ブラックマーケットブルース Part.1
窓の外を眺めれば行き交う人々の頭を見下ろせるのに、アキラはそれをしなかった。
目の前のテーブルに出されたサラダをフォークでかっさらい、腸詰めを頬張り、骨付き肉にかぶりつく。
さながら植えた獣のようなアキラを眺め、向かいに座った女・ラーマは微笑む。
「そう慌てずとも、食べ物は逃げたりしないさ」
ふふふ、と笑う彼女の背丈は二階の窓から見下ろす人々のおおよそ半分ほど。
椅子から投げ出した足は床にも届いていなかった。
「しかしまあ、これだけ食べっぷりがいいと驕り甲斐があるというものだ」
緩やかな口調のラーマの目の前で、アキラは肉を喉に詰まらせたのか、顔を真っ青にしてミルクを喉に流し込んだ。
ようやく流し込んだ後も噎せ返り、程よく実った胸を手で数回叩く。
「ふぅ、死ぬかと思った」
「慌てて食べるからそうなる、ところでハン……今はアキラだったね」
二人以外誰もいない大きな部屋の片隅で、アキラはやっと一息ついた。
「例の品物は手に入れたんだろう? 君の活躍はしっかり私の下まで届いてるとも」
「はいはい、これね」
そう言ってアキラがポケットから取り出したのは白い指輪ケース。中を開けると翡翠に輝く宝石が埋め込まれた熾天使の指輪が顔を出す。
「セルバレム城は少々手こずっただろうか、それとも君なら楽勝かな?」
「ルートは限られるし、帝国軍本隊がいるし、ロクなもんじゃなかったわよ」
「なら良かった、君とってはさぞ充実した時間になったのだろう」
指輪ケースを閉じるアキラの表情はまんざらでもないといった様子。
「別に私がどうしたかはどーでもいいの、それより他人の婚約指輪パクろうなんて趣味悪いわよ」
白い指輪ケースを木の机に置くと、ラーマは小さな袋を机の上に置いて差し出す。
動かすたびにジャラジャラとうるさい袋を開き、顔を覗かせた沢山の金貨にアキラは表情を緩ませた。
「そう嫌わないでくれ……私は君の能力を高く評価していて、仕事に見合った出来る限りの報酬を与えている、私ほど優れたクライアントはいないと自負しているんだ」
アキラの半分ぐらいの大きさしかない可愛らしい手をいっぱいに広げて指輪ケースを受け取るラーマは、アキラと対面している間に決して微笑みを絶やさない。
「確かに熾天使の指輪は受け取ったよ、ありがとう」
「御礼ならお金だけで十分、私はさっさと次の仕事を見つけに……」
机の上に並べられていた豪勢な食事を全て一人で平らげて満足気なアキラが立ち上がったその時、
「そこで君に私という優秀なクライアントから仕事の依頼だ、頼まれてくれるかな?」
向かいに座るラーマの言葉が引き留める。
嫌悪を浮き彫りにしたような表情を浮かべながらも、アキラは再び席に着いた。
「ふふふ、そうやって嫌がりながらも聞く耳を持ってくれるのは喜んでいいことなのかな」
「性格はともかく、良い感じに面白そうな仕事を持ってきてくれて報酬も沢山くれる……。
後はまあ、なんだかんだでこっちの世界に来てから、助けてもらったりお世話してもらったりの恩もまだあるし。
何より、まだ借金が残ったまま……」
街一つを買える金額を借金として背負うアキラは大きなため息を零す。
「君の噂を耳に挟む度、私は嬉しいんだ……それも月日が流れるにつれて君の噂を聞く回数も増すようになった。
そしてそれは、やはり私の目に狂いはなかったという証明と誇りでもあるよ」
今度は朗らかに笑い、ラーマはまるで母親のような暖かな視線をアキラに向けた。
「あんたに喜んでもらえんのは――――悪くないかな」
照れくさそうにアキラは言い、更に続ける。
「こっちに来て、右も左も分かんなくてお金もない。
結局、お金がないと物も食べられないし、冒険者ギルドに入ろうにもスキルを持ってなければ門もくぐらせてもらえない。
スキルの取得にもお金、雨風しのげる屋根を見つけるのもお金、何処の世界もお金が全てなんだって、痛いぐらい思い知らされたなぁ……あの時はさ」
苦笑いを浮かべるアキラ。
今でこそ、彼女もこうして転生してきてすぐの土にまみれていく地獄のような日々を思い出話のように語れるが、当時はあまりの空腹に生死を彷徨ったことだってあった。
「それで奴隷商に捕まってオークションに行き着いた、あの頃の君の瞳には寸分の希望さえ映っていなかったね」
「そりゃそうでしょーよ、せっかくこんな夢みたいな世界に来たのにお金っていう現実を叩きつけられて死にかけてたんだから。
どうせ一度死ぬのも二度死ぬのも変わらないと思って、全部諦めてたわよ」
自身を高揚させるようなスリルを欲する。ラーマへの多額の借金を返す。
勿論、それらも彼女がハンターとして活躍する原動力なのだが、それ以上に彼女は身をもって『金』が世界にとってどれだけ重要かを思い知らされた。
「これでも、あんたんとこでお世話してもらってスキルも仕込んでくれたことには感謝してるつもりなんだから」
「そう言ってくれると嬉しいな、しかしここまで成長したのは私が見出した君自身の才能あってのことだ。
だから私は君の腕を、君より信じていると言っても過言じゃない」
アキラの感謝の言葉に褒め言葉で返す。そんな和やかな会話の風景も一転、アキラは不敵な笑みを浮かべると共に口を開く。
「いいの? 泥棒なんて信じちゃって」
挑発ともとれるような言葉を、ラーマは「ふふふ」と微笑んで受け流した。
「昔話もここまでにしよう、ここからはビジネスパートナーとしての話だ。
早速だが、君はこのベーランブルクの街について知ってるかな」
そんなことを言うものだから、窓から見えるベーランブルクの街を見渡してみた後、アキラは首を横に振る。
「こうしてまともに滞在するのは初めて、見たところ帝都にも近いし田舎でもない普通の賑わう街って感じだけど」
屋根や扉、窓に様々な装飾を施す建物がズラリと並ぶベーランブルクの街。
さして街におかしなところはなく、国の中心地に近い都会といった印象しかなかったが、アキラの目の前でラーマは含み笑いを浮かべた。
「各地で見られるブラックマーケットの中でもトップクラスの規模を誇る市場を開いているのが、このベーランブルクなんだ」
「ブラックマーケットって、帝都からこんなに近い場所でそんなことやってたら帝国軍が黙ってないでしょ」
「違法商人ギルドの開く表では取り扱えない品物を売る市場、確かにこれらは現場を抑えてしまえば取り締まるのは容易く、帝国軍の目と鼻の先であるベーランブルクでやるようなことではないね」
帝国の法で禁止されている奴隷や、盗品など決して表で売りさばくことのできないものを取り扱うというブラックマーケット。
奴隷商人や、盗賊達が身を寄せ合う盗賊ギルドにとって唯一ともいえる取引場所であり、勿論怪盗ハンターとして活躍するアキラも各地のブラックマーケットから依頼を受けることもあった。
「しかしまあ、ここのブラックマーケットを経営する裏ギルドだがラグナ教団が関与してることもあって帝国軍も迂闊に手が出せないのだよ。
こんな都会の中にあるんだ、上質な顧客である貴族達も気軽に足を運べるとあって盗品も奴隷も集まりやすく取引が盛んに行われる。
勿論、正規の商人ギルドを経営する私としては憤りを感じているのだがね」
「それで? 正規の商人ギルドの立派な経営者ラーマ様は泥棒にどんな仕事をくれるの?」
あくまで堅気であろうとするラーマ。彼女に嫌悪感剥き出しの顔で皮肉を吐き捨てる。
「言ってくれるな、誰だって表の顔と裏の顔ぐらい持ち合わせているものさ……仕事というのはベーランブルクのブラックマーケットからここ数年の取引記録と顧客リストを盗んできて欲しいのだ」
「他人の婚約指輪の次は憎い相手の大事な書類? 性格悪いったらありゃしないわね」
「今回の相手は帝国も頭を抱える悪党共だからね、何の罪悪感もなくこうして依頼できる。君も悪者退治とでも考えればいい」
「まるでいつもは罪悪感あります、なんて言い方しないでよ」
ラーマから受け取った金貨の詰まった袋を手に取り、席を立つアキラ。
「受け取り場所は追って連絡を入れよう」
「はいはい」
分かったのか分かってないのか、気のない返事を背中越しにしてアキラは二階の部屋から出ていってしまう。