02,ドナドナされても心はノブオブ
災厄の前兆。
悲劇の開墾。
騒乱の先触。
などなど黒騎士を揶揄する言葉は数多いが、すべてに共通する事はとにかく「目に見えて縁起が悪い」「見ているだけで先行きが不安になる」。
理由は簡単。
黒騎士は闇の精霊の祝福された――言い換えれば、闇を尊ぶ異端な霊物に呪われた存在。
そしてその呪いがどれほど質の悪いものかは、伝承や歴史が証明している。
我が祖国が世界に誇る英雄ソイソウスが討ち破った魔神は「闇の精霊の庇護を受けた者」、即ち今の世で言う黒騎士。
ソイソウスが魔神を討ち世界を救うまでに繰り広げた大冒険の中で立ちはだかる敵は当然、魔神の同類配下。即ち黒騎士の類。
ソイソウスの孫であるヴァータショーユが阻止した魔神復活計画の首謀者もまた同様に黒騎士。
精霊たちが人の世と決別し、高次元世界へと退去した事で伝承の時代が終わる……そのきっかけとなった一大事件【アトロイ戦争】の火種となったのも黒騎士。
伝承の時代が終わり、王歴が始まってからも酷いものだ。
今でこそ大陸の覇者たるヴルターリア王国だが、大陸統一までの最大の弊害は、終わっては始まる内乱だった。
王歴が始まってから今まで、一〇〇〇年ほどの歴史の中……大きなものだけで一四度の内乱があり、酷い時には国土が四つに割れた事もある。
……それらの内乱の主導者は皆共通して、黒騎士の称号を持つ者だった。
先に言ったが、これは「大きなものだけで」。
細々した話は枚挙したくもない。
つい最近も、魔神教団とか言うイカれカルトが「浄化」を謳い、全国各地で一斉に大暴れ。
構成員数百名と幹部数名が捕縛。幹部は全員が全員、騎士の称号こそ持ってはいなかったものの、独自儀式で闇の精霊の祝福を受けていた。
――黒騎士=闇の精霊に唆され、世を乱し、世界を闇で満たそうとする邪悪。
そんな認識は持たれても仕方ないと言うか、ここまでくると残念ながら当然と言うか。
……で、だ。
そんな認識を持たれる黒騎士に、果たして栄華を極められるポジションが用意されるだろうか?
答えは当然、否だ。
黒騎士と言うだけで前科百犯も同然。
そんな奴に権力権威を持たせる為政者がいたならば、そいつは己の愚かしさを詩にしたためて高らかに歌い上げているようなものだ。
黒騎士のお先は真っ暗……いや、ここは真っ黒と言おうか?
つまり、俺もお先が真っ黒だ。
「おい、ほら、笑えよ、衛兵。貴様の目の前にいるのはこれから急転直下で落ちぶれていく元最高貴族のミッソ・シェルバン様だぞ。ほら見せてやるこの腕章。騎士号を証明するものだ。真っ黒だろ。一点の曇りすら見えないほどに。はははは。悲劇を通り過ぎて喜劇的な転落劇だ。なぁ、そうだろおい。笑えよ。ほら、笑えよ、なぁ?」
「ぉ、おやめください、し、シェルバン卿。ほぁあわわ……こ、困ります……!」
ん? 何? パワハラ?
知るかよ、俺ってば黒騎士だもーん。きゃー☆ 悪~い! 黒い騎士号腕章もお似合いだろうが。
王立騎士団正式配属と言う建前で勘当されド田舎へドナドナされる馬車の中、護衛の兵士にネチネチ絡むくらいは余裕ですよ黒騎士だもの。
それにさー、この兵士も可愛い顔してるわ、おどおどしてるわで、何か絡みやすい。
男にしておくのが惜しい可愛らしさだよ君。
俺、なんだか特殊な癖に目覚めてしまいそうだ。
それはさておき。
ほら、笑えよ。笑えって。笑顔をみせてほーら。
……って言うか、せめて誰かに笑って欲しいんだよ。ねぇ。
……なぁ、頼むよ。笑えよぉ、笑ってくれよぉ……不敬なくらいに笑い飛ばして、怒り狂った俺にブン殴られてくれよぉ……。
――……はぁ……。
…………なにやってんだ、俺は…………。
「……あー……すまない。意地が悪かった。許してくれ」
我ながら……本当に情けない話なんだがね……誰かに当たらないと、気が狂いそうなんだ。
つくづく、酷いものだよ。
つい先日までシェルバン家の嫡男だと貴族然、尊大高潔な振る舞いをしていたくせに。
廃嫡同然……シェルバンの看板が事実上外れた途端に、このざまだ。
シェルバンと言うブランドがなければ、地位的弱者に当たり散らしてまでも優越感を得ようとする下卑た小物。
それが俺なのかと、そんなものが俺の本質なのかと……思い知らされて嫌になる。
……闇の精霊に取り憑かれて、当然だな。こんな下衆は。
この兵士には、本当に申し訳のない事をした。
謝っても過去は改変などできないが、罪を消せないから償わないなどとは道理が通らない。
深く、詫びよう。
「ぁ、いえ、その……心中、お察しいたします……」
……なに?
「で、でしがその……あの、僕ごときが、こんな言葉をかけていいものかとは、ぉ、思うのですが……あまり、気を落とさずに……黒騎士の皆が皆、悪人ではないと……きちんと理解してくださる人は、た、たくさん、いるはずですから……! その……!」
…………これは、驚いたな。
理不尽に八つ当たりしてきた落ちぶれ貴族に対し、同情して、しかも慰めてくれるとか。
俺が君だったら「すまないじゃあなくてごめんなさいだろテメェこら、お坊ちゃまは謝罪の仕方も習わねぇのかオォン? 貴族なんだからその辺きっちりしろやゴルァ。下身分の兵士にここまで言われる自分を恥じろアァン」と胸ぐらを掴んでいるところだのに。
そうする度胸がないのだとしても、わざわざ慰めの言葉を口にする手間を割く必要もなかったはずだ。
…………ああ、なるほど。
先ほど、俺の心中を察すると言っていたな。
俺が腐っている理由を察して、精神的な追い討ちはかけない配慮をしてくれたのか?
そして更に、励ましたいと思ってくれたと?
「……ありがとう。君は兵士の鑑だな」
兵士――即ち、国ひいては王族貴族に奉仕する者として、君の判断は素晴らしい。
君のその繊細な気遣い、感謝し、そして高く評価しよう。
……まぁ、俺みたいな絶賛落下中の貴族の評価が持つ付加価値など、使用済みの尻拭き紙のそれにすら劣るだろうがね。
「ぇ、あ、その……ぼ、僕なんかがそんな……ぁ、じゃなくて、ぉ褒めにしゃ、与かり、光栄でし! ぁ、です! はい!」
凄まじい挙動不審だな。
褒められ慣れていないのか、それともそもそもの性分か。……両方だろうな。
それにしても、何と言うか……、
「……ぷっ、はは……はははは……」
「ほぁあ……!? あ、あの、何か……?」
おっと、つい笑ってしまったか。
「いや、すまない。何と言うか……そうだな。君は癒し系だな、と」
黒騎士認定された時は「なんて運のない事だ」と悲観したが……この兵士が護衛についてくれたのは僥倖だな。
彼の態度はこう、「気弱ではあるものの、自らの使命を理解し一生懸命ひたむきに努めている青年」と言う感じが滲み出ていて、好感が持てる。
しかも顔も良い。可愛い。本当に男なのか君は?
意識の配分率が自己嫌悪より彼への好意の方へ傾いてくれて、気がまぎれると言うか……あの儀式の時から心にへばりついていた泥のようなものが、少しだけ落ちた気がする。
これは「癒されている」と言う感覚に違いない。
「癒し系……? は、はぁ……? えぇと……お褒めに……与かって、いるのでしょぅ、か?」
「ああ、もちろん」
普通なら兵士としては微妙な評価になるのかも知れないが……今、君のおかげで俺は癒された。
勘当同然の状態とは言え、俺はあのシェルバン家の血筋、最高の貴族だ。
そんな貴族を癒した君は、その成果を兵士として誇るべきだ。
国に仕える者としての本分――王族貴族への奉仕を、君は、少々特殊な形ではあるものの立派に遂行しているのだから。
「ほぁ、は、はひ! 重ねて、お褒めにあ、与かり! 光栄です!」
「それだけ笑顔で喜んでもらえるならば、褒め甲斐もある」
「ぇ、えへへ……その、再三、光栄です!」
器量や技量ではなく人徳と愛嬌で出世するタイプだな。この兵士は。
少なくとも、俺が上司ならばすぐさま補佐につける。侍らせたいもの。
あーもう。照れて頭を掻くしぐさも、ッッとに可愛いな。
実は女子なのでは? 求婚していいやつなのでは?
いや、今の時勢、ぶっちゃけ普通に男でも問題ないのでは? もう俺、跡継ぎ問題とか関係ないし。
はぁぁ、癒し……ああ、全く以て癒しだとも。
グッジョブだ、君。兵士に、そして俺の護衛になってくれてありがとう。
このひと時、きっとこの先の生涯でも落ち込んだ時に役立つ記憶となるだろう。
「……ふむ」
……さて。
心が存分に癒された所で、気を取り直すとしよう。
庶民風情、たかだか一介の兵士がここまで立派に務めを果たしているんだ。
一応は最高の貴族である俺が、いつまでも腐っている訳にはいかない。
一度、頭を冷静にして。
現状と、そしてこれからの事を考えるべきだ。
「……………………」
――……きっと、俺は二度と王都に戻る事はあるまい。
なにせ、ソイソウスの末裔にあるまじき忌み子。ただの黒騎士より性質が悪い。
おそらく……王都には近寄らせてすらもらえないだろう。
シェルバン家の名も名乗れぬように、そう遠くない内に配属先で適当な底辺貴族に婿入りさせられる事も予想できる。
そうして、正真正銘、ミッソ・シェルバンとしてのすべてを失う。
…………だとしても、そこで終わりではない。
俺には、そこから先の務めがある。
どこぞの底辺貴族の婿殿として、王立騎士団員としての職務がある。
底辺貴族だろうが婿養子だろうが黒騎士だろうが、大雑把に言えば「貴族出身の騎士様」だ。
そこらの庶民風情よりは遥かに高貴な分際である事は変わらない。
シェルバン家の嫡男ほどの高潔さは求められないだろうが、腐った態度で振る舞って良い訳があるか。
例え、群衆に黒騎士だ不吉だと罵声を浴びせられ、人以下の扱いを受けたとしても。
それは、俺が騎士として為すべき職務とは何の関係もない話だ。
……ああ、危うく、堕ちる所まで堕ちてしまう所だった。
黒騎士になってしまいヤケクソになるのは仕方ない事だが、捨て鉢になるのは良くないな。
誰も得をしない。特に自分を損なってしまう。
今の段階で気付けて良かった。
冷静に考えてみれば、環境が変わるだけだったんだ。
やる事は、何も変わらない。
尊き者よ、尊く在れ。
人は皆、当然に尊い。
だがその尊さには大小強弱優劣があり、人として生きるならば、己のそれが如何ほどかをよく弁えておくべき。
己の身のほどを弁え、そしてそれに見合った振る舞いを心がける。
そうして、その面倒に見合った美味みの汁を吸う。
己がやるべき事をやって、己が得るべきものを得る。
突き詰めれば、ただそれだけだ。
やるさ、やってやる。
落ちぶれていく事が確定したハリボテ同然の最高貴族、忌々しい黒騎士だとしても。
不必要に腐らず、無意味に己を卑下などせずに。
不必要に突け上がらず、無意味な過信などせずに。
分相応、生きてやろうじゃあないか!
堕ちた貴族の意地を、みせてやろう。
……ああ、これだ。これでいい。
ヤケクソになるにしても、だ。
腐って捨て鉢になるのではなく、上を向いて開き直ろう。
これが、俺向きだな! うん!
強い反省と、強い決意。
そして――強い感謝をしなければなるまい。
「……君、名前を聞かせてくれないだろうか」
「は、はひ!? そんなお、畏れ多……ほぁ、で、でも、これは拒否する方が……ぁ、ぁぁぁああの、ショ……シオ・コンフェットと申します……」
「そうか。シオ。シオ・コンフェット。ありがとう。君のおかげで……俺は恥の上塗りをせずに済んだ」
「へ、へぇ!? ほ、ほぁああああああああああ!?」
本来ならば、俺のような貴族が一兵士に頭を下げ握手をするなど有り得てはならない事だが……なに、今は馬車の中で二人きり、傍目は無いんだ。表せるだけの感謝を示そう。
危うく、貴族どころか人としての底辺にまで到達する所だった俺を、シオの懸命さが正気に戻してくれた。
これは命の恩に匹敵する大恩だろう。深く頭を下げ、堅く手を握る。
「ほぁぁああああ……ほああああああああああ……!?」
……うーん、まだ俺の気は済んでいないのだが……。
シオの狼狽する声が「畏れ多過ぎて死にそう」と言った感じの色を帯びてきたので、そろそろやめておくか。