巫女長の魔法
あれ、アデリーナ様の他にもう一人が外にいますね。気配を感じました。誰だろうと思う暇もなく、近くに寄って来たアデリーナ様が続けられます。
「……メリナさん、何ですか、この小麦粉の山は? また戦争を再開するおつもりですか?」
「て、店長から許可を頂きまして、うん、私、わ、悪いことしてないです」
くそ、声が震えてしまった。
この私がアデリーナのプレッシャーに負けただと! 冷や汗が止まりません。
アデリーナ様は大量の小麦粉をじっと見詰めてから、私に視線を戻します。
私、既に転移に備えて心の準備を完了しています。
「ふーん? まぁ、良いです。それよりも、シャプラさんを王都にお戻し下さい。本人の希望です」
言われて気付く私。シャプラさんでしたか。彼女はアデリーナ様に呼ばれて、おずおずと姿を現します。
兎の耳がピョコンと立っていて、この数日間で少し元気になられたのかなと、私は安心しました。血色も良くなったみたいだし、痩せすぎていた体にも、少しだけ丸みが出たと感じます。
「……聖竜様のお声は聞こえなかった……。だから帰る……」
シャプラさん、悲しくはなさそうでした。ふむふむ、あの悪環境だった工房でも自分の役目を果たされると言うことですね。
でも、私の後ろに隠れていたビーチャの存在に気付いて、シャプラさんの耳がシュンと倒れます。
工房での辛さを思い出してしまったのでしょう。私が何とかして差し上げますからね。
「シャプラさんの気持ちは分かりました。その前に謝罪を――」
私の言葉の途中で、何故かシャプラさんが流れる様に土下座の体勢となりましたが、私の意図とは全く違います。
ビーチャも同じく、私の言葉が終わる前に土下座の体勢です。
私は土下座する二人に挟まれて、凄く悪い人みたいになっています。このポジションはアデリーナ様の物だと強く思います。
無言が続く中、意を決したビーチャが弱々しく口を開きます。視線は床に向けたままです。
「済まなかった。殴って悪かった。許して貰えなくても構わないが、これからは仲間として共に働いていきたい……です。ごめんなさい」
シャプラさんはビーチャの謝罪を受け入れたのかどうか返事はしません。私と同じ様に、あの荒んだ工房で何回も「喋るな、話し掛けるな」ときつく命じられていた経験があるのかもしれません。
シャプラさんは身動きせず、次の命令を待っているようにも思えます。
沈黙が場を支配します。
両手両足を床に付け、頭を下げ続ける二人。それを見下ろすアデリーナ様。挟まれたまま、どうしたら良いか思案する私。
「メリナさん、神殿外の面倒事は他でお願い致します」
冷たいなぁ。お抱きのふーみゃんに向けている愛情の一欠片でも見せてくれれば良いのに。
しかし、アデリーナ様が仰ることも尤もです。シャプラさんは工房に戻りたいと言いました。今のこの状況は、彼女が想定していたであろう展開とは違うでしょうが、辛い場所に戻る覚悟はされていたのです。私はそれを尊重致します。
この場を収めたのは巫女長様でした。
「あらあら、あなた達、床は固くて冷たいのよ。もう良いじゃない。そうそう聖竜様に拝礼致しましょう。日頃の些末が洗われますよ」
巫女長の提案で、私達は本殿の奥、聖竜様の巨像が鎮座される大部屋に行きました。
そこで、神々し過ぎる聖竜様のお姿を見た瞬間にビーチャは涙を流してシャプラさんに謝罪するのです。あのアデリーナ様が真顔になるくらいにです。
涙が止まらず、時に絶叫、時に柱へ頭突き。正に狂乱状態でした。額から血も流れています。
正直、人数はまばらとはいえ、他の参拝客に迷惑な事、この上無しです。
あと、像でなくて聖竜様そのものに邂逅した日にはビーチャは全身の血を吹き出しながら悦びを表現するのではと、私は思いました。
シャプラさんが止めに入るまで、ビーチャは謝り続けていました。もしも、ビーチャがあのまま謝罪を続けていたら、彼は死んでいたかもしれません。そんな感じの勢いでした。
さて、ビーチャの突然の行為、私には理由が分かっていました。聖竜様の純然たる偉大さは勿論あったにせよ、巫女長の仕業です。魔力の動きから巫女長が何らかの無詠唱魔法を使ったのが見えました。
小声で巫女長に確認します。
「聖竜様の御像の前での騒ぎは良くないと思うんです。精神魔法ですか?」
「うふふ。何の事かしらね。……良いんですよ。困っている獣人は助けなさいと聖竜様のお言葉が有りますから。ほら、メリナさんもご覧なさいな。お二人、特にシャプラさんの蟠りが解けて、距離が縮まった様に思います」
「シャプラさんが止めなければ、どうするつもりでした?」
「贖罪に能わずなんですから、困りましたよね」
……もしかして、ビャーチャの死という結末もあったのでしょうか。いえいえ、巫女長様はそんな酷い事はなされないと思います。だって、こんな柔らかい笑顔なんですもの。一切、悪意を感じません。
ここで、逆に悪意の塊であるアデリーナ様もやって来ます。
「巫女長様、聖竜様のお力は流石で御座います。これからの二人は固い絆で結ばれたのですね」
アデリーナ様も巫女長様には気を遣われるのですね。そんなセリフでした。
「まぁ、アデリーナさん。そうでしょう。よくお分かりよね。流石だわ。そうだ。あなたにも、えいっ!」
いきなりの巫女長の攻撃です。魔力の渦がアデリーナ様を襲います。
えー、これって、とても面白い展開です。さぁ、謝りなさい、アデリーナ! 無論、私にですよ!
たっかい酒を棚に入れて、私を焦らした過去を謝罪なさい! それから、んーと、ふーみゃんを独占している罪を懺悔なさい!
普段からクソ偉そうにしている貴様が頭を床に打ち付けて涙を流す様を私の瞼に焼き付けるのですよ。そして、皆に言い触らします。
しかし、私の願いは叶いませんでした。アデリーナ様の寸前で、魔力の渦は一瞬光ってから消失したのです。
これは魔法に打ち勝った証しだったのか、そんな感じがします。くそ、期待外れで御座います。
「お戯れはお止し下さい、巫女長様」
微笑みまで湛えながら、アデリーナ様は仰いました。怒りとかは内面にお隠しなのでしょうか。それとも、一応、神殿内のヒエラルキーを意識なさっているのかもしれません。アシュリンさんとは非常識の方向性が異なる方ですものね。
「私、フロンさんと仲直りしたくて。ごめんなさいね」
ん? 巫女長、ふーみゃん狙いでしたか。
何か諸事情がお有りなのかな。
しかし、コッテン村では巫女長とふーみゃんの絡みは無かったと思います。何故にこのタイミングで……。
……もしや、皺くちゃの巫女長まで魔族フロンと一夜を共にしたと言うのですかっ!? 恐るべし魔族の慾望!
いや、それは無いなぁ。そこまで廃退していたら、流石に聖竜様が天誅を下さるでしょう。
アデリーナ様を残して、私達は王都へと転移致しました。
アデリーナ様、魔法攻撃を受けてから、ずっとニッコリしていました。凄く満足そうなお顔で、正直、気味が悪いです。
そういう魔法なのかな。朗らかになる魔法。いや、でも、魔法が発動した感じでは無いんですよね。




