悲劇の花嫁は涙する Part.1
ベルディヤヒ・ミルドバーグは朝礼の際に、毎日言っていた。
「我々は決して帝国の圧力に屈してはなりません」
司教だった彼女の言葉をありがたく受け止める教徒達。その中には各地から巡礼に来た司教達が顔を見せることもあったし、当時司祭だったレオーナも度々母であるベルディヤヒの言葉をありがたく聞いていた。
「ラグ・マリアのありがたき教えを説き、人々を救済するのが私達の役目です。
聖典に記された新しき世界というものがあるとするならば、それは長らく続く皇帝政権が撤廃し人民がそれぞれに権利を持つ世界でしょう」
皇帝と、その周囲にいる者達が絶対的な権利を握る皇帝政権を否定し、民主制の国家政策を唱えるのはかつて皇室専属の召喚師家系であったマハト家の思想だ。
だが、彼女のその言葉を否定する者は教徒の中に一人もいない。
ラグナ教徒ならば誰しもが幾度となく読んだラグ・マリアの聖典。そこに記された新しき世界という曖昧な言葉にベルディヤヒは自らの望む世界を照らし合わせ、教徒達に解いた。
そして、彼らは皆ベルディヤヒの提唱する新しき世界を受け入れたのだ。
勿論、ベルディヤヒが総司教コヨーテの下に嫁ぐ以前から熱心な教徒だったというのも理由の一つだが、何より大きな理由は彼女自身の人柄だろう。
優しく大らかな彼女は誰にでも分け隔てなく接し、心底教徒達の生活を案じていた。きっと彼女が皇帝政権に否定的なのも、彼女が祖国とそこに住まう国民のことを想う優しさに違いない。
――――誰もがそう思っていた折、レオーナは見つけてしまった。
「ベルディヤヒ司教、少しお時間をよろしいでしょうか」
私室にノックの音を転がしたレオーナの声に、室内で座ってくつろいでいたベルディヤヒは快く「どうぞ」と彼女を招き入れる。
「なんでしょう、レオーナ司祭」
「その、ベルディヤヒ司教はラグ・マリアの教えを説くことで人々にラグ・マリアの加護を与えようと……しているのですよね」
するとベルディヤヒは表情を緩めて小さく笑う。
「二人きりの時はいつも通り呼んでもらってもいいわよ、レオーナ」
「……母様、私は母様のことを信じています」
不安そうな顔をするレオーナを前に、ベルディヤヒは首を傾げた。
「ありがとう、どうかしたの?」
純粋に疑問をぶつけてくるベルディヤヒ。妙に口籠っていたレオーナだが、深呼吸で意を決して不安を声に出す。
「先日、母様が祈りの塔に捧げた大きな杯……あれは帝国を崩壊させかねないという強力な召喚スキルが刻まれたアイテムでしょう」
レオーナの口から出てきた思いもよらない言葉に、ベルディヤヒは少しばかり硬直した後、口を開いた。
「何故それを?」
「これまでに比べてその、高価に見える供物だったので……母様と親しい司祭に聞きました」
「魔眼を使ったのね」
「申し訳ありません」
苦い顔で深く頭を下げるレオーナ。しかしベルディヤヒは微笑んで首を横に振る。
「あなたの才能をあなたが使うことを、私は決して否定したりしないわ。
マハトの血とミルドバーグの血、双方を濃く継ぐあなたは自慢の娘よ」
人の心を魅了し、意識を自分一人に向けさせるレオーナの“魅了する魔眼”の力を使えば、対象外である『女性』と『女性に一切興味のない男性』でない限り彼女の言うことを聞いてしまう。
母であるベルディヤヒは勿論レオーナの魔眼の能力を知っていたし、幾ら自身に関わることとはいえ彼女の持つ才能を使うことを否定したりしない。
「確かに母様の解釈する新しき世界の訪れは私達教徒一同も望んでおります。
皇帝政権を撤廃させて国民一人一人が権利を持つ帝国に変えるという所業がどれだけ困難な物かも心得ています。
しかし、その為に帝国を力で崩壊させようとしているなら考え直してください! 私の知る優しく寛大な母様にそんな真似をしてほしくありません!」
木の椅子に座っていたベルディヤヒはレオーナの必死な訴えを聞き、ゆっくり立ち上がる。
「あなたの言う通り、祈りの塔に捧げた“ネフティスの聖杯”は実力行使を目的としたものよ……でも、それはあくまで交渉の手段に使おうと思っているだけ」
「交渉の手段、ですか」
「今は過激な反帝国ギルドも教団の傘下にいるから、帝国とウチの関係も少しギクシャクしてるの。
でも大丈夫、私達は皆神の下に生まれた平等なる人の子……分かり合える運命にあるのだから」
一時は不安に駆られていたレオーナも、ベルディヤヒの真意を聞いて安心したようで胸を撫で下ろした。
あくまでベルディヤヒは帝国と教団のギスギスした現状を平和に解決しようとしている。過激な行動を起こすギルドとも、エヴァネスヘイム帝国とも、彼女は分かり合えると信じている。
やはりそこにいた自分の知っている寛大な母の姿に安心し、笑みが零れたレオーナ。
それからもベルディヤヒは自らの言葉通り、異なる思想を持つ者同士でも分かり合えることを信じて尽力した。
各地で教団傘下のギルドと帝国の対立が激化し、刃が交わる中でベルディヤヒは一人剣も握らず戦った。喜ばしい出来事があれば、その数倍は悲しい出来事もある。
だが分かり合う為の戦いを続けた。続けた結果――――教団を危険視した帝国の一声で命を絶たれた。
◇
三年前、ベルディヤヒが死んだという報せを受けた日のことをレオーナは鮮明に覚えている。
中庭の上空で動きを止められ、落下するバハムートの背に乗っていた彼女の頭の中を駆け巡ったのは、母と過ごした何十年という記憶の数々。
優しかった母。強かった母。どれもどれも、レオーナの愛した母。
「嗚呼、何故……何故だ……」
ベルディヤヒの墓前で復讐を誓ったにも関わらず、復讐は潰えようとしている。
その悔しさからか、レオーナの瞳から零れた涙が宙を舞って弾けた。
「母様は間違ってなどいないのに……私は母様の無念を晴らそうとしただけなのに……」
叩き落とされると同時に光の粉となって姿を消してしまったバハムートの背から中庭の芝生の上に落ちたレオーナは、頭をぶつけて額から流血してしまう。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!」
血を流し、涙を流し、叫び散らしたレオーナはウェディングドレスの華麗さを打ち消してしまうほど醜かった。




