ブラックマーケットブルース Part.7
フロッグが超人的な跳躍力で地面を蹴り飛ばすと同時に、彼の口から流れ出していた唾液が宙を汚く舞う。
「来ます!」
「くっ、こんな時にスキルが使えないなんて」
自在にスキルを使うことのできるユダとフロッグ。二人とは対照的にクリスは、首につけられた『スキル封印の錠』の影響でまともに戦うことすら困難な状況。
フロッグとユダ達の距離は走って十秒程度はかかるだろうという距離。しかし、その距離をフロッグはたった一度の跳躍で縮めてしまう。
「この人の狙いは私です、クリスさんは離れて!」
右と左、二手に分かれて飛び退いた彼女達。
フロッグが顔を向けたのはユダの方で、小さく「えるふ、えるふ」なんて気色悪い独り言も発している。
「しかしっ!」
「エルフ喰わせろぉ!」
ユダの手助けをする為、一歩踏み出そうとしたクリスの足を理屈が引き留めた。
今のスキルが使えない彼女など、多少戦闘の心得があるだけの只の女。
非力な細い腕で振るう剣では、ピョンピョン飛び回ってユダを追い詰めるフロッグを止めることなどできはしない。むしろ足手まといになるのが関の山だろう。
「こんなもの一つで……私は……」
首輪を力付くで取り外そうと試みても、細い腕ではびくともしてくれない。
自分の非力さを嘆いている間にもユダは魔法を幾度となく放ち、そしてかわされ、追い詰められている。
そして――、
「うっ!」
フロッグの超人的跳躍力を生み出す脚が、ユダの横腹を蹴り飛ばした。
「捕まえた、捕まえた……」
強い衝撃に飛ばされ、壁に客席に叩きつけられるユダ。
なんとか起き上がろうとするも、既に飛び上がったフロッグの大きく開いた口が迫っていた。
「これでも……食べててください!」
痛みに怯む体に鞭を打ち、放った火の玉は先程までのそれとは比べ物にならないぐらい素早く、的確にフロッグの口を燃やす。
――――が、フロッグは火炎すらも喰らい、胃袋の中に収めた。
「そんな!?」
慌ててその場から飛び退くユダだったが、フロッグの歯が彼女の左足に立てられる。
「あああああああっ!」
皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕く。
絶叫し涙を流すユダの悲惨な光景を前に、クリスはこれが現実かどうかを疑いもした。
人が人を、生きた人間を喰おうとしている。フロッグは口だけでユダの全身を持ち上げ、逆さ吊りになったユダの額を悲痛の涙が伝う。
「今……なら……」
フロッグが咀嚼する左脚から血液が頭の方へ流れ、歯が骨を砕こうとする度に激痛が全身を襲った。
それでも何とか意識を保ち、ユダは自らの右手に炎を宿す。
「はああぁぁぁぁ!」
激痛を誤魔化すように再び絶叫し、右手に宿した炎をフロッグの腹部に向け放つ。
食事に夢中だった彼の腹はかなり小規模の爆発を起こした。
しかし小規模といえど威力と殺傷能力は高かったらしく、ユダの左脚を喰う大口を開き、フロッグの体は後方へ大きく弾き飛んだ。
逆さ吊りになっていたユダは、そのまま地面に落下し頭から地面に激突。血を流すも、千切れ掛けで機能しない左脚に比べれば大分軽傷である。
「はぁ……はぁ……」
腕で涙を拭い、荒げた呼吸を整えようと試みるも、全身が痛みに疼いて仕方ない。
「いてぇ、いてぇよぉ」
火炎弾を撃たれ、黒焦げになった腹を抑えて悶えるフロッグだったが、それでもまだ立ち上がる元気はあるよう。
「あの距離で受けて……まだ立ちますか……」
ほとんど零距離で火炎弾を放たれれば並大抵の人間、それこそステージ上に転がっているゴロツキ共なら重傷で立ち上がれないか、最悪死ぬ。
それでもフロッグが立ち上がれるのは、大方魔法耐性の抵抗スキルでも心得ているのだろう。
「だったら、もう一度……」
仮面の下の瞳が再び自分の方へ向けられているのを察したユダは、すぐに火炎弾を放つ。
左脚が機能せず立ち上がるすら困難な今、こうして距離を保たなければ今度こそ本当に喰われてしまう。
だが、ユダの思惑とは裏腹に、フロッグはまたしても魔法を大きな口で平らげた。
「やっぱり、さっきのは見間違えじゃない……あれも何かのスキル……」
痛みか、焦りか、ユダの発汗が止まらない。
「――――クリスさん?」
フロッグの姿を凝視していたユダの視界の隅の方に映ったのは、剣を両手で握るクリスが駆け出す決定的な瞬間。
幸い、フロッグの意識はユダの方へしか向いていないので駆け込んでくるクリスには気付かない。
「スキルなどなくたって、私も帝国兵だぁ!」
周囲の情報を一切遮断し、ユダに狙いを定めていたフロッグがようやく接近するクリスに気付いた時、既に突き立てられた剣の切っ先は目の前まで迫っていた。
――しかし狙いが悪い。
あろうことか、クリスの突き立てた刃はフロッグの顔面を狙っていたのだ。
フロッグは避けようともせず、開いた唾液まみれの口を勢い良く閉じ、剣の刃を嚙み砕く。
「何っ!?」
歯で刃を砕くという超人的な技を目の当たりにしたクリスを、驚愕と絶望が襲った。