21,お姉ちゃんと夜の密会
療養を目的とする待機命令の正式解除を受け、ついに俺も北方の騎士として通常業務に参加する時がきた。
明日よりいよいよ、俺は魔物と戦うと言う任務に就く訳だ。
それに際してか、晩もそれなりの時間帯だのに、ガローレン卿からの呼び出しを受けた。
……それに際して、だよな?
……まさか何の脈絡もなく、例の病気で妙な行為におよぶために呼び出された訳では…………有り得るな。ああ、奴なら有り得る。
護身用にきっちりと腰に剣を差し、念のため懐にもナイフをしのばせて、いざ、ガローレン卿の執務室へ。
豪奢……と言うよりも猛々しい、そんな獣や戦士の姿を模した装飾に満たされた立派な扉。
それを四度、ノックする。
「ガローレン卿。ミッソ・シェルバン、招集を受け参上いたしました」
「入れ」
了承を得て、扉を開け……うげッ……なんだ、このゴミ溜めは……。
ゴミくずの類を始め、新聞や資料、弟が妹がなんだと謎の文字列が刻まれた原稿用紙……ここが本当に一部隊の長を務める者の執務室なのか……!?
廃屋と化した馬房の方がまだ清潔なのでは!?
有り得ない……!
貴族以前に人として有り得ない!
えぇいガローレン卿!
何故、貴様はこんなゴミ溜めの中ですまし顔なんだ!?
主なのか!? このゴミ世界の主なのか!?
ああそうだったな! ここは貴様の執務室だものな!?
「よく来たな、我が弟よ」
「貴族なら掃除くらいまともにしろ!」
「いきなりだな。安心しろ、近々すると思うぞ。妹が」
その慣れた言い方、いつもの事だと?
……補佐官を使用人か何かと勘違いしていないか……!?
……ああ、従順で立派でとても可愛い妹だと思っているんだったか。
つくづく狂っている。
「大体、自分の執務室を他人に片付けさせるなど……!」
日常生活スペースの清掃は使用人の仕事だと言う感覚はわかる。俺もそう思う。
だがここは執務室だぞ!? 仕事のための部屋だぞ!? 他人に手を入れられて大丈夫なのか!? 万が一にも行方が曖昧になっては困る重要な書類とかないのか!? 俺が今踏んでしまったこれ、「次年度予算要望概算見積」とか書かれていないか!?
……いや、まぁ、散乱している食料品関係のゴミ類を見る限り、執務室と日常生活スペースの境界が曖昧になっている様相でもあるが……。
「やれやれ、お前は少々潔癖だな? そんな事ではアタシの弟として身が持たんぞ。弟ならばありのままのお姉ちゃんを受け入れろ」
貴様の弟ではないと何度……言っても無駄なんだろうな、クーミンやハサビ先生とのやり取りを聞いている限り。
もう良い。このままこの汚部屋に居続けると無意識の内に貴族的肉体が掃除を始めてしまいそうだ。
この部屋については、後日クーミンと相談して、ガローレン卿が自ら清掃するように仕向けてみせる。
ガローレン卿は中流とは言え貴族出身で一部隊の長なのだから、自分の執務室は徹底的に自己管理させるべきだ。
「……で、ガローレン卿。今宵は一体、何の呼び出しで?」
剣もナイフも、いつでも抜けるように身構えて、用件を訊く。
「お姉ちゃんが弟を部屋に呼ぶために理由が必要か?」
「そうですか。部屋に帰らせていただきます」
王都を出る前に送った荷物がひと月以上もかけてようやく届いた事だしな。
さぁ、荷解き荷解きっと。
「冗談だよ、冗談。まったく、お前はすぐにお姉ちゃんから逃げようとするな? 思春期故の反抗期か?」
「思春期はとっくに済ませてありますが?」
思春期とか反抗期とか関係なく、俺は貴様のような意味不明な輩が苦手なだけだ。
人の基本構造として、理解不能――即ち未知は脅威だろう?
「年頃の弟も可愛いものだが、真面目な話だ。ちゃんと聞け」
「真面目と言いますと?」
発症した状態での真面目か、冷静な状態での真面目かで、貴様の言う真面目はニュアンスが一八〇度以上変わるからな。
「明日、お前とシュガーミリーは哨戒任務に出る予定だろう。城壁上の簡易哨戒ではなく、『向こう側』――魔境に入っての任務になる。その事だ」
「!」
なんと、本当に明日の事に関してだったのか。
いやまぁ、上司と部下と言う関係性を考えれば、初仕事に向けて打ち合せや激励の類があるのは意外でもなんでもない話なのだが……ガローレン卿の日頃の行いのせいで驚いてしまった。
「既にクーミンから話は聞いたのだろう? であれば話は簡単。――魔徒がお前とシュガーミリーを狙ってくる可能性について、だ」
「魔徒……!」
元々は人間でありながら、魔神の寵愛によって人としての限界を大きく超越した怪物。
伝承の時代から、人間を始めあらゆる生命体の外敵。
以前は北方駐屯基地を越えて人の世に仇なそうと、幾度も小競り合いをしていたそうだが……ガローレン卿が魔徒の一体を瞬殺してからは、魔境に息を潜めているのだとか。
つまり、魔徒は今「戦力不足に喘ぎ、不本意極まる雌伏の時間を過ごしている」と言う状態。
「奴らの大元である魔神、それと同じく闇の精霊の力を借り受けている黒騎士や、魔女王の子孫が魔境に入れば、奴らは必ずアクションを起こすはずだ」
「……でしょうね」
魚が自らまな板に上がるようなものだ。
追加戦力が欲しくて仕方ない連中のナワバリに、連中と質の近い力を持つ俺やシュガーミリーが赴く。
連中に取ってこれ以上の好都合があるか。
洗脳でも調教でも何をしてでも、俺たちを手駒にしたい所だろう。
「故に、お前とシュガーミリーの出撃は必ず、アタシとセットとする」
……過保護では……とも、言い切れないな。
相手は、ファンタジーな伝承時代の戦争にて一線で大暴れしていた怪物。
ガローレン卿が配属されるまでは、基地と言う戦場――こちらのホームグラウンドでの戦いでも撃退するだけでもやっとだった強敵なのだ。
俺は、そんな怪物と遭遇してしまう可能性が高い。
「と言う訳で、急だが、明日のお前らの出撃は取り止めになった。一日、二人でハサビの手伝いでもしていろ」
「え?」
「月末のこの時期は報告調書の取りまとめだなんだで隊長は多忙でな。今日中に片付けようと尽力はしたのだが……すまん。いや、本当に申し訳ない。支出調書がいくつか足りなくて、室内の捜索にかなり時間をくってしまった。それでその……だな……うん、思うように進められなかった! ダメなお姉ちゃんで本当にごめん!」
ヤケクソ気味に謝るガローレン卿が、元気よく机の上を指差した。
そこにはまだ、書類がそこそこの量、積み上がっている。
「明日はこの執務室にカンヅメする事になってしまった。よって、アタシたちの出撃はなしだ。いや、本当にごめんって言うか。誠に申し訳ありませんと言うか」
だから執務室は掃除しろと……。
……まぁ、だが、ガローレン卿が謝罪する事でもないだろう。
そもそも、ガローレン卿は隊長で管理職だ。現場に出る役柄ではない。それだのに俺たちのためにどうにか融通しようとして、やはりそれには無理があった……と言う話だ。
そう考えれば、咎める事は何もない。
……しかし、思うに。
「……今回の事は別としても、ガローレン卿はそう何度も出撃できる余裕はない身分ですよね?」
「ん? ああ、まぁな。お前のお姉ちゃんは偉いのだ。お友達に自慢していいぞ?」
「つまり、自然と俺の出撃頻度も激減してしまうのでは?」
「ふむ。そうなるな。仕方ないだろう。事情が事情なんだ。それとも、不服か?」
「……北方の人材事情については、存じておりますので」
「おかしな事を言うな? 万事において人命最優先は基本だ。以前にお前だって説いた事だろう?」
「はい、人命よりも優先すべきものなど、この世にあるはずがない」
その考えが変わったりしない。
だが、俺は北方の騎士だ。
北方の悲願のために、多少の献身をする気構えはある。
無論、危険を極限まで排除するため、ガローレン卿にも最大限の協力を要請するがな。
献身と犠牲は紙一重かも知れないが、紙一重分の違いは確かに存在するのだ。
俺はあくまで、犠牲としてではなく献身として、提案したい事がある。
「問題は魔徒の存在……それを排除できれば、すべて解決する。そう思いませんか、ガローレン卿」
「……本気か?」
俺が何を提案するつもりか、即座に察しがついたようだ。
本当、狂っているが、頭の回転は速い人だな。
「危険性は説くまでもないな?」
「勿論です」
策はシンプルだ。
以前、クーミンが俺たちに無断でやろうとして大失敗に終わった事とやや被る作戦だが……先にも言った通り、犠牲と献身は違う。
あの時は犠牲にされかけたが、今回は献身をする。
そんな確かで大きな違いがある。
そしてその確かで大きな違いこそが、明暗を分かつ。
「俺で魔徒を釣って、ガローレン卿が仕留める――明日の出撃は、その撒き餌に使いましょう」
◆
――翌朝。
俺とシオとシュガーミリーは『向こう側』――魔境に面する城門前に招集を受けた。
今のところ降雪はないが、積雪は既に膝下までを覆う程度の深さになっている。
……まぁ、それは良いのだが……何故にこんな早い時間から?
馬房の管理人だってまだ寝てる時間帯だぞ……。あの厚い雲が晴れたって、きっと朝陽の恩恵はまだ感じられないだろう。
一応、理由には察しがつく。
きっと、今頃が魔物が最も活発な時間帯なのだろう。
元より、魔神が人間を滅ぼすために生み出した生物兵器だ。
通常の人間の活動が最も鈍る夜明け前の時間帯にベストパフォーマンスを発揮して襲ってくる設計だとしても、納得がいくだろう。趣味は悪いが。
ああ、察せる、想像に容易いとも。理解だってできる。
だが理解と眠気は別と言うかだな?
貴族としては毎日きっちり七時間半の睡眠を取って、しっかりと体調を管理しなければ、ノブオブ精神に反すると言うかだな?
大体からして、何故、昨夜、呼び出した時にこの時間からやるのだと事前告知してくれなかったのかと、ひたすら不満だ。
事前に言ってくれればそれに合わせて就寝時間を早めたものを。
「シェルバン卿、あからさまに眠くて不機嫌と言った風ですね」
クーミンはやれやれと言いた気にジトっとした目でこちらを見ている。
相変わらず、風の霊術で周囲の気温を弄っているらしく、防寒套も纏わず騎士制服のみでも平然とした様子。
「……………………」
そんなクーミンの隣に立っているのは、クーミンとは違いきっちりマントを装備し付属のフードを深く被った男。
フードの奥底から覗く瞳は、特徴的なグレー。
北方先住民の兵士、コレグスだ。
昨日とは違って完全武装。腰回りや太腿に巻いたベルトに付けたホルダーに無数の小型武器を収納し、厳つい装飾のライフル銃も担いでいる。
この二人が今回、俺たちの新人指導講習を担当してくれるらしい。
それはそれとして、
「……言葉を返すが、眠くて機嫌が良い人間になど今まで出会った事がないぞ」
「…………………………」
ん? 何だ、コレグス。
俺の隣を指さして……、
「いんやー! 眠いッスねー! でもここまで眠いと逆に深夜のテンション的なアレでアッパーな感あるッスね!?」
「し、シュガーミリーさんはいつでも元気ですね……」
…………意外と傍にいたな、眠くて機嫌が良い人間。
「むむ!? シェルバン卿から冷めた視線を感じるッス!? 何故!?」
「自分の胸に訊いてみろ」
「うッス! ………………わかんないそうッス! どうしたら良いッスか!?」
「シュガーミリー……君のその能天気さはある種の美点だと理解しているが……少しは緊張感を持つべきだと思うんだ。昨夜で魔徒について話はしたよな?」
ガローレン卿との話し合いの後、今日の出撃に参加するこのメンバーを呼び出し、俺の策について説明した。
今日はただの新人指導講習だが、重要な意味を持っている。
今日の出撃は、魔徒に対する撒き餌だ。
魔徒は俺やシュガーミリーに対して無反応、と言う事は絶対に有り得ない。
――だがしかし、考えなしにすぐさま接触してくるはずがない。
何せ、連中が欲しいのはガローレン卿を破るための追加戦力だ。
俺とシュガーミリーは連中に取って待望の存在かも知れない。だが、待望の存在だと確定はしていない。
実際の所、俺は普通に強いのだが? まぁしかし、連中はそれを知らない。「もしかしたらあいつ、子犬とケンカしても負けるくらい弱いんじゃね?」と言う危惧があるはずだ。
そんなクソ雑魚イモムシかも知れない奴を、リスクを冒してまで確保しにくるか?
普通に考えて有り得ない。連中に取って、北方駐屯基地に関わる=ガローレン卿に所在を察知されて瞬殺されるリスクなのだから。
連中が俺とシュガーミリーの確保に大きく動き出すとすれば……それは、俺とシュガーミリーに戦力的価値を見出した頃になる。
その上でガローレン卿を警戒しつつ万端の準備が整えるまで、魔徒どもは動かないだろう。
なにせ、奴らは仲間を一体、瞬殺されているのだからな。慎重にならないはずがない。
魔徒を釣るには、まず俺たちの戦力としての非常に魅力的であると示さなければならないのだ。
故に、今回は撒き餌。
俺たちと言う餌をアピールして、連中に食いつかせるための布石。
今回で魔徒と接触する事はまずないだろうが、今後、魔徒をおびき出せるかどうかを占う重要な仕事になるのだ。
この説明を受けた上でなお作戦に参加すると表明した以上、相応の態度をだな?
「うッス! 気を引き締めるッス!」
ああ、是非そうしてくれ。
さて、本題に戻ってもらうとしよう。
どうぞ進めてくれ、と促す意図を込めてクーミンに頷いてみせる。
「では、まず軽い説明をしましょう。北方駐屯部隊における隊員の実働業務は主に三種。城壁上からの簡易的な哨戒。『向こう側』――魔境に入って行う通常哨戒。哨戒任務担当者からの連絡を受けて魔物の殲滅に向かう討伐。……ですが、人員の都合上、二つ目と三つ目は大体兼任です」
つまり、哨戒に出た者が魔物を発見次第、そのまま討伐に移行する……と。
「それでも一応、連絡用の信号弾の携帯はお忘れなく」
そう言って、クーミンはベルトから下げた筒を指でとんとんと叩いた。
リレー競技で使うバトンのような形状で、柄尻の紐を強く引くと先端から信号弾が発射される仕組みになっているそうだ。
マントに隠されているが、俺たちにもきっちり支給されている。
「万が一…………任務当事者では手に負えない相手が出てきた場合、救難信号として活用できます」
……おそらく、その相手として想定されるのは魔徒か。
何かを思い出したように、クーミンの無表情が一瞬だけわずかに歪んだ。
「…………………………」
シオもシュガーミリーも彼女の一瞬の変化には気付いないようだが、観察に長けたコレグスは気付いたのだろう。それと同時に詮索してはいけない空気も機敏に感じ取ったらしく、マントのフードを更に深く被り直して「何も見てないさ」と言った風。
「では、シェルバン卿、シュガーミリーさん、まずは霊装の装着と霊獣の召喚をお願いします」
「う、うッス! 霊装に強化された自分の知覚と、霊獣の高度な知覚で索敵する、ッスよね! 頑張るッス!」
「はい。ですが、気張らずとも。私も霊術で索敵網を展開しますので」
フォローはしているので堅くなり過ぎない程度に頑張ってください、と言う事だろう。
シュガーミリーもそれは理解できたらしく、威勢よく頷くと、
「うッス! では――フレム・ボヤス・モ・ヒギドフォイア! 我が霊格は灰塵! 尽きず燻る不屈の炎羅ッス!」
霊言詠唱の直後、シュガーミリーの周囲に灰と火花が散った。
彼女の身を包むように構築されたのは灰色のドレス――少しくすんでしまったウェディングドレスのようにも見える。袖やスカートの裾、所々端々に小さな火が灯っている……と言うか燻っているのも特徴。
女性霊装特有の滞空する防壁ショールも薄く灰色に透けており、両端で灯火が頼りな気に燃えていた。
同じく炎の精霊の祝福を受ける赤騎士のそれに見比べれば貧相で仕方ないだろうが、絶対評価をするならば充分に立派な霊装だ。
問題は、シュガーミリーからダダ漏れのお転婆元気娘感のせいでドレス姿が致命的なほどに似合っていないと言う所だろう。
「来るッス、ワボさん!」
続いて、霊獣の召喚。
シュガーミリーは元気よく両手を天へと掲げて、霊獣の名らしきものを呼んだ。
「ワッボォォォォゥ!」
シュガーミリーの声に応え、景気よく吠え立てた黄色い嘴。
今にも雪が降り出しそうな曇天に広がる灰色の翼。虚空を踏みしめるは獅子がごとき雄々しい四つ足。
それはまるで鳥と獅子の合成獣――鷲獅子だ。
「ほう……」
霊術に頼らず空を翔る術を持つ希少な霊獣である……が。
「……………………小ささよ」
ぽつり、とコレグスが漏らした感想の通り。
シュガーミリーが召喚したグリフの霊獣・ワボさん、だったか? は人の赤子並のサイズ。
騎士を背に乗せるどころか、騎士の肩に乗れてしまう大きさではないか。
「シュガーミリーさん、わざと小スケールで召喚した……のですか?」
「やー! いやいや、自分なんかが霊獣さんの大きさを弄って召喚するだなんて器用な事、まだまだ全然できないッスよー! ワボさんは標準でこの大きさッス!」
「ワボゥ!」
何を自慢げにしているのかはわからないが、ワボさんはシュガーミリーの頭の天辺に着地すると、どや顔をして鳴いた。
……何と言うか。
さては似た者同士の騎士と霊獣だな?