プロローグ・この出会いは世界を変える出会いになる
何故、こんなことになってしまったのだろう。
「本日の商品は、なんと亜人種の中でも超希少! ケットシーの若い娘!」
視界を布で覆われ、孤独な暗闇の中でアキラは思う。
「しかもこの娘! 一度死して尚、蘇ることが出来たのです!」
手足は縛られているが、そうでなくても傷だらけの体だ。
何の抵抗もできず、人々が自分に値段をつける様を聞きながら、自らを哀れむことすらもいつしかやめてしまった。
ようやく暗闇の向こう側で騒いでいた人々が静まり返り、買い手が決まる。
太く、筋肉質な腕に連れられて、アキラが辿り着いたのはアンティーク調の装飾で埋め尽くされた豪邸の一室。無論、視界を閉ざされたアキラには何も見えない。
肌触りがとても心地良い絨毯の上に転がされたアキラの下に、少女の声が転がり込んだ。
「やあ、名も無きケットシーの娘」
幼い声にも拘わらず、その口調は違和感を覚えてしまうほどに落ち着き払っていて、大人びている。
「いや……名も無きケットシーではいささか呼び辛いな、飼い主の私が名を与えてあげようか」
金で買われ、ペットのように扱われる。そうして、惨めなまま朽ち果てていく。
自分の未来を悲観していたアキラは、いつしか喋ることすら面倒だと感じるようになっていた。
「綺麗な白銀の髪、シロでどうだろうか? 君はこの名を気に入ってくれるかな?」
しかし女の問いにアキラは一切の反応を見せない。
「問い掛けているのに返事をしてくれないと言うのは少し寂しい、もしかして寝ているのかな? そうだとしたら安眠を妨げるような真似を許してくれ」
そう言ってアキラの下に足音が近づいてくる。
目の前まで近付き足を止めると、あろうことか女はアキラの視界を奪っていた布を解いたのだ。
一日以上、こうして視界を塞がれて光を見ていなかったアキラは、部屋を照らすシャンデリアの高貴な輝きに目を薄める。
「起きていたか、はたまた起こしてしまったか」
少しずつ光に慣れてきたアキラの瞳が移したのは、僅か百センチ程度しかない少女の姿。
しかし先程から耳に入れていた彼女の言葉遣いや顔立ちは、艶めかしさすら感じさせるもので、とても少女のものとは思えない。
「私は君に興味を抱いた、故に大金をはたいて君を手に入れた……。
だから私には君のことを知る権利がある、分かってくれるかな? シロ」
何を気に入らないのか、アキラは青アザだらけの顔を目の前の彼女から背けてしまった。
「そう嫌わないでくれ、私はラーマ・クラウドフィッツと言う……商人ギルド『クラウドフィッツ商団』の経営者と言えば分かるかな?」
だがラーマの言葉にそっぽをむいたアキラの視線が、彼女の姿を捉えることはない。
「また日を空けよう、いいね? シロ」
その瞬間――――、
「……アキラ」
ようやくアキラの口が開いた。
「おお、ようやく心を開いてくれたか、私は嬉しいよ」
ラーマは笑みを浮かべるも、その笑顔は顔を背けるアキラの視界に入ってなどいない。
「笠原明良、シロなんかじゃない」
「カサ……? 随分変わった名をしているのだね、ケットシーは皆そうなのかな?
それは何処の国の言葉かな? 是非、名の由来や信じる神、生まれについても聞きたい」
背丈通りの少女のように、瞳をキラキラ輝かせたラーマの質問攻めが始まる。
「生まれは……日本」
「ニホン? 初めて聞く国だ、もし未開の地であるなら今から貿易船を送ろう、貿易に関する全ての権利を私に譲渡してくれれば君の祖国を更に豊かにできるぞ」
しかしアキラは大きな溜め息をついた後、首を横に振って否定的な反応を見せた。
「無理よ、貿易も何も……世界が違う……」
「世界? どういうことかな?」
「言葉の通りよ、私は別の世界からこの世界に来たの」
当初は言うべきかどうかを悩んでいたが、もう悲観できる未来しかない以上、何を言って何を隠しても同じことだ。
どうせ、自分は近いうちに遊び飽きられて死ぬ。
投げやりになっていた矢先、ラーマが背けていたアキラの顔の目の前に現れた。
「本当か!?」
彼女のあまりの高揚に、アキラは思わず驚いて首を頷かせる。
「何故だ? どうやった? 何かのスキルか? アイテムか?」
こうして彼女の興味を引いてしまったのが運の尽き、また質問攻めが始まってしまう。
「あっちで死んで、こっちで蘇った、そんだけ」
「輪廻転生という言葉は聞いたことがあるんだが、別の世界に転生するなんて話は聞いたことがない……やはり君に目をつけた私の目は間違っていなかったようだ」
嬉々とした口調で語るラーマは、何処かへ行ったかと思うと一枚の紙を持って再びアキラの視界の中に現れた。
「私は君に大金をはたいたと言ったね? あの金があれば街が一つは購入できる」
「街って……なんで、そんなお金を……?」
この世界の金銭事情はアキラもいまいち理解していない。
だが街を一つ買収できるだけの金と聞けば、それが規格外の大金だというのは想像に容易い。
「私はね、金も権力も手に入れたが、それではダメなんだ。
夢と言うのは一つ叶える度に膨らんでいく、あの食器が欲しい、あの馬が欲しい、あの家が欲しい。
そうして私は幾つもの夢を叶えて、この家も手に入れた……しかし膨張しすぎた私の夢が向かう矛先は世界そのものになってしまっていたのさ」
ただの自慢話のようにも聞こえたが、何分規模が大きすぎる。
「私は単身でギルドを立ち上げ、ここまで大きなギルドにした経営者だ、人を見る目には自信がある。
そして私は私の夢を叶える為に必要な、君という存在に巡り合った。そして聞いてみたらどうだろう、君はこの世界の人間ではないと言うじゃないか」
朱印を押した契約書をアキラの目の前に差し出し、ラーマは輝くような笑顔で続けた。
「これは私から君への先行投資であると共に貸しでもある。
もし君が生きたいと望むなら、私が君のスポンサーとなって支援する。身寄りがないなら、世話もしよう」
アキラには分からない。何故彼女がこんなにも瞳を輝かせているのか、何故彼女がこんなにも自分に肩入れしようとするのか。
――――分からなくて、怖い。
だがこの世界に来て初めて出会った希望の光に、アキラは手を伸ばす。
「さあ、君の指を」
ラーマの赤子のような手がアキラの傷だらけの指を握り、朱肉を着けた。
そして彼女が取り出したもう一枚の紙、借用書に誘導する。
「君を購入する為に使った金額を返すこと、たったそれだけで君はこの世界で生きられる」
アキラの指が借用書に真っ赤な契約の証を記すと、ラーマの手が大きな耳が生えたアキラの耳を撫でた。
「私はね、予感しているんだ……きっとこの出会いは世界を変える出会いになる」
疲弊しきったアキラは借用書に朱印を押すなり、重たい瞼を閉じて深い眠りについた。