19,鞭を打たれるように鞭を打て
……色々とあり過ぎて意識から抜け落ちていたが、そう言えば予想はしていた。
俺は忌まわしき黒騎士。
シェルバンと言う最高貴族の名を名乗るには相応しくない……と世間様、少なくとも王族方や中枢の貴族たちからはそう思われて当然の分際。
――いずれ、そう遠くない内に。
俺は、適当な下流貴族に婿入りさせられ、シェルバンの看板を引き剥がされる事になる。
ああ、予想していたし、北方に来てもうひと月近くが経過しているのだから、そう言う話が出始めても不思議ではない頃合いでもある。
いやはや、本当に色々あり過ぎて、そんなに時間が経っていると言う実感が欠けている。
……まぁ、その辺はひとまず。
ひとつ、俺はどうしても納得がいかない事がある。
地方の下流貴族とは言え……貴族は貴族だろう?
事前の連絡もなしに突然、しかも夜分の訪問とは、礼儀がなっていない!
よし、まずはお説教だな。
一応はまだ最高貴族に名を連ねるとして、この俺がノブリス・オブリージュを叩き込んでやる。
――と言う具合に意気込んで、ガローレン卿の後に続く形で北方駐屯基地の応接間へと向かう。
医療部棟から居住棟を抜け、正面玄関から通じる大広間を経由して、各部事務所が収まっている執務棟へ移動。
……北方基地の全容は把握していないが、医療部棟も中庭の規模も相当なものだし、全体的にかなり広いだろうと想像はついていた。
しかし、実際に横断するように歩いてみると……本当、無駄に広いな。まったく……。
そんな風に呆れ果てながら歩く事、しばらく。
「着いたぞ、弟よ。ここだ」
妙に大きく、そして豪華な装飾を施された両開きの扉。
サロン、と言うよりダンスフロアに通じているんじゃあないか……? と思えるような造りだな。
実際、俺の印象は間違いではなかった。
おそらく、敷地が有り余っているが故の暴挙的設計だろう。
扉を開け放ってみれば、向こう側に広がっていたのは――ああ、数十組が一斉にダンスの腕を競えそうなほどの大広間。
空間を少しでも埋めようと言う意思を感じる実に雑多にもほどがあるインテリアの数々に取り囲まれる形で、談話用のソファとテーブルが設置されている。
――で、肝心の御相手は……。
室内には、軽く一〇人ほどの人がいた。
だがしかし、大半がシックな色合いのエプロンドレス、いわゆるメイド服に身を包んだ統一感のある女性たち。霊術師の腕章をしている者もいるな。
給仕人兼護衛と言った風。俺の見合い相手の付き人軍団だろう。
だとすれば、俺の客人は――雑多なインテリアのひとつ、火の輪くぐりをするライオンを象った躍動感あるオブジェを興味深げに眺めているあの女性、か。
全体的な雰囲気は、大人びている風でもなければ子供っぽくもない。強いて言うならば妙齢、か?
艶のある黒髪を貴族界隈ではよく見る三つ編みの団子巻にセットしており、袖が膨らんだ形状の赤いドレスを慣れた様子で着こなしている辺り……まぁ、下流とは言え貴族は貴族。様にはなっている。
あの女性が北方の下流貴族セプセット家令嬢、ルルー・セプセットか。
む、こちらに気付いて顔を向けたな。
落ち着いた雰囲気のある整った顔立ちだ。
北方仕様で普通より布地が多く厚いドレスの上からでもほんのりわかるボディラインからして、スタイルも良い部類だろう。
総評して、容姿は抜群と言った印象。
うむ、良い。本当に良い。俺の記憶に在る限りだと、シオと一・二を争う魅力を感じるな。
――平時であれば。
初対面で相手の外見をいきなり吟味するなど、失礼千万だろうが……。
ここは、仮にも見合いの場だ。それも、少々特殊な。
何が特殊かと言えば、俺も彼女も「何も考える必要がない」と言う点だろう。
セプセット家からすれば遥か各上の最高貴族様から持ち込まれた話である以上、拒否など選択肢にはなく。
俺としても、己の分を弁えて早急かつ素直に受け入れるべき縁談。
つまり、今この場はもう本当にただの顔合わせでしかなく、何を決める場でもない。
俺と彼女の婚姻は誰にどうしようもなく規定路線。事実上の許嫁のようなものだ。
要するに、約束されてしまった伴侶。
――「内面外面を問わず、相手の好ましい点は見つけられる限り見つけていく」。
それが『良き夫婦』の鉄則だと、俺は英才教育の中で教えられた。
故に俺は貴族的教育に基づき、彼女の好ましい点を徹底的に洗い出すべく、彼女の容姿に点数だってつける。九八点。いつまでも眺めていれそう。
シオよりも二点低い理由は、あの落ち着き払った雰囲気的に、可愛らしく「ほぁぁ……!?」と狼狽え戸惑いながらおろおろしてくれそうにはないな、と言う部分。
それでも好印象も好印象。ああ、とても好ましいとも。
……だが、油断はするな。
この先、どんな酷いギャップが待っていたとしても平静でいろ。今感じている彼女への好意をハリボテにしてでも維持できるように覚悟しろ。
ほら、容姿が良かろうと内面アレな輩が今まさに俺の背後で「弟の嫁候補……ふっ、たまには義妹も悪くない」とか奇妙な吟味をしているだろう?
決して忘れるな、女性は見た目だけで測れない。
さて、クレイジーお姉ちゃんがトチ狂ってルルー嬢をハグしに行く前に、扉を閉めるとしよう。
「……こんばんわ。待たせてしまって申し訳ない。俺がミッソ・シェルバンだ。……君が?」
女性を待たせておいて横柄な言葉使いと言うのもやや抵抗はあるが……ここには一応最高貴族家の男として来ている手前、下流貴族に謙る訳にはいかない。
その辺りは向こうも理解してくれるだろう。
「ええ、そうですわ。わたくしがセプセット家嫡女、ルルー・セプセット」
……む、やや、つっけんどんな語気を感じたが……気のせいか?
いや、多分、気のせいではないな。
あの目つきはどう見たって、俺を、睨み付けている。
それに……、
「……………………」
「……………………」
いくら待っても、「こんばんわ」の返しもなければ、「こんな夜分に突然、申し訳ありません」的な謝罪もない。
ルルー嬢はひたすら黙って、眉間にシワを刻みながらこちらを睨み付けている。
…………どう言う了見だ?
こちらも、思わず眉を顰めてしまう。
「……おい、君? 少し、礼儀がなっていないのではないだろうか。挨拶を返しもせず、連絡なしで突然に訪問した事へ対する謝意もない。いくらなんでも、無礼なのでは?」
普通に考えても無礼。しかも相手は仮にも俺、階級が上の貴族だぞ? 非常識とか言う次元の話ではない。
「君も貴族の端くれであるならば、身のほどを弁えろ」
まぁ察するに、俺の事が気に入らずそんな無愛想にしているのだろうが……。
「貴族には個人の感情よりも優先すべき事があるはずだ。最低限の礼節は尽くせ」
こちらも少し語気を強めて、その無礼な態度を咎めるべく睨み付ける。
「……………………」
「………………おい?」
えぇい、まったく……先ほどから、何を黙りこくって……――
「――二点」
……は?
「一〇点満点じゃあありませんわ。一〇〇〇点満点中の二点です。ガッカリ、あまりにもガッカリ至極としか言葉にできない。あのシェルバン家の嫡男ともあろう者が、この程度とは……」
「…………!?」
……へ? ぇ? いや、ちょ、は? 何言ってんのこいつ?
え? 俺、何か点数つけられた? それも、一〇〇〇点満点中二点?
いや、他人に明確な数字で評価をつける事に文句はない。俺だってやる。相手を測り、適確な振る舞いを決めるために有用な手段のひとつだ。
しかし、それを憚りもせず口に出すか? それも格上の相手に、面と向かって?
……不敬とか以前に、非常識が過ぎないか?
「ぉ、おい……? 待て、一体、何を言っているんだ、君は……!?」
幻聴だったと思いたい。
「貴方には、酷く失望したと言っているのです。ミッソ・シェルバン」
「な、何故に……!?」
幻聴ではなかったようだ。
い、一体、俺が何をしたと……!?
まさか……俺はいつの間にか、下身分の相手にここまで言われても仕方ないほどのミスを犯したとでも……!?
バカな、そんなはずは、俺はノブオブ精神の元、常に襟を正して……いや、それでも至らなかったのか?
……俺が、自分の欠点をすべて自覚できていたと、誰に保証できる?
もしや俺は、俺でも気付かないような失態を演じていた? 醜態を晒していた?
ッ……ダメだ、やはり心当たりがない……!
「何故、失望されたのかわからない……そう言いた気な表情ですわね?」
「くッ……ああ、恥ずかしながら。さっぱりだ」
……自分で自分が情けない……!
「では、言を明に指摘させていただきますわ」
どうやら、評価の仔細を聞かせてくれるらしい。
是非、傾聴させていただこう。
「最高貴族ともあろう貴方が――なんて生ぬるい叱り方をするのです!?」
――…………はい?
「もっとこう……あるでしょう!? ずかずかと威圧的に歩み寄り、わたくしが臆して後ずさっても構わずにずんずん来て、果ては壁まで追い詰め、逃げ場を失い狼狽えるわたくしの顎をクイッと指であげたらば――『礼儀のなってない女だな、この俺様がじっくり調教してやるよ』……くらいの事、言えませんの!?」
……………………………………?
……ん? 何だ? メイド服の付き人のひとりがこちらに……。
「失礼いたします。シェルバン様、こちらを」
「…………?」
付き人から手渡されたのは、一冊の本。
娯楽を目的とした創作系の書籍……のようだな。
表題は、「貴族令嬢の啼く夜に」。表紙に描かれている絵は……妙に顎が尖った美形の貴族風男が、泣き顔で赤面する令嬢風の美女を乱暴な手つきで抱きしめ、唇を重ねようとしているワンカット。
……ナニコレ?
「お嬢様が思い描く上流貴族とは、この作品に登場するような人物像なのです」
試しに、ぱらりとページをめくってみる。
中身は連続したデフォルメ絵の集合体、要するに漫画だった。
…………どうにも、主人公は下流貴族の令嬢。
そしてその令嬢が嫁ぎ先の家で妙に顎の尖った上流貴族の男に目を付けられ、高めの年齢制限がかかるような苛烈な行為を強いられる……完全にポルノ作品、だな、これ。
うわぁ、長い顎にはそんな使い方が……恐ッ……って――淑女がなんてものを読んでいるんだ!?
「最高貴族様ともくれば、地方の貴族令嬢なんてそれはもう虫けらを見るように見下してくれると信じていたのに……! もう一度言います、貴方には失望しましたわァー!」
「……ふッ――ふざけるなァァァ!」
流石に激昂するぞ、こんなの。
いや、ほんと……貴様、ふざけるなよ貴様ァッ!
下身分の貴族に面と向かって失望を口にされるなんて、俺は一体どれほどの何をしでかしてしまったんだ!? と狼狽した本気の焦りを返せッ!
地方の下流貴族令嬢、世間やものを知らないのは大目にみるべき――だとしても、限度がある!
「おお! 良い感じですわ! それでこそ! さぁ、もっとこちらに! 胸ぐらに掴みかかるくらいの意気込みで!」
何でちょっと嬉しそうなんだ!?
ってぉおう!? 誰かが背中を押……彼女の付き人!?
何故、急に三人がかりで俺の背中をぐいぐい押し始める!?
……あ、もしかしてこれアレか!? ルルー嬢の要望を叶えるために俺を彼女の方へ押し込んでいるのか!?
おい、増員するな! バカしかいないのかこのメイド集団には!?
「きゃあ……! そんなじりじりとにじり寄ってきて、一体わたくしに何をするつもりなんですのぉぉぅおおお……!?」
口元が緩み切って涎が垂れているぞ貴様!? 何にそんな期待をしているんだ!?
ぐおおおおお……と言うか、この付き人たち力強ぇぇぇ……!?
騎士としてかなり鍛えている俺の膂力を以てしても着々と押し込まれている……だと……!?
く、くそう……割と全力で抵抗しているのに、あっさりとルルー嬢もろとも壁際まで押し込まれたァァ……!?
「ああ、ああ、何と言う事でしょう……きっとわたくし、これからたっぷり調教されてしまうのですわ……あの貴族漫画みたいに!」
やけに楽しそうだな!?
「シェルバン様、鞭はこちらに。どうぞ」
付き人!?
「この漆器がごとき輝きをご覧ください。こちら、疑いようもなく最高級の逸品」
「巨匠によって仕上げられた乗馬鞭でございます」
「シェルバン様のような御高潔たる方の御手にも、よく馴染む事かと」
「ちなみに、御嬢様の本来の御所望はサーカスなどで獣をしつける際に用いる長鞭――いわゆる調教鞭でしたが、あれは取り扱いにコツが要ります故」
「初心者であらせられるでしょうシェルバン様には、まず短鞭を、と。我々が御嬢様を説得いたしました」
「是非、この思い込みの激しい上に変態性癖までも拗らせてしまっている厄介極まる御嬢様を三日三晩かけて説き伏せて見せた我々の努力を呪念のごとくひしひし感じつつ、夜露が乾く頃まで存分に御愉しみくださいませ」
畳み掛けてくるな! 色々と突っ込みどころか渋滞しているぞ!? 特に最後の君!
「あぁん、そんなに乱暴に服を剥ぎ取るだなんてぇ! 流石は最高貴族ですわぁ!(恍惚)」
待て! 今まさに貴様のドレスをてきぱきと丁寧かつ迅速に脱がせているのは、貴様の付き人たちだぞ!?
濡れ衣にもほどがある! 大体、俺はそんな酷い事はしな……ぐぅ……!? と言うかほんとに力強いなこの付き人たち!? 無理やり握り込まされた鞭の柄をまったく放させてもらえない……!
「シェルバン様、もう観念してください」
「な、なに!? 絶対に嫌だが!?」
「この御嬢様は脳が腐っています」
「言い様ッ!!」
気持ちはわかるがッ!
「御嬢様はどうしようもないんです」
「こちらが諦めるしかないんです」
「シェルバン様の事情は、我々メイド隊も把握しております」
「どうせ貴方様はもうこの御嬢様からは逃げられません」
「出来る限り早期に色々と諦めていただくのが最良かと」
「我々は、心から貴方様に同情しております」
「故に、貴方様に対するせめてもの救済として」
「この場は積極的に御手伝いをさせていただく所存」
「決して、『さっさと御嬢様を満足させて帰りたい残業きらい』とか、そんな事……」
「微塵も思っておりません」
「これはシェルバン様の事を思っての事」
「ええ、まったくもってその通り」
「「「さぁ、早く楽になるのです」」」
ぐああああああ……ちくしょう……付き人たちの圧倒的筋力によって、俺の意思とまったく無関係に鞭を握り込まされた腕がゆっくりと振り上げられていく……!?
「これはノブリス・オブリージュですよ、シェルバン様」
――!
「貴方様が今」
「貴族として求められている事」
「それをお考えください」
「それはひとつです」
「そう、この茶番めいた縁談をさっさと片付ける事」
「事実上の許嫁とのスムーズな婚姻」
「まぁ、なんて絵に描いたような貴族恋愛」
「即ち貴族とはそう在るべき」
「それに抗う事など」
「あってはいけない」
「さぁ」
「誓いの鞭を打つのです」
「荒ぶる牡の獣が組み敷いた牝に歯型を付けるように」
「粗暴で、乱暴に」
「情熱的で、執拗に」
「愛を以て、抱きしめるように」
「貴方様の手で、あの柔き白肌に赤い刻印を」
「さぁ、さぁ、さぁ」
「……何を躊躇っているのです?」
「期待しているレディを待たせてはいけない」
「ほら、貴方様が焦らせば焦らすほど」
「未来の奥様が辛抱たまらないと上からも下からもポタポタと……」
「そんな、はしたない醜態を晒し続ける事になりますよ?」
「良いんですか? 貴族的にそれ、良いんですか?」
「メイドたちの前で奥様を辱めるだなんて」
「貴族としてそれ、アリなんですか?」
「ッゥ、な、何かすごく扇動的で洗脳的なニュアンスを感じる……!?」
「ソンナコトナイデスヨー」
「ダヨネー」
「ソダネー」
「雑か!?」
せめて最後までそれっぽい理屈で押し切れ!
「えぇい、なんて往生際の悪い」
「そうだ、程よく絞め落として意識は残したまま思考能力をごっそり奪いましょう」
「そうですね、セプセット家メイド隊式の対素直になれない殿方用のテクを、シェルバン様に御照覧いただきましょう」
ちょ、何を――くぇッ。
「ほぉーら、貴方はだんだん鞭が振るいたくなーるー」
「この漫画を参考にしながら御嬢様の望むままのプレイを再現するだけの人形になーるー」
「セプセット家に入ったあかつきには、メイド隊の待遇をぐんぐん向上させたくなーるー」
「あと私を御嬢様の側付きから配置替えしたくなーるー」
「あ、ずるい、それ私も。なーるー」
「「「なーるー」」」
……ぁああ……ああああああ……ぅあああああ……?
◆
――翌朝。
「おはようございます、シェルバン卿。クーミンです。今日はいよいよ通常の哨戒任務について私が……、………………」
「ほぁ、み、ミンタンさん……いや、これはその……」
「……シオさん、ひとつ、お伺いしたいのですが……シェルバン卿は何故、まるで幼児が母親に泣きつくように貴方の膝枕に顔を埋めて小刻みに震えているんです?」
「な、なんだか昨日の夜……すごく恐い目に遭ったとかで……この様子では詳細を尋ねる訳にもいかず……」
「い、一体、昨晩はどんなお見合いを……?」
……頼む、思い出させないでくれ。