霖雨
ザァザァと降る雨が血濡れた刀と身体を洗い流してゆく。
刃からポタリポタリと流れ落ちる血をただただ見つめていた。
雨音しか聞こえぬ空間。
外にいるのに閉ざされたような。
何故だか、独りだということを強烈に感じさせる。
こういうときは嫌なことを思い出す。
自分の『罪』、『無』、『孤独』⋅⋅⋅。
幼い頃の記憶が蘇っていく。
生きるために何も考えずただ従って生きていた私は人の道からは外れている。
もう戻れるはずもなかったのに。
私は──。
「風邪ひくよ、翡翠」
突如後ろから聞こえた声に驚いて振り向くと、傘をさした、いつもの優しげな笑顔浮かべた琥珀がいた。
いや、いつもより少し寂しげな顔をしているように感じた。
(こいつをこんな顔にさせているのは私か…)
琥珀はいつも私が辛いときに側にいる。
それどころか今日もどこに行くかも何も言わずに出て来たというのにあっさり私を見つける。
「大丈夫だ」
「⋅⋅⋅じゃあ、帰ろうか」
血濡れたこの身体に躊躇なく触れて、羽織を肩にかける琥珀の手に、琥珀の優しさに私はどれほど救われたのだろうか。
雨は降り続いていたが、もう孤独ではなかった。
…………………………………
─この国の名は『石英』。その首都の隣街。
そこに私達の住み処はある。
住み処に帰ると部屋の温かい空気に包まれた。
私と琥珀は妖狩りの商売をしている。
所謂退治屋といったところだ。
この世には人ならざるモノが存在しており、それらを総称して妖と呼んでいる。
しかし妖には人に害を為すモノも多数いる。
特に「妖鬼」と呼ばれる害を為すモノはこの世の邪悪を取り込んでおり、悪そのものとなる。
邪悪の権化となったモノは闇を好み、闇に住む。
暗闇、最悪なモノは人の心の暗いところに。
私達は依頼を受けてそれらを時に理に還す、つまり消滅させるのだ。
ここはその窓口兼住居である。
とりあえず血塗れの服のままでは居られないので着替えて座り込む。
「くしゅんっ」
「ほら、言っただろう。風邪ひくよって」
くしゃみをすると琥珀がすぐ毛布を持って来てかけてくれる。
少し怒ったような顔で叱るように言われて身体を縮こませる。
心配させたのだろう、さすがに申し訳なくなった。
「熱はないみたいだけど…薬要る?」
「いや、必要ない」
「そんなふうに言っても翡翠は強がりだからなぁ。辛かったら無理せず言うこと、わかった?」
子供に言い聞かせるように説教じみたことを言う琥珀に内心苦笑しながらも、大人しくコクリと首を縦に振る。
琥珀は『癒し手』だ。
退治屋の中でも特殊な『人の怪我を治す』という能力を持っている。
しかし万能なわけではなくある程度、といった具合ではあるが貴重な能力だ。
その上、薬師に弟子入りもしていたので薬の調合もできる。
でも、これまでに挙げた琥珀の能力は一部でしかない。
琥珀の退治屋としての主な能力は、『結界』である。
直接妖と対峙して命のやり取りをする退治師を、『守り手』として命を守る。
それが琥珀の退治屋としての役目だ。
そして直接妖と対峙し、穢れた妖を斬り浄化する。
それが『斬り手』である私の役目。
もう一つ、陰陽術などの術者として妖を浄化する退治師『術の手』もいる。
退治師は主に『斬り手』、『術の手』、『守り手』のこの三つに分けられ、そのほとんどが手を組み、命を預け合い、退治屋として活動している。
私は十歳ほどのとき、琥珀の父に拾われた。
琥珀の父は、琥珀にとって退治屋としての師匠でもあり、私を拾ったのは二人で旅をしていたときだった。
その頃の私の手は汚れきっていて、いつ妖鬼に取り憑かれてもおかしくなかった。
それが善悪の区別がつかなくとも。
それだけしか私が生きるすべがなかったから。
そんな私を最初に見つけ、手を差し伸べたのは琥珀だった。
琥珀達親子に拾われて、食事を与えられ、住む処を与えられ、温もりを与えられ、知識を与えられた。
そのとき初めて、今まで自分して来たことを、己の手が汚れていることを理解した。
最後に名前を与えられた私は、それから退治師として生きることを決め、琥珀と共に修行を重ねてもう十年が経とうとしている。
私は未だに琥珀が何故一緒にいてくれるのか理解できていない。
自分が弱くはない自覚はある。
もう、一人で生きていけることも。
それに、無愛想で不器用なこの私と共にいて得をすることなんて何一つないのに。
(─そろそろ親離れ、いや琥珀離れか)
ぼんやりした頭でそんなことを考えていると、いつの間に離れていたのか、乾いた布を持った琥珀が歩いて来る。
「身体拭くからじっとしてて」
「それくらい自分で⋅⋅⋅」
「はい、動かない。少しだけど怪我もしてるだろう?治すから」
布を取ろうとしたが、その前に琥珀に取られて琥珀の前に座らされた。
「無茶は良くないよ」
「⋅⋅⋅わかってる」
しばらく大人しく琥珀の治療を受けていたが、外でバサバサッと音がする。
「天青かな。ちょっと見て来るよ」
琥珀がガラガラと玄関の扉を開けると一羽の鷹が部屋に入ってきて、琥珀の腕に留まった。
この鷹は私達の遣いだ。
ただし、普通の鷹ではなく妖である。
退治屋への手紙や依頼の手紙を運ぶので、普通の鷹では妖鬼に殺られる可能性があるからだ。
『天青』という名は琥珀が付けた。
「おかえり、天青。ありがとう」
天青が器用に足に結ばれた手紙を嘴でほどいて咥え、琥珀に渡す。
琥珀はその手紙に目を通すと少し険しい顔になった。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅翡翠、依頼だ」
少し危険な依頼なのだろう。
琥珀がこの顔をするときは緊急性か危険性があるときだ。
「大丈夫だ、いける」
何か言いたそうな琥珀を遮るように、刀を手に取り外へ出た。