三百三十一話 ノーラの想い
まだ距離があるが……あの後ろ姿は、美人吸血鬼ハンターのノーラ? もしかしたら、ブルゥンドズゥ様のお陰か?
早速、御利益? もしそうなら、水神アクレシス様には悪いが……。
本格的にブルゥン様を信仰したほうがいいかもしれない。
暇があれば、ヘルメにアドバイスをもらいながら……。
略して、ブルゥン様の喜びそうなお供え物を探すかな、が、まずは目の前の女性だ。後ろ姿だけでは、ノーラかどうかは、まだ分からない。
横から見てみよう。後ろ姿から勝手に知り合いだと判断して、その人の肩を叩き、その女性が振り向いたら「え? 何?」「すみません、間違えました」と、実はまったく違う人だった。
という展開はよくあるからな。
そんなことを考えつつノーラが安宿サイカの通りから去っていく姿を想起。ロロディーヌの触手手綱を少し緩めた。
相棒の横の腹を足の横で優しくコツンと叩いて、前進を開始。
「ンン」
と姿は馬か獅子と似ている神獣ちゃんだが、猫らしい喉声を鳴らす相棒ちゃん。トコトコと、前をゆくロロディーヌは楽しげだ。
肉球と骨の蹄で、地面を踏む神獣馬の相棒ちゃん。
相棒の四肢の足首は細いが、足首から上は徐々に神獣らしい太い筋肉となる。細さと太さにしなやかさも、合わせ持つ。
その筋肉を活かす四肢の動きは、凜々しいはず、きっと絶影のような迫力があるはずだ。三国志の有名武将の一人、曹操の乗馬の絶影。
当たり前だが、リアルでは、一度も、曹操と絶影を見たことはない。
あくまでも、イメージするのは、三国志の漫画かゲームか歴史の書物のみだ!有名な『三国無双』は最初は格ゲーだけだったが面白かった。
と、昔を懐かしみつつも、あくまでもイメージ。
黒王号とも似ているかな、言うなら黒馬女王のほうが相棒らしいか、と、鬣を指で梳く。ついでに地肌を撫でてあげた。
「にゃ、にゃお~ん」
と、俺が神獣のことを褒めた&撫でたことを理解している神獣さんが喜びの声を上げる。可愛い相棒ちゃんだが、相棒の撫で撫でタイムは終了だ。ノーラに挨拶する! 先ほどのイメージ続きで、松風に乗る前田慶次にでもなった気分のままノーラに近付いていった。そのノーラの髪が靡く。綺麗な髪だ、どんな効能のあるシャンプーを使っているんだろうか。彼女らしい薫りを感じさせる後ろ姿に期待感が高まった。ウェーブがかかった髪質と横顔を凝視……耳に白いピアスを確認した。やはり、ノーラだ! 彼女は、まだ俺とロロの姿に気付いていない。
馬獅子型のロロディーヌを跨ぐ片足をさっと上げてから、シンプルに降りた。そして、腕を上げて、
「ノーラ、久しぶり」
と声をかけてみた。
「え? えっと、あ!」
彼女は挨拶した俺を大きい瞳で見つめてから、
「わたしが勘違いして襲ってしまった……シュウヤ?」
瞼を開閉させながら聞いてくる。長い睫毛も魅力的だ。
その間に、左肩に小さい体重を感じた。
肩に乗ってきた黒猫。小さい両前足を胸元に収納させる香箱スタイルへと移行中だろう。肉球のプレスと内腹の接触具合の感覚だけで、猫マイスターな俺は、姿を直視せずともわかるのだ。そんなドヤ顔を意識しながら、ノーラに話しかけた。
「……思い出した?」
「忘れるわけないでしょ、ねぇ~、かわいい黒猫ちゃん! ふふ」
ノーラは肩で座ろうとしていた黒猫の小鼻へと、人さし指を伸ばす。指の根元の手甲はお洒落な三角形の布飾りだ。綺麗なオペラ・グローブ系の装飾だから芸術性が高い。
黒猫は差し向けてきたノーラの人さし指を見ようと、より目にしていた。ノーラの指の匂いをくんかくんかと鼻孔を拡げ窄めて嗅ぎ「ンンン――」と喉声の挨拶。そのまま「にゃ」と鳴いて一心不乱に頬のノーラの指へとこすりつけていく、頭部を鳩のように前後させて頭の耳までも当てていた。
ノーラは、そんな黒猫さんの一生懸命な行動に感じ入るように、かわいい……と小声で呟き「うふふ」といった微笑みながらの吐息を漏らす。その仕草は昔と変わらないなぁと懐かしみながら、
「……あれから、どう? 見た目通り順調なのかな」
ノーラの装備は少し豪華になっていた。鎧も新調したようだ。
鎖骨の位置から背中側へ均等にシンメトリーで並ぶ六角形の角鋲を備えている。その角鋲の部位から魔力を感じた。
女性らしい胸の形が維持された金属布の胸甲だ。思わず視線が向く。
あまり胸の膨らみはないが、柔らかい美乳系だろう。
脇腹は、鎖骨とは違い装飾のない滑らかそうな魔鋼系の甲が続いていた。臍が悩ましく露出している。魅力的なお臍ちゃんは、俺を含めて男たちを魅了するだろう。魅力的な臍の下には銀バックルが特徴的な茶色の革ベルト。ミスティとはまた違う職人系の柄入り革ベルト。
洒落た柄模様からサーマリアの古い歴史を感じさせる作りだ。
くびれた腰も魅力的。ベルトの横と連結したツールサックの中には、対吸血鬼用の特攻武器らしき物が豊富に差してあった。
ノーラは冒険者でもあるが、吸血鬼ハンターの一家だから当然だ。
「……勿論、冒険者と家業の吸血鬼ハンターの仕事を続けているわ。ヘカトレイル近郊には、はぐれ吸血鬼たちが棲む場所が幾つもあるからね……」
彼女は、他にも何か特別な理由があるのか、語尾で声のトーンを落とす。
はぐれ吸血鬼というと、昔のヴェロニカのような存在かな。
ヴァルマスク家が分派と呼ぶ存在。
またはヴァルマスク家とは関係ない吸血鬼たちかもしれない。
「……吸血鬼も大変だ。身内の眷属同士の争いとヴァルマスク家以外にも十二支族があり、人族以外にも敵が存在するんだから……」
「……人を襲う吸血鬼。人を餌として狩り続ける吸血鬼組織がある以上、それは未来永劫変わらないと思うわよ」
ノーラは、吸血鬼ハンターとしてのスイッチが入ってしまったように口調が変わるがこれはノーラが正しい。俺が悪い。
ノーラの立場、人の立場ならば当然のことだ。
南マハハイム地方の人族社会には、愛の女神アリア、正義の神シャファ、戦神ヴァイス、光神ルロディスの神聖教会、こういった多数の神界側の宗教が都市文化に溶け込んでいるんだから、なおさらだ。種族が千差万別で、つい緩く考えがちだが……人を襲う吸血鬼はモンスターと同じ扱いだ。
ただし、俺は光魔ルシヴァル。
光も濃厚だが闇の性質も濃い……ヴェロニカのことも知っている。
だから、吸血鬼たちのすべてが憎いわけではない。
ヴェロニカにちょっかいを出しているヴァルマスク家の一部は抹殺対象だが……。
「……そうなのかもしれない。声を落としていたが、ヘカトレイル近郊に棲んでいる吸血鬼に何かあったのか?」
「吸血鬼と古代狼族たちの争いがあったの」
人狼か。銀が弱点とかあるのかな。
典型的だが、満月で変身したりするのだろうか。
「古代狼族とは……古代とつくからには、吸血鬼との宿命的な争いがある?」
「そうよ。ハーヴェスト神話、マハハイム神話としての石碑が最近では有名ね」
「ヘカトレイルに古代の石碑なんてあったのか」
「都市の中に古代の石碑はないわよ? ヘカトレイル側の南西、【樹海】で見つかったと聞いたわ。伝説の巨人が抉ったような巨大縦穴の側にあったとか」
「樹海と縦穴に石碑か……」
「縦穴は、ペル・ヘカ・ライン大回廊に直結する大穴でしょう。石碑には、古代狼族を率いる神狼ハーレイアと吸血鬼たちを率いる吸血神ルグナドの姿があり、他にも色々なモノたちが争う様子が、刻んであったとか」
「ンンン、にゃぁ」
黒猫が神狼の部分で反応を示す。
神獣だけに、やはり神狼ハーレイアが気になるか。というか、俺も気になる。
神狼とは、黒猫の豹型、馬獅子型のように柔らかい毛をしているんだろうか……。
だったら、見て触りたい……もし、ふさふさモフモフだったら、黄黒猫と白黒猫も出して、神獣黒猫を合わせて、ふさふさモフモフの世界に浸るのも幸せそうだ。
「……神狼ハーレイアか、神話系の話には詳しくない」
結局、ミスティの学校にはいかなかったので、知らないことが多い。
「わたしも専門分野とは違うし、そんなに詳しくないけど、少し石碑のことを聞く?」
「ノーラ嬢、よろしくお願いします」
「ツッコミはしないわよ。で、説明すると、双月神ウラニリ、双月神ウリオウ、神狼ハーレイアの三神の神界側と、吸血神ルグナド、王樹キュルハ、宵闇の女王レブラの魔界側三神との大規模な争いが、石碑に延々と古代文字と絵のような象形文字で描かれてあったのを、地下遺跡研究家のドミドーンさんが見つけて、その一部の解読に成功し、発表したの。因みにドミドーンさんの種族はドワーフ」
へぇ、ドワーフの博士か。
ドワーフと聞いて偏見ではないが、妙に納得してしまう。
ヒエログリフの解読に貢献したロゼッタストーンのような物があるのかもしれない。
「ありがと。で、現在も、その吸血鬼と古代狼族の争いは激しいのかな」
「うん、ベンラックからヘカトレイル側に続く無数のモンスターが生息している樹海を中心に、街道沿い、街道から離れた人族たちが暮らす村や街でも、吸血鬼と古代狼族を含めた様々なモンスターたちによる襲撃事件が多発している状況ね」
「そんな事件が起きていたのか」
ペルネーテは近いが、やはり場所が違うと色々と変わる。
「衛兵隊、第三青鉄騎士団の一部では到底処理が追いつかない。東では戦争があるし国の動きが鈍いのは当然なのだけど、でも幸いにして冒険者の数が多いのが救いね。この間も一緒にパーティを組んだ冒険者たちが活躍したわ。中でも、戦闘奴隷の男たちを従えている赤茶色の瞳を持った女魔術師さんが『吸血鬼、狼男、蛹蛸ギュフィン、ホワークマンティス、魔導ゴーレム、樹鬼、白足狐、ゴブリン、オーク、ゲンダル原生人、大歓迎よ。狩り場が増えて嬉しいわ』と、余裕で語っていたし」
聖水もないのに吸血鬼を退治できる魔術師か。
確実に普通ではない、単純に火力規模が黒猫並みということだろうか?
「……この辺りは優秀な冒険者が多い」
「うん、茶色のローブを羽織った女魔術師は有言実行、優秀だった。茨を使う魔法に、ヴァライダス蠱宮の下層で手に入れたという〝アジャベリの足〟という多脚を出現させるマジックアイテムを用いた戦術は見事だったわ。お陰で、銀光蜘蛛の消費が少なくて済んだ。楽な依頼だったけど、少し欲求不満かも」
少し声のトーンを落としていた理由か。
違う欲求不満なら、喜んで、その解消の手伝いをしたいが……。
しかし、ベンラックか……。
「冒険者たちが活躍するのはいいが、ベンラックからヘカトレイルまでにある村や町は、たまったもんじゃないな」
ちょくちょく聞いたことがあるベンラック。
「昔からベンラックの樹海は様々な事件が起きている場所だったのもあるから、あの辺りは慣れっこかも。そして、最近は冒険者の流入も多いから、無責任な言い方だけど大丈夫よ。今は、ヘカトレイルの南西とか、タンダールの南、ノイル村の均衡でも吸血鬼たちの出現報告が上がってきていることのほうが、わたしには重要」
「では、ノーラは、欲求不満と語っていた楽な仕事帰りなのかな」
「その通り、妹のことを追う手がかりも無数に増えた状態だから、西のホルカーバムの地下街とか有名だし、だから、まずは一つ一つ潰していこうかと思って」
……妹さんか。ポルセンの<従者>と化したアンジェ……。
こうした状況だから、ペルネーテに来なかったんだな。
俺がペルネーテでポルセンとアンジェと再会した当時は、ノーラが妹を探しに現れるのは時間の問題だと考えていたが、そうドラマチックな展開にはならないか。
だが、どうするよ……ノーラに知らせるべきか?
いや、どの面で「妹さんが吸血鬼化していますよ」と言うんだよ。
ニッコリと微笑む、アルカイックスマイル?
否、それはまずい。家族が、探していた妹が、実は狩るべき敵と化していた。
そんな事実を知ったら……むごいだろう。
まして、俺は夕闇の存在だ。闇を歩いて光を闊歩する中途半端な野郎。
吸血鬼ハンターのノーラも混乱してしまう存在から、そんな事実を知ったら「……闇は闇、光を持つ者なんて家業的に廃業じゃないの! 許せない。忌むべき存在は殺す」という展開に発展するかもしれない。
が……事実は事実、話すべきか。
「……ん、どうしたの? 急に眉間に皺を寄せて、もしかして……」
「考えごとだ。このままヘカトレイルの宿に帰る?」
「シュウヤもでしょ? 途中まで一緒に歩きましょうよ」
「了解。手前の新街、俺はそこに用もあるし、軽くデートといこうか」
「にゃ」
肩に乗せた黒猫が前足でぽんっと肩を叩く。
「デート……でも、あそこ……ね」
デートの言葉を暗唱して嬉しそうな表情を浮かべるノーラ。
だが、新街の様子を思い出したのか、眉間に皺を寄せていた。
そのノーラと手は繋がなかったが、そんな雰囲気を醸し出して街道を歩いていった。
街道の幅は行き交う商人、飛脚、冒険者、馬車、旅人の数に比例するように広い。そんな行き交うたくさんの人々より、黒猫が興味深そうに見つめていた物があった。
それは街道の端に積んだ小さい砂利。
砂利は道に沿って長く続いているので、道路の白線にも見えてくる。
しかし、黒猫は、何か違うモノを見ているように、紅色と黒色が織りなす瞳を鋭くしていた。なんだろうと黒猫が見ていた砂利の方を見るが……パンダのような色合いの石が複数あるだけだった。
黒猫は、あの積んである砂利の上を伝い歩いて遊びたいんだろう。
そこから、ノーラと妹のアンジェのことを考えていく。
吸血鬼のポルセンと、ノーラの妹のアンジェは【月の残骸】の幹部。
アンジェとポルセンは縄張り維持のため、日夜努力しているのを知っている。実質の総長、【月の残骸】の副長メルも闇ギルドの運営で忙しい。
そして、父の魔人ザープとの関係もある。
ザープを助けて、魔人ザープの争いに加わるかもしれない。
そうなると、メルを家族に迎えたヴェロニカも手伝うはず。
ヴェロニカには、ヴァルマスク家との争いもある……。
そんな忙しいさなか、ポルセンに突っかかるノーラという構図となれば……メルたちは、貴重な不死の幹部を失いたくないだろうし、躊躇なくノーラのことを殺してしまうかもしれない。
そんな妹と姉の血を巡る展開は、総長としてもノーラを知る者としても、いやだ。いやだが、ノーラの気持ちを強引な力で止める気はない。
回数制限のある〝宵闇の指輪〟を使えば、アンジェを人族に戻すことは可能。だがそれはアンジェもポルセンも望まない。
といっても、ノーラがペルネーテにくれば……自ずとエーグバイン家に伝わるスキルを使い<分泌吸の匂手>の匂いを辿り、アンジェとポルセンは勿論のこと、俺の眷属たちにも接触してくるだろうからな……。
もし、このまま俺が何も語らなければ……。
ノーラは妹のことを調べながら、この近辺で暴れている吸血鬼たちを追って狩る生活を続けるだろう。それはもしかしたら一生ペルネーテに来ることもなく人族としての寿命を終えるような期間となるかもしれない。
しかし、彼女は人族。
どんなに優秀な吸血鬼ハンターでも、聖剣があったとしても、たった一人では、吸血鬼の集団&他のモンスターが相手では、寿命よりも、途中で力尽きてしまう可能性のほうが高いか。
真実を告げずに放置した場合の予想をしてみたが……。
このままペルネーテに来ない予想は少し都合が良すぎる……。
悩む、真実を話さないでおくべきか。
そんな悩みは微塵も表に出さず。
ノーラと笑みを交えた会話をしながら、波止場近くの商店街を進んでいった。滑車が運ぶ荷物は酒樽かな、凍った鯛とエイリアン魚っぽいワラスボの巨大魚に、鮭などの重そうな魚が多い。
シメジとかも横に積み重なっている。
真鯛のエキスが芳醇に染みこんだシメジは、ヤヴァいほど美味しいからな。
ウマシ! という言葉がどっかから響いてきた、気がした。
魚人系の船乗りも多くいた。
奴隷商もちらほらと……首輪を装着した人々を誘導している光景は前にも見たな……奴隷たちを含めて、この港界隈で働く種族たちの中にダークエルフの姿は確認できなかった。
やはり、魔霧の渦森で絶賛修行中のヴィーネは珍しい。
と再認識。鱗人で似たような色合いの種族はいるからだからダークエルフがいても、俺が気付いていないだけかも知れない。
板張り舗装が真新しい平幕露店をチェック。
水が溜まった木箱の中で踊るように泳いでいる見たことのない深海魚系の魚類を発見。先ほどもエイリアンっぽい巨大魚を運んでいたが、
「これは売り物なのか?」
とノーラに質問。
「そうよ、タッタラの白身魚で美味いの」
といった会話をしながら、鍋料理に加えたら美味い魚なのか?
と妄想しながら、このヘカトレイルは海と繋がる大河のハイム川と通じているのもあって、魚を売る商人が異常に多い。だから、隠れた『料理の鉄人』が住んでいるかもな。
なんとか【美食会】という組織もあるようだし。
ノーラとデートを楽しみつつ新街の場所に到着。
この辺りの様子も、初めて訪れた頃と変わらない。
通りでは、みすぼらしい格好の子供、眼光鋭い中年、歯が異様に黒い老婆たちが、『恵んでください』というように手を頭上に掲げて金持ちそうな旅商人の下に群がっている。
昔、パンの一切れのような食材を巡って争いが起きていた。
あの時、ぐったりとしていた羅生門のお婆さんは、もう……。
悲しくなったので、視線を逸らし歩みを続けた。
すると、ヘカトレイルの内部へ続く橋と門が見えてくる。
懐かしい……あの大きい橋も変わらずだ。
城塞都市の中へ流入している人々、前より数が増えているように感じた。
領主である侯爵シャルドネの政策が上手くいっているようだ。
部下のサメさんも優秀だと思うし、オークションで使える人材を確保していたからな。それらの人材を帷幕に組み入れた結果、その効果が早くも出ているのか?
城壁の凹から兵士が見張っているのも同じ。
だが、まだあの橋にはいかない。
メルから聞いていた【月の残骸】の新事務所の場所は、城塞都市の外に広がる新街にある。目印は【油貝ミグーン】から奪った船と同じマーク。
見れば直ぐに分かる。とのことだが……。
そして、一応、総長という立場だから、新しく雇ったというチェリという名の人材と面を会わせたほうがいい。俺の知るチェリだったりして、まさかね……。
さて、その事務所に向かう前に……ノーラに対して話をしないと。
妹を探している美人女性、その情報を知っている俺だ。
無視はできない。
一歩間違えば、ノーラは死に向かってしまうが……。
彼女の家族を想う心に賭けて真実を話そう。
「……ノーラ、大事な話がある。時間は大丈夫か?」
「うん、冒険者ギルドに寄るだけだから、たっぷりと時間はある」
「じゃ、少し歩こうか」
ノーラに打ち明けることが少し不安だった。
不安な気持ちを誤魔化すように、肩に休む黒猫の頭を一回撫でてから……。
ノーラを見る。彼女は俺の双眸を興味有り気に見ていた。
無難に微笑みながら歩くことを意識。
下町の匂いと、新街独自の風情を感じさせる街並みか。
木造家屋が並ぶ通りをノーラを彼女に見立てて、デートしている気分で、何処となく気恥ずかしさと嬉しさを感じながら、ノーラをチラチラと見ながら歩いた。
途中で、住所を示す置き石がある縁側に立ち寄る。
茶色と白色の縦縞模様の建物が並ぶ通りに出てから、角を右に曲がった。金環蝕のような暗道は通らない。
照り返しの強い明るい場所を選びながら路地の中を歩いていった。
建物と建物の間の鉄棒とロープに干されている洗濯物がカーテンのように揺らぐ。涼しい風を得ながら、風抜けのいい漆喰の壁が多い路地の間から、もう一つ先にあった大通りに出たところで……。
左右を見渡す。
人通りが少ないのを確認。
そのタイミングで、ノーラに視線を向ける。
「……妹さんの名前はアンジェで合っているよな」
「うん、急に真面目顔? どうしたの?」
ノーラはデートの気分だったようだ。
急に、石のように固い表情となった。
ハリウッド女優を彷彿とさせる大きい瞳が揺れる。
俺は勇気を出して、
「アンジェなら会った。聞く限りではノーラの妹だと思う」
「ええ? 本当に妹? なんですぐにいってくれないのよ!」
刷いたような美しい眉を寄せて怒るノーラ。
当然だ。本当にすまないと思っている。
「……ごめん、理由がある。言うべきか言わざるべきか迷っていたんだ」
「……真剣な黒い眼ね……うん。それに、昔、わたしも随分なことをしたし……。一方的に襲いかかって迷惑をかけた立場。あの時、命を取られても仕方なかったぐらいの勢いだったし、本当に、あの時はごめんなさい」
ノーラは俺の表情と言葉から、気持ちを察してくれたようだ。
真剣に謝っているのか、茶色の虹彩で、俺の両目を凝視してくる。
俺も紳士に対応だ。
背中に定規を入れて立つように、丁寧さを意識して唇を動かす。
「いいさ。ただ、これから話すことはノーラ、君のことを思って話すこと、なのだと、認識してくれ」
「え?」
彼女の頬が一瞬で朱色に染まっていた……が、気を取り直すようにかぶりを振っていた。
そんなかわいい彼女に向けて……慎重に、大胆に……。
「……ペルネーテに、君の妹アンジェは居る。だが、重要なことがある。ノーラ、ショックを受けるだろうが……聞いてくれ」
「ペルネーテに居る!? でも、ショックとは、もしかしてアンジェに何かあったの!」
う、ノーラの頬に泪が伝っている……。
彼女の必死な思いが胸を打つが、このヘカトレイルに戻って早々の彼女との再会。ブルゥンドズゥ様の効果かもしれないが、美人さんとの不思議な縁がある以上……。
知らぬ存ぜぬはできない。
「……アンジェは吸血鬼の<従者>となった。その吸血鬼は俺の部下だ。そして、俺も普通の人族ではない」
「……ふざけないで、わけわかんない!」
目がぎらつくノーラ。
怒りと渇望の他に、深く癒えることのないむき出しの血の苦悩を感じさせた。当然の反応だ。
「ふざけてはいない。真実だ」
「なんで妹が……なんでよ。シュウヤの部下? 普通ではない? わけわかんない。混乱させてわたしをハイム川に突き落とす気?」
ノーラは辛辣気味に語る。俺は肩をすくめながら、
「そんなことはしないさ。ノーラ、前に俺を吸血鬼として狙ったことは覚えているだろう? それがどういうことを意味しているのか、君ならわかると思うが」
「……あ、<感応>。でも、吸血鬼ではないはず……よね?」
明らかに、動揺したノーラ。
だが、そこは吸血鬼ハンターとしての経験なのか、肩口に覗かせている両手剣の柄に手を当てている。
今、会話をしている場所は、通り沿いだが、『構わず、いつでも背中に装着している両手剣を抜くことは可能よ』という構えだ。
「そう、俺は吸血鬼ではない。光と闇を併せ持つ光魔ルシヴァルという種族だ。ノーラの<感応>は半分正解だったということだな」
恒久スキル<光闇の奔流>を簡易的に説明した。
「道理で、生まれて初めてだったし、<感応>が失敗するわけがないとは思っていたのよ。聖水も効かないし、でも、光属性を持つって……」
ノーラは大きい瞳の内部が朧気に揺れていた。
過去のことを思い出しているようだ。
よし、この人通りが少ない場所を利用するか。
これを見せれば、ノーラも光に関しては納得するだろう。
大げさな身振りをしながら、右肩に備わる竜頭金属甲を意識――。
その途端、竜の口が暗緑色防護服を瞬時に吸い上げる。
表面を彩る白銀の枝模様が波を作るように撓み、襟から滑らかに続く左右にわかれた胸元を結ぶ金具と釦も、その形が細長く歪に変形しながら竜頭金属甲の口に納まった。
「え? 服が消えた? あ、左胸……」
そう、ノーラが凝視しているように、左胸を露出。
光十字に鎖が絡んでいるマーク、<光の授印>を見せていた。
「これが光属性の証拠だ」
片方だけの胸の露出。妙に恥ずかしい。
おっぱいは好きだ。しかし、自分の片おっぱいを長いこと晒す趣味はない。
直ぐに肩の竜頭装甲を意識した。
すると、竜の口から暗緑色の布生地が体に展開された。
あっという間に、左の胸にできていた拳骨と似た丸い穴が塞がれた。
続いて、襟の金具と、胸と腹の服を結ぶための親指ほどの大きさの釦も元通りとなった。
最後には暗緑色の手織り布と白銀の枝模様の飾りが綺麗な防御服となる。
ノーラは肩の竜の頭を模したハルホンクの口と髭に先ほどまで露出していた、俺の左胸を見ていた。今、瞬時に造り上げたハルホンクの防御服は、高級な暗緑色のコートに見えるだろうし、驚くのは無理もない。
『閣下、ツアンではないですが、唇を窄めて、スッパマンはしないのですね』
『……そんなツッコミがくるような気がしてはいた。しないから』
『ふふ、はい』
「……でも、え、え、もしかして、アザヤ十六の節……聖者様なの?」
聖者か。ノーラは口を金魚のように動かしながら喋っていた。
この反応だと……今後の宗教国家での顛末が想像できる。
この胸の<光の授印>は、よっぽどの時以外は見せるのは止そう。
前に、ノーラから宗教国家の大聖堂について聞いたことは覚えている。
吸血鬼ハンターだけに、神聖書は当たり前のように詳しい。
だからハルホンクの防護服の特殊製よりも、やはり光十字の<光の授印>に反応を示すのは当然か。
「……正直、俺は詳しくはしらないが、そんな記述があるらしいとは、側近から聞いている。関係はあるだろう」
側近の部分で、右手の第六の指が動いたような気がした。
「それはそれで宗教国家が混乱しそうなほどの、大発見なのだけど……問題はアンジェよ! なんで、狩るべき吸血鬼に……」
だよな。続きを話しておこう。
「アンジェは追っていた殺そうとしていた吸血鬼に逆に救われた。死ぬところを、その吸血鬼が血を分け与えて救ったからこそ、アンジェは、今、吸血鬼として生きている」
真実を語った。彼女が家業と吸血鬼となった家族、どちらを取るか。黒猫の肉球が大好きな女性だ。
ハンターとして家業のために妹を狩るという選択は取らず、家族を取ってくれるはず。
「……本当のことなのね。それで部下とは?」
「闇ギルドの総長が俺ということだ」
「え、闇ギルドのトップ……驚きだけど、アンジェは元気なのね?」
「あぁ」
「……うぅぅあぁぁぁぁ」
……様々な感情をこらえ気丈に振る舞っていたが、崩壊してしまった。
ノーラは膝から地に崩れ落ちる。
「……ぅぅ、家業を守ってきたのに、妹を探していたのに……わたしは、わたしはどうしたらいいの?」
嗚咽しながら、俺を頼ってきた。
俺は、彼女を見守るように、
「アンジェは生きている」
と、短い言葉だが、何重にも意味を重ねたつもりで話していた。
俺の言葉を聞いたノーラは、茫然自失、死んだ魚のような意識が薄い双眸となっていたが……少しずつ、瞳の中で、宝石と星が新しく生まれでるように小さい煌めきたちが生まれていく。
「……うん、そうよね――」
ノーラは宝石の泪を流しながら語ると前のめりに突っ伏す勢いで立ち上がる。
俺に抱きついてきた。
「アンジェ……本当によかった……」
ノーラの見上げながら語る表情から、まだ綯い交ぜとした感はあると分かるが目力は強い。
家業より家族を取ったノーラ、愛している家族だからな。
そんな心を持つノーラが輝いて見えた、凄く嬉しかったが一応……。
「……アンジェは吸血鬼の<従者>だが、会っても殺し合いは、なしだぞ」
「わかっているわ……もしかして、家業を取ると思ったの?」
「……家族を取ると信じていたさ」
「ふふ、その笑顔はチャーミングね。そうやって女を虜にしているんだ?」
頬を朱に染めているノーラが、上目遣いで語る。
彼女の胸の感触が柔らかい。これは……むらむらモードに移行していいのだぞ。
という、エロ呪術の申し子、ブルゥンドズゥ様のお告げか?
「虜ってより、俺が女好きってだけだ――」
しゃんとした姿勢のまま腕を伸ばす。
ノーラの髪に触れていた腕を彼女の髪を傍に戻すように、髪を指で優しく梳いてあげながら背中側に戻してあげた。その際に、彼女の耳が露出し細い項を覗かせる。
「あっ……」
ノーラは短く言葉を漏らす。恥ずかしそうな気色を顕わにする。
どぎまぎしているのか、うつむいてしまった。
耳も、『わたし、恥ずかしい』と語るようにリンゴのように赤い。
耳に装着している白いピアスが、赤と白のコントラストで、より綺麗に輝いて見えた。
「……シュウヤ」
ノーラはまた見上げてくる。俺の唇を見つめて、はにかむ。
やや遅れて、視線を合わせてきた。その双眸の奥底から強い欲情を感じ取る。そこから無言でノーラの想いに呼応、自然と彼女の小さい唇に自らの唇を重ねていた。
次話、15日更新予定です。
の予定ですが、今、見たら、2万ブックマークを超えていました。
ですので、記念に明日、短いのを更新しようと思います。




