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馬車に揺られて Part.3

 動き始めた馬車の中から見える窓の外は、彼女の住む東京では見ることもなかったデザインの木造や石造の建物を映し出した。

 後から乗り込んできた婦人達の愉快そうな話声、窓の外を流れる景色。

 見える物や自分の姿こそ違うが、こういったシチュエーションはケットシーに転生する以前も幾度となく経験していた。



 ◇



 馬車の集会所ではなくバス停から、馬車ではなく都営バスに乗る。

 それから、尻を痛めつける木のベンチではなくて二人掛けの柔らかい座席に座って外を眺めた。

 特に何の変哲もない、当たり前の朝。


「お前がどう思っていようが、あっちはお前のこと心配してんだよ」


 兄・総司に言われたあの一言が未だ明良の頭から離れない。


「そんなこと、分かってるし」


 大学へ行くと同時に一人暮らしを始めた兄、当時も今も明良に一人で暮らせるような生活力はなくて兄の背中に飛び乗るようにして家を出た。

 居心地の悪かった家から出れるのが当時は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。


「あんたも女の子なんだから、家でゲームばっかりしてないの」


 周囲はやれゲーセンだ、やれカラオケだ、そんなことを言って遊びまわっていた中学生時代。

 彼女の半分を占めていたのは趣味のテレビゲームだった。

 それから残りの四分の一は、読者モデルの仕事。最後の四分の一が学校で顔を合わせる友人との遊び時間。


「別にいいでしょ、私がやりたいことやって何が悪いの」


 幼い頃から母が嫌いだったアキラの言葉は更に親子喧嘩を過熱させる。


「お母さんはあんたのこと心配して――――」

「だったら助けてよ! 私が苦しんでる時、何もしてくれなかったクセに母親面しないで!」


 きっと最後に会話したのはこんな内容だっただろうと流れる車窓をぼんやりと見つめながら思い出していた。


「それは……明良があんなに苦しんでたなんて知らなくて」


 あの申し訳なさそうな母親の顔を当時は何とも思わなかったが、今になって思い返してみると胸に刺さるものがある。


「お父さんもお母さんも何が『やめてって言えばいい』よ! そんなの言えるわけないでしょ!」


 明良がまだ小学生の時、彼女は男っぽい名前からクラスの男子に虐められていた。

 元々、気の弱かった明良は何も言い返せず両親に助けを求めようとしたが、二人が助言してくれたのは「やめてと言えばいい、そしたらやめてくれる」という単純なもの。


「なんで、なんで明良なの……私の名前!」

「それはあんたが明るく良い子に育って――――」

「クラスの男の子達から虐められて明るく良い子なんてなれるわけないじゃん! バッカじゃないの」


 小学生時代に受けた心の傷は胸に深く残り、あの苦しみは高校二年生になった今でも覚えている。

 丁度今日のような澄んだ青空の日、あれは明良が小学三年生に昇級して半年程度経った頃、日本に来てから丁度一年目。

 彼女は外で遊ぶにはうってつけのこの日に、当時六年生だった総司に呼ばれて彼の部屋に入った。


「何? お兄ちゃん」

「おい明良、これ面白いからやってみろよ」


 思えばあれが明良とテレビゲームとの出会いだった。

 日本語が少し不安定だった明良が本格的に虐められ始めたのは小学三年生のクラス変え以降、大方彼は明良の異変に逸早く気付き、父に買ってもらったゲームで彼女を楽しませようとでもしてくれたのだろう。


「これ、お父さんから買ってもらったやつ?」

「こうやってこうやって……おっしゃ! ほら、こうやんだよ」


 横スクロールで進んでいくアクションゲーム、その一面をクリアするところ目の前で見せた後、総司は明良にコントローラーを手渡した。


「……やってみる」


 最初は兄に言われるがまま手を付けた。

 だが、それは想像を遥かに超えるほど明良の心を惹きつけ、気づけば日曜日の白昼は終わってリビングのテレビには笑点が映っていた。


「上手くなってんじゃん! またご飯食べたらやろーな」

「うん!」


 明良が苦しい時、助けてくれたのは兄だった。

 無論、両親が助けてくれなかったわけじゃない。

 だがやはり、こうして直接的な手助けをできたのは年も近い彼だけだったのだ。


 その日から明良の大好きなものは二つになる。

 『お兄ちゃん』と『テレビゲーム』。彼の一人暮らしについてきて、そこで休みはゲームをして時間を潰す。

 高校二年生になった今でも、明良の胸の中にある大好きで大切なものは変わらないらしい。


「……はぁ」


 バスが目的地に到着して降車すると明良は大きなため息を漏らして、携帯の画面を眺める。

 小学生、中学生を経て至る今。大きく変わったのは両親への想い。

 特に大きな喧嘩をして悲しませたまま家を顔を合わせなくなってしまった母に対する想いは日を重ねるごとに量を増すくせに、行き場を失っている。


「お母さん」


 携帯の画面に表示されたのは母の携帯番号。後は通話ボタンを押せば電話がつながる。

 しかし、その一歩が踏み出せない。

 母から電話がかかってくる時も嫌悪混じりに携帯を投げ捨てていたわけじゃなく、怖くて取れなかっただけなのだ。


「……まだ朝だし、忙しいよね」


 そんな言い訳ばかりで電話を掛けることもしないまま、携帯を制服のスカートのポケットにしまう。


 ここで電話して、もしもまた喧嘩になってしまったらどうしよう。

 素直に『ごめんなさい』が言えなかったらどうしよう。


 自分を、母を、信頼できない恐怖が彼女の指を止めていた。


「おっはよー、アキラ」


 学校に到着すれば、彼女の悩みも知らない友人達が元気に声をかけて昨日あった面白い話とか先週別れたダメダメな彼氏の話とかしてくれる。

 そうやって楽しい時間を過ごす内に明良は母という存在から逃げるように目を逸らしてしまっていたのだ。


「次の期末はこの辺りを重点的に出すので――――」


 迫る期末試験に向けた授業の最中、明良は机の影で携帯ばかりを触っていた。

 一時間目も二時間目も、学校が終わるまで睨み合っていた画面はメール作成フォーム。宛名は『母』。


 『電話に出なくてごめんなさい。』


「自分の親なのに堅くなってどうすんのよ」


 『電話、出なくてごめん』


「あー、でももう二年近く会ってないんだし、こんなんでいいのかなぁ」


 文字を打ち込んでは削除。打ち込んでは削除。

 電話で話すのは緊張するからと打ち始めたメールも、一進一退を繰り返していた。


「そういえば……読モ始めたのって、お母さんのお陰だっけ……」


 今やアキラの日常に溶け込んでいて忘れてしまっていたが、彼女がクラスの人気者となった要因である読者モデルを始めたのは母が起源。


「あんたが家でゲームばっかりしてるから、これ送っといたよ!」


 中学に上がってから好成績を次から次に叩き出す兄には「ほどほどにしておけ」程度の口出ししかしなかった母。

 しかし、同等以上にゲームにのめりこんでいた明良への風当たりはやたらと強かった。

 『明るく良い子に育ってほしい』、それ以上に母は明良が女の子らしくあって欲しいということを望んだのだろう。


「はぁ!? ななな、何やってんの!?」

「通知来たら、あんた見なさいよ」

「ちょっと待って! 勝手に変なことしないでよ!」


 明良の言葉など耳に入れず部屋から去っていった母。

 彼女が明良本人に黙って応募していたのは、十代に爆発的な人気を誇る『TOKYO teen's』の読者モデル募集の記事。

 急なことで焦りはしたものの、どうせ人気雑誌のモデルに自分なんかがと他人事のように考えていたのだが結果は書類審査合格。


 それから物事は淡々と進み、何千人という応募数の中で勝ち残った明良の驚きのモデルデビューが決定した。


「あれから人生変わったっけ」


 今思い出してみても、明良は容易く変貌を遂げた自分の人生の簡潔さに吹き出してしまう。


「ほんっと、私って単純」


 最初は「怠い」、「めんどくさい」。その程度にしか思っていなかったが、母に強制されて嫌々モデルの仕事をこなした。

 彼女のやる気を呼び覚ましたのは、『TOKYO teen's』という人気雑誌の誌面で『あっきぃ』としてデビューしてから大きく変わった周囲の反応。


 小学生の頃、「名前が男みたい」とか「男女」、「ニセ外人」なんて虐められていたのが嘘のようにクラスや同じ中学校内から熱い視線が注がれ始めた。

 それが高校生にもなれば、彼女は数度表紙を飾ったことがあるところまで成長していて、別の高校の生徒から握手を求められたりもするようになった。


「そっか、私お母さんに助けられてたんだ」


 今更気付いてしまった。それが全て、自分の殻に閉じこもりつつあった明良へ差し出された母の優しい手だったということに――――。


「お母さんの優しさの上で、あぐらかいてただけだったんだ……すっごくダサい」


 手を振り払い、自分で立った気になっても結局支えてくれるのは母であり、父であり、そして兄。

 幼い頃から抱えていた嫌悪感、そして反抗期も重なり、母の差し伸べた手を優しさと思えず突っ走ってきた。


「……ありがとう」


 それに気付いたから、明良が最初に打ち込んだメールの文章は『ごめん』から『ありがとう』に姿を変える。



『心配してくれてありがとう

 私は最近たまに料理するようになって、どんどん上手くなってるよ

 モデルの仕事も凄く順調、来月はまた表紙の仕事が来たから見かけたら買ってよね

 食べるものにも仕事にも、何にも困ってないから心配しなくて大丈夫


 お母さん達も体は大丈夫なの?

 今まで電話に出なくてごめんね

 今まで沢山傷つけるようなこと言ってごめんね


 今度休みを貰ったら絶対に顔出すから、その時は一緒に料理作ろうね』



 結局、メールの全文が完成する頃には学校の全ての授業が終わっていた。


「許して……くれるかな」


 帰り道、そんなことを呟いて明良はメールを送信する。

 不安と期待と今までの「ごめんね」を胸に、明良はメールを待った。母と肩を並べて料理する日を待ってバスに乗り込んだ。









 ――――その数分後、バスはトラックとの接触で横転し、死者二名と重軽傷者十二名を出す大規模な事故を起こした。










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