ブラックマーケットブルース Part.5
夜が明ければオークションに向けた準備が始まる。
ハンターの予告状との兼ね合いもあって、やけに騒がしいアーノルド=モンド美術館の地下一階。
その更に足下、地下二階にいても上の階を右往左往する足音は聞こえた。
「誰、ですか」
しかし、ユダの尖った長い耳が捉えたのは上から聞こえる足音でなく、自らを囚える牢に近付く軽快な足音。
「見回りとか考えないんだ」
這うように鉄板の地面に転がったユダが顔を上げる。
仄暗い格子の向こう側に見えたのは、黒いマントで全身を覆った人影。深く被ったフードの中には仮面が見え隠れしていた。
「足音が軽かったもので、少女は上の階にいませんから」
細い腕を地面に立て、傷だらけの体を起こすユダ。
「さっすが狩猟民族のエルフ、私の判断に狂いはなかったってわけだ」
「奴隷商の仲間……ではなさそうですね」
「あんな奴等と一緒にされたら温厚な私も怒るよ?」
「申し訳ありません、確かにあなたからは彼等に感じた邪悪な気は感じません」
瞼の上の傷のせいで両目を薄くしか開けないユダの視線の先で、黒マントは「ふふっ」と笑い声をあげた。
「ザンネン、私はあんたの思うような聖人じゃないわよ? だから勿論あんたを無償で助けに来たわけじゃない」
嘲る様に笑う黒マント。彼女からの言葉にユダも口元を緩める。
「無償で、ですか」
黒マントは何かを腹に抱え、自分の前に姿を現した。
逸早く察したユダは足首や手首から繋がる鎖をジャラジャラと鳴らし、格子の方へ這って行く。
「私は泥棒、ハンターって言えば分かるんじゃない? 自分で言っちゃうのも照れちゃうけど、結構有名人だったりするから」
「小耳に挟んだ程度ですが存じてます……そうですか、あなたが噂のハンターでしたか」
「えへへ、噂のとか言われると更に照れるなぁ」
フードの上から頭を掻きむしり、緩み切った態度を隠そうともしないアキラ。
「その名の由来も分かった気がします……私達の狩猟着を着てるということは、あなたもエルバーナに御心を捧げた同族でしょうか」
薄っすら開いた瞳が見つめるアキラの容姿は彼女にとって非常に馴染み深いものであった。
「残念だけど同族じゃないよ、この服は知り合いがくれたものなの」
狩猟民族であるユダ達エルフ族が、狩猟を行う際に纏う正装のようなものこそ、アキラが身に纏っているマントと仮面である。
そもそも、ハンターという名前もこの容姿が先行し、周囲からつけられた通称。
「色々と聞いてみたいものですが、きっとあなたは答えてくれないでしょう」
「こういう仕事やってるから身元バレは厳禁なの」
鎖にさえ繋がれてなければ手で触れられそうな距離まで近付いたユダは少し残念そうに笑った。
「それで、有名な泥棒であるあなたがヒューマンに捕まるような非力な私に何の話ですか」
「非力だなんて謙遜しないでよ、仕事柄色んな所を飛び回って色んな人を見てるからエルフの持つポテンシャルの高さは重々理解してますよ?
どうせ捕まってるのも卑怯な罠にかかったとか、そんなことでしょ?」
ユダは首を小さく横に振って否定する。
「罠であろうと、かかるようであれば非力であることに変わりありません、私達が魔物にしてきたことと同じです」
「ポテンシャルが高いってのは否定しないんだ……。
ま、まぁ、そんなあんたを見込んで私の協力者になって欲しいの」
一瞬だけ呆れたような表情を仮面の下で浮かべたが、すぐに真顔に戻って腰元から一本の変形した針金を取り出し、ユダに見せつける。
「それは?」
「これであんたの首についてるスキル封印の錠は外れる。
ちょっとチープかもって思うかもしれないけど、ここの奴等が持ってるそれは安っぽい作りした廉価版みたいなもんだから外すのも容易いわ」
「本当に、それでこの首輪が……」
死を視野に入れ、余生を楽しむ老人にも似た瞳をしていたユダだったが、その目にほんのり希望が灯った。
「それとそれと、こっちは真似して作った偽物の錠」
続いてアキラが取り出し、見せびらかしたのはユダの首についている『スキル封印の錠』と酷似した只の鉄塊。
装飾などなく無骨なデザインではあるが、瓜二つのクオリティの高さにユダは目を丸くして驚いていた。
「私があんたを解放してあげる、その代わり私は明日のオークションで一騒ぎ起こすから便乗して欲しいの」
「時が来るまでは偽物の首輪を使って、売られる奴隷を演じていろ……と?」
「御名答っ!」
アキラの嬉々とした声に、壁に突き刺さった松明の火が小さく揺れる。
「信じるのですか? 今しがた出会ったばかりの私を」
「こういう仕事って出たとこ勝負みたいなとこあるしねぇ、それとあんた達って契約や約束には忠実なんでしょ?」
あまりにも唐突で無鉄砲なアキラの案だったが、ユダは呆れなど見せず微笑みながら頷いた。
「分かりました、どうせこのままでも下衆なヒューマンのいいようにされて捨てられるだけです……私の命を預けてみましょう」
話を聞くだけで明るくしてくれるような楽天的な性格、そしてハンターという泥棒には実績がある。
絶望の淵に立たされていたユダが彼女を受け入れるまで時間はかからなかった。
「交渉成立っ、よろしく頼むよユダちゃん」
「何故、私の名を」
「ここの商品リストで見たからね、リストを見た時にピーンと来ちゃった!」
「喜んでいいのでしょうか」
ハンターの手を離れた針金がユダの手元に放り投げられる。
「いいのいいの、素直に喜んじゃってよ……そんでもって私とのOne Night Loveを愉しみましょ?」
「わ、わん……えっと、はい」
分からない言葉でも、ぼんやりとしたニュアンスだけは伝わったようで、針金を手に取るユダがもう一度頷いてみせた。