四百五十六話 ロロのご飯とキコとジェス
2022/05/15 1:30 修正
墓掘り人たちの防護服は燕尾服に近い。
しかし、近いだけだ。その防護服の一部には、鋼鉄と似た硬さがありそうな装甲部に柔らかそうな素材の繋ぎ目がある。その装甲部はかなりしっかりとした作りで未来的でもある。
その鎧の表面には、激しい攻撃を受けたような傷跡と窪みがあった。
暗がりと、それぞれが持つ血魔力を活かすようなデザイン製の高い防護服を着る集団だ。
そんな墓掘り人たちの背後の、美人なヴァンパイアを見ていたら、
「何よ。さっきからチラチラとわたしを見て!」
「いや、君の名前が気になった」
「禿げとモッヒーとバーレンティンの名前しか聞かなかったから、てっきり、わたしの実力を疑っているのかと思ってた」
スゥンさんは分かるが……。
モッヒーとはサルジンのことか?
モヒカンというヒャッハーな髪型の名前が地下世界にもあるということか。
廊下を歩きながら、そのことは告げずに、
「――そういうわけじゃない。睨まれていたからな。俺を信用してないと宣言していたし」
「それはまだ出会ったばかりだからよ、当たり前でしょう」
ま、当然か。
彼女にしてみれば黒い神獣を使役する得体の知れない槍使いでしかない。
俺は歩く速度を落とし、
「それで名前は?」
「イセス・オーレンド。パイロン家の分家ミナオ・レオゼランから吸血鬼にされた」
またパイロン家か。
黒色の毛に白色のメッシュが入ったイセス。
鼻が高いし、右頬にある黶とえくぼが似合う。
「人族だった頃の名はイライザよ。財団としての歴史ある一族だったけど……ま、大昔だし、いまさらね。で、知っているように<蝙蝠>に変身できる。その速度は墓掘り人たちの間でもトップクラスなんだから! そして、殺しの技は<ゴレアックブレイド>と<血髪銀剣>が得意。難敵揃いのゴレアの地下傭兵チャンピオントーナメントでは、決勝ラウンドまで進んだこともある」
ゴレアか。
ヴィーネから聞いたことがある地下都市だ。
「シュウヤ殿。イセスが名前と地下傭兵の頃を自慢したってことは信頼をした証しだ」
「あ、禿げ! 余計なことを」
渋いスゥンさんは、元ハルゼルマ家。
パイロン家との争いでハルゼルマ家は滅んだと聞く。
しかし、彼を禿げと呼び捨てとは……。
リーダーのバーレンティン以外はニックネームを持つようだ。
ま、皆、当然だが、名前を持っている。
呼ぶ時はニックネームのほうが楽か。
そして、名前や言葉は地域ごとに変わる。
さらにいえば人の曖昧な記憶に訛りを含めて常に変遷を遂げていくことが普通だ。
「イセスか。よろしく頼む」
「了解」
そんなやりとりをしながら湖のような沼に浮かぶ渡り廊下を歩く。
歴史を感じさせる森屋敷の宮。
ヒヨリミ様たちの格式が高そうな母屋と繋がった建物は、どれも素敵だ。
神獣ロロディーヌは、廊下の端沿いを走っていた。
廊下の両側は均等に並んだ樹柱がある。
樹柱は細いから沼の景観はいい。
どこかの庭園を歩いている気分だ。
渡り廊下的な板の間が、沼の至る所に走っている。
その先々に小さい数奇屋造りの建物が至る所に存在した。
風雅なお茶会でも開いていそうだ。
今川義元が、蹴鞠をしていても驚かない。
水辺に生えるマングローブのような樹木を生かした建物。
それでいて、古代狼族らしい意匠が随所に鏤められて、しっかりと動線が考えられてある。
自然を活かしつつも古風でセンスもある。
素晴らしい場所だ。
しかし、神獣ロロディーヌはそんな景観の一部でもあったテラコッタのような小型の植木を吹き飛ばす。
廊下の端沿いを、いったりきたりしては、綺麗な沼に向けて吠え続けていた。
マタタビでもやったのかと思ったが、違った。
目的は、沼に棲む魔魚ザハたちだろう。
一部の魔魚ザハは水面から口と頭部を出し、その口がパクパクと開閉を繰り返す。
ザハにとって、渡り廊下の上で興奮している神獣ロロディーヌが自分たちに餌でもくれるかと期待しているのかもしれない。
そこに雨が降ってきた。
糠雨とは違う、天井に衝突する雨は矢の如し。
激しい音が鳴り響く。
鯉のようなザハの口の中に、その雨がじゃぶじゃぶと突き刺さっていく。
ザハの魚の群れは雨水を餌だと思っているのか水中に潜ることをしなかった。
すると、ザハの一部が魔力を溜めながら蠢く。
竜胆のような花を頭部に生やした。
竜胆の花を小さい傘代わりにして俄雨を防ぐ。
……頭に、花傘とは洒落ている。
提灯アンコウのような深海魚っぽい。不思議な魔魚ザハだ。
「カカカカカッ」
変な声。
興奮を増したロロディーヌの鳴き声だ。
クラッキング音って奴かな。
姿を小さい黒猫の姿に戻す。
頭に花傘を作ったザハを見て興奮したらしい。
相棒は尻尾を上下させて床を叩く。
両前足が妖しく振動していた。
普通、興奮したら巨大化すると思うが……。
何故か子猫という。
全身から伸びた触手の数が急激に減った。
当然、ツラヌキ団のメンバーを縛っていた触手も一瞬で収縮。
触手から解放されたアラハたちは床板に落ちる。
側を歩くヘルメとジョディが即座に反応。
<珠瑠の紐>と<光魔の銀糸>で解放されたツラヌキ団のメンバーたちの手を押さえた。
ヘルメとジョディは即座に動いてくれたが、もう彼女たちはここから逃げるようなことはしないはず。
オフィーリアとレネとソプラも俺の側に転がっている。
ま、逃げないと分かっているが――。
流れで彼女たちの両手を<鎖>で押さえた。
瞬間的に闇属性の《闇枷》を意識したが、使わず。
レアな紋章魔法を出そうかと思ったが止めた。
<鎖の念導>のお陰で<鎖>の汎用性は高い。
と、瞬時に三人の手首を縛った<鎖>だったが、解放しよう。
彼女たちの両手を結束バンドで縛るように展開していた<鎖>を消去――。
「――ありがと、解放してくれるんだ」
レネは両手を振りながら話す。
手首から肘辺りにまで生えている羽毛を揺らす。
同時に胸元のペンダントも揺れた。
その揺れているペンダントを見て、昔を思い出す。
レベッカを救った時にも、レネは妹の毛が入ったペンダントを大事そうに持っていた。
すると、アリスが、
「わぁ~、お空を飛べるって聞いたけど、本当みたい! 羽が動いている!」
アリスはレネとソプラさんの羽が気になるようだ。
「シュウヤさん。ありがとう」
ソプラさんも礼を言ってきた。
「礼は必要ない。君たちはもう逃げないだろう?」
ソプラさんとレネは、俺の言葉を聞いて頷く。
そしてレネは、常闇の水精霊ヘルメと光魔の蝶徒ジョディを見てから、バーレンティンたちを見やる。
「……うん……ハハ……さすがに無理よ。この状況的にね」
そう怖々と語りながら体の一部に付着した白色の蛾を確認。
少し遅れて、ソプラさんに視線を向ける。
妹のソプラさんも『うんうん』といったように頷く。
頭部に揃う一対の兎の長耳が揺れるソプラさん。
彼女の身体にもジョディの白色の蛾が纏わり付いていた。
とくに両足に纏わりつく白色と白銀色の蝶の数は多い。
彼女は巨大なバリスタを扱うからな……。
しかしながら、その両足は……。
筋肉質で太いという感じはしない。
ロロディーヌのような……。
しなやかさのある筋肉と羽毛に近いといえばいいか。
ま、とにかく……。
ガーターベルトが似合う兎人族のアーチャー系戦闘職業ってことだ。
しかし、あの纏わりつく蝶々は……。
勘の鋭いジョディのことだから……。
レネとソプラさんの武器と、その武器を扱う位置の魔力を感じたんだろう。
そのレネとソプラさんのことを封じているのかもしれない。
そういえば……。
近くを歩く墓掘り人たちの体にも白色の蛾が付着していた。
禿げたスゥンさんがジョディに対して怯えていた理由の一つか。
単に元死蝶人としての名声を聞いて怯えているだけかと思ったが。
「兎人族の仲間たちに無事を知らせたいだろうが、もう少し待ってくれ」
「うん、けど、心配は要らないわ。リーダーのウカさんとは、オフィーリアの暗殺に成功したら合流予定だったけど仕事に失敗したし、合流予定の場所に現れない時は、わたしたちを置いてアルゼ経由で南の海運都市に向かう予定だったから」
「そっか」
すると、
「ンンン――」
黒猫の喉声が響く。
クラッキング音は止まっていた。
黒猫は我慢ができなくなったらしい。
前足を沼の水面へと伸ばしていた――。
片方の前足で水面アタックをやり出す。
俺が風呂に入る時によくやっていた行動だ。
――桶の水面に向けての猫パンチ。
――当然、威力はない、が、肉球パンチもパンチはパンチ。
そんなパンチなんて喰らいたくない鯉のような魔魚ザハは飛び跳ねるように逃げていった。
黒猫は珍しく捕まえることに失敗。
ザハたちに逃げられた黒猫。
いつもなら沼に飛び込んで、狩りを楽しむはず。
しかし黒猫は、飛び込まなかった。
寂し気な視線を、俺のほうに寄こすのみ。
黒猫なりに、ここが古代狼族の都市だと認識しているんだろう。
そうではなくて、単に、鼻に付着した輝く枯れ葉のことを考えていたのかもしれない。
魚が鼻にくっついたら嫌だからな。
と、俺は黒猫の考えを予想したが……。
黒猫はそんな風に考えていた俺の様子をジッと見つめてくる。
逃げたザハを見て不機嫌なのか、髭を下げていた。
だが、虹彩の紅色と真ん丸い黒色が織りなす可愛い双眸は変わらない。
『あの魚、捕まえたいにゃ』『捕まえてほしい』『食べていい?』
と、いった気持ちを抱いているのかもしれない。
直に気持ちを伝えてきたわけじゃないから、違っているかもしれないが。
「ロロ、少し待ってろ」
「にゃ~」
さっきも不満げだったからな……。
周囲に対して、『少し待ってて』というニュアンスを込めたアイコンタクトを送る。
ヘルメとジョディは応えて頷いてくれた。
だが、他の方々は、俺のアイコンタクトは分からない。
不思議な表情を浮かべていた。
「ロロ、美味しいご飯を出してやるからな」
と、微笑みを意識しながら語り――。
右手首のアイテムボックスの表面をタッチ――。
浮かび上がった半透明のアイテムボックスのメニューをチェック。
スマホを弄るように指でタッチしていく。
すぐにアイテムボックスから食材袋を取り出す。
そして、その食材袋からじゃじゃーんと効果音がなるように取り出したのは――。
黒猫のお気に入りの料理!
というか餌が入った木製ボウルだ。
料理とは、ローストした鳥肉と魚のカソジック。
そのメイン素材に香辛料と少量の野菜を混ぜて独自にブレンドした特製料理。
食材袋はアイテムボックスに素早く戻す。
その瞬間、
「にゃお!!」
と、鳴いた黒猫さんだ。
ボウルを持つ俺の手に飛びかかってきた。
素早い――。
避ける暇もなく、取り出したばかりの木製ボウルを黒猫に奪われてしまった。
黒猫は木製ボウルを口に咥えながら華麗に着地。
頭部を下に傾けて口に咥えていた木製ボウルを床に置く。
「ンンン、にゃ~~」
『いただきますにゃ~』
といったように鳴いてから、料理が入ったその木製ボウルへと頭部を突っ込んだ――。
むしゃむしゃと鶏肉を咀嚼する音が響く。
香辛料の良い匂いが周囲に漂う。
黒猫はお気に入りの木製ボウルごと食べる勢いだ。
「がるるうぅ」
獣の習性らしく唸り声を上げながら食べている。
時々あるんだよな。餌は誰も取らないのに。
その瞬時、黒猫は口の両端から煌びやかな炎を出す。
焼き魚やお焦げが好きというわけじゃないだろう。
木製ボウルから煙が出て焦げていく。
ま、燃えてしまっても構わない。
邪界ヘルローネ製だからボウルは壊れても、すぐに作れる。
「神獣様、夢中だね」
「頑丈な木製の巨大な器が驚きだ。しかし、よほど美味しいと見える」
「うん。美味しそう! わたしも神獣様の隣で、一緒に〝がるる〟して食べていい?」
「アリス……猫獣人系のお前だから、その〝がるる〟は似合うとは思うが……炎も出ているし、危ないから止めておけ」
アリスとエルザがそんなことを語る。
エルザの外套の中に居る左腕の蟲は黙っていた。
最近、チンモク、がマイブーム。
と、変なことを考えていると、
「時々、炎が……」
ヘルメがそう呟いた。
食事に夢中な黒猫のことだ。
時々、相棒は、口の端から小型ガスバーナーから発せられるような炎を噴くことがある。
――あ、今も、噴き出した。
そして、猫とはいえ、鋭そうな牙も真っ赤に染まる。
真っ赤というか、その牙の色は、まるで鍛冶屋が熱した鋼をハンマーで鍛造した時に近い。
「ふふ、精霊様。隠れないでも大丈夫ですよ」
ジョディの背後に隠れる常闇の水精霊ヘルメ。
さりげなくジョディのお尻を光らせている辺り手際がいい。
そんな調子で『黒猫が餌を食べていく光景を皆で囲いながら見る』という……。
まったりとした空気が続く。
音楽の笛の音が、そのまったり空気を助長する。
鼻をヒクヒクさせながら笛を吹くキコとジェスが奏でる笛の音だ。
先導してくれていた彼女たち。
部屋へと続く廊下の先で待っていてくれた。
黒衣の衣装が似合う彼女たちの扱う笛の技術は高い。
すると、その笛を吹く二人が手に持つ笛に魔力が宿った。
音にも魔力を帯びる。
魔力の音波はエネルギーとなって周囲に広がった。
魔音波は、廊下の左右に広がっている沼の水面を揺らす。
雨粒たちが魔音波に弾かれるように散った。
廊下の端に並ぶ柱に絡みついていた植物の蔦も動き出した。
蔦は、生きた蛇のように柱から天井に巻き付くと、その天井の厚みが増す。
その厚みが増した天井から藤の花を宿す葡萄のようなフルーツが誕生した。
ビリジアンの色合い。
だが、血管のような筋が幾つも表面に浮かんでいる。
だから、普通の葡萄ではない。
アリスとエルザも見上げながら、
「わぁ」
「奇怪な実だが、美味しそうな匂いだ」
俺も同意しながら、
「……不思議だ。一気に樹海の建物らしくなった。これも音叉結界の一部なのか」
「はい。正確に言いますと〝音叉月界〟です。わたしたちが持つ<狼笛>の能力の一つ」
キコとジェスが、そう喋る。
「へぇ」
「主に、狼屋敷の防御を担当です」
地下の宝物庫から侵入した時も古代狼族の衛兵たちが音叉結界のことを叫んでいたな。
あ、対邪神とかの対策もあるのか?
するってぇと、エルザの左腕に宿るガラサスは……。
やはり普通のヒュリオクスの眷属ではなくなった?
という証しでもあるのかな。
「ヒヨリミ様をお守りする役目以外にも、大狼幹部会、神像の儀、祈年祭、鳴弦の儀、神楽の儀、皇技が宿る双月神の漏美の祝い儀、等の無数にある儀式の際に、笛と〝わたしたち〟の力を使い防御を確実な物にします」
……古代狼族も忙しそうだ。
この黒衣の方々は、
「貴女方は、近衛兵みたいな存在か」
「そうですね。勿論、精霊ホルカーの欠片を持つシュウヤ様ならお分かりかと思いますが、神狼ハーレイア様、双月神ウラニリ様、双月神ウリオウ様たちだけの力が、この狼屋敷に備わっているわけではないのです。この植物の蔦のように、主に神界側の相性が良い神々の力を増幅させることも可能です」
キコとジェスがハモりながら説明してくれた。
餌に夢中な黒猫以外の皆は……。
彼女たちの話を感心しながら聞き入り蔦が織りなす植物園と化した渡り廊下の天井を見上げている。
しかし、キコとジェス。
不思議な姉妹のような古代狼族の方々だ。
黒衣の衣装は他の方と特に変わらないが魔女の側に付いている弟子のようなイメージ。
植物の蔦の動きに、茨の呪術を使ったバング婆の魔法を思い出す。
「あの笛、秘宝の道具みたい?」
アラハもキコとジェスの姿と笛を見ながら、そう語る。
「たぶんな。で、ツブツブ、お前の愛用していた掘り道具は……」
「エイブランと名乗る古代狼族の衛兵長の方が、回収しようと触ってしまったようです」
「そうか……それも運命だな」
ツブツブとオフィーリアがそう語る。
すると、墓掘り人たちも、
「こりゃ、食い物なのか?」
「ふん……ここは不可思議な力が多い」
「……それはそうだろう。古代狼族の支配している土地。陽は地下のように暗いが、神狼ハーレイアの息吹が根付いている土地だ。ゴレアの地下沼ソーグのような場所は、ここにもあるだろうさ」
「巨大地底湖アドバーンのようなモノもか?」
「さぁな」
それぞれが知る地下の光景と、この森屋敷の宮の光景を比べるように、感想を述べている。
「ふふ、神獣様のおやつにどうですか? 皆様もどうぞ。魔力が回復しやすくなるフルーツです――ただし! この屋敷以外の外に持ち出すと……」
「死」
え?
「ふふ、死」
「憤慨の死」
不気味に笑いながら歌い出すキコとジェスは歩みを早める。
俺たちは良い匂いが漂うフルーツに腕を伸ばしていたが、すぐに引っ込める。
「ンン、にゃ――」
だが、黒猫は飛びついて食べていた。
俺が上げた餌はもう食べ終わっている。
あのフルーツ、熟していて、柔らかそうだと思ったが……。
意外に歯ごたえがあるようだ。
黒猫は奥歯を使い喰っている。
「ロロも、食事はそろそろしまいだ。案内してくれる先の部屋に向かうぞ」
「ンン」
キコとジェスの歩く渡り廊下を進む。
季節によって様々な光景を見せてくれそうな沼の畔。
夜明けを感じさせるが、斜陽。
もう夜になりかけだ。
そして、夏の季節になりかけだと思うが、青色の翼が綺麗な初雁のような渡り鳥たちが沼に降りてきた。
「青だからピピクの渡り鳥」
「あぁ」
「黄色が綺麗なルールラ鳥はいないや~。砂漠都市ゴザートのほうから飛んできたのかな」
アリスとエルザは柱に手を当て、渡り鳥たちを見ながら語っていた。
黒猫も彼女たちの隣から、渡り鳥たちを注視。
時々、俺の方に頭部を向けてくる。
紅色の光彩がなくなる勢いで黒色の瞳が散大していた。
興奮している証拠だ。
俺は『狩りはダメだぞ』という気持ちを込めて、無難に首を左右に振っておいた。
耳を凹ませる黒猫。
「先に行くぞ、キコとジェスはあっちの角を曲がっている」
「部屋は沼の中央にあるようですね」
「あぁ」
ヘルメに同意しながら渡り廊下を歩く。
「ンン――」
鳥の狩りを諦めた黒猫が廊下を走ってキコとジェスを追い抜いていた。
そうして、沼が齎す清い冷ややかな空気を臓腑に取り込みながら……。
沼の景色を堪能しつつ渡り廊下を進むと、
「ここです――」
「どうぞ、こちらです」
と、キコとジェスの二人が頭を下げているように部屋の前に到着した。
部屋に入らず観察モード。
かなり広い。柱から植物の蔦が連なる天井も高い。
雰囲気もいい……。
柱と柱の間に雁木棚の縁のような壁もある。
が、沼の水面がよく見える。
見晴らしの良い場所だ。
そんな部屋の中央に陶器製の巨大な机が一台。
見た目がシカ革風の革製のソファもある。
小型の椅子代わりのような、小さいソファも無数にあった。
座布団もある。
緑茶の匂いが漂ってきそう。
畳のような三段付きの寝台があった。
平面の寝台と二段だけの寝台もある。
三段の一番上の寝台の位置が天井すれすれだから寝にくそうだが……。
寝床の数は十分だ。
そんな畳っぽい一段しかない寝台の上に黒猫が……。
いつものように跳躍遊びを繰り返していた。
黒猫は天井に向けて触手を伸ばす。
その触手を天井の蔦が絡む木材に引っ掛けては、その触手を引っ張り、身体を宙ぶらりんにしたりと、自らブランコと化したような独自の遊びを展開していた。
……そんな黒猫は放っておいて、左を見る。
床から出た岩を、桶の形に加工したような風呂場がたくさんあった。
魔道具が備わった岩盤浴用の砂場のような場所もある。
床というか、沼から突き出た岩の熱を利用しているのかもしれない。
地熱で熱せられたような熱水噴出孔のようなホットスポットが沼の底にあったりして……。
なわけがないか。
テラスのような広縁と繋がるカウンターバーのような棚があった。
綺麗な布と小袋に飲み物まで無数に用意されている。
いいねぇ。
風呂の側の縁から見渡せる沼も美しい。
ここで皆と風呂に入りながら一緒にくつろぐのもいいな……。
だが、バーレンティンにスゥンとモッヒーこと頭がモヒカンのサルジンがいるし……。
さすがに混浴風呂とはいかないか。
入るとしたら男女別々だ。
そんなことを考えながら部屋の右を見る。
風呂場にもあったバーの棚とは違う。
部屋を分けるような木材の棚のような仕切りがあった。
木材の棚はブロック材と似た穴がある。
巨大な扇子のような飾り細工が、その棚の中央に飾られてあった。
太鼓のような楽器も並んでいる。
そこで、中央に視線を戻す――。
陶器製の机の上を確認していく。
……お香が炊かれた陶器の瓶。
……不思議な生命体を象った人形たち。
……銀色の狼を象ったお揃いの燭台が均等に並ぶ。
その近くに、巨大な月と小さい月の形をした皿に盛られたフルーツと菓子も置かれてあった。
針鼠の人形を注視。
あれはヒヨリミ様たちが居た部屋にもあった。
地下都市デビルズマウンテンの俺とヘルメが泊まった部屋にも、同じような針鼠があったような気がしたが……たまたまか。
人形といえばポケットの魔造虎たち。
黄黒猫と白黒猫もあとで出してあげるか。
フルーツとお菓子も美味しそう。
旅館のお着きの菓子って感じかな。
「あ! おかしー」
机を指すアリス。高級そうな部屋に突入して机に駆け寄っていく。
陶器製の机は大きい。
その机に、
「――よいしょ」
と小声を出しつつお腹を机につけながら――。
葉が抱く柔らかそうな菓子へと手を伸ばすアリス。
その様子を見たエルザは素早くアリスの下に走り寄った。
エルザはアリスの子供らしい行動をたしなめていく。
そんなエルザの頭部はアウトローマスクで隠れている。
だから表情は分からない。
背中に装着した両手剣のヤハヌーガの大牙が目立つから見た目は戦士だ。
しかし、しかる声音から判断して……。
アリスに対しての深い情があることは丸分かりだ。
本当のアリスの母親のように見えた。
そんなエルザの左腕はチンモクしている。
俺はそのタイミングで、微笑みを意識しながら、振り向く。
「んじゃ、入ろうか」
と、皆に告げた。
俺の言葉を聞いた皆の頷く様子を見てから……。
高級ゲストハウス風の部屋に足を踏み入れた。
茶色の床。ツラヌキ団の宿の床は金茶色だったが、ここは無難な床かな。
だが、巨大オークの皮らしき敷物が敷かれてある。
古代狼族は地下のオーク社会と対決している面があるから仕方がない。
とはいえ……。
俺はクエマとソロボを知る。
だから微妙な気持ちとなった。
この都市に来るときも、捕らわれたオーク兵の姿を見た。
オークたちも巨大な帝国だからな……。
クイーンを中心とした地下と地上に勢力を持つ。
大将軍ブブウ・グル・カイバチといった存在も居る。
グング支族がサイデイル村に攻めてきたように、大オーク支族を含めて、ソロボとクエマのような多数の中小の支族たちも存在する。
オークを、ただの豚の頭部を持つ敵だと認識していた昔と違う。
今は、そんなオークたちに尊敬を抱く。
といってもクエマとソロボだけだが。
そして、敷物は敷物だ。
キリシタンの踏み絵ではないが、リアルティ溢れるオークの皮を踏みながら部屋を進む。
家具は本棚と飾りが目立つが、手触りは良い感じ。
ドリームキャッチャー風の飾りは、ちょくちょく見かけるな。
釣り道具も置いてあった。
ザハを釣っていいのだろうか。
他にも花瓶やらロゼッタストーンのような石板。
幸運が舞い込みそうな菱形の石。
神棚のような小さな祠。
高級品だと思うさまざまな物がある……。
普通のゲストハウスとは思えない。
ツラヌキ団は窃盗団、墓掘り人たちは墓場荒しだと思うし……。
ヒヨリミ様は、よっぽど俺を信じているらしい……。
超VIP級クラスが泊る場所のようだ。
少しプレッシャーを感じながら……。
――右手の沼のほうを見ていった。
俺たちが歩いてきた水面の上を這うように続く板廊下が視界に入る。
さっきと同じだが、どこの部屋の雰囲気がある。
温泉地にありそうな本格的な岩盤浴が楽しめる場所もあるし……。
この、今見ている夕焼けといい……。
遠くに緑もあるし、本当に、高級宿の部屋に来た気分となってきた。
そんな感想を持ったところで、
「ごゆっくりとお過ごしくださいませ。のちほど、食事も運ばせますので……」
「……そこの岩風呂の湯と岩盤浴は近付くと自動的に湯が沸きます。周囲の鉄を囲う魔道具で調節が可能ですが、宙空は熱くなりますので、アリスちゃんは気をつけてくださいね」
「それでは何かありましたら、廊下の左手の奥にあります小部屋の者に、所用をお申し付けください」
「「では」」
と、キコとジェスは声をハモらせると、頭を下げて、踵を返す。
俺たちが歩いてきた板廊下を戻っていく。
黒衣の衣装の背中側にある
月と狼のマークが印象的だった。
「……んじゃ、ま、少しここで休憩だな」
「了解」
「うん、けどけど、わたしは! 神獣様と一緒に遊ぶ~」
「では、わたしは瞑想を」
「わたしは周囲に<光魔の白糸網>を――」
エルザ&アリスとヘルメ&ジョディはそれぞれ休みモードに入った。
だが、オフィーリアとツラヌキ団&墓掘り人たちは、遠慮がちな視線を俺に向けてくる。
俺は一度、アラハを見た。
サザーの件もあるが、「アラハ、後で話がある」
「サザーのことですね」
「そうだ。だが、今は休んでてくれ」
「はい」
まずはバーレンティンかな。
金髪の映えるダークエルフを一度見てから、皆を見据える。
「皆、自由にしてくれていい。と言いたいところだが、バーレンティン、俺に従うと喋った以上、俺も大切なことを告げよう。だから、休む前に付き合ってもらうぞ」
と、皆に向けて話をした。
「わたしたちは休む必要はないが、承知した。皆、聞いたな?」
バーレンティンは素早い所作をしながら墓掘り人たちに指示を出す。
彼の信頼は厚い。皆、バーレンティンの指示通りに動いた。
サルジン、スゥン、イセスの、ヴァンパイアたちは頭を下げると、文句を言わずに寝台と椅子を選ぶと休みに入っていく。
「それでは、オフィーリアとツラヌキ団の皆さん。閣下は、新しい部下たちに用事があるようですから、今は休みましょう」
と、ヘルメはツラヌキ団たちを寝台の方へと誘導する。
「それで、わたしに話とは」
バーレンティンが、そう聞いてきた。
俺は彼の青い目を見ながら、
「あぁ、以前、ヒヨリミ様にも話をしたように、俺は他にも眷属たちが居る。しかも、<筆頭従者長>という特別な選ばれし眷属たちだ」
バーレンティンは俺の言葉を聞いて、すぐに視線をヘルメに向けた。
ヘルメはツラヌキ団たちに指示を出しながら群青色系の水飛沫を自らの周囲に発生させる。
そして、半身を霧状にした。
「凄い!」
アリスが叫ぶ。
霧は、これまた常闇の水精霊だからこその色合い……。
群青色、蒼色、黝、黒……小宇宙を発生させるように身体を分解する勢いで水飛沫が舞う。
ヘルメは双眸を瞑る……瞑想を始めていた。
常闇の水精霊ヘルメを見て、
「その選ばれし眷属たちとは……」
そう呟きながら青い双眸を沼の先に向ける。
金色の眉が少しだけ揺れていた。
瞳孔も散大しているが、黒猫が黒豹の姿をしていた時に見せていた野獣溢れるような獰猛さを持った視線とは違う。
どちらかといえば、恐怖か。
その強ばった視線の先には、沼を吹き飛ばす勢いで低空飛行しているジョディの姿があった。
やはり、俺がいない時……。
ジョディと墓掘り人たちの間で何かあったな。
そして、バーレンティンの視線と言葉の意味は……。
血を纏う白色の蛾たちを周囲に放つジョディとヘルメの様子から、彼女たちが、俺の『<筆頭従者長>という眷属なのか?』と、暗に聞いているのだろう。
「ヘルメとジョディは眷属といえる存在だ。しかし、血文字で連絡できる<筆頭従者長>たちとは違う」
「俺を吸血鬼にした東方の吸血鬼に、そのような血文字という連絡手段はなかった。シュウヤ殿は、吸血神ルグナド様と直接繋がった間がらの<筆頭従者長>ということか?」
「違う。吸血神ルグナド様からの支配は脱している」
「なっ……神の因果律を越えている……だと」
バーレンティンは驚愕したような表情を浮かべる。
武者震いを起こしたような仕草を取ると勢い良く立ち上がった。
そして、墓掘り人たちに向けて振り返っている。
「――皆、突然だが、墓掘り人としての立場は、今、この場で終了だ。最初は命が惜しいからこその交渉だったが、わたしは、このシュウヤ殿を正式に、主としたい……」
バーレンティンは宣言するように俺に視線を寄越す。
そして、片方の膝を床に突けた。
墓掘り人たちの反応はあまり変わらず。
反発しているような面を見せている者はイセスだけ。
バーレンティンは頭部をゆっくりと上げてくる。
青い眼で俺を見つめてきた。
その瞳から尊敬の意思が感じられる。
「主よ……やはり、わたしの目に狂いはなかった。そして、わたしの……ゼルウィンガーのような……闇虎と似た神獣様を従える存在。神の因果律を越えた存在……」
「ゼルウィンガー?」
そう、動物の名前のことを、バーレンティンに尋ねる。
彼は双眸を震わせて悲しみの表情を浮かべながら
「……はい」
と、短く切なそうに返事をした。
「そのゼルウィンガーとは、ロロディーヌに向けていた視線と関係するんだな?」
「そうです……」
「詳しく教えてくれるとありがたい」
「種族が吸血鬼となる前、わたしが、ダークエルフだった頃の話です」
「ラシュウの名の時だな」
「はい……【第三魔導貴族】の門番としての役割を持つ【闇百弩】という組織に所属していました。そして、ダークエルフは女の上位社会。男は卑下されることは変わりません……しかし、わたしは選ばれた」
悲しみの表情を浮かべていたが、どこか誇りを感じさせる表情だ。
「ンンン、にゃおぉ~」
と、俺に呼ばれたと思った黒猫の声だ。
バーレンティンは息を呑むように急に黙った。
その黒猫を見ると、机の上に乗っていた。
側にあった燭台の炎を噛もうとしている。
「ロロ、それは食い物じゃないぞ。いや、食えるのか?」
「ン、にゃ」
炎を食べるように蝋燭の火を消した黒猫。
トコトコと歩み寄ってくる。
いつものように肩に乗ってくると思ったが、俺の腰元に両前足を乗せた。
紅色の光彩の中心にある黒色の瞳で俺を見つめている。
キラキラとした無垢を感じさせる黒色の瞳が光った。
――まったく、この可愛い相棒め!
腰に肉球を押しつけてくる黒猫の小さい頭を撫でてあげた。
そして、笑ったまま『話が中断したな?』と意思を込めて、バーレンティンを見る。
え?
彼は黒猫を見て泣いていた。
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