22,闇降るオリエンテーション
哨戒任務開始から一時間ほど。
魔境側、山面中腹部。傾斜の緩やかな針葉樹林にて。
「キュェアアアアッ!」
俺たちは、けたたましく唸り鳴く醜怪な黒い物体と遭遇した。
――……魔物だ。
へどろの塊のような巨体に単眼の大目玉。目玉の中に浮かぶのは、赤黒く汚濁した無数の瞳。
大人をも一口で丸呑みにしてしまいそうな大口には歪んだ大牙が並ぶ。
手足と呼んでいいのか不明だが、数えるのも面倒な数の触手を持つ。触手の先端には刃物のような爪を持つものも。
この容姿に好意的感情を抱く人間はまずいない。
そう断言できる不気味な存在。
昔、博物館で見たそのものが、唸りをあげて粘性の高い唾液を散らしながら、こちらに向かって来る。
……ああ、これは確かに、存在そのものが精神攻撃だ。見ているだけで酷くげんなりする。
さっさと吹っ飛ばしてしまおう。
「禍撃!」
「ヴォオオオオウ!」
騎乗したディズに闇の波動を撃たせて、真正面から突撃を仕掛けてきた魔物を木端微塵に吹き飛ばす。
うむ、聞いていた通り、基礎的な術の一発で完膚なきまでに殺せるな。
「ケェアアアア!」
む、間髪入れずに新手が……――ああ、俺がどうこうする必要はないか。
既に、音か気配かで接近を察知していたらしいコレグスが、ライフル銃を構えていた。
――騎士団の兵士に支給される武器は、鉄の精霊の祝福を受けた鈍の霊術師や騎士によって鋳造される。いわゆる霊術兵装だ。
霊術加工を施された弾丸は、着弾距離にもよるが基礎的な霊術程度の火力を誇ると言う。
つまり、充分に魔物を殺せる。
「………………………………」
コレグスが構えていたライフルが雷光と見紛うような激しい発砲閃光を吹き、弾丸を発射した。
数瞬遅れて、ズドンッ! と言う大砲めいた爆発音が響き渡る。
弾丸は見事、魔物の大目玉ど真ん中を撃ち抜き、その体組織と体液を派手に飛散させた。
風穴を空けられた魔物は力無く後方へと薙ぎ払われ、後頭から積雪に突き刺さって動かなくなる。
「………………………………」
特に達成感や興奮を滲ませる事もなく、コレグスは手早くライフルのボルトを引き、使用済みの薬莢を排出。
歴戦の兵士……と言うか、歴戦の狩人と言った佇まいだな。
流石は極地に適応した狩猟民族の末裔か。
「ほぁあああ……コレグス先輩、すごい……!」
支給されたライフル銃を抱きしめたまま、シオはそんな感嘆を漏らしていた。
うむ、確かにな。
充分な武器を支給されているとは言え、あの魔物を前にしてもまったく動じず適確に一発で仕留めてしまう胆力。感服せざるを得ない。
……だがシオよ。
俺だって一匹仕留めたよ? 俺って言うかディズがだけど、ディズの手柄は俺と同カウントなんだが?
いや、別に? 庶民からの賞賛なんてものを前傾姿勢で欲しがるようなみっともない真似はしないが?
それでも? 俺も賞賛されるべきなのではないかなって思うんだが?
「キケケケェェェ!」
ぬおッ、次から次に……ホットスポットと言うだけあるな。
「次は自分とワボさんがやるッス!」
「ワボゥ!」
「いくッスよぉー! 火撃・大玉ッス!」
「ワボッシャァァァァ!」
シュガーミリーの頭の上で大きく翼と嘴を広げ、灰色のグリフことワボさんが咆哮。
咆哮に合わせて吐き出されたのは、人の頭くらいの大きさの火球。
火球は真っ直ぐに、新手の魔物へと飛んでいき――
「ケッペィ」
――……魔物の触手一本で、ぺちんと叩き落とされてしまった。
「ああ!? そんなぁ!?」
「ワボッツァ!?」
「……まぁ、薄々そんな気はしたがな……禍撃!」
「ヴォオオオ!」
「ギャペッ!?」
シュガーミリーが仕留め損なった魔物を、代わりに吹っ飛ばす。
「おおお、シェルバン卿! 流石ッス! そしてありがとうッス!」
「隊長との立ち回りを見た限り心配ないだろうとはわかっていましたが、上々ですね」
当然だ。誰に上空からものを言っている、クーミン。
「ギチョパムンパスァ!」
おっと、またか……っと、今度は群れだな。
軽く目算しても一〇匹以上か。ここは禍撃・大玉か極禍撃で対処すべきか?
「にしても、今日はやたらに続きますね」
「!」
言いながら、クーミンは掌の上に小規模の竜巻を精製していた。
「吹撃・斬飛投」
それはさながら、風の手投げ爆弾。
クーミンが放物線状に投擲した小さな竜巻は、魔物の群れの中心部に着弾。
瞬間、風刃の暴風と化して四方八方へと飛散。魔物たちを一匹残らず斬り散らした。
……あんな凝った霊術を霊装も霊獣も介さず涼しい顔で……本当に腕の良い霊術師だな。
それも、常に浮遊と温度調節の霊術を駆使しながらときた。
一体、どれだけの修練を積んできたのやら。
……などと感心している間にも、新手。四匹。
すかさず、コレグスがライフルを四連射。
きっちり四匹すべてを仕留めてしまった。
「…………異常よや」
フッ、と短く細く白い息を吐き捨てて手早くライフルに弾丸を装填しながら、コレグスは訝しむように目を細めた。
何か、普段と違う手応えでもあるのか?
「……そうですね、これは確かに、少々異常です」
「数が多いのか?」
「いえ、確かにややハイペースではありますが、その点は異常と言うほどの事でもありません」
とか言っている合間にも、新手。
「キャパァァァァアア!」
「にゅううう! 今度こそッス! 極火撃!」
「ワァァァボォッォォオオッオオッ!!」
ワボさんにも意地があったのだろう。
ヤケクソ気味な咆哮と共に放った豪炎は魔物を丸々一匹包み込めるほどの大きさで、浴びせた魔物を見事に仕留めてみせた。
……が、今の一発で元々小さかったワボさんが輪をかけて小さくなった上に、息絶え絶えの様子だな。
まぁ、庶民出の灰騎士の霊獣にしては頑張っていると褒めよう。
と言うか、そろそろ褒めてあげないと何か不憫な気がしてきた。
「ほぁ、えぇと、ぼ、僕も……ぁ、ありがとうございます! ……こ、今度こそ僕も……あっ、ありがとうございます……!」
わたわたとライフルを構えては他に先に処理されてぺこりと頭を下げるシオは今日も可愛い。
で、話を戻すが……、
「では、何が異常なんだ?」
「先ほどから、我々がほとんど動いていない、と言う点です」
確かに、次から次に魔物が押し寄せてくるものだから、ろくに移動できていないな。
「普段の哨戒でも頻繁に魔物と遭遇するものですが……魔物側からこちらに大挙して押し寄せてくる、と言うパターンは記憶にありません。魔物は物量戦に重きをおいている性質故か、索敵も物量頼みで、個々の知覚能力はかなり低いようですからね。よほど接近しなければ気付かれませんし、ド派手な戦闘をしない限り釣られて来る事もありません。群れている場合は二・三度の連戦にはなりますが……」
ふむ、であれば、確かに現状はおかしいな。
さっきから、ひっきりなしに次から次、魔物の方からこちらに集まってきているようだ。
二連戦三連戦などと言うカウントはとっくの昔に通り過ぎている。
「禍撃! 禍撃! ……えぇい、まだ来るのか!? 禍撃ゥ!」
あちこちから出てくるものだから、ディズの口だけでは砲門が足りない。
この調子がいつまで続くかも知れない以上、大技を不用意に使うのも避けたい。
ここは、霊装の手甲からも禍撃を放って迎撃する。
……にしても、異常事態、か。
楽観的に考えるならば――撒き餌が上手くいっている、か?
俺とシュガーミリーの実力を探るために、魔物が意図的に差し向けられている、のかも知れない。
よし、では、どこかで見ているだろう魔徒に見せつけてやろう。俺の実力を。
シュガーミリーはともかく、俺の方は目に留めさせて、俺の身柄を奪取する動きを誘発し、おびき出す。
何度も手間をかけるのはケース・バイ・ケースではありだが、基本的に俺の趣味ではない。省いて問題ない事は省く主義だ。
この機会に充分な力を見せつけ、次回にでも早速食いついてもらえるように仕向けたい。
と言う訳で、派手に一発か二発――
「ッ! ヴォォア!」
「……………………!?」
ん……? 何だ?
ディズ……とコレグスも、何かに過敏に反応した?
「…………ヴォウ……!」
「……何んか、来るんど……!」
なに……?
「――小手先調べはァ! もォォ、充分だよなァァァァ!?」
……!?
今のは……人の声……!?
「雑魚は退けやァ――魔撃!」
――それは、禍撃とは毛色が違う闇の塊だった。
禍撃が闇の波だとすれば、今、降ってきたのは――闇の閃光。
黒く眩い、漆黒の瞬き。
闇の閃光は雨のように一帯に降り注ぎ、針葉樹林ごと控えていた魔物たちを磨り潰していく。
だけではない……闇の閃光に勢いよく吹き飛ばされた積雪が津波になってこちらに向かって来る!
「くッ……禍撃・障壁!」
「ヴォッフ!」
とにかく防御だ! ディズを介して全面に闇の盾を展開させる。
いくら激しくとも、霊術でも何でもない雪の猛突だ。充分防げる。
「い、一体、何なんスか!? って言うか、今なんかヤンキーみたいな声が聞こえたんスけど!?」
「ほぁ、あ、ぼ、僕も聞こえました!」
「…………………………」
「……ッ……!?」
騒ぐ元気があるのはシュガーミリーとシオだけだな。
コレグスは未知の現象に対して全力で身構えているし、クーミンは……何かに酷く狼狽している……?
あの鉄面皮女史が、あそこまで表情を歪ませているのを見るのは、二度目。
一度目は、入隊試験の事で自責の念に駆り立てられ、酷く精神的に揺れていた時。
つまり、あの時と同じくらい、動揺しているのか?
何に対してか……立てられる仮説は、そう多くない。
彼女の精神に大きく刺さっている棘について、俺は少しだけ知っている。
そして、この魔境は無人地区……もし、人語を操る者がいるとすれば、それは――
「クク、クッハァ……!」
雪煙が晴れ、先ほどまで積雪の針葉樹林だった更地に立っていたのは――男だ。
耳や鼻や唇に瞼まで、顔中のいたる所に黒鋼のピアスを嵌めた、若い男。大きく膨らみながら逆立った黒灰色の髪は、ヤマアラシのようにも見える。
男は、半裸と言える状態だった。
袖を引き千切った獣皮のジャケットを地肌に前全開で着用し、下半身もそんなに厚そうには見えない黒いズボン。ブーツも特別して防寒仕様ではなく、ファッション性を重視しているように見える。
この極寒の地で、半裸。
だのに、男は寒さに震える様子がない。
ただただ、非常に愉快そうに笑っている。
人とは思えない鋭い牙を剥き出しにして、笑っている。
「……まさか……」
あれが……魔徒……!?
この魔境のどこかに三体いると言う内の、一体か……!?
――……確かに、昨夜、ガローレン卿とは「打ち合せ」で話をした。
俺が哨戒任務で魔境に入るようになれば、ほぼ確実に魔徒はアクションを起こすだろう、と。
具体的に言えば、俺やシュガーミリーが自分たちに取って有望な戦力となるかどうかを確かめに来る。
ガローレン卿いわく「お前の素養は、確実に連中の御眼鏡に適うだろう。なにせアタシの自慢すべき弟の一人だからな!」。
いずれは魔徒の方から直接、俺に接触してくるはずだと踏んでいた。
……まさか、三体の内の一体とは言え、早速の登場ときたか……。
今回は撒き餌のつもりだったのに、よもや本命ががっつりヒットしてしまうとは……少々、予想外の展開だ。
ガローレン卿をかなり警戒して潜伏していた割には……存外に軽率だな?
さて、一体とは言え、相手は魔徒。
この状況、どうしたもの…………、か……?
「ちょっとモッヒー、派手にやり過ぎなのですよ。あの生意気な銀騎士に気付かれたら台無しなのです」
「……まったくだ。拙者らが何のために、この機を伏して待っていたと思っている?」
――……悪い冗談だ。
半裸の男に歩み寄ってきた二人組。
片や、カラフルポップなロリータ向けらしいふりふりドレスに身を包んだ華奢な金髪幼女。
片や、東洋諸島連合【和国】の名物であるエキゾチックな民族衣――いわゆる和服に身を包んだ長身の青髪女性。
どちらも、北方駐屯基地では見覚えのない顔。
つまり――魔徒。
「んな……バカな……!?」
魔徒が三体全員……出てきた!?




