1章 26話
ネヌファとパスを繋いだヴェイグ。
いよいよ結界が解け、戦場へと赴く。
敵は遥かに強く、負ければ死は確定する。
その重圧の中で、ヴェイグは覚醒を果たせるのか。
楽しんで頂けたら幸いです。
呉服屋。
静かだ。
周りの雑音も、今は聞こえない。
ただ自分の鼓動だけが、耳の奥で鳴り響く。
ギシギシと、鼓膜を震わせる。
血流が身体を駆け巡る。
死地を前にして、良く集中出来ている。
いや、死地が目の前だから、が正しいのかもしれない。
ネヌファとの契約。
……エゴ=プロクシモ=トゥ。だったか?
その効果は、今の段階では感じられない。
パスによるアストラルの受け渡しだから、言法を使わないと実感は出来ないか。
何にしても、こちらの準備は整った。
今出来ることはやった。
あとは、戦うだけだ。
隣からの視線。
見るまでもなく、ネヌファが俺を凝視しているのが分かった。
「……何だ? 気が散るんだが?」
「本当に、あれだけの相手と戦うのか?」
「ネヌファ。あんた案外しつこいな」
俺がそう言うと、ネヌファは呆れた顔をした。
「あのなぁ。私は心配しているんだ。魔族は強い。どんなに弱い魔族でも、エルフの戦士が10人束になってやっとというところだ」
「……だろうな」
「それに、エルフィンドルを本気で陥落させにくるならば、かなりの手練がいると考えていい。フィルスの短剣を持ち出している以上、魔族も本気だ」
「……だろうな」
「その魔族の守る場所から、お前は短剣を抜かなくてはならない。意味が分かっているのか?」
「……だろうな」
……しまった。相槌を間違えた。
「興味が無さ過ぎだろ、ヴェイグ。そんな事ではあっという間に死ぬぞ?」
まぁ正直、今更感が強すぎる。
魔族が強い?当然だ。
リスクが高すぎる?当然だ。
死ぬかもしれない?当然だ。
そんな事を考えていては、戦うことすら出来はしない。
身体が強ばって、動けない。
「分かってるさ。理解もしてる。でも俺がやる事はいたって単純だ」
こちらには戦力などというものはない。
特に数の面、質の面で劣っている。
つまりは、全体的に不利だ。考えるだけで惨めになるがな。
陽動も出来ない。
撹乱も出来ない。
割く為の人員がいないのだから、デコイもゲリラ戦術も使えるわけがない。
ただ一人。
正面から打って出て、敵を蹴散らし短剣を抜く。
それだけ。
「戦って、勝つ。それだけだ」
俺がそう言うと、ネヌファは大きな瞳をより一層見開いた。
「……驚いた。ヴェイグ、お前は馬鹿なのだな」
おいおい、それを今言うか?
「あー、そうだよ。俺は単純馬鹿だよ」
ピューーィィ。
突然、甲高い音をたてて、矢が上空へと上がった。
マフィリア先生か。
あれは、鏑矢、みたいなものか?
……何にしろ、これが合図だ。
いよいよ、結界が解ける。
「……ネヌファ。疑念は捨てろ。弱音があるなら今すべて吐き出せ。ここから先は戦場だ。心が引いた奴から死んでいく。見るのは前だけにしておけ」
「舐めるな小僧。私は風を司る大精霊。子供たちを守るためだ。引くことはない」
ネヌファの瞳の奥にも、燻る様な炎を見た。
誰だって本気だ。
俺も。ネヌファも。ダーシェさんやナリーシャも。マフィリア先生に、サフィールさんも。
もちろん、敵も。
俺とネヌファは、真っ直ぐに、扉の方を見つめた。
音もなく。
ただぱらぱらと。
結界は淡い光となって消失した。
その刹那。
門の外から多数の言法が街へと降り注ぐ。
火。水。土。
属性など、関係なく。
その尽くを、水、いや氷の局所結界が防ぐ。
凄まじい轟音と、余波。
身体の中から、震える。
あれはダーシェさん。
……長くは、持ちそうにないか。
大樹からも、応戦の言法が放たれた。
そう。
これがこの世界での戦争。
前世とは違う、戦場の在り方。
それでも。
俺に出来ることは、変わらない。
昔も、今も。
俺は手と足に力を込め、大きな門扉を押し開く。
足元がぬかるみにとられる。
それでも、必死に踏ん張りながら扉を開いた。
目の前には、見る影がない程の開けた土地。
あれ程の草花と、樹木に覆われていた美しい土地が、まるで荒野だ。
そして、無数に転がるエルフの死体。
守りに徹して尚、生きている者は一人もいない。
俺は眉をひそめる。
出撃したエルフ軍は、全滅。
動くものは、遠くに見える、敵のみ。
以前よりも更に前進し、その距離はおよそ700から800。
俺は、その場で大きく息をした。
鼻と口を通り、肺の中いっぱいに空気を吸い込む。
戦場の、死の香り。
体が痺れるほどの、甘美な。
全身を愉悦が駆け巡る。
戻ってきた。戻ってきたんだ。
心から、魂から望んだ、戦場に。
宙に浮くネヌファが、俺の前を先行する。
俺もその後に続き一歩を踏み出した。
その時。
「ヴェイグゥーーッ!!」
ややかすれたような大声が、俺の背中を直撃した。
……全く。
なんでこんな所にいるんだよ。お姫様。
「……お願いっ! エルフィンドルを、守ってぇーーっ!!」
驚いた。
いや、意外だった?
殺してくれと頼まれたことはあっても、守ってと言われたことは、無かった気がした。
あいつ以外には。
俺は微笑みながら、ナリーシャへと振り返る。
他にかける言葉もあった。
危ないから下がれー、とか。
何でこんな所にいるんだー、とか。
でも、俺の口は自然に動いた。
「やなこったっ!」
ナリーシャの顔は、傑作だった。
きょとんとして、年相応に可愛らしい。
でも悪いが、俺は言ったろ?
もう、欲張らないって。
取り零すから。
保身だってことも、分かってる。
俺は向き直ると、待っているネヌファの方へと歩き出す。
「もう、いいのか?」
「あぁ。問題ない」
それから、ナリーシャの声が聞こえることはなかった。
頭上を言法が飛び交う。
絶魔地帯を利用する魔族軍は、必要以上には前進してこない。
エルフ側の体力切れを狙って、突撃をかけるつもりだろう。
恐らく、楽しんですらいる。
それにしても、これは本当にファンタジーだな。
まるで、夢でも見ているようだと、今でも思う時がある。
それでも俺をこの場所に縛り付けるのは、いつでも変わらない戦場の空気だけ。
俺とネヌファは、真っ直ぐに魔族軍へと歩み寄る。
その距離は、確実に縮んでいく。
……俺達に気づいてないのか?
いや、そんな訳はない。
ただの少年と、宙に浮いた美女。
特別脅威を感じないから、無視している。
そんなところか。
今は、それでいい。
だがお前達の喉元を食いちぎるのは、俺だ。
そこら中に転がる死体。
エルフのもの、魔物のもの。
俺とネヌファは歩みを止めた。
魔族軍との距離は、500。
もう目と鼻の先。
この場所からなら、陣形も、魔族の種別も確認出来る。
多くは獣人種。ケンタウロス、ミノタウロス。それにリザードマン。
ドラウグル、それと、言法を放っているのはリッチか?
そしてその後方にいる、一人のオーガ。
あれが、指揮官。
俺を刺した奴。
嫌でも力が入るな。
「ヴェイグ。この辺りでいいだろう。お前の移動速度なら、十分戦闘圏内だ」
ネヌファは地上に降り、俺の隣についた。
「あぁ。十分過ぎる」
「それでは始めよう。魔族としての、覚醒を」
ネヌファは徐ろに言法を唱える。
「風の精霊たるネヌファが命じる。アストラルよ、契りを交した彼の者と、強き魂の結びを。クゥオニアム=トゥ」
俺の周りに、言法陣が浮かび上がる。
「これでパスが繋がった。覚醒によるアストラルの乱れは私が調整する。足りなければ送るし、逆に制御出来ないほど大き過ぎれば、私が受け取り放出する」
身体がほのかに暖かい。
「……分かった」
俺はゆっくりと瞼を閉じ、全身の力を可能な限り抜いた。
体内を巡るアストラルに、意識を集中する為に。
「それでは私の言葉に集中して、感じろ」
全身に伝わる熱が、徐々に感覚を奪う。
浮いているのか、立っているのか、それすらも曖昧だ。
「身体を巡るアストラル。全身をくまなく満たしている。だがその中で、唯一つ。アストラルが巡らない場所。そこが魔力生成器官。魔族以外には存在しない器官だ。その場所は、人により異なる」
「……あった……」
確かに一部分だけ、アストラルが巡らない場所がある。
それは、心臓の対極。
右の胸。
「ゆっくりだ。ゆっくりでいい。その場所を意識しながら、小さな蝋燭に、火を灯すように想像しろ。そして、火種は徐々に大きくなる。干し草に燃え移り、更には小枝へ」
……小さな。
とても小さな火が灯った。気がした。
今までずっと冷たかった場所。
「そうだ。もう少し大きくしろ」
ネヌファの方から、アストラルが流れ込んで来るのが分かる。
全体のバランスを調整してくれている。
「徐々に、徐々にだ。焦るな」
じわじわと、熱が入る。
起きていくような、新しい何かが、生まれるような。
「炉に、火を入れろ」
魔力生成器官に、火が付いた。
全身を駆け巡る業火。
激痛。激痛。激痛。
焼かれる。
身体の全てが。思いが。
力まなければ、四肢が弾け飛ぶ。
細胞が、血液が蒸発する。
……死、ヌ。
……なんだ?
身体が、急に楽に。
暴走した炎が、和らぐ。
遠く。
すいぶん遠くで、誰かが俺を呼んでる。
……アレハ、ダレダ?
「ヴェイグッッ!!」
揺さぶられた衝撃と、ネヌファの声とで瞼を開く。
「ヴェイグッ! 大丈夫かっ? 生きてるなっ?」
なんだ?
珍しく、慌てた顔をして。
らしくないじゃないか。
……ん?
なんだか、視界が広い……。
以前よりも、足元が遠い。
ネヌファが屈まなくても、顔が近い。
というか、低い?
「大丈夫なのかっ? お前、急に成長して……」
ネヌファの言葉が入ってこない。
急に、成長?
「ヴェイグの特化成長が、こんな形だとはな」
自分の両手を眺める。
以前よりも長く、逞しい。
脚も、太腿も、胸板も、明らかに大きく、太くなってはいる。
筋骨隆々、では無いが、良く絞られている肉体。
そして何より、拳に刻まれた、淡く光る無数の傷。
右の胸から吹き出す、赤い炎。
これは……。
「なるほどな。覚醒は、成功したのか」
「ギリギリだったのだぞ!? 溢れ出すアストラルを制御しきれなければ、身体が霧散していた」
ネヌファも、頑張ってくれたのか。
「ありがとう、ネヌファ」
俺がそう言うと、ネヌファの頬が少し赤くなった気がした。
拳の傷は、前世のもの。
俺が幾千、幾万と振るってきた、その証。
胸の炎は、地獄の炎。
自分の身を焼く、復讐の火。
お誂え向きだ。
魔族としての人間の。
人間としての魔族の。
俺の特化成長は、前世の自分に戻ること。
急激な覚醒だ。
完全に戻った訳じゃない。
それでも、今までよりも戦える。力が、漲る。
「……それじゃあ、行ってくる」
「あぁ。行ってこい」
「奴らの生命を、奪い尽くすッッ!!」
読んでいただきありがとうございます。
覚醒を果たしたヴェイグ。
肉体が人間であるヴェイグの特化成長は、以前の自分に戻ることだった。
そして、雌雄を決する戦いが、始まる。
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_gofukuya_
呉服屋。




