ブラックマーケットブルース Part.3
流す涙も枯れ果てた彼女を高額で買い取ったのは帝都郊外に豪邸を構える独身の貴族紳士だった。
これから自分がどうなるのかも、彼女は知っている。そして受け入れている。
――そうするしかないのだ。
「買い取り先が決まって良かったな、もうちっとだけそこで待ってな」
ゴロツキに首輪から繋がる鎖を引っ張られ、エルフの女はステージ裏に放り投げられた。
「貴様っ!」
粗暴な行動に歯を立てたのは一部始終を地面に這いつくばりながら見ていた帝国兵だという赤毛の女。
「あぁ? なんだ? テメェもどうせ誰かに買われんだ、大人しくしてろアバズレ」
反抗的な目に覚えた憤りをぶつけるように赤毛の女を蹴とばし、ゴロツキは次の商品を運ぶ為ステージ袖に向かう。
ステージ裏にいるのは赤毛の女とエルフの女を含む奴隷として売り飛ばされる力無き者達と、それを見張る数人のゴロツキ。
見張りのゴロツキにばれない様、赤毛の女はゆっくりと地面に転がるエルフの女の下へ近付き、小声で語り掛けた。
「酷い目にあっただろう、心中察する」
しかしエルフの女は何も答えてくれない。その極限まで弱り切った彼女の姿は赤毛の女の胸を余計に締め付ける。
「私がこうして捕まってることは帝国軍の仲間達にも伝わってるはずだ、彼らなら必ず助けに来てくれる」
ただ一人、不義を見過ごせずブラックマーケットが開かれるこの美術館に乗り込んだ。
勿論、彼らの後ろに巨悪が潜んでいるのも知っている。
しかし人を食い物にし、のうのうと生きる悪を見逃すことなどできなかった。それが彼女の正義なのだから。
「だからもう少し、もう少しの間だけ……我慢してくれ」
なんとか希望を与えようと小声で必死に訴える赤毛の女。
彼女の訴えに応えたのか、エルフの女が遂に口を開いた。
「ありがとうございます、あなたはとても強く……優しいのですね」
「そんなことはない、私はただ帝国軍として勧善懲悪を成すだけです」
善が悪に喰われるような間違いを正せる。そんな夢を見て彼女は帝国軍の門を叩いた。
ならば、こうして悪を敵視し何の罪もなく奴隷として非人道的な扱いを受けるエルフの女を助けようと試みるのも当然のこと。
「こんな絶望的な場所でも輝くあなたの存在は一生忘れないでしょう……できれば、名を……」
「クリス、あなたは?」
「ユダです」
クリスと名乗る赤毛の女と、ユダと名乗るエルフの女。
二人は神妙な面持ちで互いの為に頷き合い、
「ユダ、あなたの希望を祈る」
「こちらこそ、主神エルバーナにあなたの希望を祈ります」
互いの為に祈り合った。
買い手が決まったのか、絶望に打ちひしがれる奴隷の男が一人、また一人とステージ裏に投げ出されてくる。
あまりにも痛々しい光景にクリスは目を塞ぎ、怒りを口にした。
「こんな奴等、野放しにしていていいはずがない……なのに、帝国軍は……」
「単身でこの場に乗り込んだのですか? あなた自身の正義を貫く為に」
怒りに拳を震わせるクリスに、穏やかな口調でユダが問い掛ける。
「これほどの邪悪を野放しにするなど決してあってはならない。
幾ら帝国がふざけた命を出そうとも、そんなものに傾ける耳など持ち合わせるつもりはない」
「気高く強く、そして美しい……ヒューマンにしておくには勿体ないお方です」
思わずクリスは自分の目を疑った。
それもそのはず、あれほどまで絶望に浸ってしまっていたユダの瞳に光が宿り、小さく笑ったようにも見える。
「ユダ?」
美しいことで知られるエルフ族の笑顔は絵画でも見ているかのようで、同じく女性のクリスの心すら虜にしてしまうほど。
「あなたにはきっとエルバーナの加護がありましょう、私達エルフ族は契約や約束事に対し忠実な種族です。
これは世辞や出任せなどでは決してありません、あなたの無事をここに私が約束しましょう」
そう言ってユダはボロボロの布切れを纏う体を起こし、二本の細い脚で立った。
「なんだ? 何をしてる」
見張りのゴロツキ達が唯一、自らの足で立つユダに気付くまで時間はかからず、すぐに歩み寄ろうと一歩踏み出す。
刹那、ユダの手から出た火の玉がゴロツキ達に襲い掛かり、ステージ裏で轟音と共に爆発した。
「なにっ!? 馬鹿な!」
間一髪のところで火の玉を避けた一人のゴロツキ。その表情には隠しきれない焦りや驚きがにじみ出ている。
「ユダ!? 何故、今魔法を……」
驚きを隠せないのはゴロツキ達だけではない。クリスも、周りにいるユダと同様の首輪をつけた奴隷達も、皆一様に驚いていた。
「スキル封印の錠をつけられながら、何故魔法を使えるのか……そう問いたいようですね」
ユダ達の首に着けられた首輪は『スキル封印の錠』といって、ごく一部でしか出回っていない貴重なスキル系統を一切封じるレアアイテム。
これをつけられれば、どれほど有名な魔法使いであろうとも無力化されてしまうのだが、彼女は首輪を与えられながら魔法を使ってみせた。
「簡単なことです」
客席からざわめきが聞こえ、ステージからドタバタと走ってくる足音が聞こえる。大方、ブラックマーケットを警備しているゴロツキ達のものだろう。
それらの音に耳を傾け、微笑を浮かべるユダは左手に炎を宿し、右手で首輪を容易く外して地面に投げ捨てた。
「これ、偽物なんです」
ステージから慌てて戻って来たゴロツキに左手に宿していた炎を投げつけ、爆破させる。
「なっ! テメェら、捕まえるぞ! バーキンスさんに見つかったら俺達が只じゃすまねえ!」
ブラックマーケットを経営するバーキンスに怯え、自身に鞭を打つゴロツキ達。
仮面を着けた紳士淑女のざわめきなど気にもせず、ステージから全員が裏手に回ってきたのだが、その瞬間的な判断が間違いだったのだろう。
壁を一枚挟んだステージの方から喉が張り裂けんとばかりの笑い声が空気を揺らした。
「ステージ裏で何やらアクシデントのようですが、ご安心ください!」
笑い声の主は進行役を担っているピエロ。そして彼は甲高い声でざわつく紳士淑女に両腕を広げて訴える。
「SHOWにアクシデントはつきもの、そうでしょう? そうですよねっ!」
元々高かったテンションが更に高揚し、暴走気味のピエロ。
「おい、あのピエロを止めてこい、これ以上会場を煽るんじゃねえ」
ステージ裏でユダを取り囲むゴロツキ達の内、何人かがピエロの会場を煽るような進行を止めようと動き出した。
だが時は既に遅いようで、ピエロの進行は次のステップへ移ろうとしている。
「さあさあ続いての商品はこれ! 皆さん、ご覧ください!」
歌劇場の壁に反響する声と共に取り出したのは、片手でギリギリ収まるかという球体。それも両手に一つずつ。
「おいピエロ、お前もう下がってろ」
袖から出てきた三人のゴロツキ。強面で筋肉質な彼等だ、普通なら怯えて逃げるのだろうがピエロは怯えの一つすら見せない。
「白けたこと言わないでもらえる? SHOW TIMEはこれからなんだからっ!」
言い放ち、ピエロは手に持った球体を地面に投げつけた。
球体の表皮は衝撃で割れてしまい、中から噴き出した白煙が一瞬にしてステージを覆い隠してしまう。
「何ッ!?」
「あのピエロ! 何をしやがった!」
先の爆破音と合わせてピエロの行動が会場を恐怖のどん底に陥れ、客席の紳士淑女達が絶叫と共に大慌てで出口を目指した。
八百から九百という人間が一斉に動くのだ、大混乱は免れず出口付近で人が詰まってしまい「早く行け!」など先程までの高貴な振る舞いと一転、汚い言葉が飛び交う。
「あらら、これからが面白いのに、勿体ないの」
白煙の中から大混乱を耳で察したピエロ。
声と白煙が包む前に見た情報を頼りにゴロツキが襲い掛かって来るも、まるで白煙の中でも周囲が見えているように華麗にかわされてしまう。
「このっ! 何者だテメェ!」
乱暴に拳を振るうも、そんなものが当たるはずもなく白煙漂う空気を叩くだけ。
客席に座っていた者達だけでなく、警備を任されたゴロツキ達までも混乱している模様にピエロは愉快そうな笑い声をあげた。
「にゃははっ! 聞いて驚け、ガラの悪い諸君! 怪盗ハンター様が予告した通り、やってきたぞ!」
客席で警備をしていたゴロツキ達も白煙の中に飛び込んでみるが、ピエロは――――アキラは捕まらない。
それどころか白煙の中で影すら見当たらなかった。
「くそっ! あのエルフはどうでもいい! バーキンスさんに急いで伝えろっ!」
白煙を両腕で振り払うようにしてステージ裏に入っていくゴロツキ。しかし、そこで見た倒れる仲間達の姿と自らの足で立つユダとクリスの姿に、只々愕然とした。