馬車に揺られて Part.2
大小や、保有数の差に目を瞑りさえすれば、何処の街にだってある馬車の集会所。
アキラのやってきた此処も、やはり他の街で見られるような賑わいがあった。
「ねね、ベーランブルクに行ける馬車どれ?」
馬に餌を与える毛髪に恵まれていない老人を捕まえ、問いかけるアキラ。
「ああ、ウチならベーランブルクまで直行だよ」
これが幸運なことに、彼が彼女の探す馬車の先導だというのだ。
白昼の空の下、二十から三十と集う馬車の中から一発で探し当てたというのは後日酒の席で話せるようなネタだろうが、生憎アキラに酒を飲み交わすほど深い交友を持つ者はいない。
「おっ! じゃあ乗せてよ!」
嬉々として言うアキラだったが、馬に餌を与えている老人は苦笑する。
「いいが……今買い物に行ってるお客さんもいるから、少し待ってもらうよ」
「いいよいいよ、全然オッケー」
そう言って意気揚々と馬車に乗り込んだアキラは、一番奥に座った。
陸路を進む際のポピュラーな手段として、この世界では馬車が用いられる。
勿論、アキラはそんな光景も趣があって好きなのだが、堅い木のベンチに座って縦に横に長時間揺られるのは尻や背中が痛くなって好きではない。
最も、これを好んでいる者などいないだろうが、バスや電車のふかふかな座席を知っているアキラは人一倍辛さを感じるよう。
「ふぅ……また、見ちゃったなぁ、あの夢」
担いでいた麻袋を下ろし、大きく息をつくアキラの口から彼女も気付かない内に独り言が漏れていた。
眠れば、きっと夢を見る。今も窓から差し込む心地よい日差しに抱かれ、瞳を閉じれば夢を見るだろう。
今見るとするならば、さっき見た夢の続きに違いないとアキラは確信を得ていた。
何も、夢の続きを見たくないわけではない。
しかし、彼女がよく見る夢のそれは空想の出来事ではなく、現実に彼女が体験したもう一つの世界での出来事。あえて言うなら前世。
こうして目を開いてボーっとしているだけでも、瞳を閉じれば見れるであろう夢の続きを彼女は見ることができた。
「お兄ちゃん達、元気にやってるかな」
窓の外をボーっと眺めるアキラは、さっき見た夢の続きを思い出していた。
◇
籍を置いていた高校で彼女の周りを囲んでいたのは俗に言うイケてるグループ。
アメリカの学校で良く聞くスクールカーストがこの高校にあるとすれば明良はその最上層にいるのだろう。
帰国子女で英語ペラペラ、中学生時代から今に至るまでキャリアを積んだファンを抱える読者モデル。
トドメには難関大学に通うイケメンの兄がいるときた。
「ねえアキラ、今日暇?」
休み時間になると明良の席の周りは男女で一杯になる。
三年生からの引継ぎが終わってサッカー部の部長になった男子も、そんな彼と付き合う女子も、近所の大きな公園で毎日毎日スケートを滑らせているイケメンだっていた。
「え? 今日?」
明良が首を傾げると放課後よく遊んでいる少女が大きく首を頷かせる。
「うん、皆でカラオケ行こって」
「あーっと、今日ね……」
「もしかして都合悪かった?」
「ああ、うん! そうなの! 今日撮影でさぁ」
そんな言葉に少女を含めた一同は肩を落とし、「撮影なら仕方ないね、頑張って」と寂し気な声で告げた。
誰もが明良の参入を望んでいたのだろう。特に男共は彼氏のいない彼女の隣の席を狙っていたに違いない。
「ゲームやりたい、なんて流石に言えないか」
「アキラ? 何か言った?」
「いやいや! 何でもない! 行けなくて残念だなぁって!」
ついつい心の声が漏出してしまっていたらしいが、それが言葉という形で周囲の人間の耳に届かなかったのは不幸中の幸いだろう。
「今度は絶対行こうね!」
「うん」
笑顔で頷く明良の気持ちに嘘偽りはなかった。
しかしそれはあくまで心の半面に過ぎない。
心の何処かでモヤモヤを溜め込んでいた明良や彼女を囲むグループの下に教卓に近い方の席から話し声が転がり込んできた。
「それでガチ腹立ったからワンパンしてやったわ」
そんな言葉でドッと笑い声が上がったのは教卓の目の前の席で集まる四人の男子生徒達。
すると明良を囲っていた男子のうち一人が面白がって笑い声をあげる男子生徒達の方へ歩み寄っていく。
「何がワンパンって? 俺がワンパンしてやろーか?」
面白がる彼とは対照的に、先ほどまでいい笑顔で笑っていた男子生徒達の顔が引きつり苦笑を浮かべる。
もしもスクールカーストというものをこの高校に当てはめるのならば、明良を含めた彼女の周囲にいる者達は上層の存在。そして顔を引きつらせている地味めな彼らは下層の存在なのだろう。
「竜司やめなって、イジメたら可哀想でしょ」
そんなことを言って明良の周囲でも汚い笑い声が響いた。
中には涙目になりながら顔を引きつらせた彼らを嘲笑う女子生徒もいたが、明良の顔には笑顔の『え』の字すら見えない。
「ギャハハ、袋田まじウケる」
袋田と名指しされた彼を筆頭に集う男子生徒の集団を笑う者達の中で明良は笑顔を見せず、かといって不愉快そうに表情を曇らせてもいない。
関係ない。自分とは無縁の人物と出来事。きっとその程度にしか考えていないのだろう。
否、そう考えられずにはいられなかった。
(あーあ、私もあんな風に好きなことを好きなだけ話せたら楽しいだろうなぁ)
心の中で響き渡った自身の声は明良の胸を強く締め付ける。
窓の外へ視線を逸らしてもやはり、その一念が頭に焼き付いて離れなかった。
学校が終わると明良は一目散に自宅へ向かった。
無論、今日は撮影などない。
「たっだいまー」
機嫌の良い明良の声がマンションの一室に響き渡ると、暗がりの中ですぐさま自分の部屋へ入った彼女は電気をつけることも忘れてテレビとゲーム機の電源を入れた。
「袋田達のこと、ちょっとは羨ましいと思ってたりして」
幼い頃から兄の傍でずっと彼のプレイするテレビゲームを見てきた明良、それから歳を重ねるにつれて色々なゲームソフトを買っては遊んだ。
アニメや漫画のことは知らないが、ゲームに関してならきっと白昼笑いものにされていた袋田達と楽しく会話ができるのだろう。
そんなことを考えながら部屋の電気をつけ、リビングへ足を運んだ。
「私がこういうの好きって言ったら、皆どんな反応するんだろ」
リビングの扉を開き、冷蔵庫に入っていたジュースとテーブルに置かれた棒状の菓子を箱ごと手に取る。その足取りは非常に軽快で、これから始まる至福の時間へまっしぐら。
――――と、思ったのだが。
「んあ、あ……おう、帰ってたのか」
「お兄ちゃん!?」
流行りの歌を鼻で鳴らしでもしてみようかとした瞬間、暗いリビングのソファーで人影がむくっと起き上がった。
「お前……」
寝癖で暴れ回る髪をかきむしりながら眠たそうな目でソファーから起き上がった彼の視界に映ったのは、ジュースとお菓子を両腕で抱えて部屋へ戻ろうとする妹の姿。
「マジで太るぞ」
「うるさい!」
年頃の少女ならば誰しもが敏感になっているであろう台詞に大声をあげて噛みつく明良。
「帰ってたんなら電気ぐらいつけなよ、ビックリするから」
「今日これからバイトだから、すぐ出ていくつもりだったんだよ」
体を起こして大きな欠伸をする兄・笠原総司の姿を見る明良の顔も、お菓子を抱えて嬉しそうにする妹・アキラを見る総司の顔も、似たような呆れを装っていた。
「じゃあ、俺そろそろ準備して行くから」
ソファーの上で一息ついた総司が告げる。
「そうすれば」
幾ら実の兄とはいえ、ジュースとお菓子を抱えて嬉しそうにする姿を見せたいものではないらしく、明良の態度は非常に冷たかった。
「あと、さっき母さんから連絡あった」
「お母さんから?」
「電話くらい出ろよ、仕送りもしてもらってんだからさ」
総司と明良の実家で夫婦仲良く暮らす母からの電話。
それは勿論、明良の携帯にも再三かかっていたのだが、彼女は通話ボタンを押さなかった。
「いいよ、別に」
母の話を振られた途端に浮かれていた明良の表情が曇る。
「よくねえよ、お陰で俺の携帯に連絡が掛かってくんだから」
「やめてって言えばいいじゃん」
口を尖らせて不機嫌そうな面持ちを総司に向けるも、彼は一切動じなかった。
「お前がちゃんと食べてるかとか、モデルの仕事はちゃんとできてるかとか、お前の近況ばっか聞かれて俺はお前の飼育員じゃねえんだっつの」
「だったら――」
「お前がどう思っていようが、あっちはお前のこと心配してんだよ」
「……お母さんが」
母が、父が、娘である自分のことを愛してくれている。例え何度喧嘩をしても、その度に親は子を愛している。
そんなことは明良にも理解できていた。
「私なら心配ないからって……伝えといてよ」
そう言い残して明良はジュースとお菓子を抱えたまま自分の部屋に戻って行ってしまう。
「お前の口から聞かねえと意味ないだろ」
呆れた様な溜め息と共に吐かれた総司の言葉はリビングの仄暗い闇に消えていった。
◇
かつての自分の思い出に、何処か遠いところを見つめるような目をするアキラ。
ふと我に返ると、買い物に行っていたという他の客が馬車に乗り込んできていた。
「どうも」
ふくよかで人当たりの良い婦人に挨拶され、アキラも同じく「どうも」と笑顔で返す。
荷物と乗客が馬車の荷台に乗ったのを確認すると、先導の老人は馬車の先頭で手綱を握った。
「では、ベーランブルクへ出発します」
カラカラと音を立てて動き出した馬車は、他の商人旅団と合流し大所帯でベーランブルクを目指す。