三百十二話 幕間ヴェロニカその一
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「ついに、あたいも眷属……」
「うん。メルだけズルいと、うるさかったしさ」
ヴェロニカの軽快な言葉にメルもつられ、笑う。
「ふふ、さすがに慎重なベネットも光に対抗できる不死の命ともなると、目の色を変えていたわね」
「……なにさ、その勝ち誇った顔はムカツク。だいたい、変態の毒霧なんてどうして浴びたんだい? メルらしくない」
ベネットは笑われたことが面白くなかったようで、メルに対して厳しい口調だ。
「ベネ姉、メルを責めちゃダメ。その場にいなかったからいえるのよ! カリィ、あの短剣を恋人みたいに扱う変態が……毒霧を用いるなんて想像もしなかったし」
ヴェロニカは天凛堂の地下で戦っていた時を思い出しているのか、すごい剣幕だ。
いつものいたずらっ子のような印象は消えていた。
メルもカリィとの戦いを思い出したのか、笑っていた表情を醜く……変えていく。
それは地下の臭いを思い出しているわけではない。
自己嫌悪を感じている顔色だ。
「……ヴェロニカ、気を遣わないでいいのよ。わたしも自分の能力を過信していた。閃脚の名が聞いて呆れるわね」
ベネットはメルの自虐の言葉を聞いて、エルフの長耳を小刻みに揺らし……。
こんな反応は困る……。
抜け目のない狡賢いメルが毒霧を吸ったことが予想外だったから、つい厳しめの口調で責めちゃっただけなのに……と、考えたベネットは、微妙な心理をほぐすように自らの頬を細い指でぽりぽりと掻いてから、
「メル……ごめん。ヴェロッ子の話す通りだ。多少は短剣に自信があるとはいえ戦っていないわたしが話すべきことじゃなかった。カリィとかいう変態も、うちの総長と一度戦って逃げ切っている強者だからね。当然だと思う」
ベネットはふざけることはせず、真面目に謝っていた。
「ううん。いいのよ」
「ということで、ベネ姉。昔は昔! 今は今。<筆頭従者>として眷属化をやるからね。もう後戻りはできないけど、準備はいい?」
ベネットとヴェロニカは視線を交じり合わせて頷いている。
「……総長曰く、賽は投げられた。という奴だろ? 準備は万全さ! あたいの命を預けるよ――ヴェロッ子!」
ベネットは顎の鰓を強調させるように突き出す。
右手の拳もヴェロニカへ向けて伸ばしていた。
「うん――」
自然と微笑するヴェロニカ。
目の目にあるベネットの拳へと、自らの小さい拳の先端をコツンと当てていた。
彼女たちは、頭部の形も性格も種族もすべてが違う。
だが、仲のいい姉妹のようにお互いを思いやっていた。
メルも自然といたわりのまなざしを向けている。
そして、ヴェロニカは吸血鬼らしく顔付きを変える。
真っ赤な苺のような双眸。
目元から目尻にかけて血管が浮き上がり、脈が打つ。
小鳥が空を飛ぶように両手を広げて、女帝のような雰囲気を醸し出した。
細い首を縦に動かすヴェロニカは<眷属作成>のスキルを発動する。
その刹那、小柄なヴェロニカの全身からルシヴァルの血が止めどなく溢れだす。
それはシュウヤのような闇の世界は生み出さないが、真っ赤なルシヴァルの系譜を持った血だ。
ヴェロニカの生み出した血の表面から透明な糸が無数に上空へ放出。
透明な糸の群れは、独自のエネルギー網のように揺らいでいく。
血と糸が織り成す光魔ルシヴァルの模様。ヴェロニカの足下が窪んだように、揺らいだ空間の歪み。その歪みは重力レンズが作用したようにも見えるが、透明な乱菊の花弁が拡大縮小を繰り返しているようにも見えて幻想的だった。
幻想的な光景を作る真っ赤な血は、血飛沫を散らしながらヴェロニカの周囲を埋め尽くし、別個の意識があるように、うねり、波を起こしながらベネットの下へ移動していく。
ベネットは素足だ。着ている服も麻布を使った簡易服。
その素足の先にヴェロニカの生温かい血が触れた瞬間、彼女は武者震いを起こしていた。震える間にも、細い足首まで血の中にすっぽりと埋まる。
艶のある脛の皮膚の上を血がゆっくりと上昇していく。
粘菌のように網目模様の血の筋のままベネットの脛の表面を這い上がり、膝から太腿に移る。血色のハイソックスを穿いているように見えた直後、体にも血がゆきわたっていた。
その侵食速度はシュウヤに比べたら遅く、血の質も低い。
だが、ヴェロニカの光魔ルシヴァルの血は、堅実に着実に小柄なベネットの体を覆い包み込んでいた。血の包んでいる形は、小さい血の子宮。
その子宮の形が、ルシヴァルの紋章樹へと形を変えていった。
ルシヴァルの紋章樹といっても小さい。
シュウヤの<大真祖の宗系譜者>の意味がある万朶が美しいルシヴァルの紋章樹ではない。
ヴェロニカらしいルシヴァルの紋章樹だ。可愛らしい小型の盆栽を思わせた。
とはいえ、血を纏う幹から選ばれし眷属<筆頭従者長>の意味を持つ大きい円と<従者長>の意味を持つ小さい円が系統樹の枝で繋がっているのは変わらない。
大きい円の中に描いてある名前もそのままだ。ヴィーネ、レベッカ、エヴァ、ユイ、ミスティ、ヴェロニカ。
偉大なルシヴァルの系譜を受け継ぐ<筆頭従者長>たち。
小さい円の中にはカルードの名もあった。
ただ、ヴェロニカの系統樹の大きい円の縁にだけ、他の<筆頭従者長>が持っていない分岐している系統樹の枝先に小さい円と繋がっていた。
その小さい円の中にはメルの名前が既に描いてあった。
これは吸血鬼として経験豊富なヴェロニカだったからこそ。
シュウヤが生み出した<筆頭従者長>たちの中で、<血道第三・開門>を唯一獲得しているヴェロニカだからこそだ。
ヴェロニカが<眷属作成>スキルを使い生み出した<筆頭従者>を意味する小さい円。
その小さいルシヴァルの紋章樹はベネットの体と重なると心臓の位置から強烈な閃光が走る。同時に、胸から光の粒子を纏った血が飛び出ていく。
ベネットと重なったルシヴァルの紋章樹を形成していたルシヴァルの血も崩れながら光の粒子を纏った血の後を追うように宙へ向かう。
宙で、二つの血が弧を描くように合流し混ざり合う。
道教の無極を現すように、陰陽の太極図のようなマークとなると、血と光は絡み合うように螺旋状に回転をしていく。
それは渦の回転は何かの規則があるように一定の方向に螺旋の回転をしながらベネットの体へと逆再生するように戻る。
ベネットは戻ってくる血のすべてを全身で受け止めるように吸収していくが……。
血潮が体内に侵入してくる度に、焼き鏝を身体の内側から何度も当てたような熱い痛みを味わっていた。
それは思考の秩序を崩すほどの痛み……。
しかし、ヴェロニカとベネットは微笑を浮かべて互いに『信頼をしているからね』というように、気持ちを通じ合わせていた。
ヴェロニカもベネットから痛みの電気的な刺激が伝わっているのか、動揺を示すように、時折、目元を振るわせている。
やがて、最後の血が微かな音を立てベネットの体内へ入りきる。
その瞬間、紋章樹の幹の表面あるヴェロニカの大円から繋がった小円の中にベネットの名前が古代文字で浮かび上がると、ベネットは床に倒れて意識を失った。
<眷属作成>が無事に終了。
これでヴェロニカが生み出した<筆頭従者>は二人目となる。
「ヴェロニカは母であり女帝ね。これで、ベネットとわたしは本当に血を分けた家族になれた」
「うん、でも、わたしは夢多き乙女? 柔らかい肌を持つ清純な乙女であって、母って感じがしないから、メルがお母さんってことで」
その語勢にメルは驚き、双眸を広げる。
「……ちょっと、おべんちゃらの釣り合わない言葉が混ざっていたけど、さり気なく感動するようなこといわないでよ」
「あれ、お目玉を喰わされると思ったけど……」
「ふふ、お小言の雨は――今度ね♪」
メルはヴェロニカのようにわざとその場でステップを踏む。
タンゴのワルツを踊るようにスラリとした足を伸ばし華麗に回転してポーズを決めた。
すると、顔色を厳しくして口を開く。
「……さて、これで、ヴァルマスク家に対抗するヴェロニカ家の誕生? ルシヴァル家かしら、シュウヤ家?」
「そんなのはどっちでもいいわ。別に決まりなんてないしね。月の残骸のままでいいでしょ。名前が好きだし、それに……天凛堂の戦いの夜。何か運命的なモノを感じなかった?」
ヴェロニカの言葉に、薄々感じていたメルも同意の意思を示す。
「確かに感じていた。わたしたちの月の残骸と、月の残骸の綺麗な皓々とした夜空はそのすべてが繋がっていたような気もする。お父さんと再会できたし……だからこそ、わたしたちの総長は神話のお伽噺に出てくる人物なのかもしれない……総長が語っていた「水清ければ月宿る」との言葉にも意味がありそう」
メルは心の底から湧き上がる思いを口に出していた。
「お伽噺かぁ……現に、わたしという存在が証明している?」
ヴェロニカがしたり顔を浮かべながら話していた。
「あ、それもそうね、吸血鬼を人族に戻すって、確実に神話の一ページよ……」
「うん♪ レブラとルグナドに関係する魔法の指輪を持っているのも、凄すぎる。でも総長があまりにも身近すぎて実感がないのよ」
「砂漠のアーメフ教主国では、古の時代の実際に起こったことが語り継がれていると聞いたことがあるけれど」
「うん。だとしたら、このわたしたちという存在も語り継がれていくのかな?」
「永遠の命だから、語り継ぐ必要はないけどね。吟遊詩人といえるエルフの歌姫が知り合いに居るから、もしかしたらもしかするかもだけど」
メルは細い顎に指をおいて考えながら語る。
「宿屋で頑張ってるシャナでしょ? ありえるわね」
ヴェロニカはそこで、寝ているベネットに視線を移す。
ベネットは夢を見ているのか、幸せそうな表情を浮かべていた。
「……ベネ姉、夢を見ている?」
「悪夢ではなさそうね」
「直前が直前だけに痛い夢を見そうだけど、この顔色は、いい夢を見てそう」
ヴェロニカは寝ているベネットの顔を覗き込む。
「いつもの悪戯をするの? 総長が額に“肉”とか“中”と書くと超人になれるとか話していたけど」
「ぷっ、何よそれ、総長って時々わけわかんないことをいうわよね」
「うん、ふふ」
ヴェロニカとメルは笑う。
「今日は悪戯はしない。起きたらお祝いをしよう!」
「記念日だしね。何かベネットが驚いて喜ぶような祝いを考える? ついでに、総長にも報告をしておきましょう」
「賛成♪ 眷属云々の前に、大事な大好きな総長がここを離れちゃうようだし、今の内に甘えておかないと♪」
「ハンカイさんが居るから甘えられるかしら?」
メルは微笑みながら、わざとらしく聞いている。
「うぅ~いやなこといわないでよ。この間、噛みついてくれて意味深な開発をしてくれたんだけど……姫様をレフテンに返すといいながらもさ、訓練スイッチが入ったようで、中庭で四六時中……玉葱おっさんと斧の稽古に夢中だし……」
ヴェロニカは愚痴を話すが、実に楽しげに話す。
「でも、総長のそういうところも大好きなんでしょ?」
「そうなの! アメリちゃんの様子を窺ってから、時々、玉葱おっさんと沸騎士たちを退かしてヴィーネとユイとの二対一の合同訓練に参加するんだけど、これがまた強いの何のって、精霊様が痺れます! と連呼している気持ちが直に分かるんだから!」
「あら、聖女を陰から守る重要な仕事なの! と、あの時、わたしに向かって偉そうに話をしていたのは、次いでのことだったのかしら?」
メルは目を細めながら聞いていた。
「ううう、違う……総長という甘い存在が近くに居ると我慢できないの、どうしようもないのよ! でも、ちゃんとお仕事しているもん」
「ふふ、そういうことにしておきましょう」
「んでね、総長との訓練の最中に、わたしが床に転ばされても、優しく対応して心配してくれるの! その時の表情がまた興奮しちゃうんだから、あ、そうだ。ベネットのお祝いは……」
ヴェロニカはパッと閃いたァと自信満面の表情を作る。
狡知に優れたメルは、そのヴェロニカの感情に一瞬で気付く。
「総長との一夜? ベネットはすぐに起きると思うけど」
「うん。だから総長に血文字で連絡して、セッティングして、今すぐに来てもらうのよ! それに、ベネットが総長のことを見つめる熱い視線には薄々気付いているでしょう?」
「勿論、間近で見ているからね。最近は選ばれし眷属たちと仲良くしているところを見ると溜め息ばかりで、少し心配だったの」
「それはわたしも含めての話だから、なんともいえないけど……」
「なら、決まりね」
「うん。ついでにメルも?」
「……ヴェロニカはいいの?」
メルは遠慮がちに語る。
「いやよ。けど、メルだって総長のこと好きでしょ? 会うたびに総長の視線を楽しむように新しい服に着替えているし、今も、その大きいおっぱいを武器にしたお洒落な戦闘服は今まで見たことない服だし」
ヴェロニカはメルの巨乳を睨む。
メルは睨みを利かせている可愛い視線を見て、己の大きい乳房を触りつつ苦笑した。
「……そう、その通りだけど、わたしは副長だからね」
メルは自らに言い聞かせるように呟き、
「そのことを踏まえて総長は紳士的に接してくる。この間も「月の残骸は元々メルの物だ。俺がいうのもなんだが……これからも引き続きたのむ。お前に託すぞ」と、真剣な表情で話していた。月の残骸の仕事についても相談したら、「水心も魚心」と語ってから相談に乗ってくれて、色々と父のことも含めて語り合ってくれたの」
「へぇ、総長はえっちだけど、真っ直ぐに優しい気持ちで見てくるからね。副長、元総長としてメルのことを尊敬しているのよ。だからゴージャスで攻めても逆に尊敬が増してしまって逆効果かも」
巨乳を羨ましそうに見つめながら話しているヴェロニカ。
メルは気にせず優しく見つめていた。
「いいの。一線を引いてけじめを守ろうとする総長の気持ちはよく分かるから。わたしたちが作り上げた月の残骸を守ろうと大切にしてくれて、そして、「言うは易く行うは難し」を有言実行に移す男。わたしはそんなシュウヤさんを凄い尊敬している」
「……ふーん。それはそれで何か凄い信頼感ね」
ヴェロニカはどういうわけか嫉妬めいたものを感じながらも、話を続けた。
「それじゃ、その総長さんを呼んじゃうよー?」
「了解、ベネットを頼みましょう。匂い付きの蝋燭を用意しないと」
「……高いお酒もね♪」
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