三百三十五話 理由
透明感の漂う笑みを浮かべているキッシュを見ていると頬の蜂の印が渓流の小魚のように見えてくる。
と、樹から風に揺れた臙脂色の葉がそよぎつつ落ちてきた。
臙脂色の葉は、キッシュの翡翠色の髪とは対照的。
そんな葉と翡翠色の髪が重なって靡く。
キッシュの背後の樹の下には、縮緬の皺のように落ち葉が並ぶ。
紐を解いた翡翠色の髪が、風で揺れて、またそよぐ。
キッシュは長い髪を手で押さえて楚々と立つ。
美しいと感想を漏らしたいが、黙って見ていると、背後から子供たちが走り寄ってきた。
「――あ、チェリお姉ちゃんがいっていた新しく雇った冒険者~?」
「――猫ちゃんもいる!」
「あれ~、お兄ちゃん、前に見たことがある。あの時の黒猫ちゃんだ!」
「助けてくれた、あのカッコイイ猫ちゃんなの?」
鱗皮膚を持つ子供たちが多い。
一人だけ蜥蜴系の頭部を持つ子供もいた。
「ひさしぶりだな」
「ン、にゃ~」
足下で人形のように後ろ脚を揃えて待機していた黒猫も子供たちへ挨拶。
長い尻尾で地面を叩いてから、ドヤ顔を浮かべながら、なぜか、前足を斜めの方向へ向けていた。
「挨拶した~かわいい猫ちゃん~」
「一緒に遊ぼう~」
「にゃ~」
天の邪鬼な黒猫は『今は遊ばないニャ~』といったように、俺の足、脹ら脛側へ隠れるように回り込んでいた。
脹ら脛に隠れた黒猫は、小さい頭部を少し横にずらして、子供たちへチラッと紅色の瞳を向けている。
俺からは逆さまに見えているが、きょとんとした表情だろう。
「うう、かわいい~、それで隠れているつもりなの?」
「おめめが、かわいい」
子供たちは俺の足下に居る黒猫を捕まえようと、周囲を囲む。
「気持ちはわかるが、挨拶はそこまでだ。お前たちも知っているように、アッリとタークのことを含めて、シュウヤと大事な話をしなければならない」
「ンン、にゃ~」
黒猫も『そうだニャ~』というように鳴く。
騎士らしくも母性ある厳しい表情を浮かべるキッシュ。
もう母のような所作を身に着けているようだ。
子供たちの表情からも、キッシュのことを慕っているとよくわかる。
「うん、アッリとターク……」
「お兄ちゃんと黒猫ちゃんなら、きっと見つけてくれるよね」
一人の女の子が、俺に対して期待する言葉を投げかけてきた。
子供たちは、皆、不安気な表情を浮かべている。
冒険者として率先して活動していたアッリとタークが行方知れずだからな、内心は怖いんだろう。
その不安を少しでもやわらげようと、
「任せろ、全力を尽くす」
「ンン、にゃ」
黒猫も鳴く。
首下から、小さいお豆のような触手を、一人の女の子へ伸ばしていた。
女の子は鱗人だ。
お豆のような小さい触手で、青色の髪をさわり、少し狭いおでこにふれて、リンゴのような色合いになっている頬を撫でてから触手の裏側にある肉球を、その頬に貼り付けていた。
「……へへ、くすぐったいけど、うん!」
女の子は恥ずかしそうに、はにかむ。
黒猫は気持ちを伝えたようだ。
どんなことを伝えたのかは、わからない。
黒猫は気持ちを伝え終えると、女の子の頬に付着させていた触手を、自分の首下へと瞬時に収斂する。
最初から何もなかったように普通の黒猫の姿となっていた。
女の子は不思議そうに何回もまばたきを繰り返して、自分の頬をさわり、元に戻った黒猫の姿を見ている。
触手が戻る速度は子供では察知ができないからな。
そんな様子をほほえましく見ていたキッシュ。
「……ふふ、さ、もういいだろう。家の中で待ってなさい」
キッシュの言葉を受けて、鱗人と人族の子供たちは素直に小屋の中に戻っていった。
聞き分けのいい子供たちだ。
アッリとタークも救ってあげたい。
しかし、時間的に……いや、悲観する前に、できることはやろう。
目に力を入れてキッシュの頬にある入れ墨マークを凝視。
「……キッシュ、説明を頼む」
彼女は俺の表情を見て、厳しい表情に戻す。
翡翠色の瞳で俺を射貫くように見つめながら、唇を動かした。
「初めは家畜が消え、巨大な足跡、トロールだと思う足跡を発見したことからだ。その足跡をアッリとタークが勝手に追いかけてしまい、その結果、行方知れずに……わたしとチェリも一緒になって探したのだが……」
「そうか……」
両肩から哀愁を感じさせるぐらいに落ち込む彼女。
思わず、キッシュの肩の横、二の腕へ手を添えていた。
白い肌は温かく柔らかい。
「……」
「……ふふ」
俺の笑みを受けたキッシュ。
優しく微笑みを返してくるが……。
翡翠色の瞳に、じわりと涙が溜まっていく。
そして、小さい唇を少し震わせながら、
「……先ほど話をしていた子供たちもアッリとタークのように兵隊蟻は倒せる。しかし、さすがにオークたちの襲撃が続く場所に、子供たちを残して遠出はできない。そして資金もない。優秀な冒険者を雇うこともできず……チェリのお金でなんとか依頼は出せたのだが……」
「資金か、その繋がりで働いているチェリとヘカトレイルで会ったよ。とある事務所の受付をしていた」
「そう……な、の。先に会っていたのね」
少し引きつった表情を浮かべているキッシュ。
挙動がおかしいぞ。
先にチェリと会っていたのが、気になるらしい。
あまり深く掘り下げないほうがよさそうだ。
「……でも、チェリの働く場所がなぁ」
戦闘能力のないチェリ。
実は短剣術を修めていたりするかもしれないが、少し不安かもしれない。
「【月の残骸】の事務所だろう? チェリから聞いている。当初は、闇ギルドの仕事だと聞いて心配していたが『……油貝、クルックの実、などの船経由の貿易で大儲けをしている船商会が表の顔だし、それに、今、ひょっとしたら一番安全な場所かも』と、笑みを交えて話をしていたから大丈夫だろう。情報網に詳しいチェリの言葉だからな」
俺はそこの総長になってしまった、とは、キッシュも知らないのか。
ま、肩書きなんてもんは、どうでもいい。
「……それで、肝心のアッリとタークが追ったトロールの足跡は何処にある?」
「もう消えてしまった。オークたちの来襲と雨で形が崩れているから、足跡から形跡を追うことは、不可能だ」
「そっか。魔力の跡もない?」
「ない」
「と、なると……素直にオークの巣、トロールの住み処を探すか」
赤髪ドワーフもトロールとオークから襲撃を受けたと話をしていた。
「オークの巣は無数にあるから厄介なのだ。地下にオークの国があるのかもしれない」
「その可能性は高そうだ。前にペル・ヘカ・ラインの地下回廊の依頼をこなした時、地下を徘徊しているオークたちは多かった。徘徊というより巡回に近いのかもしれない。そして、ここに来る前に、ヒノ村の樵、赤髪ドワーフも『オークとトロールに襲われた』と、厳しい表情を浮かべて話をしていたな」
「赤髪ドワーフというとムベドの親父。よろず屋と樵がメインのリエズ商会の者たちだな。干し草、油、羽根、研磨剤、などの必需品を仕入れたことがある」
あのぼろぼろの幌馬車の方に荷物があったのかな。
「あのイチゴーンのようなドワーフは、ムベドっていう名前なんだ、意外な名前かもしれない」
「ははは、イチゴーンに確かに似ているかもしれないな。本人には言わないほうがいいぞ」
と、キッシュは笑いながら語る。
「いわんさ……で、トロールのことだが、そのトロールは、ここの村を襲った?」
「いや、それが鳴き声と巨大な足跡を周りの地に残すのみで、不思議と襲いかかってはこなかった」
ムベドはトロールのことも話していたが……。
「なら、オークが家畜を?」
「わからない。当初はオークの仕業だと思ったが……そのオークたちを数度撃退したあとも、トロールの鳴き声が、夜半過ぎに響き、気付いたら家畜が消える事件が続いたのだ。家畜に関することはトロールかオークなのは間違いないと思うが……」
キッシュは顔色を悪くして語る。
「蟻の可能性か、夜は、別のモンスターの可能性もある」
「……」
キッシュの厳しい表情から、少しだけインスピレーションを得た。
夜だから、ひょっとしてノーラの話と繋がる? と。
ひょっとしたら、吸血鬼と古代狼族の争いの中にいたりして……。
吸血鬼の場合か、夜行性の知能の高い魔物が暗躍か?
カザネではないが、運命神アシュラーも粋なことをしてくれる。
そもそもが、この広い世界だ。
吸血鬼を含めた、未知の勢力が争い、鎬を削るのは当然。
しかし、巨大な世界の背景を予想したところでどうしようもない。
俺は俺にできることをやるだけだ。
とにかく子供たち、アッリとタークだな。
「……となると、アッリとタークは……」
「そう、手掛かりがないの。一応、死を回避する〝兎の尻尾〟は預けてあるから大丈夫だと思いたいが」
それは、アゾーラの……一瞬、それは大丈夫と言えるのか? と思ってしまうが。
キッシュの沈むような顔を見ながらあることを考えていく。
子供たちを探す方法はある。
それは神獣ロロディーヌの嗅覚を使うのと、血だ。
それには、まず俺が人族ではないルシヴァルだと伝えるか。
友のキッシュ、伝えるのが遅すぎたぐらいだ。
少し反省しながら口を動かした。
「……ある条件が揃えば、子供たちを追えるかもしれない」
「本当か!」
「……その前に俺のことで話をしていないことがある」
「話をしていないこと? シュウヤはシュウヤだろう。魔竜王戦で活躍した、わたしの友。真の英雄だ」
「そんな視線で言われると照れる……まぁ、驚くかもしれないが聞いてくれ」
キッシュはどういうことだ? と、眉をひそめる。
「勿論、聞こう。友なのだから」
キッシュの『友』という親しみ以上の意味が込められた言葉が連続で聞けて素直に嬉しい。
俺も勇気を出して、頷いてから、
「……俺は人族ではない。ルシヴァルという種だ」
彼女はまばたきを繰り返す。
これといって驚きの表情は浮かべていない。
「その種族だから、何か特殊な能力があるといいたいのだな?」
あっさりと予想してきた。
予想とは違うと思うが、俺の<血鎖探訪>のスキルを。
「そうだ。血を用いて追跡できる。行方不明の子供たちの血があればだが……」
「血だと、そんなものは……」
キッシュは眉根を寄せて考え込む。
細い顎先に人さし指を当てていた。
……宗教的な儀式、肥料、魔法で血を使うかもしれない。
しかし、普通は血の保存なんてしない。
すると、キッシュは、「あ!」と、声を発して、思い出した!
といったように、手の内を反対の拳の底で叩く。
血があるのか?
顔を上向かせるキッシュ。
頬にある入れ墨マークを見せつけるように、表情を明るくしながら、
「アッリが兵隊蟻から傷を受けた時の膝当てがあったはずだ。出血が酷かったから、まだ血が残っているかも――」
彼女はそう語ると、踵を返す。
薄緑色の髪を靡かせ、裏手にあった小屋へ向かう。
「――あった。こっちのはまだ血の汚れが残っている!」
小屋の奥で見つけたらしい。
そして、膝当てを胸元に抱えて戻ってきた。
脛から上の膝頭の丸い部位に、穴が二つ空いている。
その表面に古い血が雑巾で擦られたような薄汚れた血が残っていた。
アッリは膝に矢が刺さった冒険者だということだ。
傷は矢ではなく爪か牙だと思うが、これはフォルトナの街で、膝に矢を受けて療養していた冒険者と同じ。
膝に攻撃を受けた時は、もっと幼かったと思うが……。
膝の傷は、幼いからこそ傷の再生が速まった結果かもしれない。
そのアッリは冒険者活動を続けて、今は足跡を追いかけて行方不明に。
「ンンン、にゃ~」
俺の足下で話を聞いていた黒猫が反応。
二本の後ろ脚で器用に人間のように立っていた黒猫さんだ。
馬だと竿立ちという奴か。
そのままボクサー気分なのか、かわいい前足でフック気味の空パンチを宙へ繰り出していた。
ボクサーではなくて、『あの防具を調べるニャ~』という気持ちかもしれない。
そんな探偵気分な黒猫さんに言われずとも調べるさ。
「……それがあれば追跡できる。とりあえず、そこに置いてくれ」
「わかった!」
キッシュは血濡れた膝当てを地面に置く。
すぐに腕先から血を出して<血鎖探訪>を発動した。
血濡れた鎖の先端は、鎌の刃とかコブラの頭部や重石の碇にも見える。
その血鎖の先端が、振り子時計のように揺れて、古びた膝当てを貫く。
血鎖は、水を漂う毛糸のような動きで防具の周りを浸食。
膝当ては壊れた。
が、アッリの血を得た血鎖の先端は、コブラのようにむくっと起き上がる。
<血鎖探訪>の先端は、クイクイッと左右に動いてから、血の方向を示した。
「こっちの方角にアッリはいるらしい」
「本当か!」
「今までの経験上、間違いないだろう」
「……凄い」
よし、この<血鎖探訪>を用いて探索を開始しよう。
「探しにいってくる。ロロも向かうぞ。キッシュはどうする?」
「にゃ」
俺がそうキッシュに聞いた時、彼女は黒猫を見つめていた。
見惚れているように翡翠色の瞳が輝く。
黒猫は黒馬と黒獅子に近い姿に変身したからな。
彼女は凜々しい神獣の姿を見つめ続けている。
「……ロロがいつもより大きく……豹ではなく馬のような獅子だと?」
初めて見せる姿だから当然だ。
ヘカトレイルの頃は、神獣としての力は取り戻していなかったのだから。
ホルカーの大樹を再生させたご褒美に、大地の神ガイアと植物の神サデュラが、俺たちを祝福してくれた……。
あの神々しい花袋は忘れないだろう。
そして、不思議な光酒を、秘宝の酒を飲んだ黒猫。
そのアーティファクトの名は玄樹の光酒珠。
「……冒険の結果、神獣としての力を取り戻したんだ。もう一つ、秘宝があるらしいが、真の姿は取り戻した。だから、ロロはもっと姿を大きくすることもできる」
「ガルルルゥ」
黒馬か黒獅子か黒グリフォンとなった神獣ロロディーヌ。
自慢気に、猫声ではなく荒々しい獣の声で力強さをアピールしていた。
珍しい。
キッシュは臆せず、凜々しい姿の神獣ロロディーヌに近寄る。
馬に近い頭部の輪郭を確認するように優しく撫でていく。
うるうると輝く紅色と黒色の双眸でキッシュを見つめるロロディーヌも応えた。
首の下から複数の触手を出してキッシュに向けた。
蔓のような触手の先端がキッシュの細い腕と手に絡まっていた。
「……神獣ロロ。手が少しくすぐったいが、可愛い双眸は変わらない。頭部から胴の輪郭は細い馬のようだが、胸を張るような黒毛と触手は獅子を感じさせる……そして、そのすべてが黒く純粋に美しい」
「ンン、にゃぁ」
馬と獅子が融合しているような神獣ロロディーヌは喜ぶ。
複数の触手でキッシュを撫でるように、髪を梳いていく。
長耳も触っていた。キッシュの長い耳がぷる、ぷる、ぷるると揺れるのが面白い。
「はは、ロロ! 渋い表情だが、触手で悪戯しようとするところは変わらないな?」
「にゃ」
「しかし、こんな凄い神獣を使役するシュウヤ。実は神獣使いと呼んだほうがいいのか?」
「神獣使い。それでも間違いではないが……俺だぞ? 普通にシュウヤでいいよ。基本は師匠から受け継いだ槍使いがメインだからな」
「ふふ、それもそうか」
「にゃんお」
ロロディーヌはそう鳴くと、触手の一つをキッシュの頬へ伸ばした。
平たい触手の先端が、彼女の頬にくっつく。
気持ちを伝えているらしい。
「……頬のマークは故郷の印のような物だ。ふふ、これか? 耳のピアスは食べ物じゃない。小さいが、緑瞑石の飾りだ」
ロロディーヌは頬のマークとピアスのことを聞いたようだ。
ピアスのことが、きっと飴玉か、モンスターの目玉に見えたのかもしれない。
キッシュは愛しげにロロの頭から喉下を撫でていく。
ふさふさな黒毛の感触を楽しむように、モミモミと毛を引き延ばしては、手櫛を行う。
そして、一通りマッサージタイムを楽しんだ彼女は、微笑みながら俺に視線を寄越してきた。
「……わたしも探索に加わりたい。しかし、無理だ。村と子供たちを守る」
「そりゃそうだな。子供たちの食事もある。それと、対オークの戦力も必要か……」
沸騎士たち、第六の指からイモリザ、ピュリン、ツアンのいずれか、懐から陶器製の猫人形も出すか、左目からも精霊ヘルメを出しておくか?
「……冒険者ギルドに依頼を出したが、無駄足だろう……」
「他にも依頼は山ほどある。厳しいと思うぞ」
「期待はしていない」
よし、彼女の村を守るためだ。全員ここに出すか。
「少し驚くと思うが、俺の部下たちを出しておく、普通の冒険者よりは使えるはず」
「部下を出す?」
キッシュの疑問の言葉を耳にしながら……。
闇の獄骨騎を触る。
『出陣だ!』と念じながら――。
第六の指のイモリザに『お前も出ろ』と意識。
懐のハルホンクのポケットから出した黄黒猫と白黒猫に魔力を注ぎ地面へ投げる――。
同時に、左目に住む精霊に『ヘルメ、お前もこの村を守れ』と指示を出した。
『はいっ』と返事をした液体ヘルメが左目から出る。
指輪型魔道具の闇の獄骨騎から伸びる沸騎士たちの魔糸と接触した地面から沸々と煙が立ち昇る。
その煙を面白がった黄黒猫と白黒猫たち。
左右からフック気味の猫パンチを煙に向けて繰り出している。
遊んでいる様子を優しげに見ていた神獣ロロディーヌ。
すると、触手の群れを、煙で遊ぶ黄黒猫と白黒猫へと伸ばした。
その猫たちの小さい身体に触手を絡ませ収斂。
自分の手元に猫たちを運ぶ。
神獣ロロディーヌは、その子猫たちの体の大きな舌を使い舐めていく。
掃除か。子猫状態の黄黒猫と白黒猫を舌で労るように、洗ってあげていく。
母親の気分らしい。
「……閣下、周りの状況を確認したく」
「それもそうだな。一応、基本的な指示は村の責任者であるキッシュから聞くんだぞ」
「分かりました」
俺の言葉を聞いたヘルメは、流し目でキッシュを見やる。
そのキッシュは唖然として口元が震えていた。
「初めまして、キッシュさん。後ほど、ご指示をお願い致します」
「……あぁ、その名前は……」
「わたしは閣下の水。常闇の水精霊ヘルメと申します、今後ともよしなに……」
「せ、精霊様……」
「キッシュ、そんな畏まらないで大丈夫だ。ヘルメも尻がどうとかやるなよ」
「は、はい!? し、しらべませんとも!」
精霊ヘルメはビクッと体を震わせる。
口では否定していたが、しっかりとキッシュの尻を凝視しているヘルメさん。
そして、自らの上半身を再度、強く震わせてからポージング。
左右へ伸びた両手の掌は広がり、腰と両足にかけて知恵の輪のような水飛沫が発生していた。
その知恵の輪の水は、生命が逞しく宿っているかのように鳥の姿に変形。
水の鳥は、常闇の水精霊ヘルメの周りを回る。
それは海辺にいるカモメの姿に見えた。
ヘルメも、くるりとエレガントに回ると、またも魅惑的なポージングを繰り出す。
ヘルメの乳房が揺れに揺れる。新ポーズが素晴らしい。
両腕の組み方が、未知との遭遇となっていた。
新・ヘルメ立ち。衣バージョン。
「……」
「……」
「……では周囲を見てきます――」
俺たちの沈黙が気に食わなかった訳ではないと思うが、精霊ヘルメは、足下から水飛沫を発生させて、一気に空へ舞い上がる。
その瞬間、
「――閣下ァ、ゼメタスでございます」
「アドモスですぞ! 敵の殲滅はお任せを!」
「イモリザですぞ~、敵はわたしが殲滅しま~す♪」
いつものテンション組だ。
「……な、なんと奇っ怪な騎士たち!? 精霊様と猫たちもだが、銀髪の女……」
キッシュは目を見開いて驚く。
重騎士として、村を守る長としての反応なのか、腰に差してある剣の柄に手を当てていた。
「我の名はアドモスで沸騎士。奇っ怪な騎士ではありませぬ」
「わたしの名はゼメタス、沸騎士という存在であります」
「わたしは<光邪の使徒>。閣下が羨む第三の腕に変形可能な、愛しのイモちゃんです」
羨む? 愛しの? ま、第三の腕に関しては合っているので、ツッコミはしない。
しかし、あのイモリザの妙な形に変えている銀髪……ツッコミを期待しているのか?
とぼけた味わいのある表情とユーモアのある銀髪の形だ。
思わず、魔槍杖の紅斧刃を縦にして、燃えたぎる紅斧刃を、その銀の頭に喰らわせるという盛大なツッコミを脳裏に描いてしまうが、キッシュに視線を向けた。
「……キッシュ、沸騎士は見ての通り盾と剣を扱う前衛の騎士。そして、銀髪の浅黒い皮膚を持つ女の子は、イモちゃんことイモリザだ。動きは遅いが前衛と後衛もできる」
「盾と剣で貢献いたしますぞ――」
「前衛は、我ら沸騎士が担当しますぞ」
「銀髪で敵を薙ぎ倒しますぞ♪」
そう宣言しながら、勢いよく片膝を地面に突ける沸騎士とイモリザ。
「……<召喚術>か。さっきから宙に浮いてアッリが居るだろう方向を示している血の鎖といい、これもシュウヤが持つ種族の力なのか?」
キッシュは腕先を<血鎖探訪>と沸騎士&イモリザへ向けていた。
「個人の力も確かにあるが、沸騎士たちはこの指輪の能力が大きい。イモリザはあるスキルを利用したら偶然誕生した」
闇の獄骨騎を見せる。
「その指輪は覚えている。使っているところは初めて見たが。シュウヤは槍の他にも魔法使い系の戦闘職業も得ているのだな」
キッシュが感心しながら呟くと、
「ンン、にゃ」
「ニャアァン」
「ニャオォン」
馬獅子ロロディーヌの掛け声の下、黄黒猫と白黒猫が大虎の姿に変身していた。
「おぉ……二匹の大きい虎に……」
「そのアーレイとヒュレミもここの村に残していこう。お前たち、敵と味方の区別はつくよな?」
「――ニャア」
「ニャオン」
二匹の大虎は、俺に返事を寄越すと、臣下の礼を取っている沸騎士に近付く。
その沸騎士たちを押し倒していた。
そういえば、ずっと前も飛び掛かっていた。
アーレイ&ヒュレミは、あの鎧が好きらしい。
だが、大丈夫か? キッシュの子供たちに飛び掛かったりして……。
「――な、なんと!?」
「アーレイ様、ヒュレミ様、我らは餌では……」
大虎の姿となったアーレイとヒュレミは、一心不乱に沸騎士の特徴ある眼窩から胸甲の表面を舐めていく。
そして、ぺろぺろと勢いよく舐める度に、鎧から吹き出す煙の量が増減していた。
面白い。眼窩の不気味な炎系の光も増減を繰り返していた。
やはり見た目が骨系だけにシュール。
さらに、沸々と吹き出だ煙の鎧を新しい餌だと勘違いした訳ではないと思うが……。
沸騎士たちの胴体を口に咥えていた。
そのまま沸騎士たちを強引に起き上がらせている。
悪いが、その際の動きから沸騎士が人形に見えてしまった。
すると、アーレイとヒュレミたちは、沸騎士の前で、突然しゃがむ。
要は背中に乗れということだろう。
「おぉ、アーレイ様の背中に乗っていいのですな」
「ニャア」
「ヒュレミ様も乗りますぞ」
「ニャオ」
ゼメ&アドの沸騎士たちはアーレイ&ヒュレミに乗り込む。
「フハハッ、またもやソンリッサの経験を生かせるというものだ」
「ゼメタス、ここはセラぞ。魔界アゾリンの罠を思い出すのだ」
「ふぬ、わかっている」
大虎に乗ったゼメ&アドは気を大きくしたのか、魔界のできごとを語る。
魔界でも騎兵となって争い修行しているらしい。
「いいなぁ。でも、わたしにはお魚ちゃんたちが待っている♪」
イモリザが沸騎士たちを見て羨ましげに語る。
が、イモリザが扱うあの魔骨魚の機動力もかなりのものだと思うから、何も指摘はしない。
「お前たちは騎兵としてキッシュの指示に従い、この村を守れ」
「――お任せを」
「承知」
「はーい、ゼメちゃんとアドちゃん、がんばろ~」
「……この者たちに、わたしが指示をして……」
キッシュの顔に怯えたような影が映る。
「大丈夫だ。遠慮しないでいいから」
「……了解した、シュウヤ……」
キッシュは俺が呼び出した者たちを見回してから歩み寄ってきた。
その彼女の背中に手を回して懐に迎え入れる。
まだ不安なのかもしれない。
「まだ不安か?」
「……今は友として、女として抱きしめさせろ」
キッシュはそう語ると、厳しめの表情で強がるように笑っていた。
俺の部下たちは異質だ。
キッシュが動揺する気持ちはよく分かる。
彼女は昔の感触を楽しむように顔を俺の胸に寄越す。
緑の髪からいい匂いが漂う。
そんな可愛らしいキッシュをもっと安心させてやろうと……。
彼女の背中側の革服越しから肩甲骨辺りの溝を、指の腹で、優しく刺激。
同時に背中の柔らかい感触を掌で楽しむ。
……背筋の肉質も愛おしい、あの酒場のでの一件が煩悩を刺激した。
股間に熱が疼くが、楽しむのはあとだ。
名残惜しいが、キッシュの体を離した。
「……正直、もっとこうしていたい。だが、アッリとタークの行方を追う」
「……そうだな。アッリとタークを頼む」
「おう。宙を舞っている精霊に、尻を狙われないようにな?」
少しふざけながら語る。
「どういうことだ?」
「冗談だよ」
「ふっ、尻を守ればいいのだな?」
キッシュは笑いながら、両手でお尻を隠す動作をした。
ヘルメから流し目の視線が来ているような気がするが、無視。
「それでいい。じゃ、いってくる」
キッシュから踵を返し離れて走る。
馬獅子型のロロディーヌも走ってきた。
「閣下の出陣を祝うのだ~」
「えいえい」
「お~」
背後から、沸騎士とイモリザの音頭が響くが無視。
肝心の<血鎖探訪>の先端は左右に向きを変えて動く、忙しない。
左側にある小さい村の柵を跳び越えた。
左側にある天辺が崩れていた小山を見ながら……。
樹木から生えた多数の枝を吹き飛ばしながら突き進む。
凹凸が激しい土地、いや、下に傾斜している場所が多いのか?
<血鎖探訪>の先端に誘導を受けて、樹海の西側から、南側に方向を変えた。先のほうに、魔霧の渦森を彷彿とさせる山間が見え隠れ。
山の稜線が重なる造形は竜の牙を連想させる。
そして、自然豊かな光景から、迷宮二十階層で巨大怪物同士が争っていた場面が脳裏を過った……まさかね。
だが、あんな巨大生物が棲んでいそうな場所だ。
◇◆◇◆
――槍使いと黒猫が<血鎖探訪>を使い行方不明の子供を追いかけ始めた頃。
とある樹海で古代狼族と戦う二人の存在がいた。
片方は、なしうち烏帽子をかぶる女性。
その女性的な人物が、大きい枝から生える葉の上から、飛び立つ。
「サージュクロス――」
と、叫びながら大きな鎌を振り抜いていた。
女性の丸い肩から急激に長い枝葉が伸びたような鎌の刃が古代狼族の首に向かう――。
眼光が鋭い古代狼族の男は「このような刃など――」と叫びながら――。
自身の拳から数本の銀爪を出した。
目の前に銀爪をクロスさせて、大きな鎌の刃を防ぐ。
ところが、古代狼族の男の背後から――。
「――エンド」
その言葉が響くと、大きな鎌の刃が、古代狼族の真後ろから首を捉えていた。
古代狼族の男の首を挟む形で、撥ね上げていた。
斬った表面の断面図がくっきりと見えるほど、ものの見事に、ばっさりと切断した首の痕から勢いよく血が迸り、その血飛沫が螺旋状に宙へ散っていく。
大きな鎌を振るった女性は、なしうち烏帽子をかぶる外套を着た白色の蛾が密集した女性だ。
帽子を頭巾に変化させた。
凄惨な光景を作り出した白蛾と赤紫色の蝶々の女性たちは、愉しげに嗤う。
そして、自らの口をストローのように変化させた。
その口先で、狼男の頭部の首から脳天までを串刺しにするように突き刺し、一気に血と魔素を体内に吸い込むと、周囲の魔素も体内に取り込む仕草を取った。
「――あまり魔素は濃くないけど、質は少し高い」
なしうち烏帽子を脱ぎながら語る。
ボーイッシュな銀髪を晒した女性の眉は筆で書いたように細い。
双眸も切れ長だ。
口の形は、もう人型に戻っているので、頭部は人族の女性に極めて近くなった。
衣装も煌びやかなドレス系の外套だ。
が、その体は凄まじい数の魔力を宿した赤紫色の蝶々で構成されていた。
そんな煌びやかな衣装の合間から、無数に赤紫色の蝶々が羽ばたいていた。
「これでも古代狼族の、狼男だからね、兵士級だと思うけど」
「兵士級でも人族と比べれば強い。わたしの大鎌を防いだし」
赤紫色の蝶々の女性は、脇に抱えていた特殊な帽子を消失させてから、古代狼族の男の爪に自慢の鎌が防がれたことを思い出し、少し悔しげに話す。
全身の蝶々の色合いは紫色が強くなる。
続いて、モルフォ蝶のような蒼色の光沢に変化させていた。
更に大鎌と呼ばれている柄を悩ましいソーセージでも見るような厭らしい視線で見つめていると、柄の黒い魔法印字の溝に細い指を当て、指を走らせた。
蝶女の細い指の感触に、大きな鎌は喜ぶような不気味な音を立てる。
指で接触した表面から熱した鉄で焼いたような魔法文字が浮かび上がった。
魔力の内包量も一桁上がったように、大きな鎌自体からも魔力が噴出。
「……でも、ジョディ。古代狼族が、わたしたちの樹海の家に侵入してくるなんて久しぶりね」
「吸血鬼たちとの争いが激しくなってきたのかもしれない」
ジョディは同意してから唇を結び、考える素振りを取ると、
「……樹怪王の軍勢もあるし、領域外の様々な争いの結果でしょ。魔素の流入も変化しているわ……見て、証拠に、このフムクリの妖天秤が傾いている」
膨大な魔力を有した頭巾をかぶっている女性。
帽子の種類を変えつつ、赤紫の蝶を母体とする蝶の女と同じ、なしうち烏帽子の形に変えていた。
彼女は白色の蛾で構成された体を持つ。
右手に、死に神を連想させる魔力を帯びた大きな鎌を握る。
その白色の蛾で構成した女性ことジョディは、反対の左手を胸前に伸ばしていた。
ジョディの腕の形をした白色の蛾が羽ばたく。
と、天秤と水晶玉が融合した不思議で怪しいアイテムを出現させた。
その天秤は輝いて存在感を示す。
腕の白色の蝶々の群れが変わった反応を示し始めた。
白色の蛾の合間合間を埋めるように、無数に小さい赤色の唇が現れる。
その歪な赤い唇たちは、各自意識があるように蠢く。
呪いを齎すような小声を周囲に漏らす。
連れの赤紫の蝶女は、膨大な魔力を放つフムクリの妖天秤を見て、おどけた仕草を取ったあと、肩をすくめて、
「……へぇ、ジョディのそれが反応するなんて……場所もペルネーテより近いし、なんだったら外に行く? 樹怪王の軍勢も人族の大量流入で、敵が増えているから楽っちゃ楽よ?」
「あ、シュイルの、その感じからして、クンナリーの刃で強者を餌にする気? また色々なモノを吸い込む気なのね?」
「ふふ、バレた~♪」
白蛾と赤紫の蝶の女性たちは妖精のように宙を舞い、嗤う。
古の、暁の時代、『十二樹海に死蝶人あり、近づくことなかれ』という文字が刻まれた石碑が南マハハイム中に残っていたのだが……。
今はもう存在していないだろう。
◇◆◇◆
次話は8月5日を予定しています。
「槍使いと、黒猫。3」8月23日発売予定です。