臭気と芳香
夕方となり、兎の人と一緒に工房から帰りました。彼女の手には小さな布袋が握られています。
これは、彼女が大部屋の人に土下座して頂いた物です。帰り間際に終わりの挨拶をするのかと思ったら、扉を開けても大部屋に入らず、突然の無言土下座でした。身動き一つしない見事な土下座でして、色んな方のモノを見慣れているアデリーナ様でも心底の感動を隠せないのではと思いました。
両手は前に整然と並べ、背筋は丸くもなく真っ直ぐでもなく、美しい曲線です。土下座する人をモチーフに芸術作品を作るなら、絶対に彼女をモデルにすべきだと思います。
そんな彼女に投げ付ける様に渡されたのが、この布袋です。彼女は短く礼を言って、それを受け取っていました。
これは大切な食料だそうです。あの素晴らしい土下座を見せることで、ゲットされたのですね。自分の特技を存分に活かした感じです。
案内された彼女の自宅はボロボロでした。周りの家もボロボロなので、そういった区画なのでしょう。
木の壁もところどころ割れていますし、屋根も粗末な木板です。一目で雨漏りの予感ですよ。
「……今日から二人だね。嬉しい……」
兎の人がそんな事を私に言ってくれました。
こんな所で独りなんて、危ないですよ。覗き放題だし、扉も簡単に蹴破れそうです。
私が用心棒をするしか有りませんね。
「……寂しかったんだ」
「そうでしたか。他の雑用係の方は?」
「いないかな……。前の人は死んだって聞いたよ」
美味しいパンはこんな劣悪な環境で作られているのでしょうか。いえ、あの工房のパンはパサパサでした。シャルマンの焼き立てパン屋さんには違う工房があると、私は睨んでいます。恐らくは貴族街か……。
成り上がらないといけませんね。今の工房の方々には悪いのですが、私の踏み台となって貰いましょう。
あのジューシーな肉を包容する、外はカリカリで、中はもっちりなパン。至高の肉包みパンの作り方を私は伝授してもらわないといけないのです。
「ご飯にするね」
おっ、そうでした。
私は座るところに困りましたが、とりあえず、剥き出しの土の上に座ります。
兎の人も同様です。狭いので膝が当たりそうな距離になりました。
彼女は布袋に手を入れて、摘まんだパン屑を口に入れます。
「あっ、当たり。……甘いのがあったよ」
…………。
兎の人は次は私の番だと言います。
同じ様に袋の中からパン屑を取り、口にします。
あっ、意外でした。
固まってるとパサパサですが、粉になると、パリパリした食感が結構イケますね。
「美味しいですね!」
「うん。……喜んでくれて嬉しい」
兎の人が初めて笑ってくれました!
「これが当たりだよ」
兎の人が布袋の中から一つの欠片を選んで、見せてくれました。で、私の口に運んでくれます。
「お肉のお礼……」
わぁ、そんなに甘くないっ!
しかし、私は空気の読める優れた娘です。魔物駆除殲滅部で最も常識を知る人間なのです。
「ありがとうございます!」
全力の感謝を返します。兎の人は残りを私にくれるとまで言ってくれたので、遠慮なく頂きました。
しかし、まだ全然お腹が満足するには足りません。
全身全霊を込めた無上の土下座で兎の人が得たパン屑は、ちょっと量が少ないかと思います。大道芸人だって、もっと貰えます。だから、兎の人は大通りで土下座をして稼ぐべきなのではと思いました。
兎の人と話をしました。お名前はシャプラさんで、12歳でした。
獣人さんは成長早いです。改めて思いました。私なんかよりも大人の雰囲気ですよ。
お父さんとお母さんは、この荒屋にはいないそうです。シャプラさんは何処かの農村で生まれ、昨年、村が魔物に襲われて崩壊したのを切っ掛けに王都へ来たのです。ご両親はその襲撃の時に亡くなっておられます。
最初は宿屋に勤めました。でも、シャプラさんはそこで使い物にならないと判断されて、パン工房での仕事を紹介されたと仰います。
見た感じ、奴隷ではなさそうですが、自由もなさそうですね。それにしても、シャプラさんを首にした宿屋は見る目が無いですね。絶対に、きちんと仕事をしてくれますよ。
よく見たら、私にパン屑をくれた、彼女の指先は酷く割れています。毎日、水洗いをしているからでしょう。
そして、追加の食材が出て来ないとなると、本当にパン屑しか食べてないのではないでしょうか。
「この辺、獣人多いの……。皆で助け合ってる」
ふむ。では、大丈夫でしょうか。食料も分け合っていると信じますよ。
ただ、シャプラさんは可愛いので、男の人に襲われないか危惧します。
「メリナは何の獣人なの?」
……獣人では無いと言うのも気が引けます。店長から話を聞くかもしれませんから、そのまま言うしかないか。
「何の獣かは分かりません。でも、足裏から少しだけ独特の香りを放っているのです。そういう獣人です」
「えっ……?」
ちょっ! その微妙な反応はとっても恥ずかしいんですけど。私だって、納得行ってない部分もあるんですよ。
試しに、私は靴を脱いで嗅いで貰います。
「わっ、いい靴……」
私の革ブーツは鼻にゆっくりと運ばれていきます。
「ん……。うわっ!」
シャプラさんが初めて大声を出されました……。しかも、女性らしくない叫びです。
「……本当……。臭いが凄い……」
凄くないです! 聖竜様と同じ香りなんです! あっ、だったら凄いや。
凄くないけど、凄いです!
「蛇みたい……」
うーん、そこは竜みたいと仰って頂きたかっですよ。
「シャプラさんは、将来、何かしたいことって有りますか?」
「……お母さんに会いたい……」
そんな悲しい顔をしないで下さい!
……しかし、死んだ人を生き返らすのは出来ないのです。それだけは魔法でも不可能と色んな本に書いてありました。
「……早く死にたい……」
まぁ、ダメですよ。シャプラさんはあの美しい土下座だけでも生きていけますっ! まだご自分の価値に気付いていないだけなのです。
これは一つ、景気付けが必要ですね。
よしっ! このメリナ、シャプラさんが死にたいなどと二度と思わないように、頑張りますよ!
「ちょっと、すみませんね」
私はシャプラさんの手を握り、転移魔法を発動させる。
移動した先は竜神殿です。
薔薇の鬼が住む部屋でなく、私のベッドの横です。
「あっ、メリナ……」
まぁ、マリールが先にいましたか。胸を揉みしだく奇行をされていなくて良かったです。シャプラさんがびっくりされてしまう所でした。
「久々ですね! お元気してましたか?」
「……あんた、いつでも帰って来れるなら、ちょっとくらい顔を見せなさいよ!」
いつものマリールです。口煩いのも、私を心配しての事ですね。
「で、その女は誰よ?」
「シャプラさんです。王都のパン屋で一緒に働いている兎の獣人さんです。土下座が凄く上手です。神業かもしれません」
「……はあ? それって誉めてるの? 本人は嬉しそうにしてないわよ」
芸術の域ですよ!
「……メリナ、ここ、どこ?」
「とっても美味しいものが食べられる場所です! あっ、奥のベッド使って良いですよ」
ルッカさんは、まだ戻っていないはずですから。
「……巫女でもないのに、そんな勝手な事が許されるとでも?」
まぁ、厳しいです。マリールはたまにそういう堅い所があるのが欠点ですよ。だから、胸も柔らかくならないのです。
私はマリールに近付いて、小声で言います。
「シャプラさんは死にたいって言ってるんです。友達になってあげて下さい」
「えっ!」
「大丈夫です。事後になりますが、アデリーナ様に許可を貰いますので、薬師処で面倒を見て頂けませんか?」
「む、無茶よ。アデリーナ様が了解しても、薬師長様の許可はどうするのよ?」
おバカです、マリールは。
「これだけ巫女も巫女見習いもいるんです。堂々としていれば、バレませんよ」
顔の分からない巫女さんなんていっぱいいますし、入り立ての巫女見習いさんだと言えば、絶対に行けますよ。
「わ、私の実家で面倒を見ようか?」
「ダメですよ。一番大切なのは友人を作る事なのです。宜しくお願いします。私の友人はマリールとシェラだけなんですから」
「えっ、そうなの……。友達か……。うん、なら、仕方ないのか」
友人としてはコリーさんもいましたが、アントンの件を考えると足が向きません。
……大丈夫かな、コリーさん。ご結婚どころではなくなっているかもしれませんね。
「じゃ、そういう事で」
「転移する気でしょ。待ちなさい。あなた、……とても臭いわよ」
……………………。
最近、体を洗ってませんでした……。男性二人とご一緒の旅でしたし。
くんくん、自分の体を嗅ぎます。
「そう……かな?」
「シャプラだったっけ? ほら、あんたもよ。メリナさぁ、うちの服を着てるのに、そんな酸っぱい臭いさせたら、ダメだからね」
す、酸っぱいって言うな!
すっごく、ものすっごく傷付きましたよ!
私は常にフローラルです! 根拠は無いけど、そうなんです!
    




