレ。どうせおまえ一人が犠牲になった所で守り切れやしないってのに、マジ見てて愉快なのです!」


 魔物を凝縮した飴玉を口の中でカランコロンと転がしながら笑う幼女。


「……まぁ、来なければ、次の手を考えるまでよ」

「………………ッ……」


 ……あの幼女の、言う通りだと思います。

 シェルバン卿に取って僕は……ほんの少々、面識がある程度の一兵士風情。

 たかが一兵士、無理して生存を望まれる事もないでしょう。


 大体、シェルバン卿は最高貴族出身の方。

 僕なんかを助けるために、身を犠牲にして良い方ではありません。


 だから来ない。来るはずがない。

 絶対に来ない。来ない。来るはずなんてない。

 来ない、来てはいけない。来ちゃダメなんです。


 ――……お願いです。来ないでください、シェルバン卿……!


 …………きっと、あの人は――来てしまう。

 だってあの人は、雪山で死にかけても、僕を見捨てなかった。

 僕が死にかけた一件でガローレン卿に激しく噛み付き、決闘にまで臨んだ。


 シェルバン卿はきっと、誰の命を見捨てる事もしない。


 あの人は、きっとそう言う素敵な人なんです。


 でも、ダメです。そんなの……!


 魔徒は、強い。きっと、シェルバン卿でも……!

 来てはダメです! シェルバン卿は、僕なんかを助けるために死に臨んで良いような人ではありません!


 だから、お願いします……!

 魔物に捕まった人間が生きているはずがないと、諦めてください……!

 どうか、もう望み薄なんだと諦めて、僕の事なんて放って……!


「来たな。――……刻限が」


 ――……!


「残念ながら、次の手を考えるとしよう」


 女武士に、蹴り飛ばされ――僕の体は、情けなくなるくらいあっさりと宙へと舞った。

 吸い込まれるように、魔物の大群が跋扈する下の層へと、落ちていく。


 落ちていく最中……不思議と、心は穏やかでした。


 ――良かった。


 本当に、良かった。

 きっと、周りの人たちが、止めてくれたんだと思います。


 これで良いんですよ。シェルバン卿。


 貴方は、僕なんかのために体を張って良い人じゃないんです。

 だって貴方は、とても高貴で、そして――


「ッあぅ……!」


 魔物の体にぶつかって、その気色悪い弾力に弾かれて、次は固くて冷たい地面へ。


 ッ……痛い、とても。落ちた時に小石で頬や額を擦り切ったみたいで、じんわりと熱を感じます。

 ……きっとすぐに、こんな痛みは感じなくなるでしょう。


 身を起こしてみれば、背面は崖壁、三方は魔物に取り囲まれた状態。

 当然ながら、逃げ場はありません。


「ギャパァ!」

「キキキ!!」

「ギュァピャ!」


 僕の三方を取り囲む魔物たちが、元気良く、騒ぎ始めました。

 天からの恵みだと雨を喜ぶ人々のように、触手を振り上げて小躍りしています。


 浮かれ狂った魔物に八つ裂きにされて、貪り喰われて、僕は死ぬ。


「……あれ……?」


 ……情け、ない……。

 この期に及んで、何を泣いているんだ、僕は。

 全部、覚悟してきた事だのに。

 北方への転属を受け入れたのも、今日の出撃を希望したのも、僕。


 だのに何で、僕は泣いているんだ?


 良かったじゃないか。僕は、任務中に死ぬんだ。

 兵士としての仕事をまっとうして、死んでしまうんだ。兵士の鑑じゃないか。

 騎士の修行から逃げ出して、それでも女々しく未練がましく思っていたこんな僕でも、立派な兵士として死ねるんだ。


 喜べよ、嘘でも。


 そう思わなきゃ――余りにも救われないじゃないか。


「――む?」


 ……? 何だ?

 崖の上で、女武士が、何かに反応して――魔物たちも、小躍りをやめて……何かを警戒している……?


「――やや遅れたが、来たか」


 ズドォンッ! と言う爆発音。

 黒い津波が、洞窟の天井を木端微塵に打ち砕く音。


 あの、黒い波動は――


「――間に合ッ、たァァァッ!!」

「ヴォオオオオオウ!!」


 大声を撒き散らしながら、その巨体はまるで黒い疾風のように、洞窟内へと吹き込んできました。


「おのれ魔徒クズが! タイトな時間制限リミットを設けるなら、せめて待ち合わせ場所は近く設定しろ! ディズを全力で走らせても八分以上かかるとか! 時間ぴったりで使い魔も消えたし! ディズの鼻で嗅ぎ付けられる距離まで来てなかったらどうなっていた事か!!」


 なんて怒涛の勢いで愚痴りながら――黒い疾風は、僕の目の前にいた魔物を踏み潰しました。


 魔物を踏み潰したのは黒く太い四つ足。

 巨大な黒オオカミ――ディズの足。


 当然、ディズに騎乗している黒鎧の御仁は――シェルバン卿……!


禍撃マガツ!」

「ヴォオオオオオオオオオオオ!!」


 シェルバン卿は間髪入れずに霊術を発動。

 ディズの口から闇の波動を撃たせ、魔物の大群を粉々に粉砕していきます。


 元々グロテスクな外観の魔物が、禍々しい波動でぐちゃぐちゃに八方飛散していく。

 酷い光景のはずだのに――思わず、熱狂、興奮してしまっている僕がいました。


 ……でも、それと同時に、思います。


「ど、どうして……どうして、来てしまったんですか……!? どうして、僕なんかを……助けに、来てしまったんですか!?」


 嬉しい、飛び上がりたいくらいに。

 でも、ダメだ。


 貴方は、僕なんかのために危機に臨んで良い人じゃ――


「僕なんか?」


 シェルバン卿はこちらを振り返らず、まだ残っている魔物たちを睨み付けながら、声色だけでわかるくらい怪訝そうに訊き返してきました。


「一兵士ごとき、見捨ててしまえば良いのに……とでも、思ったのか? ……ふざけているのか?」

「……ふ、ふざけてなんて……」


 貴方のような御仁が命を懸けてまで助けにくるような価値、僕には……!


尊き者よ、尊く在れノブリス・オブリージュ。人の命は皆すべて尊い。身分によって大小・強弱・優劣の差はあっても、本質は同じ、程度が違うだけだ。故に人は皆、己の身のほどを弁え、それ相応に生きるべきだ」


 ――それは、高圧的と言うよりはまるで「物分りの悪い子供に言い聞かせる」ような口調でした。


「身のほどを弁えろ、一兵士シオ。君も小なりに尊き者だ。その命、粗末に扱われて良い分際ではない。そも、命を粗末にされて良い人間なんて、いるものか」


 常識だろう。その程度の事も知らないのか? これだから庶民の出は無知で困る。

 そんな見下した風に言いながらも、御仁は決して、僕の前から退こうとはしませんでした。


 不動の黒い背中には、強い意志が滲んでいて――僕はその姿に、思わず見惚れていました。


「もう一度言う。尊き者よ、尊く在れノブリス・オブリージュ。……ああッ……何度言っても良い言葉だろう?」


 ――……この人はおそらく、聖人ではありません。


「故に示そう。黒騎士認定された程度では到底衰える事などない、この俺の尊大さを! 庶民一人程度を救えずして、何が貴族か、何が騎士か! ノブリス・オブリージュの精神に則り! 俺は君を、華麗に救い出そう!」


 でも、確実に、悪人でもありません。


「ははははは! ほら見ろ! 禍撃マガツ! 禍撃マガツ! そら禍撃マガツ大玉グレド! どうだ、魔物がゴミのようだろう!? なぁ!?」

「さ、流石です! か、華麗な無双です!」

「だろう、そうだろう、俺は流石だろうッ!?」

「は、はぃ! す、すごく――カッコいい、です!」

「ふッ、ふはははは! まったく、当たり前だろうがッ! 今更何を言っているんだ君は!? だが当然の事でも賛辞されるのは大好きだとも! ははははは! 撃ってしまうか、もう撃っちゃおうか!? とっておきの一撃、極禍撃マガツガル大黒狼太刀ゼムヴォルフを!」

「お願い、します!」

「よし来た! やるぞ、ディズ!」

「ヴォッファォオオォォオオオオオオオオオンッ!!」

「マガツガルゥ……ゼム、ヴォルフゥゥゥゥゥゥ!!」


 この人は、ただ身に纏う鎧が黒いだけの、すごくカッコいい人なんだと思います。



 だから僕は、あなたを見ていたい。


 黒い騎士の雄姿に胸を躍らせていたい。



 僕は、それ()良いんです。


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