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天使の如く

 私は建屋の大部分を占めるパン作りの部屋に入りました。先程まで掃除をしていたので、勝手は分かります。


 昨晩に作られたと思われるパンが棚に並べてあったはずです。売店に持って行かれてなければ良いのですが。

 何せ、焼き立てパン屋さんですからね。早くしないと、焼き立てじゃなくなっちゃいます。昨日の物を焼き立てと呼んで良いのかは不明ですが。



 まだ有りましたっ! しかも鉄板に乗ったままで好都合です。


「すみません、このパンを貰いますよ?」


 近くの若い女性に聞きました。この人しか、今は部屋にいないからです。大きな声で会話しているのが二階から聞こえるので、他の人はそちらにおられるのでしょう。

 この女の人、私より少し歳上、うーん、マリールの部署の先輩の何だっけ、……そう! フランジェスカさんと同じくらいかな。



 私は返事を待ちます。


 …………。


 しかし、無視されました。生地を捏ねる作業を続けたままです。私を見ようともしません。


『そんな詰まらない事を訊くんじゃありません。勿論、差し上げますわ、全部』


 十中八九、そういう意味の無言だと思います。心の声、しっかりと私には伝わりましたよ。


 なので、私は鉄板を持ち上げて運びます。捻られた形のパンが縦にも横にも並んでいまして、全部で10、いえ、20個以上は有ります。嬉しいです。太っ腹ですね。



「あんたっ! 何をしているの!?」


 さっき声を掛けた女性が後ろから私に尋ねてきました。


「ご心配なく、ちゃんとお洗いしますからね」


「はあ? まだパンが乗っているでしょ!」


 ん?

 パンが乗っているのは当然だと思います。だって、今から私と兎の人が食べるのですから。


 よく分からないので、無視します。頭が不自由な人かもしれません。要注意人物として記憶しておかないと。


 さっさっと去りましょう。


「ちょっと! 聞こえてないの!?」


 聞こえましたよ、あなたの心の声。有り難く頂戴します。

 両手が塞がっているのでお水は後回しにしないといけませんね。



 さて、私は扉を開けて、兎の人が待つ薄暗い部屋に入りました。


「パンを頂いて来ました。さあ、食べましょう」


「……えっ?」


 床に鉄板を置いて、早速、私は1個を口にします。さあ、この私を満足させるのですよ!



 ……んー、えー、普通。むしろ、神殿の方が美味しかったかも。

 やっぱり肉を包んでいないからですね。



「あんた! 売り物に手を付けたわね!」


 さっきの要注意人物です。私の後を付いて来ていた様です。


「すみません。了解頂けたので、(しょく)させて頂きました。でも、余り美味しくないですね。何て言うか、パサついた感じです。パッサパサですよ。これを作った人は修行不足です。精進してもらわないといけませんね」


「はあ!? クルスさんが来たら、鞭でお仕置きだわ! 覚悟しなさい!」


 まぁ、怒られました。何も悪いことをしていないのに。

 でも、パンは取り上げられませんでした。


「くぅ、私しかいない時を見計らって来たのね……。絶対に許さないんだから!」


 バタンって、扉が強く閉められます。



「……あなた、怖くないの?」


 私が貰ってきたパンを齧りながら、兎の人が訊いてきます。食べてくれて良かったです。


「怖いですよ。私の作るパンが世界中で大人気となり、夫である聖竜様が嫉妬の目で見られることが」


「……何の話?」


 未来予想図ですよ。



 さて、食べきれなかったパンを部屋に戻しましょう。正確には美味しくないので返品です。


 また、あの若い女性だけでした。扉を開く音に反応して、こちらを見ました。


「あんた! 性懲りもなく、また入ってきたわね! 知っているわ。あんた、獣人でしょ!? だったら、人間に這いつくばりなさい!」


 わっ、頭、沸いてるのかしら。こういうのは、触れない方が良いんですよ。

 私は黙って、鉄板を元の場所にお返しします。


「無視っ!? 許さない!」


 女の人が木の棒を持って、私に襲い掛かってきました。

 早朝のおっさんもそうでしたが、この職場は暴力的ですね。その棒はパン生地をどうにかするのに使うヤツだと思うんです。道具の使い方が違いますよ。

 せめて、殴るなら音を立てずに後ろからですよ。



 私は振り下ろされた棒を軽く握って奪い取ります。そして、優しく、静かに言います。


「大丈夫です。私はあなたの味方です。ですから、落ち着いてください」


 そう。まずは敵意が無いことを見せるのです。殴り飛ばしたところで、こういった輩はしつこいですからね。


「えっ……。味方? ……違うわ! バカにしてるの!?」


 もう、分からないのですか?

 仕方有りませんね。教えて上げましょう。


「このパン、本当に微妙な味でした。作り直しましょうね」


 鉄板の上に並べられた焼く前のパンを一纏めにして、ボウルの中に入れて上げました。


「あー! 折角、形にしたのに! 何をしてくれてるの!? 寝かせていたのよ!」


 さて、あのパサパサ感はどうしてでしょう? あっ、水が足りないのかな。


「見ていて下さい。こうですよ!」


 私は纏めた生地に水をぶっかける。

 そして、丹念に捏ねます。


 ぬるぬるして大変に気持ち悪いですっ!


「ちょっと! やめなさい!」


 ふん、まだです!

 しかし、捏ねても捏ねても液体です。もはや、パンジュースと化しています。


「捨てますね?」


 私は諦めました。流しにザァーと放ります。


「ふざけるなっ!」


 すみません。初めてのパン作りなので加減を間違えた様ですね。

 汚れた手は、隣にあった水瓶で洗わせて頂きました。それから手を乾かす為にブンブンと振ります。

 あっ、ごめんなさい。濁った水滴が女性の顔とか、周辺に飛び散ってしまいました。怒られますか、私?



 ここで、階段をゾロゾロと他の人達が下りて来ました。


「おーい、ハンナ。お前も休憩しろよ。練習も程々で良いんだぞ?」


「あっ! クルスさん、まだ来てないの? この新しいボケが大変なのよ!」


「またイビってるからだろ。初日なんだから、許してやれよ。どうせ、生意気なのも一ヶ月持たねーよ」


「クルスさん、早番だったはずだけどな。まだ寝てるんじゃないか。あの人、独り暮しだから誰も起こしてくれないからな」



「見てよ! この獣人、焼いたパンを勝手に食べたのよ!」


「お前が食べろって命令でもしたんだろ? 売り物を勝手に食うヤツは流石にいねーぞ」


「何でよ! それに、ほら! 私の捏ねた生地を捨てたのよ!」


「そんなに新人を痛め付けたいのか? 恨まれるぞ。それよりも、お前、顔を拭けよ。汚れてるぞ」


「捨てたって、ゴミ箱にもないだろ。まさか、それも食べたのか? ハハハ」


 まぁ、仲間内からの人望が無いのですね。流石です! この女の人は要注意人物ですからね。

 私の眼に狂いは御座いません。



「本当なんだって!」


「分かった、分かった。クルスさん、まだ来てないから、後で言っておくよ」


 そのクルスさんという方が気になりますね。


「どなたですか、クルスさんって?」


 私の問いは男の怒声で返されました。


「獣人が喋りかけるなよ! 殺すぞっ!」


 ひゃー。職人の人たちは厳しいです。

 でも、乱暴過ぎる気もします。私が偉くなったら、ちゃんと言葉遣いを教えてあげないといけませんね。

 しかし、残念ながら、今はまだ只の期待の新人でしかないのです。私は黙って持ち場へ戻りました。



「兎の人、教えてください。クルスさんって誰ですか?」


「ここのボス……。逆らったら、いつも叩いたり、蹴ったりしてくるの……」


 アシュリンみたいな人か……。

 ならば、本意では御座いませんが、拳を通じて心が通じ合うかもしれません。

 期待しましょう。


「今日は来ないのですか?」


「朝、来る時に見た……。逃げるみたいに走ってた……」


 あの貧相なおっさんですかね。いえ、でも、あれがボスなら、私は一瞬でこの工房を腕力的に制圧出来ます。あれでは無いでしょう。

 拳で語るには弱すぎますからね。



 その日は結局クルスさんは現れませんでした。残念です。ボスに私の有能さを見せつけようと思っていたのですが……。ひたすら、パン作りの道具を洗い続けました。


 でも、大部屋に入る度に、要注意人物の女の人がすっごい目で睨んでくるのが面白かったです。

 私はアデリーナ様みたいな鬼では有りませんので、その程度で殺したり、目を潰したりしません。


 逆に天使の如くですよ。

 脇を通る度に「私は味方ですよ?」と小声で囁くのです。そして、恥を掻かない様にと、見えない所で生地に水を足して上げました。


 女性は首を傾げながら小麦粉を足されるのですが、またパサパサになりそうなので、私は隠れて水を足します。



「ハンナ! いつになったら生地が出来るんだよ!」


「ご、ごめん。今日は調子が悪いみたい……。固まらないよ……」


「はあ? どけよ! 代われ! 俺達もクルスさんに怒られるだろうが!」


 まぁ、私の手伝いにも関わらず、この有り様とは……。そこの女の人は無能で御座いますよ。



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こいつまさか、酵母まで捨てたんじゃないか⋯⋯?
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