18,ほっと一息……?
――北方、某所。
「ククク……! おい、感じたかよ? 今の波動を」
光なき闇の中、最初に響いたのは、ぶっきらぼうな若い男の声。
「当然なり。……『同類』……否、かなりの未熟。……祝福を受けただけの雑兵風情……当世で言う黒騎士か?」
最初に応じたのは、妙に格式ばったような口調でトーンの低い女性の声。
「むふー。どうやら、生意気な凡俗どもの根城に、黒騎士ちゃんがやってきたみたいなのですねー」
次に、飴玉が歯に当たるカランコロンと言う音を伴った幼い少女の声。
「先日、拙者が僅かに感じた気配はやはり間違いではなかったようだな。ともすれば、おそらくはあの妙に薄いアリスターンの気配――あの女の子孫か何か、か」
「ケッ! 裏切り売女の名前なんざ出すんじゃあねぇよ、胸糞悪ィ!」
「いつまでフラれた事を根に持ってるなのです? 一〇〇〇年以上も経ってまぁだ……そんなんだからモテないなのですよ?」
「あァん!? ぶっ殺ッぞこんの糖尿幼女がッ!」
「はぁぁ!? 誰が糖尿なのですか!? アンの尿はまだまだしょっぱい味がするなのですゥー! 匂いも甘くなくツーンとしてるなのですゥー! 主成分はまだアンモニアなのですゥー!」
「テメェの尿なんざテイスティングした事ねぇから知らねェよバーカ!」
「頼まれたってさせないなのですよ! モッヒーはキモチ悪いなのです!」
「誰がしたいっつったァァ!?」
「……アンヘッタ、モルヒネイド、そのくらいにしないか」
盛りのついた雄猫同士のようにいがみ合う若い男の声と幼い少女の声。
それを諌めるトーンの低い女性の声には溜息が滲んでいた。
「あー! テっちんがまーた『やれやれ、この中で精神が成熟しているのは拙者だけよな』的な雰囲気出してリーダーぶってるなのです!」
「……そんな雰囲気を出した覚えはない」
「ぅおい、ティマァ! 俺様たちの中のボスは俺様だろうが! ザケてんじゃあねぇぞテメェゴルァ!」
「いや、だから覚えはないと……」
「また何を意味不明な! モッヒーに統率なんて無理に決まってるなのです! アン以外がリーダーとか有り得ないなのです!」
「…………誰が頭目でも構わん。とにかく、落ち着け。拙者らが今話題にあげるべき事は、降って湧いた好機――件の黒騎士をどう利用するか……」
「ボスは俺様だ! あんまフザケてっとヤキ入れっぞゴルァ!!」
「リーダーはアンなのです! こっちだってボリボリしちゃうなのですよ!?」
「……よしわかった。ではこうしよう、ボスはモルヒネイド、リーダーはアンヘッタ、頭目は拙者。これで良いだろう? すべて皆の要望通りだ。はい終わり。これでこの話終わり。だから拙者の話を聞いて?」
………………謎の三人組の話がまとまるには、まだまだ時間がかかりそうである。
◆
――……燃え尽き症候群、とでも言うのだろうか。
ほんの少しベッドの上でボーッとしていただけのつもりだったのだが……もう一日が終わってしまう時間帯らしい。
窓の外で、かすかな降雪によりおぼろげになった三日月の笑みが見える。
俺をあざ笑っているのか? 上等だ、撃ち落としてやる――だなんて、被害妄想で喧嘩腰になるのは、貴族らしからぬ事だな。ノブオブ。自重しよう。
「…………ふん」
……落ち込んでいない、と言えば、嘘になる。
傍からすれば、「落ち込むような結果か?」と思われるだろう。
まぁ、確かに? 新人騎士としては上出来だったろう。
二ツ星の騎士相手に、充分を過ぎて食らいつけていただろう。
完璧な善戦だっただろう。
ああ、そうだとも。
俺はよくやった。とてもな。
相手が悪過ぎただけだ。怪物め。
普通、負けたら己の力量不足を嘆きたくなるものだが……そんな気が微塵も起きないのも、そう言う事だ。
……だが、それでも、やはり、だ。
勝負事に負けたとなって、喜べる事はない。
勝つ必要性はない勝負だとしても、負ける必要性だってなかったのだから。
難しい事なのだとしても、どうにかして勝ちたかったな。
そう落ち込んでしまうのは、そんなにおかしな事か?
俺は、おかしいとは思わない。だから普通に落ち込むさ。
……まぁ、そうは言っても、思う存分に意気消沈する訳にもいかないのが現実だ。
ノブリス・オブリージュ。
俺は貴族で騎士なのだから。
何が起きようとも、堂々とした振る舞いでなくてはならない。
背を丸めてばかりはいられないのだ。
よって、ここからは前向きな要素だけをピックアップして自己暗示的に自らを鼓舞しよう。
俺はひとまず、目前に迫っていたやるべき事をすべてやり切った。
ようやく、一切の憂いなく心身を休める事ができるのだ。やったぜ。いや、ほんとに。
「ぁ、あの……しぇ、シェルバン卿……」
「ん? ああ、シオ……と、シュガーミリーか」
入室してきたのは、婦人服をあてがえばもう女子でしかない青年・シオと、いつだって無駄に元気な赤毛ツインテールの騎士娘・シュガーミリー。
「し、失礼いたします……!」
「うッスー! 失礼しまッス! シェルバン卿、お元気ですか!?」
今朝しがた全身氷漬けにされて決闘に敗北した男の病室に乗り込む挨拶として、余り適切ではない気がするな。それ。
心身ともに元気とは言い難いが、それを率直に口にすれば心配で空気が悪くなるのは確実。よって、嘘にならない程度に濁した言葉を考える必要がある。
つまり、傷病人に気を遣わせてしまう挨拶だ。
まったく……まぁ、シュガーミリーらしいと言えばらしいのだろう。
「特別して問題はない。何か用か?」
「ぃえ、その……」
「シェルバン卿を慰めに来たッス!」
「ほぁッ…!? ちょ、シュガーミリーさん……!?」
シュガーミリーの考えなき発言がシオを戸惑わせている。
おろおろしているシオは可愛らしいな。ファインプレーだシュガーミリー……と、いくら可愛いからと言って、人が困っている様子を堪能するなんて悪趣味か。そろそろフォローしておこう。
「大丈夫だ、シオ。庶民に憐れまれて逆上するほど、俺は情けない男ではないよ」
庶民に憐れまれ、慰められるなど、貴族にあるまじき事。屈辱だ。
そして、その屈辱に対する憤りは、憐れまれるような状態にある自らの不甲斐なさに向けるべきものだ。
この憤りすらも他人に向けてしまうようでは、余りにも無様だろう。そこまで俺は堕ちてないやい。
大体、君たちだってまだ全快と言う訳でもないだろう?
それだのに、今君たちは俺のために行動してくれているのだ。
その意気を買えば、多少の無礼で気を荒ませる事もない。
「それと、礼が遅れてしまったな。応援、感謝する」
まぁ、命の恩人であり身分も上である俺の大一番を応援するなど、君たちに取っては当然だろうが……。
当然の事をされたからと言って、礼を省く道理もない。言える口と体力があるのだ。言っておこう。
「そ、そんな……滅相も……」
「いやー! どういたしましてッス!」
「シュガーミリーさんッ……!」
何と言うか……シオとシュガーミリーは相性が良いのか悪いのか。
傍から見ている分には、良い組み合わせに思える。
戸惑うシオが可愛過ぎて、シュガーミリーの無礼が気にならない、気に障らない。良い具合だ。むしろ何だかフフッと笑えすらする。
しかし、当人側からするとシオは大変そうだな。胃とか。
「気を遣わせたな。だが大丈夫だ。……確かに、あそこまで力の差があったと言うのは痛烈な衝撃だったが。そこまで俺はヤワではないよ」
パイシス・ガローレン……二ツ星の銀騎士を、侮っていたつもりはない。
その足元程度には及ぶために、俺はこの一〇日間、死にもの狂いで特訓をした。
だがしかし、到底、足元にすら及べなかった。
ああ、それはもう、ショックに震えたとも。
……でもこれ、先にも考えた事だが……俺が足らなかったと言うか、どう考えてもあの怪物が頭おかしいだけだろう?
だって俺、すごくない?
たった一〇日でさ、騎士の奥義と言われている技を習得したんだよ?
研鑽がまだまだとは言え、一応ものにはしたんだよ?
俺すご過ぎない? 自分でもびっくりだよ。流石は最高貴族の血筋だよ。もっと俺を褒めれ世界。
――で……え? それをなに?
まるでタンポポの綿毛を吹いて飛ばすような感覚で、返り討ちにするってなに?
冷撃? たったそれだけで?
俺が撃った術の名前言ってみ? 極禍撃・大黒狼太刀だよ? 長ッ。
で、それを返り討ちにするのが冷撃? 嘘だろ? 三音? 言い終わるのに一秒かかんないよ? 短ッ。
……つまり、それほどまでに、俺とガローレン卿の間には基本的能力の隔たりがあったと言う事だ。
俺の奥義ですら、あの女の基礎的な一撃にも及べない。
腹立たしいほどに敬服するよ、あの女の強さには……。
勝負事に負けておきながら、自分の弱さを責める気にもなれないだなんて……初めてだ。
「……なんにせよ、最低限の目的は達した。今はその事を前向きに捉えようと思う」
防がれたとは言え、俺はガローレン卿に一太刀を浴びせ、かつ、片鱗程度だとしても卿曰く本気を出させた。
この決闘の事が世間に取り沙汰されたとしても、英雄の名を汚すほどの無様だとは絶対に言われないだろう。
……これで、一区切りだ。
黒騎士になってから、北方駐屯部隊に編入され、入隊試験と称して無茶苦茶な登山をして、そして二ツ星騎士との決闘、それに備えて特訓……と、息を吐く間がなかった。
ようやく、一息吐ける。
「おーとーうー……とぉー!」
ドアが壊れる。
そんな勢いで入室してきたのは、すっかり雑な髪型と馴れ馴れしい笑顔に戻ったガローレン卿。
「おや、妹と弟妹も一緒だったか! 一挙三得、全員まとめて撫でてやろう!」
この空間にこの女の弟妹など一人もいないのだが。唐突にやってきて相変わらず頭がおかしい。
「……何の用ですか、ガローレン卿」
「お姉ちゃんだ! 今朝、思い知ったはずだろう?」
貴様のバカげた強さについては嫌と言うほどに思い知ったが、お姉ちゃん云々についてはまったく意味がわからない。
「そのジトっとした視線の呆れ顔……成程。反抗期、どうしようもなく湧き上がる照れか。年頃の弟にはよくある事だ。弟マイスターのお姉ちゃんは実に詳しいのだ。うんうん」
この女が何を言っているのかはさっぱりだが、とても不名誉なレッテルを貼られた事だけは直感で理解できた。
まぁ、異議を申し立てても「はは、生意気か!」とヘッドロックされ乳を押し付けられる予感がしたので、ここは沈黙を守るが。
「弟も妹も弟妹も十人十色でよろしい! お姉ちゃんは大らかに受け止めよう!」
そう言って、ガローレン卿はまるで熊が獲物に襲いかかるように両腕を大きく広げ、勢いよくシオとシュガーミリーを抱き込んだ。
「ほぁあッ!?」
「ッス!? いきなり何をするんスか!?」
「で、用件だが」
え、このまま話を続けるんですか……!? とシオとシュガーミリーが驚愕しているのにも構わず、二人に頬ずりしながらガローレン卿はさも当然の如く続ける。
「弟よ、夜分だが、お前に客がきているぞ」
「客……ですか?」
俺に……?
「うむ。セプセット家は知っているか?」
「……申し訳ありませんが、記憶にありません」
だが、まぁ、推測はできる。
現状、この場に俺を尋ねてくる者で、その家名を知っているかどうかを尋ねられると言う事は、
「察するに、北方の貴族家系ですか?」
「その通り。地方の、それも下流貴族だ。お前が知らないのも無理はない」
ついこの間まで、俺の人生に関わりがあるだろう貴族は最低でも中流連中からだろうと決め込んでいたからな。
地方貴族の名をないがしろにしていた訳ではないが、流石に下流連中までは把握していなかった。
「で……そのセプセット家の方が、俺に一体何の御用で……」
「お見合いだとさ」
……………………。
「はい?」




