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14,ナイツ・ワーキング


 王立騎士団北方駐屯基地の『向こう側』。

 緩やかな傾斜の大きな山面になっているのは、俺たちが登ってきた側……つまりベリコの町側と大差がない。


 だがしかし、『向こう側』の麓には鬱蒼とした大樹海が広がり、海に遮られるまで一面いっぱい、『向こう側』を埋め尽くしていた。

 心なしか、紫黒色の霧にも似た瘴気が全域に漂っているようにも見える。


 ――確かに、『らしい』景色だと思う。


 これが、北方駐屯基地と言う防衛要塞が対峙する世界。


 魔物が跋扈する、まさしく『魔境』か。


 基地の外壁上――今は晴天であるおかげで、この場所からは、魔境の全域と三方を囲む海もよく見える。

 最初、クーミンが言っていた通りだ。

 この立地ならば、魔物たちが有人区域を目指す場合、この山、この基地を越えるしかあるまい。

 魔物たちはギャアギャアと喚きながらこの基地の攻略に精を尽くすだろう。

 それを迎撃する役目を帯びるのが、北方駐屯部隊の隊員か。


「こうして外壁上から向こう側を警戒・監視する。まぁ、要するに軽度の哨戒任務です」


 傍らでふよふよと浮遊する眼鏡の女史――ガローレン卿の補佐官、霊術師クーミン・ミンタンが淡々とした口調で説明する。


 そう、現在、俺は北方駐屯部隊所属の騎士として、お仕事中だ。

 霊獣ディズを召喚して騎乗。久々に、刺々しい黒鎧――霊装も装着。

 霊獣の鋭敏な知覚と、霊装によって強化された騎士の知覚。

 その二つを頼りに、接近する魔物がいないかを調査する。

 これが北方における騎士の仕事のひとつ。


 軽い哨戒任務……軽い、と言う事は、外壁から降りての哨戒任務もあるのだろうな。

 そちらは、魔物との突発的な戦闘も有り得ると。


 現状、俺の重体でも霊装による身体補助でそれなりに無理なく動けるが……霊装解除後の反動が恐いので、戦闘にはならないだろうポジションは有り難いな。

 しかも、霊獣と霊装を維持しながら、周囲の警戒にも意識を割く……騎士の基礎訓練も兼ねられる仕事。


 ……あのガローレン卿が、こんな常識的配慮で仕事を振れるとは。

 本当、あの病気さえなければまともな御仁なのだろうなと実感させられる采配だ。


「ヴフフ。ヴー。ヴアッフ」


 ディズは何やら張り切っているらしい。

 尻尾を風車のようにぶんぶんと振り回したり、しきりに鼻をスンスンさせている。


 ああ、俺が騎乗したのも、思えば儀式の日以来だからな。

 霊獣と騎士らしい行為にわくわくしている、と言った所か?


「ヴォッフ!」


 肯定するように鳴いた、と言う事は、そうなのだろう。


「規定では、三騎士小隊(スリーナイツセル)を基本編成とする本哨戒部隊複数隊と連携し、騎士一名以上と補助員数名がこの職務にあたります」

「三騎一組のチームを毎日複数、駆り出せると?」


 ほう、地方の駐屯部隊にそんな潤沢な人員が?

 流石に魔物と戦う部隊だけあり、その辺りは優遇されているのか?


「規定では、と申し上げたはずです。実情や普段がそうであるとは言っていません」

「……だろうな」


 ……まぁ、想定の範囲内だ。

 騎士団における規定と言うのは「基本的に理想論を押し固めて作ったオブジェだ」とは聞かされていた。

 世間体ではその理想を体現しているようにみせる努力をしているが、実情が理想に届くはずなどなし。


「現状、北方に所属している騎士は総勢で一〇名です。……ちなみにこの数は、貴方とアリスターン卿、そして登記的には医療従事者であるホンネリ―卿、しまいには隊長までも計算に含んでいます」


 ……つまり、役職上前線には出ないハサビ先生とガローレン卿を除いた状態で考えると、八名か。

 各員の休暇などの兼ね合いを考えて、まぁまず、先に言っていた規定編成は不可能だな。


 ……と言うか、俺とシュガーミリーが来るまで、六名の騎士で回していた……と言う事か?

 まさか、公務員だのに最近話題のワンオペだか何だがまかり通っていたのではあるまいな……?

 ああ、地方労働は過酷だろうと覚悟はしていたが……まさか、魔物と戦うと言う重大任務を帯びながらそこまでな扱いとは……。


 道理で、あんな無茶苦茶な試験でふるいにかける訳だ。

 軟弱な騎士に配置枠を潰されては回らない人事事情なのだろう。


「やれやれ……先が思いやられるな……早いところ、体を万全にしないとだ……」


 そんな酷い状態で、いつまでも遊ばせてもらう訳にはいくまい。

 俺だってもう、北方の騎士なのだからな。一員らしく、過酷な労働に参加せねばだろう。ノブリス・オブリージュ。

 なに、わかり切っていた事だ。北方勤務なんてろくでもないだろうと。わかりきった上で、上を向いて開き直ると決めた事。


「……申し訳、ありません」


 ん? 何の謝罪だ……?

 確かにクーミンは人事部部長を兼任していると聞いたが、騎士の配置に地方の人事部が口を出せる訳がないだろう。

 貴様のせいでは……いや、ああ、違うな。少し考えてみればわかる事だ。


「試験の事か」


 俺が今重傷者なのは、確かに俺の判断ミスに起因するものだが、あの試験において途中棄権が認められていればこうはならなかった。

 先ほど俺が「体を万全にしないとだ……」とつぶやいた事に関して、クーミンなりに思うところがあったのだろう。


「……どう言う指示オーダーがあったのか知らないが、謝罪ひとつでよしとせず、深く反省してもらいたいな。クーミン・ミンタン」


 ガローレン卿の指示がどうあれ、貴様も騎士団に籍をおく者ならば、バカげた上官命令は蹴飛ばして人命を優先してしかるべきだったと……――


「違います」


 ……なに?


「隊長は、あの試験には何も関わっていませんし、棄権を無視するような指示など当然、していません」

「……それは、一体……どう言う……、ッ……」


 ――訊くまでもない。

 これまた少し考えれば、わかる事だ。


「貴様の独断、だったと……!?」

「……はい」


 ……良い覚悟だな、この女。


 ああ、成程。不自然だとは思っていた。

 俺――新人騎士に業務を紹介するにあたり、何故貴様のような大層な肩書の霊術師が出張ってくるのかと。

 この話を、するためか。


 クーミン自ら俺と一対一で話をできる状況を望み、この役割を志願したのだとすれば、


「……貴方には、私を糾弾する権利がある」

「そうだな……だが、その前に事情は聞かせてもらうぞ」


 俺は貴様に謀殺されかけた。それも、俺の護衛や同僚までもを巻き込んで。

 その件について咎める権利が当然にあるとしても、事情を聞かなければ見当外れな咎め立てになりかねない。

 殺されかけた挙句にそんな恥を晒してたまるか。


「それから……言うまでもないが、聞くのは事情だけだ。この期に及んで弁明などは許さない」

「当然です」


 ああ、当然だとも。

 人を殺そうとした、人命と言う尊きものを踏み躙ろうとした。

 そこにどんな申し開きが通用すると言うのか。


 事情を聞くのは釈明の余地を与えるためでなく、あくまで俺が過不足ない対応をするための判断材料を求めての事だ。


「――私が貴方たちの棄権を無視したのは、魔徒を呼び寄せる餌に使うためです」

「……!? 魔徒を、呼び寄せる……!?」


 待て、魔徒は……、


「北方にいた魔徒の残党は、ガローレン卿が討伐したと聞いたが……?」

「隊長が討ったのは、北方で確認された魔徒残党四体(・・)の内の一体です」

「!」


 そうだ、思い返してみれば、ハサビ先生は魔徒の総数については言及していなかった。俺の早合点だ。

 つまり――……見下ろす眼下、あの鬱蒼とした不気味な大樹海……魔境には、今も魔徒が……それも、三体もいると……!?


「前隊長時代には魔徒が度々魔物の軍勢を率いてこの基地を襲撃していましたが、隊長が一体を討ってからはそれもなくなりました」

「向こうにも知恵があるから、だろう」

「はい。魔徒は潜伏に専念。隊長の寿命でも待つつもりでしょう」


 向こうは一〇〇〇年以上も生きている規格外の存在だ。今更、人一人の寿命が尽きるまで潜伏するくらい、苦でもないだろう。

 北方としては、ガローレン卿と言う都合よく地方に割ける強大戦力がある内に、魔徒を殲滅したい訳だ。

 しかし、魔境の広さを鑑みるに、こんな場所で潜伏に専念されては……。


「こちらから打って出る案も出ましたが、ご覧の通り『向こう側』は余りに広く、魔物の数も多い。いくら隊長でも無尽蔵ではない、無限には戦えない……魔徒を捜索するのは、現実的ではありません。そのため、魔徒を殲滅するどころか、魔徒を補足する事すらままならないのが北方の現状。正直言って、これは最悪の膠着状態と言えます」

「……だから、闇の精霊に祝福された騎士と、連中の同胞の子孫を餌にしようとした……か?」


 魔徒はガローレン卿と戦うには戦力不足だと言う判断から魔境に引き篭もっている……のだとすれば、己らに近しい存在の到来は願ってもない好機。

 論理的に考えて、俺とシュガーミリーを自陣営に引きずり込むために動き出す可能性は確かにある。

 つまり、俺たちの危機を察知すれば、連中は『こちら側』への一点突破を狙い基地を強襲――ガローレン卿がそれを返り討ちにするチャンスが生まれるはず。


 魔徒が北方駐屯基地の細緻な動きを注視している前提になるが、その前提さえクリアされていれば、充分に分のある賭けが成立する。

 そして、魔徒の事情を考えれば、連中がこちらの動きを注視している可能性は非常に高かった。


 ……そう計算した訳か、この女は。


 ああ、実に名案だろうよ。結果は空振りではあったものの、過程だけで評価するならば「魔徒殲滅と言う大義をまっとうした策」と言える。


 問題は、人間が考えて良い事ではないと言う点だ。


「貴様は冷静沈着な人物なのだろうと認識していたのだが、冷血無慈悲な虫の類だったのか」


 目的のためならば同胞をも見殺しにする?

 そんなの、人どころか、慈悲を持つ生き物の行動ではない。


「……………………」


 反論はなし、か。

 いや、何か言いた気ではあるが、身のほどを弁えて黙った、か?


 ……ふん。


「先の宣言通り、弁明を聞くつもりはないが……何か独り言を言いたければ存分に言わせてやる」

「!」


 ……我がヴルターリア王国の司法制度には情状酌量と言うものがある。

 自らの犯した過ちを素直に受け止め強い反省の念を示す者には、更正の余地を認め、ほんの少しばかりの慈悲をかける。


 罪人だとしても、その生は人の命だ。

 悪徳に溺れず、卑劣に逃げず、まだ人としての尊厳を取り戻せる場所にいる者には、救いを与える。それがヴルターリアの流儀。


 ――黙っていればガローレン卿もこの事は公にしなかっただろうに、自ら告白の場を作った事。

 ――俺が放った罵倒に対して、自らの身のほどを弁え沈黙に徹した事。


 その二点は、怒りに流されず正当に評価してやる。

 故に、俺はヴルターリア王国の流儀に従い、貴様にほんの少しの慈悲をかける事にした。

 これから俺が貴様をどう処断するかは、貴様が今、言いかけて抑え込んだ反論を吟味してから決める。


 ノブリス・オブリージュ。

 俺はヴルターリアの貴族、国民として、相応に過不足ない対処をするだけだ。

 つまり、俺は貴様を許した訳でも、許したい訳でもない。

 そこは履き違えるなよ、と、強く睨み付けて釘を刺しておく。


「…………私は……ッ……」


 言うか、言わざるか。

 迷いが、その無表情に滲んだ。


 ――言いたい事はある、だが、自分に釈明の権利などあるのだろうか?

 そんな、自粛、躊躇いの気を感じる表情だな。


 やがて、クーミンの様子は急変した。

 まるで寒さに震える身を庇うように自身の肩を抱き、俯いてしまった。


「…………死なせるつもりなんて……なかった……!」


 絞り出したような声だった。

 今にも消え入りそうな……そよ風にすら負けてしまいそうな印象を受ける。


「……冷静に考えてみれば……あんな事をして、死なせるつもりはなかっただなんて……信じてもらえるはずがない……! ……でも、本当に、私は貴方たちを殺したい訳ではなかった……! 死んでもいいなんて、毛ほども思っていなかった……! ただただ、魔徒を殺したい……その一心で、冷静な判断力を……失ってしまって……私は……あんな……」


 俯き、うわごとのような調子でぼそぼそと弁明を続けるクーミンに、先ほどまでの粛々毅然とした女史らしい雰囲気は微塵もない。

 今にも、泣き崩れてしまいそう……そんな状態だ。


 ……自らの大きな失敗の記憶を反芻して、精神的に不安定になっている。そんな所か?

 ああ、そうもなるだろうな。

 もしも貴様が今ほざいた通り、貴様に我々を殺す意思がなかったのだとすれば――シオの事は、貴様に取って大きなショックだろう。


 ハサビ先生から聞いた。

 シオが一命を取り留め回復できたのは、奇跡でしかないと。


 つまり、奇跡が起きなければ、シオは死んでいた。

 クーミンが、望まずに殺す形になっていた。


 自分の行動が、自分の想定していなかった形で誰かの命を奪いかけた。

 想像を絶する恐怖に苛まれるだろう事は、想像に容易い。


「魔徒が……許せなくて……何が何でも、奴を殺してやるために……でも、私は……人を殺したい訳じゃなくて……違くて……私は……私は……!」

「……もういい。聞くに堪えない」

「……ッ……」


 クーミンはもはや、感情の濁流に思考が呑まれ始めて、言葉選びもろくにできなくなってしまっている。

 その無様だけで、心境は充分に推し量れる。


 彼女の言を整理すると――「あの状態で放置されて常人が助かるはずがない」……そんな当たり前の事すら見失うほどに、クーミンは魔徒への殺意に駆り立てられていたのだろう。

 降って湧いた魔徒を殺す好機に意識を囚われ、他のすべてに対して浅慮になってしまった……と。

 何故、そこまで魔徒に殺意を抱く理由は不明だが……まぁ、考えられる事はそう多くない。


 ガローレン卿着任までの魔徒との幾度かの戦闘で、死傷者がなかったはずもない……だろうからな。


 ……詮索は無粋だ。


 とにかく、だ。


 クーミンは魔徒への激しい殺意に駆られて、半ば暴走。判断を過ってしまった。

 詳しく思い返すだけで震えが止まらなくなってしまうような、そんな大きな過ちを犯してしまった。


 そう言う事だろう。


「……貴様の過ちを許す事はありえない。だが、これ以上、取り立てて咎める気も失せた。だからもういい」


 自責の念で既に潰れかけている者を、怒りに任せた罵詈雑言で痛めつける?

 そんな事ができる奴は人間ではない。そして俺は人間だ。

 ……多少遺憾ではあるが、この怒りの刃は鞘に収めてやる。収めるだけで、捨てはしないがな。事があればその時はすぐさま抜いて振り下ろす。

 そんな事は、言わなくても理解しているだろう。


「ただ、この判断は俺個人の事。シオとシュガーミリーが同じ事を決めるかは責任を持たない。……せいぜい、誠心誠意、謝罪する事だ」


 まぁ、あの二人が怒り狂う姿など、想像できないがな。


「………………あり、がとう、ございます……」


 まだ表情が崩れ、瞳に動揺が残っているが、少しは持ち直したな。

 第一印象通り、根は冷静沈着、メンタルコントロールや切り替えは上手い方なのだろう。

 ……それでも御しきれないほどに罪の意識に苛まれているのなら、充分だ。


 しばらく、クーミンが落ち着くまで待ってやるとしよう。


「……ぁ、あの……もう一件……別件の謝罪もあるのですが……」

「別件?」


 精神状態の調子を整える独自のルーティーンか何かなのか、クーミンは眼鏡の位置と襟を直し、自身のみぞおちを軽くポンポン叩きながら、そんな事を言いだした。


 ……はて、別件とは……。


「私の失態から派生的に発生してしまった、貴方と隊長の決闘について」


 ……ああ、それか。


「ホンネリ―卿から貴方の事情は伺っておりますので、可能な限りの協力を惜しみません」

「ほう、具体的には?」

「霊術に関する指南と、隊長の霊装・霊獣についての情報を提供いたします」

「!」


 クーミンはかなり腕の良い霊術師、その指南は実に有り難い。

 そして、ガローレン卿の戦闘情報……卿の補佐であるクーミンなら、かなりの詳細を知っているはず。それを聞ける事が有り難くないはずがない。


 決闘相手の情報を事前に仕入れるなんて卑怯?

 どこの世界の話だ、それは。

 むしろ、相手を徹底的に分析・諜報し、整えられる限りの準備をし、出せる全力を以て迎え撃つのが決闘の礼儀だろう。


 ここまで何か起きればことごとく不運続きだったが、これは……風向きが、良い方へ変わったかも知れないな。

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