2章 37話
ラーシャとの手合わせの後、マシィナと5人の隊長と本隊へ帰還するヴェイグ。
敵の強さを目の当たりにした皆の士気は落ちたが、それでもラーシャから重要な情報を得る。
正しいかは分からないが、2日後、北方軍は大攻勢に出ると……。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
前線本隊へと引き返す道中は、さながらお通だった。
誰も一言も喋らず、微かに咽び泣く様な声が聞こえるだけだった。
甘やかすつもりはない。
戦場とは、数えきれない理不尽を塗り固めて、死者を量産する機能、もしくは器官。
戦場が存在する限り、当たり前のように死者は量産される。
その中で、いつ自分が死ぬ側に回るかなど、分かりはしないのだから。
いかに戦場で他者の死に慣れていたとしても、恐怖とは突然やってくる。
他者の、己の死の恐怖。
それだけが恐怖の対象ではない。
死だけが、恐怖ではないのだ。
むしろ死だけが恐怖の対象であったなら、どれだけ単純だった事か。
恐怖というものは、そんな簡単に首から手を離してはくれない。
次々と、押しては返す。波の様に。
森林は静寂。
味方、と言うよりナイガス軍の気配は感じるが、もう自軍へ撤退が済んでいる様子。
……早いもんだ。
気にとめていなかったが、俺がラーシャと闘っている最中から奴らの姿はほとんど無かった。
まぁ、おおかた何処かのピカピカ野郎が出した指示だろうが。
巻き込まれるくらいなら、被害を出すくらいなら、俺が戦場に現れた瞬間から撤退を開始せよってか……。
見事なまでの非協力さ。
まぁ邪魔だから俺もそれで構わない。
が、ラーシャの最後の言葉。
あれを聞いた後では話が別だ。
生理的に無理でも、ピカピカ野郎と話し合わなければならない。
あらゆる可能性を考慮し、勝率を少しでも上げなければならない。
使えない駒を効率的に使い、役立てなければ。
それでも、2日後の戦闘では多くの死者が出るだろう。
……まぁ、知った事ではないが。
そろそろ本隊が見えてくる。
生い茂る木の影と、重く横たわる雲のせいで時間の感覚が狂うが、まだ日が沈むには早いはず。
直ぐにでもピカピカと話さなければならないか……。
背中に感じる気配は今だに重たいものだが、いつまでもそれでは困る。
「おい、お前ら。俺は勇者様と話さなければならない事がある。皆で行って俺が面会を求めている事を伝えろ」
「……はい」
力ない返事。
随分と絶望の表情が似合うようになったな、ニーナ。
最初はあんなに自信あり気な表情だったのに。
「それと、全方面軍の指揮官も同席させるように。重要な内容だと念を押しとけ」
「わかりました」
……はぁ。
先が思いやられる。
それでも、お前達も戦場に立ってもらう。
自国を守るために流れる血は、自国の民のものが多くなければ意味が無い。
そうでなければ、誇りも、正義も、所在が分からなくなる。
酷ではあるが、それが事実なのだ。
じゃなきゃ、国など最初から必要ない。
「……行け……」
俺が低い声音でそう告げると、5人の隊長達は足早に本隊方面へと消えた。
俺とマシィナは本隊からやや離れた、先日与えられたテントへと引き返してきた。
入口の布を捲ると、未だに見慣れないベッドが1つ。
……不自然なんだよなぁ。ベッド。
俺に続いてマシィナもテントに入ってきた。
珍しくあまり文句を聞いていない。と思う。
あいつらがいたから、という事であればこれからまたお説教が始まるのかねぇ。
そんな事を考えながら、バックパックから丸めてあった毛皮を取り、地面へ敷いた。
「……お前も疲れたろ。ベッドで少し休め。次はいつ休めるか分からない」
「……分かった……」
……何この空気。
付き合いは長くないが、それでも、らしくないんじゃないか?
なんて言ったところで何も変わらないだろうし、小言を聞きたい訳じゃない。
余計な事はしないようにしよう。
どうせマシィナとは今回限りの付き合いだ。
この戦争の間だけでも当たり障りない関係でいなければ。
色々話も聞いたし、よく考えれば恥ずかしい事もしたかもしれないが、それも全て円滑に事を運ぶ為だ。
それ以上でも……以下でもない。
ギシギシと、いつも通り高い音を上げるベッドの脚。
外気も、かなり下がってきた。
俺も敷いた毛皮に腰を下ろすと、本調子ではない身体から力を抜いた。
今回の戦闘で目立った外傷は無し。
だが、あの時の強烈な違和感。
一瞬だけ抜け落ちた記憶、意識。
……俺の記憶は、未だに曖昧なままなのか?
あの駄神は何かを隠している?
分からな……。
「ねぇ」
思案を巡らせている所へ、唐突な呼びかけ。
俺の閉じかけていた瞼は、既のところで動きを止めた。
「……何だ?」
ごそごそと、寝返りをうつような音。
俺はベッドの方へ視線を移す。
横になった状態でこちらを見るマシィナ。
白い肌の上を、蒼い髪がさらりと滑る。
いつも通りの虚ろな瞳。
全体的に熱を感じさせない寒色。
唯一の暖色である唇が、ゆっくりと動いた。
「……ヴェイグは、本当に勝てると思う?」
まぁ、意外な質問ではあった。
ラーシャの存在が、余程堪えたらしい。
一指揮官があのレベルだからな。
普通なら絶望するのに十分な理由だとは思う。
……でも、なんと言うか、この世界の人々はそういう事に耐性が無さすぎる。
こんなんでよく今まで戦ってこれたもんだ。
「勝つんだよ」
「そうは言っても……」
「無理なら死ぬだけだ。まぁ、俺は死ぬ気は無いがな」
「……何で、そんな風に思えるの……?」
マシィナの暗い瞳が、さらに暗く。
まったく。辛気臭いったらないな。
俺は1つ息を吐くと、徐ろに口を開いた。
「……絶対に無理だから。戦力差がありすぎるから。絶望するような個人の存在があるから。足掻いても無駄だから。そもそも敗北は確定的だから……。だったら何だ? それは俺が諦める理由にはならない。生命を賭けない理由ではない。正義を曲げる必要を感じない。ただ、それだけだ」
「……それだけって……」
「お前は一応副官だ。お前がそんな調子では周りの奴らに伝播する。弱気になるなとは言わないが、それを悟らせる事はするな」
マシィナの唇は、固く閉ざされた。
「……そもそも、簡単な戦争なんてない。誰も死なないなんて嘘だ。絶望的な状況だったら、すぐに生きることを諦めるのか? お前の守りたいっていう覚悟は、正義は、そんなものなのか? それじゃあいつまで経っても、お前は叔父に虐げられていた頃と変わらない。俺の助言も無駄だったようだな」
冷たい言い方なのは理解している。
乗り越えるのが困難な事も。
それでも、そんな意識のまま俺の傍にいれば、確実に死ぬ。
そう、これは俺なりの優しさだ。
……たぶんな。
「……私は……」
「指揮官、起きていますか?」
マシィナが口を開いたと同時に、テントの外からの呼び声。
これは、ニーナの声だな。
俺はやや冷えた身体をゆっくりと動かすと、テントの入口の布を捲った。
ニーナだけではなく、隊長全員が揃っていた。
まぁ、俺が解散の指示を出していないしな。
当然と言えば当然。
横になっていたマシィナも、ベッドから身体を起こした。しかし、俺の方へは寄って来ない。
皆の瞳からは恐怖の色が抜けていない。
……はぁ。これも、何とかしなくてはな。
「それで、どうだった? 嫌味でも言われたか?」
「……それは……」
まぁ、言われたんだろうな。
あの勇者はどんだけ心が狭いんだよ。
「……ちょうど、各方面軍の指揮官が……いらっしゃったので……すぐ来れば……話を聞くと……」
視線を落としたまま、覇気もなくノレインが答えた。
何ともまぁ、上から目線な物言いだな。
「……分かった。直ぐに準備をして司令部のテントに行く。お前達は自分のテントに戻って待機。と言うか休め。明日の朝に部隊を連れてここに集合しろ」
「「……はい……」」
生返事をすると、隊長5人は各テントへと別れて行った。
その後ろ姿からは、生きる気力を感じない。
まだまだ子供。
それでも戦場に立つならば、誰も手加減などしてはくれない。
意識を変えないと、部隊は瓦解する。
さて、あいつの顔なんて見たくはないが、行くしかないか。
……話しているだけで、疲れるんだよなぁ。
俺は少しだけ振り向くと、ベッドに腰掛けるマシィナへ視線をやった。
日も傾き、灯りのないテント。
暗闇に座るマシィナは、普段より小さく見えた。
「俺は行くが、マシィナはどうする? 無理に付いて来なくていいぞ?」
突き放すつもりは無いが、冷たい口調だったとは思う。
優しくしたところで、何も変わりはしないから。
「私も行く」
……強い、言葉だった。
その存在感とは対象的な言葉に、一瞬ハッとした。
どう言った理由で、何を思い、そうなったのかは俺には分からない。
それでも、暗闇に浮かぶ蒼い瞳からは、強い意志を感じた。
説明は、難しいがな。
何しろ元が死んだ魚の瞳だし。
「……そうかよ」
俺は小さく微笑むと、マシィナを伴い、司令部のテントへと向かった。
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