三百四十五話 <筆頭従者>ホフマン
今回はホフマン視点となります。
2020/11/16 23:46 修正
2020/11/18 16:51 修正
2020/11/18 20:33 修正
2024年2月19日 13:20 修正
――<血道・霊凝肢>を発動。
青白い魂の手が小さい蝶の残骸を握り潰す。
蝶は儚く消えていく。
これは夢か……とろりどろりと、闇の蝶の儚い夢……。
否、消えた死蝶人は現実。
……糞が、なんたる失態か……。
<従者長>たちが消えた光景が目に浮かぶ。
トイズ……マリアンヌに似ている女だったが、消えてしまった。
夢であってほしい、が、これは現実。
マリアンヌの『起こるべきことは必ず起こる』という言葉通りの結果だ。
……屈辱だ。
洗礼を通じ真の霊的な完全者となったわたしが……。
この世界に再臨した理由はこのような恥辱を味わうためだったのか?
否、否、否、否、否、否だ! 断じて違う!
真なる千年王国の樹立のために神が怪物を選んだのだ!
そう、異教徒や背教者を超えた怪物。
血濡れた吸血鬼と成り下がった、わたしを!
元聖職者が十字架に逆らう主な存在に生まれ変わったのは最大の皮肉と言える。
そんな悪魔、吸血鬼として生まれ変わったわたしも当初は苦労した。
ホフマンとしての意識が目覚めた時、すべてを知ったが……。
◇◇◇◇
毎日……身を切る思いで……主へと祈りを捧げていた。
吸血鬼の体となっても精神は変わらない。
スキルという不浄な名前の能力を得た体となっても、主、神への思いは変わらなかったからだ。
『主よ、哀れみの心を閉ざすことなく、慈しみと誠によっていつもお守りください』
『悪となったわたしは体と心が罪に捕らわれました。その罪の数は髪の毛よりも多く、わたしの心はくじけています。主よ! 救ってください。すみやかにわたしを助けてください』
こうした祈りには吸血鬼の体が拒否反応を起こす。
わたしは構わず毎日毎日祈りを繰り返す日々を送る。
しかし、わたしが知る神は、祈りには答えない。
この世界が神々と精霊に満ちた世界故。
わたしが血の支配を感じ取れるが故に……。
余計に苦しみにあえいだ。
それは自ら死を望むほどに。
『このままではわたしは破滅の道を……』
自暴自棄になったわたしは……怒鳴り散らし喚いては街の憲兵に斬りかかる。
そして、憲兵たちからの反撃をわざとまっさらな体に受けた。
槍矛と剣刃を一切の罪を背負う気概で……。
胸元に突き刺さった矛刃から感じる振動を受けて臓腑から激しい痛みを感じながらも……。
ひたすら、人の罪を浴びるのだと、目を瞑ってじっと耐えていると……。
わたしが死んだと思った兵士たちは堀の中へと無残にも投げ捨てる。
次は、黴臭い馬に乗った騎士紋入りの胴衣を着る盗賊たちを雇い、荒野に向かった。
その平たい荒野に皆で穴を掘っていく。
そして、自らその穴に入っては……雇っていた者たちに頼み込んで、土で埋めてもらった。
頭部だけを地面から晒して……過ごす。
この時は、自分の目玉を鴉たちに突かれる感覚を味わった。
続いては……熾火と油を使い、焼身自殺をはかる。
当然……皮膚が焦げる酷い匂いと、どうしようもない痛みを味わいながらも、体は再生を繰り返した。
その次は、聖セバスティアヌの加護など意味がないように黒死病の肉を食べた。
さらに自らの内臓を抉り取るように、鋭い爪で胸をかき毟ったり、獣の巣穴で身体を喰わせてみたり……と。
古代イスパニアからのアッシリアやペルシアの修験者を超えているだろう……。
それはもう狂気を地でいくような、ひたすら死へと向かう努力を重ねたが、すべて無駄だった。
わたしは吸血鬼だからな。
だが、お陰で不死というものがよく分かった。
この当時、吸血鬼ハンターに追跡を受けて聖水を浴びられたなら、死滅できたかもしれぬ……が、吸血鬼ハンターはいなかった。
そうした経験を踏まえながら絶望の気持ちを常に持ち、放浪を続けていた。
そして、土に寝そべる。
このまま土へ還ろうか?
死神ナムタルならわたしも殺せるだろう。
と考えながら、無駄に月日を寝て過ごす。
そこに、
「――何をしているのさ」
と、突然、人族の女の言葉が聞こえた。
「……死を望んでいる」
「なんだって? 聞いたことのない言葉だねぇ」
寝ながら前の世界の言葉で答えていた。
「一応、共通語は知っている……」
わたしが目覚めた時から、この地域の言葉は知っていた。
目覚めたというより起きた感覚だからな。
「お、なんだい、話せるのかい。で、今、何を話したのさ?」
「死にたいと」
「……はあ? まだ若いのに何をバカなことを話しているのさ」
と、彼女は溜め息をついてから、わざわざ片足を折って尻を下に敷くと、わたしの身体を支えるようにしてから無理やり手を握り、起こしてくれた。
ろくに私物を持っていないとはいえ男を持ち上げる力強い女だ。
茶色の髪に彩りを添えるような綺麗な花飾りがある。
そこからブドウの匂いがした。
「――硫黄臭がするね? だが、ほら、まだ歩けるんだろう?」
と、半ば強引に手を引っ張られて、彼女の家まで案内された。
わたしからはブドウではなく腐臭がするらしい。
<堕天・イステの歌>や<悪魔力>のせいだろう。
「……なぜ助ける?」
「またそんなことを言って! ジャッカルに食われたいのかい?」
右手の細い指でわたしを差し、片手を腰に当てながらのわたしを叱る言葉。
彼女は胸が大きいので揺れていた。その胸を見ながら、
「……野犬になら食われた経験がある」
「ぷっ、食われてなんで生きているのさ!」
冗談に聞こえたらしい。彼女は笑っていた。
そんな快活な笑顔を見ると、神に絶望していたことを忘れられるような気がした。
わたしは唾で自らの唇を湿らせながら、
「それはわたしが普通ではないからだ」
と、説明。吸血鬼とは言えなかった。
「……また訳のわからないことを言う金髪だねぇ。いい顔をしているのに薄汚れているし……もしかして、どこかの落ちぶれた貴族様?」
はきはきとよく喋る女だ。
「違う……」
「……まぁここはハイグランドの森、詳しくは聞かないさ。そして、まったく運がいい。アレバノス様麾下の騎士様たちがこの辺りのモンスターを掃除してくれたお陰だよ? まだドラゴンだって、壁の王だって、噂では出るらしいけどね」
「……そうか」
そのモンスターの中には、わたしも含まれるのだがな。
「……さぁ、金髪。歩けるならこっちだよ」
「わたしを助けてどうする」
「……起こるべきことは必ず起こる」
「ん? 意味がわからない。それは家訓か何かか?」
「……名前は?」
女はわたしの問いに答えずに名前を聞いてきた。
「……ホフマンだ」
「そうかい、絶望するのは勝手だが、家の敷地内にいたことを後悔するんだね。起こるべきことは必ず起こる、は、単にお爺ちゃんからの受け売りだよ。今、ちょうど農地が荒れていてね。人手不足なのさ」
鋭い視線を寄越しながら語る彼女。
正直、器量はたいしたことない。
だが、きっぷのいい性格と、向日葵を感じさせる明るい笑顔が印象的な女だった。
しばし呆気に取られていたが、髪飾りが綺麗な彼女が、強引にわたしを連れていく。
彼女が到着したところは、木々の一部が左右に切り開かれた形の小屋だった。
小屋には女の家族が住んでいた。
家族に「今日から、このホフマンという男を、住み込みで働かせるから」と簡単に紹介され、吸血鬼のわたしが畑仕事をするはめに……。
昔、前世の若い頃、教壇に立つ前には畑仕事を手伝った覚えはあるが……。
なぜ、吸血鬼のわたしが……。
なぜ、血を吸い殺さない?
なぜ、頭を切り裂き脳を覗き能力を得て殺さない?
と、疑問に思う中……。
ちょうどいい、この地域の言葉を学ぶいい機会だ、と、
わたしは素直に畑仕事を受け入れることにした。
だが、彼女に対して感謝を覚えていた。
吸血鬼として悪が肥大しているわたしは、矛盾する精神から自然と吐き気を覚えた……。
だが、当時はまだ人間の善の部分が残っていたのだろう。
そして、その女の下で一緒に暮らし始めた。
彼女の名はマリアンヌ。
次第にマリアンヌとその家族たちと暮らす内、自然と共通語を覚えていく。
わたしが持つスキル<脳切血盗>を用いれば……もっと簡単に覚えられていたと思うが、当時は使わなかった。
新しい言語など、フランス女を相手にすると思えば簡単だ。
『ア・ボン……』『エ・アロール?』『デ・……』
といったように、母さんの手のような風を頬に感じる努力を重ねて人間としてなりすまし、前世と同じように愛を感じようと、輾転反側する生活を続けていく。
しかし、次第に吸血鬼の悪は肥大した。
知悉な元聖職者らしく次々と生まれてくる想念を弾こうとするが、そのたびに吐き気と眩暈と身震いを繰り返す。
血の欲求を抑えることはできなかった。
昔の敬虔な思いは、わたしには皆無……。
思いやりの心はすり減るのみ……諦観だ。
薔薇の花輪を頭にかぶった花やいだ若さに満ちた美しい女性も、餌にしか見えない。
これには戸惑いを覚えて躊躇したが……。
薔薇のエキスが詰まった唇も、血濡れた欲望が詰まった肉にしか見えなかった。
若い頃は純白のような雪花石膏の肌の女が、細い指で、大きい琴の弦を艶めかしく弾くのを見ているのが凄く好きだった。
しかし、すべてが変わったのだ。
ある夜……無意識に身体が動く。
血が、血が、血が欲しい。
前の晩に獣を殺し血を吸っていたはずだったのだが、人の血が欲しくてたまらない……。
気付いたら……マリアンヌの背中に抱きついていた。
「……やっと、わたしを襲う気に……ふふ」
彼女はわたしの腕を両手で優しく握りながら、振り向こうとしてきた。
そのマリアンヌの言葉が嬉し気だったことは覚えている。
人族の血に飢えていたわたしは……彼女の襲うという言葉を脳裏に反芻しながら、首筋に顔を埋めて……伸びていた犬歯を美味しそうな項に突き刺していた。
マリアンヌの血を少しずつ吸っていく……美味しい血を。
そして、茶髪が綺麗なマリアンヌが、彼女が……。
朝日が射した髪に秋を感じさせながら死んでいた。
マリアンヌ……済まない。
わたしを愛してくれていたのは知っている。
わたしは……血の欲求に負けて殺してしまったのだ。
アハハ、アハハハ……頬に何かが、あ、こ、これは、血の涙か?
その瞬間、
※<死愛>※恒久スキル獲得※
ふざけるな、スキルだと……だが、哀しみをあまり感じないのは何故だ。
それはわかっている。
わかっているのだ!
……わたしの血の涙がマリアンヌの顔を濡らす。
それを眺めながら……救いようのない想いの自問自答を繰り返していた。
この時から、わたしの声音も、女の声が交錯したようなしゃがれた声に変わる。
きっと、アポロンの矢とディアナの矢を、頭と心に受けたのだろう。
そして、マリアンヌのような女に会わないように吸血鬼らしく……。
荒れ果てて古びた一郭に位置する地下納骨堂で<血魔力>の実験を行いながら、同じような墓地を転々として放浪する生活を続けていった。
世界の一端を垣間見ていく……。
この不思議な世は、剣戟に満ちた怒号の争いが絶えない荒廃した世界だと知る。
戦争が繰り返されて、弱き者が淘汰される凄惨が極まっていた。
平和の時代が来ても、偽りの平穏の下、恥辱と不正が横行する世が続く。
これは、前の世界の教皇特使活動と似ていた。
平和外交活動の名の戦略に於いて腐敗にまみれた権力と血濡れた北方十字軍の活動とそう変わらない。
あらゆる対立項の総体である。
救世主の再臨を望み、平和的手段で悪を粛正しようとする無駄を学ぶ。
神は奇跡の力を文字通り見せつけるだけで、結局は人を救わない。
罪深いわたしを追いかける吸血鬼ハンターの存在を知り、光の神聖教会といった宗教があることを知るが、わたしの知る教会とは違う。
二者択一もない。どす黒い大河の真上で、愉悦顔の亡霊が踊っているだけだ。
篠突く雨も血でできている。
そしてまた戦争が始まった。
身分の低い貴族たち、通称〝折れた槍〟他にも商人、盗賊、乞食、動物も皆、咽喉が裂かれ、獣に喰われ、手足をもがれ、恨み苦しみ死んでいく。
戦争という罪が怨念と罪を呼び、罪が世界を覆い世界の秩序を作る。
戯画染みた悪という悪剣と金銀が、この世の秩序であり、悪剣金がこの世のすべて。
まさに、わたしが覚えていた能力たちに見合うではないか!
<血魔力>、<ヴァルプルギスの夜>。
そして、それらのスキルと密接な関係にある二百五十の〝生きる悪魔たち〟の力を引き出し、次元が外れた深淵の滲出物が溢れた都市から召喚しうる<堕天・イステの歌>。
さらには、能力を盗み得る<脳切血盗>。
数千年の間に盗み得た<悪方十剣>と<吹雪霊蟲>を含む多種多様なスキル群はわたしの強力な武器となっている。
すめらぎふぶきと名乗っていた美貌の女を思い出す。
ニホン国、東洋の日出ずる国から来たという話を……。
だいかんとうの、『ていと』、『とうきょう』という場所から来たと。
『すめらぎ家』、『十二名家』、『きくちおかりゅうぞう』の名をしっているかしら?
と尋ねてきたが、『ハプスブルク家』のようなものか?
と、適当に相槌を打ちながら彼女の双眸を見つめ続けていたら……。
わたしをすぐに信用してきた黒髪の女。
<魅了の魔眼>に墜ちたのだろう。
あの女が持っていた<美爪術>と<吹雪霊蟲>の能力は絶大だ。
わたしが<悪法十剣>を用いて体内に取り込んだ十凶星ランウェンの能力を引き上げ、身体能力をも引き上げるのだからな。
フハハハハ! あの当時を思い出すと嗤えてくる。
能力を盗む際……。
額が切り裂かれながらの青白い女の顔、絶望を浮かべた表情が忘れられない。
愉快な気分にしてくれたお礼に、切断した額を塞いでやったから……。
ひょっとしたら、まだしぶとくどこかで生きているかもな。
他にも<血道第二・開門>から派生する<血道・霊凝肢>、<血道・空蝉>を用いて血の実験を繰り返す。
血という血が餌であり、わたしの生きる糧だと分かる成長を味わえた。
吸血鬼のヴァルマスク家が齎す血濡れた力。
これこそが、新しい千年王国の真理なのだと。
だからこそ! わたしは吸血鬼として再臨を果たし、生まれてきたのだと。
そうして、わたしの朋輩たちの、ヴァルマスク家の頂点であらせられる女帝にわたしは見出され、<筆頭従者>にまで上り詰められたのだ。
……だが。
永年尽くしてきたヴァルマスク家の<筆頭従者>としての貢献も……水の泡だ。
死蝶人との戦いで<従者長>を失ってしまった。
一から<従者長>を作れるとはいえ……。
永きに渡る血の経験と<脳魔移植>でわたしが扱えない貴重な能力をわけ与えていたトイズ、ビアノ、ユオを失ったのは非常に痛い。
数百年の時が一瞬で無と化した……。
血との融合を果たしてきた研鑽途中の傀儡研究も失われ、貴重な素材とアイテム群も理不尽に奪われた。
珍宝五指【金亀イーロンのカード】。
淫魔の王女ディペリルの【王淫の蜜】。
魔界八賢師セデルグオ・セイルが愛用した秘術書【結び目の原書】。
鱗人の書【侍女たちの秘密街】。
秩序の神オリミールの【ギルド秘鍵書の模造書】。
【青封印石の首輪】。
【十二樹海の結界主たちの神絵巻】。
九紫院テルガモット上級書簡【ミスラン崩流書】。
天帝フィフィンドの【仙人胆】。
荒神グジュトの【グジュトの油皮膚】。
術神アブクルの【アブクルの金暗鍋】。
これらはすべて……六秘宝にも劣らない代物。
貴重なアイテムを用いた実験を女帝に任されるほど信用を得ていたというのに……。
またもや、錬金術師との争いに続いて死蝶人たちに血の工場を破壊されてしまうとは……。
このままでは大長老会議の議題で責め苦を味わう。
<従者長>たちを失ったルンスのことを責めた手前、何も言えないではないか。
……失態続きにも、程がある。
だが、死蝶人が領域外に出ることは非常に稀。
だから不運と捉えるしかないのか?
わたしも絶大な力を得て油断していた。
まだまだ砂上の楼閣に過ぎないのだ。
しかし、何度も思うが、女帝になんて報告を……。
大長老会議で何を語ればいいのだ……。
このままでは静観し、情報を集めることだけに徹していたアルナードが六秘宝の一つ、【鴇の宝玉】を得てしまうのは確実。
これは……悔やんでも仕方がない。
女帝の信任を失うのは確実だ。
能力を盗むまでは数千年は我慢しようと思っていたが、こうも失敗が続くとは……予想外だ。
死蝶人……は強い。
アダマスの大鎌を髣髴とさせる強力な武具を扱う。
よろめきを利用しながら肩先がぶれるような神速めいた速度で振るう鎌術。
地づりで跳ね上げる鎌刃の袈裟斬りを浴びた。
頬にびりと走った鎌刃の切れ味は……。
ひさしぶりに生温かい傷を、この身に味わえた。
鎌刃を用いた一閃は神髄だ。
そんな白蛾の蝶女にも魔剣を使い傷を与えたが、わたしと同様に効いていないだろう。
魔界六十八剣の十凶星ランウェンの<猛斬将>も通じず。
<血道第三・開門>、通称第三関門の<ヴァルプルギスの夜>を用いた<召喚術>でさえ仕留められなかった。
二百五十のすべての召喚秘技を使ったわけではないが……。
それは死蝶人にとっても同じこと。
奥の手を使うわけがない。
しかし、あの鼻であしらう態度は……。
終始フザケタ様子で戦っていた……。
……随分となめられたものだ。
この数千年を吸血鬼として生き抜いてきたわたしを……コケに。
しかし、結局は死蝶人を取り逃がしてしまったのだから、当然かもしれぬ……。
<血魔力>を研鑽して獲得した<血道第二・開門>の<ジエルの火走り>を用いても追跡できないとは……。
アァァァ、気が収まらない――が、仕方ない。
ここは素直に血の補給を行うとしよう……。
そこで、宙を見渡すように動きを止める。
樹海の木々が視界を覆うが、いつもの光景だ。
このまま破壊された血の工場に戻り、一旦出直すか。
しかし、岩窟前の広場では死蝶人の片割れと戦っていた槍使いがいた。
あの槍使いが、どうして……あの場にいたのだ?
冒険者としての依頼か?
もしや、わたしの血の工場に用でもあったのか?
貴重な情報とアイテムを盗みに?
単に、ルンスの一件がわたしに飛び火したのか?
いや、それはありえないだろう。
わたし個人に用があるならば、わたしを追いかけてくるはずだ。
今、周囲に――追いかけてくる様子はない。
あの槍使いがヴァルマスク家を潰すという目的を持っているのだとしたら……直接【大墳墓の血法院】へと向かうはずだ。
だとしてもだ。
槍使いは確かにあの場に存在した。
あの死蝶人の片割れと、互角以上に戦い、退けていたことは事実。
交渉したにせよ、実力で後退させたにせよ……わたしにはできなかったことだ。
そもそもが、死蝶人は伝説に残るほどの存在。
交渉できる存在なのか?
だとしたら槍使いとは何者なのだ……。
その槍使いは……まだ血の工場で探索を続けている可能性もある。
槍使いは、独自の血の匂いを持ち、教会騎士を退ける力を持つ異質な要注意人物。
天凛堂の戦いを踏まえた女帝は『彼とは敵対するな』という厳命を新たに下していた……。
しかし、今のわたしは血に飢えている。
出会えば、血の欲求に加え、未知の能力欲しさに我慢できない可能性も……。
だが、わたしも無謀ではない。
わたしの野望を潰してくれた死蝶人ならまだしも、能力を盗みきれるとは思えない強さを持つ女帝自らが厳命を出した異質な相手だ。
血の飢えとその強さに惹かれて戦いを仕掛けるほど……愚かに歳を重ねているわけではない。
血はこの辺りの雑魚で補給を済ませるとしよう。
フハハ、雑魚といえ……希少な能力を持っている可能性もあるのだからなァ。
幸い<分泌吸の匂手>は使わずとも、血の臭いが充満している樹海だ。
獲物はたっくさん居る♪
くっ……死蝶人共の言葉が……。
◇◆◇◆
と、考えている血の双眸を輝かせるホフマン。
彼の半身は血の波。異質な血の世界を表現している闇の生き物。
血の波は揺らぎながら宙を漂う。
それは継ぎ接ぎだらけのマントが歪に繋ぎ合わさったような形にも見えた。
ホフマンは尋常ではない速度で樹海を進む。
彼は女帝ファーミリアの<筆頭従者>でありながらも、内実は虎視眈々と、<脳切血盗>を使い女帝の脳を覗き能力を盗みたいと考えている。
彼の扱う<ヴァルプルギスの夜>に関連するスキル群は多種多様。
<エンメドゥランキの書>、死蝶人との闘いで使った<シュミハザーの棺桶巨人>、<レマシェルの灰>、<エロヒームの魔眼>、<エルの斧手>等、他にも沢山ある。
しかし、女帝にも底知れぬ強さがある。
ホフマンはまだ勝てないと踏んでいた。
そして、成長した<筆頭従者長>クラスの強さを誇るホフマンではあるが……。
吸血神ルグナドの影響下にあることは嫌いではなかった。
それが女帝に見出された忠誠か、血の魅了であるのか、ヴァルマスク家に対する忠誠なのか、マリアンヌを一時とはいえ愛していたことに起因するのか、彼自身にもわかっていない。
◇◆◇◆
――早速、血の臭い、餌を発見だ。
丁度、宵闇の時間。
糞な死蝶人ではないが、今度はわたしが遊ぶとしよう……。
<血道第三・開門>を強く意識。
――<ヴァルプルギスの夜>。
ボルジアのルクレツィアに似ている<アラギヌスの弓兵>たち、現れよ……。
半身の<ヴァルプルギスの夜>から額に漢字の札が貼られた白髪の女性たちが出現していく。
白い前髪が生え揃う美しい女性たち。
皆、黒い眼帯を装着し、手に長弓を持つ。
血色の宝石が埋め込まれた魔矢の群れを操る。
無垢の人形のような彼女たちは、白を基調としたワンピース系の衣服を身に纏うが、二百五十の悪魔たちの中でも遠距離戦に特化した弓兵たちだ。
周囲をゆらゆらと漂う魔矢を操る。
正確無比な矢の連続射出が可能だ。
そのアラギヌスたちは、わたしの横に並ぶと、一斉に細い膝頭を地面へ突けて頭を下げてきた。
「形式はいい、狩りの時間だ」
「はい……」
アラギヌスは上目遣いで返事をした。
額に貼り付いている札が血色に輝く。
「進むぞ」
アラギヌスたちは一斉に頷く。
皆、闇の眷属らしく、夜の闇に紛れるように展開した。
さて……わたしも、数人の冒険者らしき姿を遠くから確認。
すると、注目した冒険者の頭に血矢が突き刺さった。
頭に突き刺さった矢から血の吸引が始まると、あっという間に冒険者は干からびていった。
――ふはは、いいぞ、アラギヌス。
次はわたしだ!
わたしはわたしらしく、基本に忠実といこう。
魔力を込めた片足を普通に使う。
闇の半身を宵闇へと溶かすように移動を開始した。
樹木の間を警戒しながら歩く冒険者の姿が見える。
魔力探知の精度が低いようだな……まぁ、わたしは吸血鬼だ。
風や魔力探知の技術は、<血魔力>の技術があれば対処可能。
――<ジエルの火走り>を用いた。
警戒しながら歩く冒険者の背後に闇を利用するように音もなく忍び寄り――。
闇から出ると同時に冒険者の全身を<血霊網の玩具>で絡め取る。
霊糸が拘束具鎧へと展開。
フハハ、女冒険者のあそこが丸見えだ。
口に長細い玩具を詰められ、左右の足が広げられたあられもない姿を晒していた。
血霊糸で構成された網のような鎧が、女冒険者の鎧を消失させる。
上書きするように新たな半透明の霊糸が、女冒険者の乳房を含めて体中に絡まって動きを止めた。
……戦闘時には使えないが、急襲する時には、これが一番確実だ。
「あぁぁ……」
ほぼ裸といっていい女冒険者は恍惚とした表情を浮かべている。
この<血霊網の玩具>は……男の転生者から奪った能力だが……女の天敵だな。
さて、弱い女だが、実は希少な能力を持っているかもしれない。
……死蝶人とのいざこざを忘れるつもりで、楽しみながら見てみようか。
火照った頬に指を当て、優しく顎までなぞっていく。
「んん、あぁん……」
女の喘ぎ声を合図に、細い顎から指を離し彼女の額に指を移動させる。
そして、その額に指を当てたところで<脳切血盗>を発動した。
指の形がナイフに変形。勿論、ナイフの刃は血だ……。
血のナイフを横へ動かす――。
女の額を、頭蓋を、真一文字に切り、脳が垣間見えた刹那――。
血のナイフと化していたわたしの指がさらに変化した。
わたしの指のナイフは分裂し、無数の細かな血の手に変質を遂げる。
その血の手の群れは、女の脳を囲むように侵入していった。
……能力が流れ込んでくる。
微々たるモノだが、魔素、血、とはまた違う感覚を得られる……。
だが、わたしが取り込めるほどのスキルは、この女は持っていないようだ。
……これは相性があるから仕方ない。
スキルを盗めたとしても使えない場合もあるのだからな。
女は狼狽えたような、特別な快楽を受けているような不可思議な表情を浮かべている。
恍惚の表情が似合う女を本当に昇天させてやろう。
額を裂いたまま、細い首筋に顔を埋めるように噛み付いた。
わたしの犬歯が女の首に侵入。一気に血を吸い取った。
人族の女冒険者は、脳を一瞬煌めかせてからその頭部ごと干からびていく。
「……生の血は、質がいい」
干からびた死体を捨てながら、なぜか羨ましそうな表情を見せるアラギヌスに視線を向けた。
唇を濡らし厭らしい吐息を漏らす一部のアラギヌス。
「……次も前に出られますか?」
と、血を回収した魔矢を手渡してくる。
その矢に嵌まる血色の宝石に集結していた血を体内へ取り込む……。
そして、アラギヌスの気持ちに応えるつもりはないという意思を込めて、
「……いや、補給は十分だ。次はお前たちで好きにしろ」
「承知――」
わたしの気持ちを察したアラギヌスたち。
表情を暗くしながら、闇の世界と同化するように姿を消失させた。
あの槍使いは……。
千年王国……の……いや……まだだ。
◇◆◇◆
次の更新は23日の予定です。




