三百九十五話 白炎仙手
直接、脳、心に響く声。神だ。
肩に不思議な重さがある……。
そして、俺の魔力が徐々に失われていく。
「おぉぉ、水の衣を纏った戦魔?」
「十二名家の方か?」
「巨大な黒い獣が御守様かと思ったが……」
「だが、衣服は軍服ではない」
「それよりもここはどこよ……生えている樹木の形、わたし、今まで見たことがない……」
神獣ロロディーヌの側にいた人々が好き勝手に喋る。
助かった人々は、ここが異世界だと認識していないようだ。
ロロディーヌが水神様を見上げようと、上半身を持ち上げる。
一対の後ろ脚で凛々しく立つロロディーヌ。
「ンン、にゃ~」
と、鳴いていた。
片足も上げて肉球を見せている。
『肉球ハンコを受けてみるニャ?』
と、語るように両前足の上げ下げを繰り返す。
可愛い猫の動作にしか見えないが……相棒の姿は巨大な神獣だ。
助かった人たちは怯えてしまう。しかし、感覚で分かる。
この<水神の呼び声>は戦いを左右する能力のはずだが……。
「――サデュラとガイアの祝福を受けた神獣よ。安心しろ。我は幻影のみ」
水神様はロロの気持ちを読んだらしい。
『ソナタの疑問にも答えよう。ソナタの思考通り、本来の<水神の呼び声>は我の幻影を武器に纏わせるモノ。今回は呼び水として利用させてもらった。そして、ソナタの活性化した魔力の大半と、周囲の水も利用する形で我の幻影を映している』
水神アクレシス様の声に納得しつつ頭上を見る。
残照によって衣から透けた麦色の陽が……内腿を美しく照らす。
悪気はない。しかし、ちょうど水神様を真下から見る形となっていた。
俺も男……水神様の美しい両足の最奥地、付け根を凝視してしまう。
水を帯びた色合いで形は小さい。芸術性の高い紐とフリフリの飾りが付いた非常に洗練された下着を装着していた。
水神様だからこそのゴッドな下着だろう。
ヘルメと似たような魔法衣だが、色合いは微妙に違う。
『むむ、厭らしい視線……』
ヤヴァイ。
急ぎ視線をロロディーヌに向けて、
「ンン」
ロロディーヌは分かっているのか?
その場で、神獣パンチを繰り出し、空を切る。
『……すみません、水神アクレシス様。お世話になっています。しかし、ヘルメが……』
その間にも、光を帯びたヘルメは丸い水晶を模るように一つの塊になろうとしていた。水黄綬のマークが浮かんでいる。
これは<仙魔術・水黄綬の心得>と関係があるということか。
『亜神の一部を吸い取ったか?』
『そのようです。俺を守ろうとして』
『弱体化した亜神とはいえ、神を吸収するのはソナタの健気な眷属でも無理があったということだ』
防御を信用していた面もあるが、俺の過失だろう。
『……はい。今後は気を付けていきたいです。ヘルメは元に戻りますか?』
『気を付ける? 我の眷属だったヘルメは、もうソナタの眷属。ソナタを守ることは当然の仕事。さらにいえば、そこのヘルメは成長している。時間は掛かるが、いずれは元のヘルメの姿となろう』
え? 成長の過程だったのか。
『それは時間を要しますか?』
『定命の時間なら千年はかかる』
……千年。そんな長い時間、ヘルメと別れるのはいやだ。
ロロが相棒だが、ヘルメも相棒といえる大切な存在だ。
神々にとっては、瞬く間に起きる些細な時間でしかないとは思うが、
『すぐに癒したいです。可能ですか?』
『常人では不可能。が、ソナタなら可能かもしれぬ』
俺ならば可能か。
『是非、教えてください』
『いいぞ。まずはそこの湖にヘルメを浸し、魔力を注ぎながら<仙魔術>を周囲に展開しろ。次にヘルメをソナタの魔力で活性化させた状態で《水癒》を発動させるのだ。続いて、ヘルメの心臓部に付着しているだろう亜神のゴミを上手く除去できれば……ヘルメは回復するはずだ。最後、すべてを取り出した際に、亜神の一部を吐き出す……はず。それが成功の証となるはずだ。しかし、凄まじく難易度が……』
『――ではさっそく』
語尾の神様の口調は止めたほうがいい風なニュアンスだったが、構わない。
一応、右目の側面にある十字金属の素子をタッチ。
――カレウドスコープを起動する。
目の横の金属が連動し、頬の十字型の金属がいつものように、にゅるりと、動いて卍型に変化しつつ眼球の内部にエネルギーの魔力が伝わる。
アタッチメント素子が展開した。これは高性能インテリジェントグラスの機能のような一面を持つ。有視界にフレーム表示が追加、解像度も跳ね上がる。そのカレウドスコープで、ヘルメの蠢く塊をスキャン。
―――――――――――――――――
?????高体??A001
脳波:測定不
身体:測定不
性別:測定不
総筋力値:測定不
エレニウム総合値:99809???
武器:測定不
―――――――――――――――――
バグっている。
塊をスキャンするが、濃密な魔力が交差しすぎて天然のモザイク状態。
辛うじて蠢く存在が分かるぐらいだった。
タッチして右目のカレウドスコープを元に戻す。
卍型から十字型へと、俺の右目側面に備わる金属素子の形が変わる。
ヘルメを湖に運ぶ。
岸辺から湖の水にヘルメの塊を浸しながら、俺の魔力を注いだ。
その瞬間――。
ヘルメの塊は周囲の水を吸い取って、一瞬で人型となった。
眠った状態で浮き上がる。
<導想魔手>も発動させて、ヘルメの下に魔力の歪な手を敷く。
ヘルメの胸元からは蒼黒い球体の心臓部が露出。
俺と契約した時にも見せていた球体だ。
同時にヘルメの裸体から伝う真珠のような水滴が湖面へと<導想魔手>から落ちていく。
青黒い球体には細かい蒼い蝶々たちが蠢いていた。
これが、水神様が話をしていたゴミ……。
<仙魔術>を展開。
仙魔術特有の体が大気と一体化するような周囲の中に埋没する感覚を得る。
仙魔の霧が広がる。湖面に波模様を作りながら這い進む仙魔術の霧。強い気持ちの前触れか?
胃をねじるような魔力消費は同じだが……。
いつもと仙魔の感覚が違う……霧は白い炎が密集したようにも見えた。
その周囲を確認してから、ヘルメを強く見た。
『治してやるからな!』と、強い気持ちを込めて――。
仙魔と導魔の同時展開中にまだ挑戦したことのない<魔闘術>を全身に纏う。
あやふやな自然同化に負けない。
自分自身の精神を確認するように改めて丹田を中心とした魔力を練るように魔手太陰肺経を意識した。
内の功を極めてやる。
さらに《水癒》を念じ、発動。
いつもより巨大で光が強い透き通った水塊が目の前に発生。
水塊は溶けるようにヘルメの体に沈み込む。
魔力を込めた指を蒼黒い球体に纏わりつく蒼い蝶々に当てた。慎重に粘り気のある蝶々の端を掴む――。
下から引っ張り上げるように取り除いた。
俺と同化した<仙魔術>の白霧の中からも白炎の手が出現、それは燃え滾る鋼を内部に宿しているかのような無数の白炎を纏う手だ。
そのまま白炎の手群たちと、自らの両手で、ヘルメの心臓へと外科手術を施す――。
心臓に纏わりつくゴミを丁寧に除去していった。
指で摘まんだ蒼い蝶々。
背に粘り気のある蝶羽が蠢く。
腹はムカデ状の多脚を持っていた。
この亜神ゴルゴンチュラのゴミ虫を外へ投げ捨てる。
放物線を描く虫は、周囲に展開している仙魔術の白炎を宿した霧に触れた瞬間――。
蒸発するように消えた。
――よし、あらかた掃除が完了。
結構、厄介な作業だった。
触手状の張り付いたモノの除去は大変だ。
※ピコーン※<白炎仙手>スキル獲得※
※ピコーン※<白炎の仙手使い>の条件が満たされました※戦闘職業クラスアップ※
※ピコーン※<仙技見習い>から<白炎の仙手使い>にクラスアップ※
<白炎の仙手使い>か。
水神様が見守る中、見習いから次の段階にステップアップした。しかし、槍と仙技はまだ融合しないらしい。
亜神を殺しても戦闘職業は進化しなかったからな。
<霊槍血鎖師>は、レアのレアを超えた上位戦闘職業だからそう都合よくはいかないか。
ま、様々な影響があるんだろう。
木工系スキルを得てないように、獲得できない戦闘職業もあるはずだ。
すると、ヘルメの喉が異常に膨れる。
口も丸く巨大化した瞬間、
「グボォ――!」
と、水を吐くと同時に何かの物体を吐き出した。
湖に沈まずに、ぷかぷかと湖面の上に浮かぶ、それは卵型の宝石か?
卵型の宝石の表面は凹む。
無数に溝があって小さい蝶々を形作っている。
すると、湖面に捨てた蒸発せずに残っていた蝶々の一部たちが、その卵型の宝石目当てに集結してきた。
その勢いは腹を空かせたピラニアのよう……。
凹んだ部分に小さい蝶々が、次々と、喰らい付く。
ムカデのような多脚も寄り添うようにぴったりと張り付いた。
最終的に張り付いた蝶々たちは卵型の宝石と同じ色合いの塊となって動きが収まる。
すると、卵型の宝石は力を宿したように、表面から蒼色の蝶々の石細工が復活していく。
卵の形はヘルメが吐き出したモノと、そう変わりない。
表面のくぼみが減って宝石が増えて綺麗になっただけだ。
その石を掴み、押して、残っている溝を指でなぞるが、卵型の宝石には何も起きず。
魔力は送らない。
何かが起こりそうだし。
この卵型の宝石も気になるが、とりあえず、ヘルメだ。
ヘルメは湖面の上に浮かびながら寝ている。
かわいい寝顔だ……。
キーになりそうな卵型の宝石はポケットに入れて、
『いつもありがとう』
と、気持ちを込めて濡れた髪を左右に梳かす。
水面の上に浮いているヘルメを支えて、岸に運び下ろす。岸辺の草は柔らかい。いいベッドだ。
ヘルメは寝息を立てている。手術は成功したかな。
器用さが高くて良かった。周囲はもう夜となっていた。
ロロディーヌが岸の居たるところに火柱を作っていたので明るい。
触手でエビや魚を釣ったり野ネズミを捕まえたり、ビーバー系の獲物を捕らえては、助かった人々に差し出している。
が、だれも食おうとはしなかった。
『……これでヘルメは助かった?』
『そのようだ。しかし、このような会話をするためだけに、我がここに居るわけではないことは承知しておろう?』
その前に、ゴルゴンチュラの石のことを……。
『はい。少しお待ちを。その、この卵型宝石があるということは亜神ゴルゴンチュラがまだ生きている? そして棺桶のキゼレグの存在も気になります』
岸にぽつんと置かれた銀箱に視線を向ける。
『安心しろ。かつて十二樹海の結界主を巡って争っていた神々の一人、亜神ゴルゴンチュラを滅したことは事実。黒き環がある迷宮ならば話が違うが、このセラに封じていた亜神を倒したのはソナタだ」
『おお』
『だが、浮かれるのは早い。神は神。弱っても神は神。光の十字丘を生み出し、樹海に領域を構えた独自の時空属性系能力を持つ亜神ゴルゴンチュラ。階梯を幾つも隔てた先にある存在が神なのだから』
『……はい』
『セラで身を滅し神格落ちは確実だとしても、その精神の源は、何処かで生き永らえている可能性が高い。精神の源は冥界の底なし沼に囚われておるか、あるいは魔界セブドラの最奥地、十層地獄の底に落ちたか、または……獄界ゴドローンか。ここには神々の骸が集積した場所があると聞いたことがある……』
十層地獄の名なら知っている。
やはり、そういうモノか。
『しかし、何度も言うが、このセラにおいて亜神ゴルゴンチュラは滅した。その神性の一部が入った卵石以外には、僅かに眷属が残っているだけだろう』
『この卵石を起因に復活は可能ですか?』
『可能だ』
『キゼレグとやらが、望みそうですね……』
『どちらも解放すれば、の話だ。解放するのか? 我ならばしない』
すると、
『アァン、閣下ァン』
『……淫夢を見ておる、まさか悪夢の女神ヴァーミナと通じている?』
ピクッと、俺は脊髄反射。
『……はは、ヘルメは通じてないです。むしろ防いでくれているはず。俺はヴァーミナから受けた印が首にありますからね』
魔毒のおっぱい、いや魔毒の女神ミセアとも繋がりがあるが……。
『……我の前でそれを見せる勇気を褒めておこうか? 汚らわしい烙印を持つ者よ』
『すみません』
やべぇ。声音から吹雪の攻撃をすぐにでも繰り出してきそうな雰囲気だ。
どうせばれると思って正直に話したが、まずったか?
『……まぁ既に知れたこと。ソナタは混沌の性質を礎にしているのだからな。仕方がない』
ありゃ、もっと激怒するかと思ったが違うらしい。
心が広く愛がある……あったかい水神様の言葉だ。
表情はここからじゃ確認できないが、思わず笑顔を意識した。
湖の水位が下がったような気がするが、気にせず、ヘルメの様子を見てから、
『それで、愛のある水神様。俺にどんな用が……』
『……ソナタの扱う気に食わぬ壊槍グラドパルスが、闇の閃光を発した件だ。セラの神を殺した閃光は、神界、魔界、あらゆる場所の力を持つ者に届いた。とくに槍使いと関係を持つ神々には強く届いたはずだ。それゆえに、我は歯がゆい」
やはり、意味があったのか。
水神様は壊槍グラドパルスが嫌いらしいが……。
『しかし、あれが単体における現在最高の技なので……』
『そのようだな。だからこそ! 我と炎神エンフリートと弟の海神セピトーンが作り上げた水神槍アクアシェードを見つけて契約するのだ。そして、どこぞの魔界騎士か知らぬが奴が愛用していた魔壊槍なぞ打ち捨て、代わりに我の水神槍を使うといい』
魔壊槍を捨てろか。
しかし、召喚だからな。
『……水神槍アクアシェード。そのような物が……』
『といっても、<水の即仗>のように直接与えることができなんだ。すまぬ……』
神様がすまぬとは、恐縮してしまう。
『……その槍はどうして水神様の手から離れることに?』
『炎神と海神の賭けに負けた』
『それはどんな賭けを』
『ある海の種族の繁栄に関することよ。その賭けに負けた我はアクアシェードをセピトーンのいる海底に突き刺した。おかげで特殊な供物が育つようになった弟は、大層喜んでいたことは覚えている』
恵みを齎す槍か。
そりゃ引き抜いちゃダメな奴だろう。
『……そんな大切そうな槍は引きぬきませんから』
『我の申し入れを断るとは! 水神槍アクアシェードと契約できれば、闇の魔壊槍に匹敵、いや、凌駕する水神槍としてソナタに存在感を示すのだぞ!』
『炎神様と海神様との、大事な勝負は? 神様同士の約束に俺が割り込んで、反故にしてしまったら、海神様と炎神様は怒りを覚えるのでは?』
『確かに怒るだろう。しかし、ソナタを神界側へと確実に引き入れる口実となる話だ。理由を聞けば了承するはずだ』
なるほど……。
要するに神界側と敵対するなと。
『水神様には感謝しています。信仰心も並程度にはあるという自負があります。ただ、水神槍アクアシェードはお断りします……俺は俺、どのレールにも乗るつもりはないです。知らず知らずのうちに乗っているのかも知れないですが』
『……頑固な混沌者めが! だが、我はそんなソナタが大好きだ。水神槍のことは頭の片隅に入れておけばいい。<水神の呼び声>は今後とも使うのだぞ?』
『はい』
『では、我はここまでだ』
『早いですね』
『魔力を膨大に備えたソナタとはいえ、魔力消費がこうも激しい状態はキツイだろう……最後に魔界の奴らはまぁ言わずもがな、【旧神たちの墓場】に気をつけろ――』
その瞬間、肩の不思議な重さは消える。
俺の魔力の吸収も途切れた。
しかし、ヘルメのようなお尻愛のポーズは俺には見せてくれなかった。
位置的に見るのは困難だったし、仕方がないか。
鮮明に脳裏に焼き付いた水神様のパンティーへと御祈りしとこう。
ご利益があるかもしれない。
「……閣下、わたしは……」
「――良かった。目覚めたか」
「はい――」
ヘルメは立ち上がると抱き付いてくる。
「あの時は驚いた」
「……亜神の一部の取り込みに失敗して、閣下に最期のお別れをしたつもりでした――」
「二度と、あんな言葉は口にするな」
「あぅ、怒らないでください」
抱き付きながらも下に視線を向けるヘルメ。
「心配したんだ。約束できるか?」
「あ、約束します。あ、あの、閣下、閣下が、わたしを?」
ヘルメはそう聞きながら、体に服と魔法衣を纏う。
長髪もホライゾンブルーに近い蒼色と黝色のグラデーションにより深みが増したように感じるのは偶然じゃないだろう。
……すごく綺麗だ。
そして、自身の細い手から豊かな胸元を見ては、俺に蒼い双眸を向けてくる。
「……そうだよ。水神様の教えを受けながら、新しい仙魔術を駆使して手術を実行した。ヘルメを苦しめていた亜神のゴミを内部から排除したんだ」
「……やはり! 閣下のお力がわたしを救ったのですね。嬉しい……」
「神様曰く、ヘルメは塊状態のまま千年待てば、元に戻ったらしいが……さすがに、千年もヘルメのお尻愛のポーズと、ヘルメの野望の話を聞けなくなるのは寂しいし、訓練相手が居なくなるのは辛い。それにヘルメの居ない世界にどんな価値がある? だから――」
「――閣下」
ヘルメは瞳を震わせて涙を流しながら、俺の唇に人差し指を当てていた。
しゃべるなと告げている。
彼女は人差し指をゆっくりと下げると、涙が滴り落ちている長い睫毛を閉じる。
瞼を瞑っては、桃色が混ざる小さい唇を俺に向けてきた。
――お望み通り、最初は優しく……桃色の唇を労わるように重ねていく。
続いて、唇の厚みで彼女を撫でるように深いキスを行った。
そして、最後に魔力を少しプレゼント。
「――あぅン」
膝から崩れるヘルメをお姫様抱っこ。
ヘルメは我慢できないというように俺の首に手をまわして、自ら唇を寄せてきた。
勿論、そこから長い長いディープなキス。
端正なヘルメの唇が歪んでしまうと心配してしまうほどのキス。
精霊の彼女は花の香りをほのかに漂わせてくる。
小さい幸せを感じながら、ロロディーヌの場所に向かった。
神獣ロロディーヌは俺とヘルメに対して気を使っているらしい。
長い尻尾と黒触手を左右に動かして、皆の視界を塞いでいる。
こういうことに関しては大きくなっても変わらず気が利くロロディーヌちゃんだ。
すると、背後から水飛沫の音が鳴る。
抱えていたヘルメを下ろし、振り返ると……。
半透明じゃない若芽のような草を纏った侍が立っていた。
湖の底の中をゆっくりと這い上がってきたのか……。
面頬の頭頂部から細い光が走って見える灰色の頭髪がお洒落だ。
「閣下、先ほどの……」
「あぁ。亜神ゴルが扱う触手の鮫牙腕と、あの十文字槍だけで打ち合いを演じていた」
ヘルメから、今までとはまた違ういい匂いが漂う。
<珠瑠の花>を発動したようだ。
俺は腰に差してある鋼の柄巻きに手を添えた。
<白炎の仙手使い>の戦闘職業を生かすようにムラサメブレードもたまには使うか?
無数の白く燃えた手が織りなす仙術の剣技。
本物のムラサメブレードは一つだけだが、虚像との見極めは初見では難しいはず。
白炎の手による直接的な攻撃も可能だし、様子を見ながら戦うにはピッタリだな。
そんな思考を重ねながら……武者を凝視。
甲冑がメインだが、千切れた半袴に黒い足袋系の草鞋を履いている。
半透明なのは変わらないが、月明かりのお蔭か、甲冑の下半身がよく見えた。
そして、十文字槍を片手に、月の明かりの暗い中を歩くさまは迫力がある。
独特の間を維持した歩法……剣呑な雰囲気を醸し出していた。
雰囲気的に天凛堂で戦った耳朶怪人を思い出した……。
耳朶は伸びていないが、草を纏った侍は一瞬、俺に視線を寄越す。
面頬の奥に宿る双眸は光を帯びる。
その殺気が籠った視線を黒髪の女の子が休んでいる場所に戻していた。
俺が隠した場所を一瞬で当ててきたか。
とすると、使い手、使役している女の子と、この半透明の武者には、強い繋がりがあることは想像がついた。
水草を纏った武者は、そのまま俺とヘルメを素通り。
巨大な神獣と助かった人たちには一度も振り向かずに倒れた樹木と太い根っこが重なる場所へと、背中を見せて、のしのしと歩いていく。
「巨大な武者様だ! あれこそ、十二名家の御守様に違いない!」
「でも、わたしたちを守ってくれるかしら、噂に聞く戦争の道具よ?」
「……ジャポンの秘密兵器……」
すると、湖の向こう側の空からエヴァが近づいてくる。
さすがにエヴァも巨大な鋼鉄を運ぶのは苦労しているようだ。
片翼と後部が無くなっているビジネスジェットを血色と混ざった紫魔力が包んでいる。<念動力>も凄まじい成長を遂げている証拠か。
湖と打ち倒した森の間の空き地にビジネスジェット機を誘導している。
<念動力>を操作しているエヴァと視線が合った。
――手伝うか、と少し駆け寄るがエヴァは頭を僅かに左右に振ってから微笑む。
すると、気がはやったのか、<念動力>が途中で切れてしまった。
紫魔力が薄まったビジネスジェット機はその分、乱暴に胴体着陸。
振動が湖面に伝わり波が起きていたが、落ちた飛行機は別段壊れることはない。
ビジネスジェット機の前部のドア部が横にずれる。
ドアの下部からタラップが斜めに展開し、梯子も下へと伸びてきた。
そこから身なりの良さそうな恰好をした人が、数名、岸辺に降り立つ。
エヴァは助けた面々には興味を示さず、魔導車椅子に乗ったまま空中を移動してきた。
「――シュウヤ、凄く眩しい不思議な閃光があった。亜神と対決?」
眩しいか。
俺はそうでもなかったが……。
「そうだ。亜神を屠った魔壊槍、壊槍か、その魔槍が発した閃光。亜神ゴルゴンチュラを倒した結果の、闇の光といえるのか? その辺は分からないが。で、戦いが終わった後、ヘルメが倒れてしまったんだ。そして、つい先程まで治療を施していた。今はこの通り」
「はい。元気です! 閣下の御蔭で助かりました。エヴァもがんばりましたね」
「ん、治療は水の魔法? とにかく二人とも頑張った。亜神退治と多くの人を助けた!」
エヴァはヘルメの様子を見ては、そう喋り、微笑むと、片手からトンファーを伸ばし掲げる。
「おう。エヴァも頑張った。あの飛行機、重くなかったか?」
「ん。少し重かったけど大丈夫」
「金属の飛行機、ミスティが気に入るかな? エヴァ的には溶かして有効活用できそう?」
「ううん。鉄箱の乗り物は前にシュウヤがくれた自動車? という魔導金属が付着した物と違う。純粋な鉄が多い。ミスティもあまり興味を抱かないかもしれない。まだ中身を見てないから分からないけど」
エヴァはそう言うとトンファーを仕舞い、魔導車椅子から金属の足に変化させてから左右を見渡す。
「ん、ロロちゃん。あ、見たことのない変なのが居る」
ロロディーヌに微笑んだあと、半透明の武者を見つめたエヴァ。
水草の衣を身に着けているような侍に近付いていく。あれは氣になるよな、俺たちも続いた。
「エヴァ、そいつは亜神と打ち合っていた侍だ。注意して」
「ん」
侍が、仁王立ちで女の子を守る姿はカッコいい。
神速染みた速度で槍を扱って俺の<鎖>を弾き亜神の連撃を凌いでいた。
「閣下、わたしは左目に」
「おう」
ヘルメは、にゅるりと、淀みのない春麗な動きで左目に納まる。
「ん、武者は反応しない。この子たちはまだ眠っている。丸い眼鏡の子はミスティと違う」
「深い眠りのようだ」
エヴァは半透明の武者に触ろうとはしない。
いきなり攻撃してくる可能性が高いと踏んだようだ。
「エヴァ、後ろに下がって。一応、俺が側に近づいて確認する」
「ん、分かった。助かった人たちが集まっているところに戻る。レベッカたちにも報告しとく。皆の言葉は分からないと思うけど……」
「おう。まぁ、最初は気持ちで」
「ん」
エヴァは頷くと、金属足で根っこを軽やかに回避。
ワンピースはやはり似合う。
「んじゃ、俺は近寄ってみるか。さっきは素通りだったが……」
と、口にしながら黒髪の女の子に近づいた瞬間、半透明の武者が動いた。
十文字槍の穂先を差し向けてくる。
「俺はこの子を助けた。お前にはその行動が理解できないのか?」
と、尋ねても、武者は構えを解かず。
槍を持つ腕も微動だにしない。
十字の穂先を俺にさし向けたままだ。
面頬の眼窩に宿る二つの双眸は鋭い。
狐炎とは違うが、管狐らしき幻影が走っている瞳……。
『近づけば問答無用で斬る』という意思が垣間見えた。
「……」
この武者、オコジョが祖先だったりするのか?
「ま、無駄には争わんさ……」
武者は完全なスタンドアローンではないと思うが。
感情の類があまり見えない……。
一端、戻るか。と思った時、「ん、こ、ここは――」
黒髪の女の子が起きた。
すぐに身の回りの状況を把握するようにきょろきょろと頭を左右に回す。
眼鏡の女の子はまだ寝ている。
状況を把握したのか、上半身を起こした黒髪の女の子。
魔力を全身に宿す。特に手首の腕輪へと魔力が集中している。
腕輪は管狐の絵柄だ。侍の瞳に管狐たちが宿っていた理由か。
「又兵衛、ご苦労様。警戒は今のところ、第二段階まで下げていい」
「――」
名は又兵衛。いいねぇ、戦国武者らしい名だ。
その又兵衛さんこと半透明の侍は、軍服の似合う女の子の指示を受けた直後――甲冑鎧の隙間からガスを排出するように魔力を外へ放出。
女の子の能力と連動しているらしい。
能力の一端なのか、透明だった侍は見た目を変化させていた。
明日も量はどの程度か未定ですが、更新予定です。
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