ブラックマーケットブルース Part.6
バーキンスが普段使う部屋と貴族の客を招き入れるオークション会場以外の環境は、彼の部下達が使う地下一階であるにも関わらず酷いものだ。
歩けば足下でほこりが舞うし、従業員通路に設置されたランタンの数も少なく薄暗い。
「ハンターの野郎、遂に来やがったか……大事な商売の邪魔しやがって、ムカつく」
募る苛々を吐き捨て、バーキンスは書庫の前に姿を現した。
「バーキンスさん? どうしてここに」
書庫の守りを固める六人のゴロツキ達には、彼がここに姿を現したことが意外だったようで、それぞれ驚きを口にする。
「ハンターが来たからに決まってんだろ、あいつはこの中のリストを狙ってやがる」
あたかも当然のように告げられた言葉に、ゴロツキ達は疑問符を頭上に浮かべて首を傾げた。
それも一人や二人だけでなく、全員。
「どうした? ハンターは来たか?」
「あの、バーキンスさん? リストなら金庫の方に……」
「はぁ?」
大口を開けて威嚇のように問うバーキンス。
「だって、バーキンスさんが昨日、こっちにフェイクを置いて本物は金庫に入れるって持って行ったじゃないですか」
「俺が……? リストを……?」
初めて聞いたようなバーキンスの言い草は、全員の背筋に悪寒を走らせた。
悪寒を感じたのはゴロツキ達だけにあらず、バーキンスも同様だったよう。
「おい、俺が金庫に置くところを見た奴は?」
恐る恐る口を開き、バーキンスがゴロツキ達に問いかけてみる。
「今金庫を守ってる奴等なら、見てるんじゃないすか」
「おい、今すぐ金庫に行ってそん時のことを聞いて来い」
「はい?」
「今すぐだ! さっさと行け!」
突如放たれた怒号に怯え、ゴロツキの一人はすぐさま金庫に向けて逃げるように走り出してしまった。
彼の震える背を見送った後、バーキンスが慌てて書庫の扉を開いて中に足を踏み入れる。
「俺はそんなことはしてねぇ……まさか……」
急いで書庫の中にある紙袋を手に取り、中身を確認したバーキンスは思わず絶句した。
「馬鹿な……」
「どうしました?」
悪寒を感じながらも、まだ真相に辿り着くことのできないゴロツキ達。
全てを悟り、冷や汗を流すバーキンスの姿を見ても、いまいちピンと来ていないらしい。
「ハンターだ! 昨日ここに来たっていう俺がハンターに違いねえ! 偽物にすり替わってやがる!」
袋の中身が偽物だと分かるや否や、バーキンスは地下の壁に幾度となく反響するほどの大声をあげる。
「ハ、ハンターがっ!?」
バーキンスのあげた大声はゴロツキ達にかつてないほどの衝撃を与えた。
昨日、自分達の目の前に現れたバーキンスが本当は偽物で、今目の前にいるバーキンスこそ本物のバーキンス。
にわかには信じ難い話だったが、目の前のバーキンスの焦り様を見れば、それが真実か否かは一目瞭然。
「金庫の奴等に伝えろ! それから探せっ! さっきステージにハンターが出たって話だ、まだ地下にいるに決まってる!」
腕を振るってゴロツキ達に指示を与えると、彼らは皆で頷き合って書庫の前から散り散りに消えていった。
偽物の入った紙袋を手にし、勝利の笑みを浮かべるバーキンス一人を残して――――。
「にゃはは、ちょろいちょろい」
書庫の中、それから付近の通路に誰もいなくなったのを確認した後、表情を崩したバーキンスの口調がガラリと変わる。
そして、その皮膚も服装も光の粉となって消え去っていき、中から黒マントで全身を覆うアキラが姿を現した。
「私の演技ったら、アカデミー賞も夢じゃない領域に到達してしまった」
焦りも、冷や汗も、怒号も、全ては演技。
アキラがバーキンスの姿を借りて行った完全無欠の演技。その出来は思わず本人ですら感銘を受けてしまったほど。
「経営者様と本物は金庫……ねぇ」
嬉々とした笑い声と共にアキラは書庫から飛び出て走り去っていった。
◇
ステージ裏から微かに聞こえた爆破音と、ピエロに容姿を偽装したアキラが張った煙幕。
それだけでも客席に座っていた紳士淑女達は大慌てで逃げていたというのに、ステージとステージ裏を仕切る壁が爆破されるや血相を変えて出口を目指した。
「何が起きてやがるっ! それよりピエロ……ハンターは何処だ!」
爆風により蹴散らされた白煙の中にアキラの姿を見つけられるはずもなく、ゴロツキ達の表情にもまた焦りの色が見えていた。
「どうやら、こちらも上手くいったようですね」
騒然とするオークション会場を目の当たりにし、ユダは安寧の息を漏らす。
「どういうことだ? 協力者か?」
崩壊したステージの瓦礫を踏み、オークション会場に姿を現したユダの隣でクリスが問い掛けた。
さっきまでは鎖に絡めとられて傷だらけの体を起こすことすらできなかった彼女も、ユダと同様に自らの足で立っている。
「そんなところです、ところでベーランブルクには大規模な帝国軍の駐屯所があると協力者から聞きましたが……これだけの騒ぎが起こればここに踏み入ることもできるのではないでしょうか」
まだ立っているゴロツキ一人一人に火の玉をぶつけていくユダの顔は何処か涼し気で、気味悪さすら感じた。
「まさか、この騒ぎはその為に?」
大方、逃げ出した者達の先頭は美術館を出ていることだろうし、そうなればベーランブルクの街にも騒ぎは伝わっているのは間違いない。
「話を聞く限り、ここの経営者陣営には厄介な者達がいるそうなので、帝国軍が状況をかき乱してくれるのは私達の望むところです」
ステージ上に転がる息をしているかどうかも定かではないゴロツキの手元から剣を拾い上げ、数度振ってその心地を確かめるクリス。
あまりにも用意周到なユダと彼女の協力者の作戦に感心せざるを得なかった。
「傷の男バーキンス、ここの経営者はそう呼ばれて裏社会からも我々帝国軍からも恐れられるような邪悪な男だ。
他にも狂岩石フューリーと呼ばれる貞操観念の狂った強姦魔や――――」
安物の剣がようやく手に馴染んだのを肌で感じていたクリスの言葉を遮るように、貴婦人の断末魔が会場の壁に反響する。
「うめぇ、うめぇ……高価で……上質で……良い肉だ……」
断末魔をあげた貴婦人は既に四肢を千切られ、ただの肉塊と化し、鼻から上を仮面で覆った猫背の男に喰われてしまっていた。
あまりにも非現実的で残酷な光景にユダもクリスも絶句。
「なんですか……あれは……」
人を喰らう。常軌を逸した男の登場に会場を包む悲鳴は大きさを増し、互いを怪我させてまで逃げようとする人々を続出させた。
「喰人鬼フロッグ、人の肉を生で食べるという頭のおかしな悪人だ」
仮面の下にあるフロッグの瞳にユダとクリスの姿が映った瞬間、彼は口角を不気味に吊り上げる。
「うひひ……エルフだ……若い女のエルフだ……美味そう……」
洪水のように大きな口からあふれ出る唾液は、見る者に全身が痒くなるほどの不快感を与えた。