三百三十八話 樹海と狼女
2022/06/07 13:20 修正
2024年2月19日 13:54 修正
◇◆◇◆
ここは樹海の奥地の谷。
その奥地の谷の上部は青い樹と銀色の茨が段々と覆っている。
それは鮮やかな波打ち際を連想させた。
波を打ったように樹木群の一部は四方へ伸びている。
谷から離れた奥の森には巨大な一つの樹が聳え立つ。
巨大な樹は、周囲の樹を吸収しているように、樹と樹が重なりあって捻れつつ、一つの巨大な樹として成長しているように見えるほど、巨大な樹であった。
巨大な樹だが、中心には大きい孔がある。
俯瞰で見たら巨大な台風の雲と目か、巨大な森のドームか、または天の蓋にも見えるだろう。そんな万朶の真下が、古代狼族の住み処で、巨大集会場が存在する。
森の天蓋の巨大な穴から、太陽光と月光が巨大集会場を照らしていた。
巨大集会場の中心は、円盤の台座があり、大月と小月のオブジェと巨大な神狼と古代狼族たちの像があった。
巨大な神狼と古代狼族たちの像は、天の蓋へ向けて吠えているようなポーズだ。
そんな巨大な神狼と狼の彫像は光を浴びて、眩しく輝きを放っている。
その光を浴びる神狼と狼の像は、古代狼族の誇りであり、森の天蓋を貫くような陽と月光は、古代狼族の力の象徴を現していた。
今も、その眩い光を放つ集会場は不思議と温かくもあり、荘厳に満ちていた。
そして、力強く声をあげる古代狼族の男たち。
力のある古代狼族は話し合いを続けていた。
「今宵の月は神狼ハーレイア様が仰っていた通り満月だ!」
「狩りだ。狩りだぞ!」
古代狼族の男たちは狼らしく吼えていく。
「樹怪王の軍勢をか?」
「そうだ! 樹怪王に捕らわれて洗脳された仲間たちを、我らが解放するのだ」
「いや吸血鬼の殲滅が先だ。ヴァルマスク家を含めて外れ吸血鬼共も根絶やしにする!」
「各々吼えるのは勝手だが、間違っても死蝶人の住み処には立ち入るなよ?」
「若造じゃあるまいし、そんなことはない!」
古代狼族の男たちが叫ぶ。
彼らの特徴は豹獣人に近い。
そこに、風を纏ったような速度で体格の大きい古代狼族が、次々とぶれるように姿を現す。彼らは爪と同化した鎧を解除して獣らしい体付きを見せる。
各自、机の側に歩み寄ってきた。
「アゼラヌの縄張りが、またもやオーク共に侵された!」
「オーク共を放っておけば、ゴブリンより知恵があるだけに厄介となろう」
「クイーンの後継者争いか……」
「さぁな、地下と地上は複雑にからんでいる」
「ドルセルの縄張りには人族どもが!」
「オウリアの縄張りにゴブリン・テルカの急襲だ」
「ビドルヌの縄張りに、旧神ゴ・ラードの使いが現れた!」
「そんなことより、ザクセルを討った剣を扱う糞吸血鬼はどうなった!」
額に十字の切り傷がある狼男が唸り声を上げて叫ぶ。
その問いに一瞬の静寂が谺した。
「姫が「仇を討つ!」と、叫ばれて、単独で外に……」
「単独だと!? 神狼様の加護があるとはいえ、単独とは、俺が貴公子を追う間に……」
狼男は『しまった』という内心の気持ちが表情に浮かぶ。
その気持ちをごまかそうと、額の十字傷をポリポリと指から生えた銀爪で掻く。
「……御側付きのリョクラインはどうしたのだ」
「もうとっくに縄張り外に出ている。探してはいると思うが……どうも魔素の流れがおかしいのだ。我らの匂いが僅かに狂うので追いつけないかもしれぬ」
「……それは旧神ゴ・ラードの復活故か?」
「樹怪王の軍勢か? あいつらは怪しい儀式を行う」
「死蝶人の仕業か?」
「いや、住み処に入らないかぎりは死蝶人は外には出ない。だから魔神アラヌスの復活を目論む使徒たちだろう」
「あれは人族を餌にしている奴らだ。我らはあの館には近付かない」
「所詮、犬の巣窟だ。放っておけばいい」
「そんなことより、俺は姫を追う!」
叫びは集会場の天井へと響き渡り、巨大な神狼像の影が揺らめいた。
「ま、待て、はやまるなダオン! 我らには我らの仕事があることを忘れるな!」
咆哮が飛び交い、神像の眼窩に宿る青い魔石が不気味な輝きを放つ。
「くっ……」
歯軋りの音が静寂を引き裂く。
古代狼族たちの表情は、満月を隠す暗雲のように険しく歪んでいた。太古の怒りと焦燥が交錯する瞳には、決意の炎が宿っていた。
◇◆◇◆
ノーラは俺のアイコンタクトを受けて頷く。
彼女は額の生え際の髪を掻き上げてから、
「――吸血鬼! 聖剣グリュドボルグの刃を味わわせてあげる!」
ヴァンパイアハンターとしての表情を浮かべた彼女が宣言。
そのまま身動き取れないユオの下へ歩き出し、足下に落ちていた魔剣をさっとゴミでも払うように横へと蹴り飛ばすと、聖剣の柄を握る細い指たちが動く。
その指で、ピアノの鍵盤でも打つように聖剣の柄を握り直していた。
そして、エーグバイン流と推測できる水車斬りの構えを取ると、十字柄の金属部品から小さい金属音が響く。
ノーラは握り直した聖剣をゆっくりと宙に蛇でも描くように動かし構えてから、
「――長く戦っていた狼さんには悪いけど、こいつは、吸血鬼ハンターとして――」
「――おい人族、待つのだ。そいつはわたしのだ!」
狼女の言葉を受けたノーラ。
急遽、両手剣の動きを途中で止めた。
聖剣を持つ二の腕たちが、きりりと引き締まっているのがよくわかる。
魅せる白肌と筋肉のバランスが美しい。
ノーラは構えを解く。
両手剣の切っ先を地面に突き刺すと、狼女の方へ振り向いていた。
「攻撃を止めたか、褒めてやろう。ところで、この血はわたしが直接触れてもアラウルの刃のようなことには、ならないのだな?」
憂え顔で肩を竦めて語る狼女。
彼女は血飛沫のカーテンに爪を当てず、結局、触れていない。
俺は銀糸に絡まって萎れていくユオの状態を確認してから、狼女を見て、
「闇一色の属性な方なら、血には、触れない方がよろしいかと思います」
と、狼女に説明。
「――失礼な奴だ。お前のような不思議な吸血鬼と一緒にするな!」
キッと厳しい表情を浮かべて青白い瞳で睨んでくる狼女。
血長耳のクリドススとは違うが、狼女の髪型はボーイッシュ。
俺を吸血鬼と思うは当然か。
彼女の目の前に展開している血のカーテンは、主に吸血鬼が扱う<血魔力>が源なのだから。
狼女が警戒するのは当然だ。
「これは……」
「ごまかすな! お前の心臓を抉り取って神狼ハーレイア様に捧げてやる! 不審な、黒髪の吸血鬼め!」
俺の言葉に重ねてきた。
神狼ハーレイア。ノーラが前に語っていた話を覚えている。姿を見たい。
その言葉に黒豹が反応すると思ったが……その黒豹は背丈の高い樹木から横に伸びた枝に乗っていた。
後脚を揃えた人形スタイルで、空を見ている。
<導想魔手>の魔線を眺めていると思ったが、空か。
綺麗な蝶々たちが舞っているから虫が気になるのだろう。
追いかけてはいないが……。
「――おい、黒髪の吸血鬼! 視線を逸らすな。お前が有名な樹海を含めたこの辺りで暴れている黒髪の貴公子なのだろう? もしくは旧神ゴ・ラードの使い」
「旧神なわけがないし、貴公子? それは断じて違うわ! あいつが人族と組むわけがないでしょう」
旧神ゴ・ラードと貴公子とは初耳。
ノーラが否定してくれているが、黒髪の貴公子とは?
イケメンなんだろうか。
「貴公子?」
ノーラの瞳を見つめながら聞いた。
ノーラはニコッと笑みを浮かべてから頷いた。
説明してくれるらしい。
「知り合いの【戦神】と【未開スキル探索教団】を含めた冒険者たちが、貴公子を取り囲んでも、あっさりと突破してくる孤高の凄腕吸血鬼よ。勿論、吸血鬼としての身体能力を持っているからこその力なのだと思うけど……スキル探索教団が動くほどの、何かを持つ、人型でS級クラスの黒髪の吸血鬼」
へぇ……何かを持つのイントネーションの音調には起伏があった。
そして、チラリと俺を見つめてくる仕草から『これはシュウヤのことも含んだのよ?』といった意味を感じ取る。
要するに、俺の種族、光魔ルシヴァルのことを【未開スキル探索団】が知ったら追ってくる可能性が高いと暗に示しているのかもしれない。
その【未開スキル探索教団】のフレーズには、覚えがある。
職の神レフォトに関する団体だったかな。
しかし、貴公子というヴァンパイア、S級といえば魔竜王クラスの難易度だ。
そんな凄いヴァンパイアが居るのか……。
というか黒髪という点からして……転生者? 転移者? だったりして。
黒髪だからって必ず転生者に帰結するわけではないので、現地人かもしれないが。
「……ぐぐがぁ、そいづな、わげがない」
銀糸が、ユオの干からびたような頭部の頭蓋骨を這う中……必死に喋っていた。
非常に聞き取り難いが、それは「俺は貴公子とは違う」という感じのニュアンス。
彼も貴公子の存在を知っているらしい。
「シュウヤはわたしの恋、いや、仲間だから、敵じゃないわ」
ノーラは俺に視線を寄越し、大きい瞳を揺らしながら、かわいく語る。
「人族の味方? 嘘だな。一応、わたしも助けたようだが……旧神はさすがに見た目といい違うと認めよう。しかし、ヴァルマスク家を含めた吸血鬼は同士討ちが多い。その争いにわたしを利用しようと企んでいる可能性がある。そして、このような血の幕を展開させる能力と、先ほどから漂っているお前の腕と繋がっている怪しい血鎖のようなスキル類は、どう考えても吸血鬼としか思えない!」
狼女は荒い口調だ。極細の銀色の前髪も揺れている。
あの前髪、シャンプーしたてのいい匂いが漂っていそう。
ヴィーネの銀髪もすこぶる綺麗だったが……。
細い髪質といい、胴体の一部から飛び出ている体毛とは毛の素材が違うようだ。
上唇の端から八重歯の牙が一つ飛び出ているのが、可愛い。
耳も黄金比かな、人族と似ている耳だが、独自の形で可愛らしい。
首の項と耳の下の体毛と交わる毛毛が、白銀に近い光を帯びていて、毛の模様のグラデーションがとても綺麗だった。
模様の全体像はインナーに隠れて把握できないが
円の模様かな? いや、月か。月なら彼女が身に着けている黒と銀が基調のハーフプレートに刻まれたマークと同じだから辻褄が合う。
と、ざっと彼女の容姿を確認。
今なら交渉も可能。
ということで、一応、俺のことの説明をしておこう。
念のため、血のカーテンは維持。
「……俺は貴方と敵対している吸血鬼ではないですよ。といっても信じてもらえるか自信はないですが」
「うぬの言葉など信じられるものか! 吸血鬼め」
この口調だと戦いは不可避か?
あだが、俺が攻撃をしてこないことに少しは疑問を感じているはずだ。
もう少し、説得に力を入れてみる。
そのタイミングで、もう一度、ノーラへ助けを求めた。
彼女と目を合わせて頷く。
ノーラは腕を組んでいたが、その両手を左右へと広げるリアクションを取り、
「……狼女さん、彼は吸血鬼ではないわ。むしろ愛を大切にする種族だから大丈夫」
ノーラ、冗談をまぜている場合か? と、彼女の瞳を凝視。
しかしノーラはいたって真剣な表情を浮かべて話をしていた。
ツッコミを入れる雰囲気ではない。
「……愛だと? 嘘、嘘だ。ん? そなたの瞳、顔色、吸血鬼に魅了を受けている人族の女なのだな? 道理で絵空事を……血の玩具なのだろう?」
「……失礼ね、血の玩具じゃないわよ。でも、魅了は確かに……」
ノーラは『魅了』の部分から俺のことを悩ましい視線で見つめてくる。
彼女の色気のある表情を見つめていると……双腕に力と技を込めてから、俺が野獣と化して……ノーラの愛しい城塞を大胆に攻め落としていたことを思い出した。
「……その目、やはり魅了されているのだな……」
狼女は哀れむように青い瞳でノーラを見つめてから、口を動かし続ける。
「人族は、ウラニリ様とウリオウ様の力がないので仕方がない。そして、このような血の玩具を持つお前は、やはり吸血鬼であろう! このエロ外れ吸血鬼!」
エロ外れ吸血鬼。的を射ている。
そんな威勢のいい狼女は血のカーテン越しに、指で俺を差そうとした。
しかし、依然として目の前には血飛沫のカーテンが展開している。
風を受けたように揺れそよぐ血飛沫のカーテンは彼女に対して恐怖を抱かせるらしく、俺を指そうとした細い指を途中で引っ込めていた。
その爪先から出たり入ったりしている銀爪は黒猫の触手の先端から出たり入ったりする骨剣と似た動きなので、少しかわいい。
そのタイミングで、
「――んんん」
震えるような重低音の喉声を鳴らしながら黒豹が戻ってきた。
気高く精気あふれる横顔からは、猫科、神獣としての誇りと気の強さが伝わってくる。
しなやかな肢体を作る筋肉の節々を魅せるように立つロロディーヌだ。
そして、黒天鵞絨を感じさせる美しい毛並みは、長い尾まで変わらない。
その黒豹は、胴体に小さい虫か葉っぱが付着したのを感じたのか、獣らしい白く尖った牙を剥きだしにして、頭部から靡く黒毛を撓ませるように左右へぶるぶると震わせる。
そして、
「――んん、にゃ?」
動きを止めた黒豹は「何を揉めているニャ」といった感じに、血のカーテン越しに狼女を見つめていく。
「……黒豹、しかも神狼様のような雰囲気がある……ど、どういうことだ」
狼女は黒豹の登場に動揺を示した。
しかし、その黒豹は、唖然とした表情を浮かべる狼女のことを無視。
その前に展開している血のカーテンに興味を持ったようだ。
血飛沫状のカーテンへと片足を伸ばす。
「にゃぁ~」
黒豹は足が血に濡れて少しびっくり。
すぐ引っ込めるが、その血に濡れた片足で、自らの顔を洗うように近づけ、血濡れた片足を舌でペロペロと舐めていき、血を摂取していた。
そして、足裏の肉球が痒くなったのか、肉球の間にある溝を噛むように、もぐもぐと口を動かしていく。
「ロロ、<導想魔手>は飽きたか?」
まぁ、動かしていないからな。
黒豹はムクッと頭部を上げて、
「にゃお」
と、かわいく返事をしてくる。
触手は伸ばしてこないので気持ちはわからないが『別に飽きたわけではないニャ』という感じに受け取った。
そのまま肉球の溝の噛み付きを終えると俺に甘えてくる。
何回も凜々しい頭部を腰元に衝突させてきた。
姿は黒豹なので結構な重さ。
まだ満足していないのか黒豹は片足を使い、俺の股と膝をポンポンと軽く叩いてから遊ぼう? と言うように紅色と黒色の瞳を俺に向けてきた。
かわいいので遊んであげたいが、
「……今は我慢だ。その代わり、今度、モンプチ風のローストした鳥肉とカソジックのブレンド料理を食わせてやるから」
最高級の「モンプチ」の再現は難しいが、俺なりに密かに挑戦していた。
「にゃああああ~」
黒豹は最近お気に入りの料理名を聞いて嬉しさを爆発させた。
俺の胸元に黒豹の姿のまま飛びつくように抱きついてきた。
ぐぉっ! クリティカルだ……そう、前足からは爪が伸びているので見事に俺は爪攻撃を喰らっていた。
鋭い爪によりガトランスフォームは裂かれ地肌に数々のモンスターを屠った神獣の爪が食い込む。
すこぶる痛い……痛いが、女子たちの手前、痩せ我慢したった。
……まぁ仕方ないと、笑顔で、黒豹の頭部から首下の黒毛たちを梳くように、なでなでしていく。
出血しているが、体内に吸い込んでいるので、周りにはわからないはず。
「……その凜々しい黒豹様は聖獣様か? だとしたら、うぬは<獣魔の刻印>を持つ一族、兎族の関係者? 遠きレリックからの訪問者であるのか!」
なにやら、どこかで聞いたことのある地方を叫んで興奮している狼女。
「……聖獣ではない、神獣だ。ロロディーヌが名前で、愛称はロロ」
「神獣様? しかし、神狼ハーレイア様は一言も、そのようなことは……」
口端の片牙がキラリと光る狼女は、疑心暗鬼になったように逡巡。
「というわけで狼女さん、血のカーテンを止めたら俺とノーラに攻撃を加えないでくださいますか」
俺の言葉を聞いた狼女は、こぶりの眉を微かに動かす。
「……攻撃せず解くと?」
「はい。というか……今、この話し合いの雰囲気でわかりませんか? 友好の意思があるんです。貴女はかわいらしく綺麗な獣人さんですから」
「……へぇ、ふーん、そうなんだ。綺麗な獣人さんとか? よくわたしの前で、女を口説けるわねぇ?」
「ななな、わたしが綺麗な獣人さんだと……」
ヤヴァい、今度はノーラさんが目を細めて睨んできた。
腰から何か変なアイテムを取りだそうとしているぞ……。
あれは、魔力を帯びたロープ?
もしや、あれで俺を縛る気か? 亀甲縛りを受ける趣味はないぞ。
と、思ったら、そのロープを吸血鬼のユオの方へと向けていた。
破れた衣服と地肌を銀糸に縫うように覆われていたユオの体にノーラが投げた魔力を帯びたロープが、独自に意思があるように蟠ると、ユオの体に絡まった。
腰回りを締め上げていく。
吸血鬼のユオは、もう悲惨だが……。
ノーラは片目を瞑りウィンクを寄越す。
どうやら、俺をからかったらしい。
よかった。と、一安心。
そして、狼女の方を見たら予想外に俺の「綺麗」の言葉が響いたらしく……。
おもむろに腰を床に下ろす。体育座りの体勢となっていた。
デルタ地帯の先から革パンツが見えている。
――素晴らしい。素晴らしいが、銀色の体毛がきわどいので、目のやり場に困る。紳士だから凝視はしない。
すると狼女は、俺の顎に輪島のごとく蛙パンチを繰り出す勢いで、ガバッと急に起き上がる。
「――お前は、わたしが好きなのか?」
「いえ、特に意識はしてないですが」
「なんだ、違うのか」
え? 急に肩を落として、がっかりしたような雰囲気に……この狼女、口説かれることを期待している?
いまいちわからない。そのことは聞かずに、
「……では、俺たちの友好の意思は伝わったと?」
「……そうだな。神獣様が居るのだ」
伝わったらしい。
口端の牙がチャームポイントの狼女は恭しい態度で黒豹を見つめてから、俺とノーラに順繰りに視線を移してから了承してくれた。
「にゃ」
黒豹も納得したように鳴きながら片足で地面を叩く。
第一関門の<血道第一・開門>を意識した。
狼女の前に展開させていた血を操作し、血飛沫状のカーテンを体内に引き戻していく。ひとまず、ロロディーヌのお陰で交渉は成功かな?
銀毛が美しい古代狼族の獣人さんと仲良くなれそうだから敬語はここで止めて、気軽に名前でも聞いてみよう。
「……とりあず、友好の印として俺の名はシュウヤ。名前を教えてくれるかな?」
「名前だと?」
ん? 狼女は驚いていた。
古代狼族に名前を聞いてはいけないルールでもあるのか?
双眸を大きく揺らして散大縮小を繰り返してから凝視してくる。
彼女の双眸には魔力が宿っていた。
先ほどのヴァンパイアとの戦いでも魔闘術系の技量はかなりの物だったからな。当然魔察眼も使えるか。
その魔察眼で、俺の魔素の流れと質を、その実力を測るように調べているらしい。
魔眼のような物ではない。
ヘルメが居たら詳しく語ったかも知れないが、
「……名前だな。いいだろう、教えてやる。だが、そこの吸血鬼の止めはわたしが貰うぞ……」
先ほどまで魔察眼で俺を観察していた彼女の瞳ではない。
その青白い瞳の内奥に憎しみが篭もっていた。
「……俺は構わないが」
「……仕方ないわね」
ノーラは納得していないようだが、狼女にハンターとしての仕事を譲っていた。
「……いいのだな?」
「ええ」
「いいぞ」
俺とノーラの意思を確認した狼女は頷く。
青い瞳を鋭利な刃物のように鋭くすると片手の銀爪に魔力を集中させていた。
すると、銀爪の先端が丸くなり穹窿のような形となる。
あの爪、イモリザのように自由度が高いのか?
「ぐぉ、ご、ごれをぉぉ――」
壁のように青ざめた表情を浮かべていたユオ。
頭部を揺らしながら「止めろ止めろぉぉぉ」というように叫ぶ。
銀糸が蛆虫のごとく絡みついた腕は芋幹のように萎れていた。
絶望を感じさせる感情と同質化したように黝色に変化した萎れた腕で、銀糸とロープを強引に解こうとするが、もう腕には力がなく無駄だった。
粘着性の高そうな銀糸は彼の血を吸い弱らせる効果もあるらしい。
「吸血鬼の力を削ぎ動きも封じる銀光蜘蛛の力。水蜘蛛の祟りを利用した貴重品だな」
「これはシュウヤの凄まじい大魔術師が行うような魔法連撃のせいよ。そして、血を大量に消費した状態だからこそ余計に銀光蜘蛛が吸血鬼の身体に入った結果だと思う。それと、この銀蜘蛛だけど、わたしの家は特殊でね? 貴重品じゃないの」
「そうなのか? 人族にも色々あるのだな? さて――」
笑みの眉開く狼女は、表情を一変させる。
自分でも制止しようがない怒気を拳に込めるように、瞬時に魔闘術を全身に纏い、拳にも魔力を集中させていた。
そして、一気に体がぶれるように前進。
流れるような正拳突きを繰り出す。
それはどこかで見たことのある拳を突き入れるモーションだ。
拳から飛びだした銀爪の先端を、苦しんでいるユオの心臓部へ押し込むように突き刺していた。
更に、銀毛が靡く反対の腕を真横に振るう狼女――ロングソードを思わせる銀爪が、宙に半円の綺麗な軌跡を残しながらユオの首を捉える。
そのままユオの首を横へ引っ掛けるように銀爪を動かし、ユオの首を捩りながら両断。
「ぐああぁ――」
生々しい肉の引き裂かれる音が、月光の差し込む空間に反響する。宙を舞う頭部から、断末魔の悲鳴が木霊のように響き渡った。その声には、永遠の生を謳歌してきた吸血鬼の、死への恐怖が滲んでいた。
魔法連撃を放っていたとはいえ、弱点を突かれた吸血鬼の肉体は、霜に打たれた花のように脆かった。
狼女はユオの胸に突き刺した銀爪を、古の儀式を執り行うかのように、ゆっくりと回転させた。それは鍵穴に差した鍵を回すような、冷徹な正確さを持つ動き、そして、一気に引き抜かれた爪から深紅の生命が噴き出す。
その引き抜いた銀爪の先には、ユオの心臓が脈々と蠢いていた。
さすがは吸血鬼の心臓。
血を大量に消費し、弱りかさかさとした皮膚は乾燥し萎れていたが、まだ生命力が溢れるように心臓の房という房から鮮血が迸り血をまき散らしている。
そして、心臓と頭部を失ったユオの肉体は僅かに再生を果たそうとしていた。
しぶとい。弱点さえ克服&喰らわない対策を施せば最強クラスなのは間違いない。
弱点を突いた状態でさえこれだ。
ユオの心臓の内部から縦縞模様の閃光が漏れてくる。
狼女は眉を尖らせているので、何かスキルを発動中なのかもしれない。
そう思った瞬間、閃光が強まり、心臓の色合いが薄く透明となり、内部の血管のすべてを透けさせていく……。
やがて、心臓の内部から大月、満月の姿が現れた。
狼女の形を変えた爪だ。
すると、ユオの心臓は内側から脆く細胞ごと蒸発していくように儚く消えていく。
最終的に頭上へ掲げていた心臓を突き刺していた満月型の銀爪が残っていた。
あの形は月かな?
ユオの肉体も塵のように消えて、その血も銀光に当たると、蒸発していた。
「……ザクセル、ハイゲルフ、仇は討った……」
狼女はそう名前らしい言葉を呟くと泣いていた。
頬から一筋の涙がこぼれ落ちている。
悲しみだけではない。仇を討ったという喜びの感情も同時に泳いでいる青い双眸。
事情を知らないが、自然と胸にグッときた。
「……仇か。納得。だから必死だったのね。わたし、この土地での仕事は最後のつもりだったけど、あなたの表情を見ていると、これで良かったと思えてくる。でも、古代狼族って人族を構わず襲うと聞いていたから、意外。案外話せば理解し合えるのね、嬉しいかも」
ノーラの言葉に、狼女は視線を鋼のように鋭くする。
「……勘違いするな。襲うのは縄張りを侵すからだ。人族」
「縄張りなんてわからないし」
「ふん、そんなことは知るか! わたしたちにはわたしたちの掟がある」
「……人族を代表しているわけではないけど悪かったわね。でも、樹海の手前は各都市を繋ぐ街道もあるし、街道沿いから離れた村まで行き交う行商たちも居る。それに樹海の中の殆どが未探索地域。古代遺跡も無数に存在しているしモンスター勢力が根強い地域もある。だから知らず知らずのうちに貴女たちの縄張りを侵している人族、特に冒険者の数は多いかもしれない」
だから冒険者依頼にも古代狼族の討伐とかあるのかもしれない。
「それこそ思い上がりというものだ。神狼ハーレイア様の恩恵に預かりながら裏切りを続ける人族め……」
狼女は不機嫌そうに、かわいらしい口を尖らせて話していた。
ノーラは「そんなこと……」と、小さく呟きばつの悪そうな表情を浮かべながら視線を泳がせていた。
神狼ハーレイア様の恩恵とはなんだろう? 俺も知らない。
間を繋ぐようにノーラは、狼女との会話を切り替えるように俺と目を合わせてきた。
「シュウヤ、ひょっとして倒した吸血鬼に用でもあったの?」
「あるといえばあった。だが、先ほどの会話で、だいたい察しはつく」
ホフマンの直系の<従者長>たちが暗躍していたと考えるのが妥当。
だが、あくまでも妥当。ここは様々な勢力が争う、混沌とした樹海の中だ。
アッリとタークが行方不明となった事件と、死んだユオとホフマンのヴァルマスク家の一部、他の吸血鬼たちとは、まったく関係がないかもしれない。
だから、俺は素直に相棒のロロディーヌに乗って血鎖が示す方向へ向かえばいい。と、黒豹を見た。
黒豹さんは、自らの触手を回す。
宙空に、弧を描くようにぐるぐると回しては、その回している自らの触手を追いかけていた。
その場でくるくる回っている黒豹さんの姿があった……。
面白いが、なにしてんだ……。
「……その浮いている血の鎖と関係があるのかしら」
ノーラは聖剣を背中に戻しながら、俺の腕から宙へ伸びて漂っている血鎖へ視線を向けて話していた。
「ある。子供たちの行方を追っているんだ。先ほどの吸血鬼も少し話をしていただろう?」
「血の蒐集が<従者長>の仕事だと話をしていたわね」
「そういうこと、キッシュと子供たちに「必ず生きて連れ戻す」と約束をした。だからその原因を必ず突き止める。それが吸血鬼の住み処だろうが、闇の化身だろうが、地獄の果てだろうが、何処までも突き進むつもりだ」
「……そっか」
彼女は残念そうに、目尻に皺を作りながら微笑む。
その言葉は短く……吐息のような寂しさがあった。
同時に、その表情から何かしらの女性らしい気持ちを感じさせる。
キッシュの名前で、前に会いたかった女性の名前だと感づいたのかもしれない。
悪いとは思うが事実。友のキッシュ、彼女との約束は守りたい。
それに子供たちはお守り効果でまだ生きている可能性もある。
よし、最後に狼女の名前でも聞いてアッリとタークの手掛かりを追うか。
簡潔に考えを纏めたところで狼女に視線を向けた。
「それで、狼女さんの名前は?」
すると、狼女は頬を少し朱色に染める。
瞳も女性が異性に対して、初めて告白でもするかのように揺れていた。
「わたしの名はハイグリア」
「ハイグリアさん、よろしく」
「よし! 名前を聞いたのだ。古代狼族の森屋敷に来い! そして神像広場で栄光を共にする拳と拳の決闘を受けてもらうぞ」
ハイグリアさん、えらいハイテンションだが……。
なんで名前を聞いて決闘なんだよ。ここは華麗にスルーだな。
ノベル版「槍使いと、黒猫。」1~20巻発売中。
2022年6月17日 「槍使いと、黒猫。18」が発売予定。