2章 52話
グルガ砦の上で始まる戦闘。
現れたラーシャ。
紛う事なき上位魔族。
ヴェイグの戦争が、今……。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
湿気を帯びた風が、全身の隙間を吹き抜けてゆく。
纏わりつく、冷たさ。
吐いた呼気が白く。
頬の辺りがチリチリと、浅い痛みを訴える。
イルム平野で続く戦闘。
上から見る限り、形は成っている。
当初の予定通り鶴翼の奥まで魔物を引っ張り、右翼と左翼で効率よく敵を叩く。
想定外の物量ではあったが、本陣も何とか踏ん張っている。
……不規則に、反射する光。
マシィナの水の障壁。
ちゃんと足掻いてるみたいだな。
守ると決めたなら、それが己の正義と決めたなら、貫き通せばいい。
貫き通せないということは、死ぬということだ。
ただそれだけ。
強制はしない。
せいぜい納得できる死を。
俺は大きく息を吸い込み、吐く。
肺を冷たい空気で満たす。
思考から、余計なものが抜け落ちてゆく。
情報が、集約されてゆく。
いや、削られてゆく。
音が遠ざかり、静かな世界がやって来る。
視界に捉えるのは、敵の姿のみ。
それ以外の色は抜け落ち、一層強調される。
集中。
意識しようがしまいが、自然と捕捉する。
眼前の障害を。
それ以外は必要ない。
要らない。何も。
ただ壊す。殺す。
動かなくなるまで。
呼吸をしている感覚すら、希薄。
張り詰めていく。
世界そのものが軋むかの様に。
ただ自分の鼓動の音だけが、うるさいくらいに聞こえる。
高鳴りを抑えきれない。
……さぁ。
今度こそ、この本物を、ぶち壊す。
「いくぞ、ラーシャ」
「……上等。待ってたぜぇ。この時をよぅ」
ラーシャはそう言うと、マントを勢い良く脱いだ。
纏う空気が、込められたアストラルの量が、本気の表れ。
小手調べではない。
この上位魔族は、本当に俺を殺しにきてる。
そんな当然の事実が、俺の心を揺さぶる。
心地の良い殺気が、更に俺を高まらせた。
「身体強化ぁーーッ!!」
「形切流殺人術、五之型、一番、練気抜刀」
目に見える程のアストラルの高まり。
チリチリと、皮膚に刺さる無数の針の様に。
本能が鳴らす警鐘。
いい緊張感だ。
脳内に、雑念はない。
視界は広い。
手脚もよく動く。
何も問題はない。
「行くぞッ! ヴェイグゥゥッ!!」
ラーシャは高く飛ぶ。
脚元の煉瓦が砕ける。
「あいさつがわりだぁーーッ!」
全力で握った両の拳が、俺目掛けて振り下ろされた。
避ける、べき。
だが、せっかくだ。
この力任せの馬鹿を正面から捻じ伏せる。
捻じ伏せたいッ!
ただ避けるだけなんて、芸がない。
どのみちこいつに勝つ為には、コイツの間合いで戦うしかない。
遠距離や中距離では決定打を入れられない。
そもそも、俺の間合いもここだからなぁッ!
「流技、切り裂き、抉れ! 零之型、四番、絶爪!」
風を操り、爪状に変形。
更に回転運動を追加。
甲高い音が静かに鳴る。
身体を半身に捻り、ラーシャの攻撃をかわす。
叩きつけられた拳が、足場を砕く。
瞬間、がら空きになった顔面目掛けて爪を振る。
ガチガチと火花のように散るアストラルの残滓。
強い反発力。
強力な磁力のように、それ以上奥に押し込めない。
文字通り、目の前で止まる。
この薄皮一枚が、それだけの距離が、遠い。
受け入れ難い、事実。
だからどうしたッ!
「流技! 風刃疾く駆け、薙ぎ払え! 零之型、三番、隼!」
ラーシャの首目掛けて振り下ろす手刀。
およそ生物を打った時に出る音ではない。
鈍い金属音。
ラーシャはゆっくりと、立ち上がり始めた。
「チィッ! 流技、一之型、三番、天衝殺ッ!!」
腹部を捉える。が、またも弾かれたのはこちらの方。
旋雷も、凪刀も、振空も。
悉く通用しない。
ただ弾かれているという感覚ではない。
俺は、何を打っているんだ?
半端じゃなく、硬い。
いや、恐ろしく柔軟性がある様にも感じる。
純粋な特化型。
アストラルの操作技術もかなり高い。
……いや、操作技術そのものではない。自分を強くするイメージが、強い。
自分は強い。
自分は硬いと。
どんな攻撃も届きはしない、と。
信じて疑うことがない。
厄介すぎる馬鹿だなッ!
「そんなもんかッ! 効かねぇよッ!」
仁王立ち。
本当に。
本当に少しもダメージが通っていない。
エルザァの時より。兄上の時より。
はっきりと分かる力の差。
俺は、慢心していたのかもしれない。
少しは強いつもりでいた。
己の我儘を通せる程度には。
……情けない。
結果はどうだ?
うんざりだ。
強いって、いったい何なんだ?
徐に振られる右拳。
俺は咄嗟に上体を逸らした。
鼻先を掠める鈍器。
こっちも身体強化は使ってる筈なのに。
まるで紙切れ。
いや、無意味と言ってもいい。
巫山戯るな。巫山戯るんじゃねぇ。
ラーシャの攻撃は次第に激しく。
恐るべきは、その回転力。
拳が、蹴りが、ブンブンと宙を舞う。
目で追えない程ではない。
だが、問題はその手数。
弾幕。
こちらは零之型の連発。
身体が重い。
関節辺りが軋みを上げる。
これは、熱だれ。
ほんとに、俺はぁあぁッ!!
「そんなんじゃ、あたっちまうぞっとッ!」
「グゥッ!」
捌ききれなかった左拳が、俺の脇腹を捉えた。
重いッ!
響いてくる。
容赦なくめり込む拳が、筋肉を押しのける。
このままでは、骨が、内臓が逝く!
「うるせぇッ! まだ始まったばかりだろうが!」
「おいおい。こんなんじゃ全然楽しめねぇぞ?」
「お前が楽しいとか、知ったことかよッ!」
俺はラーシャの腕を払うと、右の掌でラーシャの胸に触れた。
流れる様に。静かに、素早く。
「流技、操風・瞬勁、空雷ッ!」
強烈な破裂音。
一瞬視界を覆う煙。
それと、アストラルの火花が散る。
分かってる。
いや、分かってたさ。
「悪くはないんだけどなぁ。ヴェイグ、こんなもんか?」
通っている感覚はしなかった。
衝撃が、身体の表面を走り抜ける感覚。
不発。内部まで、衝撃が届かない。
俺は右脚を後ろに引くと、少しだけ間合いを取った。
そんな俺の警戒をよそに、ラーシャは両腕を下ろし、戦闘態勢を解く。
そして、不思議そうな表情で俺に問いかけてきた。
「……なぁ、ヴェイグ。お前の力のムラには、なんか理由があるのか? 前回の方がまだマシだったぞ?」
……妙に鋭い。
というより、ここまで差があれば、分からない方がおかしいか。
情報は、少なかった訳じゃない。
「そんな事聞いて、何か意味があるのか?」
俺もラーシャと同じ様に、一度戦闘体制を解いた。
ラーシャもそうしたから、というのも勿論あるが、それ以上に興味があったから。
その答えに至った理由に。
「あるだろ、そりゃ。俺は本気のお前と戦いてぇんだ」
「……確かに、俺はまだ本気じゃない」
「ヴェイグはさ、なんかチグハグだよな。初めて戦った時も思ったけど、ムラとか、なんか、ズレ? みたいなもんを感じるんだよなぁ」
「俺は少し特殊みたいだからな」
「……ふーん。なぁ、急な話なんだけど、お前何かと契約してたりする?」
「……は?」
これは鋭いとか、そんなレベルの話ではない。
そんな事、見ただけで分かるもんなのか?
いや、それはない筈だ。
ダーシェさんでさえ、気づいていなかった。と思う。
それなのに、何故?
「どうしてそう思うんだ?」
こいつは馬鹿だ。
いや、ある意味真面目だ。馬鹿の付く。
変に勘繰るよりも、正面から聞いた方がいい。
きっと俺が色々考えても、無駄だろうからな。
「俺らヴァンパイアはさ、感覚がすげぇ鋭いんだよ。まぁ、これも身体強化のお陰っつうか、無属性に特化してなきゃ無理だろうけどな。アストラルの揺らぎ? みたいなもんを、見えなくても肌で感じるんだ。それでさ、ヴェイグの周囲にはヴェイグとは別のアストラルを感じるんだよなぁ。ヴェイグの動きとは関係なく動くし、不自然なんだよ。感覚的なものだから、勘とほぼ変わらないけどな」
やっぱり普通に答えるかよ。
ハイスペックな馬鹿もいたもんだ。
……存在が、その思考が純粋だからか。
不純物を感覚的に察知出来る。
正直驚いた。
「確かに、俺は契約しているよ」
「やっぱりかぁ。何と?」
「何で教えなきゃなんねぇんだ」
「別にいいだろ? どうせヴェイグさ、それ使わなきゃ死ぬんだぞ?」
ラーシャは無邪気な声音で俺に言った。
舐められているとは思わない。
事実そうだからだ。
それだけの、力の差だからだ。
出し惜しみなど、している場合ではない。
俺は思念伝達でネヌファに語りかけた。
「……聞いていたんだろ?」
「もちろん。やはり上位魔族。侮れない」
「そんな事はどうでもいいさ。とりあえずここに来てくれ」
「嫌だ」
「……一応理由を聞いても?」
「そいつには会いたくない」
「知り合いか?」
「まさか。そんな若い魔族は知らないよ」
「それじゃあ何で……」
「勘のいいガキは嫌いでね」
「聞いた様なセリフだな。じゃあ大人しく俺が死ぬのを見てるってか?」
「そんなつもりはないよ」
「……長期戦なると思っていたから、出来るだけ温存しておきたかったが。そんな訳にはいかないみたいだ」
「甘い相手ではない、か」
「そうだ。ここで確実に叩かなければ、どのみちナイガスは負ける」
「……分かってる。行くよ」
一方的に思念伝達を切られた。
質の違う風が、足元を撫でる。
パスが繋がっているからか、感じる。
ネヌファが近くに居ることを。
鼻を擽ぐる緑の香り。
こんな場所では絶対に嗅ぐ事は出来ない。
触れられているような感覚。
その実、何も感じないような。
黒い天使は、俺に後ろから抱きつくかたちで現れた。
……どうりで、緑の香りを強く感じる訳だ。
これだけ近いのは、ラーシャを警戒しているからか?
……それにしても、いつ見てもいい女だ。見た目だけは。
目の前のラーシャはというと、口をあんぐりと開けていた。
相当驚いたようだ。
でもどれに?
契約したものを呼んだことに?
それとも、呼ばれて出てきたものに?
まぁ、恐らくは後者だろうが。
「……こりゃあ驚いた。精霊、それもかなり高位の……」
「精霊と契約するのは、そんなに珍しいのか?」
「そもそも、精霊と意思疎通を図ること事態が難しいんだよ。それに気まぐれだし。精霊は同じ精霊か、自然に関わる事にしか興味がない筈だ。少なくとも、それが通説だからな」
「……なるほどな」
「高位ではない。私は風の大精霊だ」
「……はい?」
ネヌファがそう言うと、ラーシャは固まった。
それはもう、見事に。
「……おーい。ラーシャ。戻ってこーい」
「……は……」
「は?」
「はは……は……ははは……ハハハハハハッ!!」
ラーシャは掌で自分の視界を遮ると、急に笑いだした。天に向かい、高らかに。
それは、狂気じみて見えた。
「……お前マジか、ヴェイグゥ……」
滲み出るかの様な、重く、沈み込む殺気。
俺は咄嗟に戦闘態勢をとった。
「契約してるってことは、ヴェイグを殺せば大精霊も死ぬって事だよなぁ? ヴェイグを殺す理由が増えちまったぜ」
「……何故そこまで大精霊を狙う?」
「理由なんか知らねぇよ。でもそれが、魔皇ノーフィアス様のご命令だからなぁ。俺らは従うだけだ」
「……そうかよ……」
話が終わると、ラーシャは再び身体強化をかける。
圧力で分かる。
先程よりも更に高密度。
全力でやらなければ、ほぼ確実にこちらがやられる。
腹を括れ。
この戦闘が序盤でも何でも、今ここが正念場だ。
「ネヌファ、行くぞ。力を、寄越せッ!!」
読んで頂きありがとうございました。
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@_gofukuya_
これからもどうぞ呉服屋。ご贔屓に。
呉服屋。




