コリーさんの盛大な前振り
☆コリーさん視点
聖女決定戦といえど、貴族様と戦うのは気が引ける。それもあって試合開始直後に相手が敗北を認めたのは、大きく拍子抜けした。いや、彼女は開始前から仰向けに寝転んでいて、私は動揺したままであった。理解できないものには対処がし難い。
聖女決定戦という一生を左右する場で、あれは前代未聞だったと思う。敗北したとしても善戦であるならば、聖女ではなくとも何らかの大役を仰せ付かる事も多いと言うのに。
アントン様のお陰で都市契約の奴隷からは解放されたものの、染み付いた癖は無くならない。
一昨日に実感したが、未だに見知ったデュランの貴族様達の前では言葉を発することも困難とは思わなかった。
私は孤児だった。母や父の顔は覚えていない。魔物が村を襲った時に死んだそうだ。
デュランの孤児院に保護してもらい、十二歳を迎えるまではそこにいた。今思えば、私は幸運だったのだろう。
自分の足で動け、話すことが出来れば、村の再建のために奴隷として売られていただろう。奴隷商の興味を惹かない赤子であったのが第一の幸運。
第二の幸運は私の髪の色が赤かった事。そこまで珍しい色でもないけれども、マイア様のお仲間であった武道家カレンと同じ髪色だった。
私を捨て置く事に抵抗があった村の長が、渋る孤児院長にそれを盾に交渉してくれたらしい。
私の両親はどちらも重犯罪者だったらしいのに。彼らは魔物や盗賊から村を守ると同時に善良な旅商人も襲っていたと、成長してから親について調べた時に知った。私には五人の兄や姉がいたらしいが、機嫌次第で自分達の子供も殺していたと記載があった。
村にも迷惑を掛けた粗暴な二人だっただろうに、その子供には罪が無いという事なのだろうか。
孤児院は公設であり、贅沢は出来なかったが、飢える事はなく、粗末な服で寒さに震えて過ごすことも無かった。
私はそこで武術を習った。孤児院であっても全てが善意で出来ているはずがなく、私達、孤児が成長した際には恩を返すことを求められた。具体的には軍に入ることが義務付けられていた。
親も里もない孤児ならば、遠方への転属にも、帰る望みの少ない遠征にも抵抗がなく、死んだとしても悲しむ者が少ないという判断の為だろう。加えて、私達の孤児院は例外だったが、愛情を十分に与えられずに成長した孤児たちは粗雑で末端の兵としては荒事に重宝すると聞いたことがある。
私を幼い頃から育ててくれたのはクリスラ様だった。いつも優しくて、ニコニコしていて、でも、悪さをすると怒ってくれていた。私達の母親代わりだったし、恐らく、実の母に育てられるより遥かに良かったであろう。
五年前に聖女となられたクリスラ様は笑顔をお見せにならなくなった。重圧でそうなったのではなく、そういう役回りを演じておられるのだと考えている。
皆でクリスラ様の誕生日を祝った日が懐かしい。私達が秘密で作った、粗末な髪飾りを手にしたクリスラ様は涙を隠さなかった。何か暖かい気持ちが体内に入り込んできたのを覚えている。
軍に入り無理な激務に疲弊していく日々の中、私はアントン様に会う。侯爵家の一員として軍指揮教育の一環だと後から聞いた。
出会うなり、彼は私に「迎えに来たぞ、コリー」と求婚してきた。これは私の勘違いではない。本人が後日そういう事だと伝えてくれたから。
幼い頃に私はアントン様を伸したらしい。全く覚えがないが、「傲慢な素振りの貴族の坊ちゃんを武術大会で滅多うちにした事がある。それじゃないか?」と、当時は生きていた孤児仲間から聞いた。失礼ながら、本当に全く覚えていない。
その様なひどい真似をした者に何故求婚するのか、私には想像も付かない。アントン様にお尋ねしても、毎度言葉を濁される。「俺は一途なんだろうさ」と、一度だけ顔を赤くして伝えてくれた。心配したが、特殊な変態ではないと思っている。
何にしろ、私は再びの幸運の結果、軍から退き、アントン様の秘書官となった。功績から「紅き玲瓏」という異名を頂いていた私を軍は引き留めたものの、アントン様は強引に引き抜いた。
少なくない個人の資産も使ったと思う。私の価値はそれに身会うものだっただろうか。
アントン様の家に私は嫌われている。それもそうだろう。貧民の出身でもあるし、犯罪者の娘でもある。そんな下賎な民の血を高貴な一族に入れるなど烏滸がましい。アントン様が私をご両親に紹介した時に、私の祖父母も犯罪者だったと聞いた。
貧しいだけでなく卑しさも代々なのだと、アントン様の母親に厳しく言われた。いくら私が抗っても、流れる血は否定できない。何より、私の親を恨む人間はまだ生きているかもしれない。彼らは血を引く私をも憎く思うだろう。人間とはそういうものだ。
しかし、私はアントン様を愛している。私が何者であっても彼の期待には全て応えたい。
クリスラ様が聖女となられ、孤児院の仲間達も魔物との戦いで死に往き、私には失うものがない代わりに守るものも無かった。
そこに現れたアントン様は私の灯火。
一時的な風避けにでもなるつもりだったが、アントン様は「ダメだ。『紅き玲瓏』の名の通り、灯火から放たれる輝きになれ』と仰った。
彼が望まれるなら、私はそうなろう。
次戦は聖衣の巫女殿。優しく理知的で、残酷で欲望を隠さない、不思議な方。あそこまで二面性を持った人間を私は知らない。
どうすれば蛾は蝶になれるのか。
聖衣の巫女殿とお会いした運命の日、私は問われた。
あれ以来、いつも考えていた。
私はアントン様という灯火に寄った蛾ではないのか、アントン様がいなければ、私はひっそりと影に隠れてしまうのではないか。
灯火がない空を自由に舞える蝶にはなれないのか。
結局はアントン様の手助けがなければ、私は表に居られない。辺境で魔物を殺し続ける生活に戻るしか生きる術がない。
私の腹には都市奴隷の証である奴隷紋が刻まれている。解放された今は魔力的な効力は外されているのに、私の心を縛っているのかもしれない。
アントン様には伝えた事はないけれども、もちろん、ご存じであろう。私はこの複雑で奇怪な紋様をベッドの上でアントン様に見せることが出来るのだろうか。
コッテン村で聖衣の巫女殿に蛾なのか蝶なのか、それは状況で変わると教わった。
そうかもしれない。そうじゃないのかもしれない。
そもそも、心が乱れる事自体が蛾のままである事を証明しているのだと私は思う。いや、蛾である事を否定したい気持ちが、私を蝶にしてくれないのか。
刻一刻と、対戦の時間は近付いて来ている。
私は聖衣の巫女殿に勝てるのだろうか。負けても良いとは思えない。しかし、あの凄まじい戦闘力を捌き切れるのか、自信は無い。実力も足りないだろう。
一回戦に向かう通路で聖衣の巫女殿と戦った女性を運ぶ係員と遭遇した。
一撃で背骨を破壊されたと言っていた。それを魔法で回復した後に、更に殴ったとも。
聖女決定戦といえど、相手はうら若き女性。それを躊躇なく殺そうとする巫女殿は、恐らく、私にも同様の牙を剥く。手加減など有り得ない。
覚悟をしよう。私は全力を尽くす。結果、命を失っても仕方がない。
それがアントン様への忠義と愛の証となろう。
……結局のところ、私は蛾のまま死ぬのかもしれない。灯火を離れて飛ぶ勇気も、必要も感じない。
どうせ蛾なのであれば、いや、蛾であればこそ、出せる力もあろうと思う。
聖衣の巫女殿に訊かれれば、私は自信を持って返そう。
蛾である事を恥じないと!
それが私の答えだ。
ツッコミ不在(笑)




