二百三十一話 魔人ナロミヴァス
ナロミヴァスは素早く対応してきた。
碧眼を鋭くさせながら細長い両手が握る闇剣をクロスさせてゆっくりと振るう。
その黒い刀身から闇の炎を身に纏う鳥を無数に生み出していった。
鳥獣戯画のような闇の鳥。
闇の炎か墨の液体か。
不可思議の質感を全身から発している怪しい鳥。
その闇の炎を身に纏っている怪しい鳥たちは不気味な鳴き声を発してナロミヴァスに群がる。
技か、召喚か、不明だが、闇の鴉と鷲が合体したような鳥たちへと
「魔界の<獄炎鳥>を味わうといい――」
と、鳥獣戯画のような獄炎鳥に指示を出すナロミヴァス。
あれは鳥というより純粋な闇属性の遠隔攻撃?
そうなら喰らっても平気だと思う。
だが、痛いのは嫌だ。
足を止め闇の炎を身に纏う鳥共を迎え撃つ。
両手首から<鎖>を伸ばした。
ゆっくりとゆらりゆらりと笛で蛇を操る蛇使いのごとく<鎖>たちを操作し――。
迎撃態勢を敷く。
その直後、闇の炎を纏う鳥たちが襲い掛かってきた。
飛んで火にいる夏の虫のごとく。
俺は二つの<鎖>を操作した。
<鎖>は波打つ軌道で中空を突き進み、複数の闇鳥を突き刺し撃ち落としていく。
しかし、<鎖>の軌道から直角軌道で逃れた闇の炎を纏った二羽の鳥が右と左から迫った。
右の方が速い――。
瞬時に闇鳥の機動を読む。
魔槍杖を右に八の字に動かしつつ、穂先の紅矛を斜めから迫る闇鳥へと衝突させた。
下から払うように貫き潰した闇鳥は紅色の燃え滓となって落下していく――。
そこに反対から迫った闇の炎を纏う鳥。
右手の魔槍杖を回転させ背中に通す――。
その背中に通した魔槍杖を左手へ移し替えた。
迫る闇の炎を纏う鳥の姿を視界に捉えながら――。
スナップを利かせるように左手首を内側にクイッと動かし魔槍杖を掬い上げた。
上方から迫った闇の炎を纏う鳥の下腹部を紅斧刃が捉える。
そのまま一気に闇の鳥を両断。
風を生み出す勢いの魔槍杖を正眼に戻し、構えながら両手首から伸びた<鎖>を再び操作――。
<鎖>のティアドロップ型をナロミヴァス本体へ向かわせた。
弾丸のような速度で向かう<鎖>――。
両手に持った闇剣が弧を描く。
彼は難なく、その<鎖>を闇剣で弾いてきた。
眼前に月でも描くような軌道の円月殺法だ。
イケメン魔族なだけに様となる。
「――闇、地底界、秘術系の鎖? 闇剣ヴァローハで、両断するように斬ったのですが、弾くだけですか……」
<鎖>の先端を睨みつけながらの言葉だ。
女が反応しちゃいそうな渋い声といい、反応速度も並じゃない。
それにあの、闇剣ヴァローハ……。
俺の<鎖>を弾いても刃こぼれ一つもない耐久性抜群の魔剣。
ま、そんな武具を持つイケメン魔族だが、内実はイカレタ、人肉嗜食野郎だ。
『……あの碧眼に溜まる魔力。それに体の魔力操作もスムーズです。銀と赤系の怪しい皮膚の表面には闇の炎が集まっているようにも見えます』
『闇の炎、それが奴の力? かもな』
ヘルメと念話を交わしてから<鎖>は消失させる。
前傾姿勢でナロミヴァスへと突進。
槍圏内の間合いに入った直後。
光を失った魔法陣の印を、左足で踏み消すイメージの踏み込みから、右手一本ごと彼の胸元を貫くように魔槍杖の紅矛<刺突>を繰り出した。
――ナロミヴァスは反応。
胸元に迫った<刺突>の紅矛を、左手が握る闇剣でドライブ回転を引き起こすように振るい上げ、紅矛を持ち上げるように弾いてきた。
やはり防いできたか。
硬質な金属音を発生させると同時に彼は片幅を生かした右手を真横から闇剣を振るう。
横からしなるような軌道の闇剣は受けずに退く。
弾かれた魔槍杖を脇に引き寄せながら左足で地面を蹴り後退した――。
あれ? 追撃の剣突は来ない。
さっきの闇炎の鳥を用いた遠距離攻撃を予想したが、ナロミヴァスは追撃姿勢は取らなかった。
その代わり闇の魔剣へ魔力を注いでいる。
時間稼ぎか?
『あの魔剣から魔法を発動させる気ですね』
『たぶんな、巨大化か、伸びる系か……』
魔力を注いでいる魔剣の剣身が徐々に膨れている。
あえて誘いに乗ることにした。
「……この女神ヴァーミナ様に連なる魔法陣へ楔を打ち込める貴方という存在といい、紫色の魔槍杖、いや、魔槍斧でしょうか、その魔槍を扱う正確無比な素晴らしい槍の技術……魔導人形を超え魔界騎士とも戦えるという戦人形師の特殊傭兵たちが扱う魔傀儡人形のように繊細で豪快です。実のところ、貴方は、その南西のイーゾン王国に伝わる魔道具人形その物ではないのですか?」
俺が槍を扱う人形?
……皮肉って嘲笑しながら推察しているのか?
魔導人形は知っているが、魔傀儡人形?
イーゾン王国なんて聞いたことがない。
「……人形? だとしたら、いったい誰が俺を動かしているんだよ?」
少し笑いながら聞いていた。
「……たとえば、貴方が助けていた生贄台で寝ている正義の神シャファの戦巫女? わたしを寄せ付けない運命の神アシュラーの使徒でありアシュラー教団を率いるマダム・カザネ。槍使いという綽名に由来するように、闇のランスを持つ魔界の神々の一角、暴虐の王ボシアドの使徒、或いは死海騎士たち……」
ボシアドが有する死海騎士か。
ルリゼゼからも聞いた。
「……地上に影響ある闇神リヴォグラフの使徒……闇神の七魔将。闇の教団ハデス」
あの闇剣に魔力を込め続けているが、彼は語りたいようだ。
なので、あえて聞いてみよ。
「闇神リヴォグラフ?」
「えぇ……この世の闇であり、独立した闇の存在。魔法と精神の暗黒を意味し、その闇は、命と魂を汚す。闇魔術師、狂魔師ソーサラー、モンスター種族にも多くの信奉者が地底界及び地上にも居ます。それらは闇神を自分たちの生みの親と見なしている」
突然、地底界とか出てきたが……。
魔神帝国との繋がりもあるのか?
ダークエルフ、ドワーフ、ノームたちの世界とも微妙に繋がっているのかもしれない。
「地底界とは、魔神帝国か?」
その瞬間、ナロミヴァスは蟀谷をピクリと反応させた。
「……よくご存じで、我々、悪夢の使徒だけでなく、他の組織、もしくは、黒の預言者たちを知っているのですね」
なんだそりゃ……。
「黒の預言者?」
「知らないのですか。貴方が持つ夜の瞳に免じて、特別に教えてあげましょうか?」
夜の瞳……俺の魅了の魔眼か。
ということは、ナロミヴァスにも<真祖の力>は効いているようだ。
それにナロミヴァスの場合は、魔であり極端だ。
闇属性、負の感情で占められていると思うし、モロに影響を受けたか?
トキメイテ、ソッチ系にならないように祈る。
「……教えてもらおうか」
「【黒の預言者】と【闇の枢軸会議】は無数の組織、団体を率いていた一握りの存在たちです。【血印の使徒】、【魔神の拳】、【大墳墓の血法院】、【闇の教団ハデス】、【セブドラ信仰】。といっても【闇ギルド】、【闇の枢軸会議】を含めて、皆、仲が悪いのですが……因みに【黒の預言者】は三人居ます。その内の一人が、このわたしなのです。魔人ベラホズマ・ナロミヴァス、魔に転生を果たした一人ですからね」
自信溢れる顔だ。
「……地底の魔神帝国と、どう繋がるんだ?」
八頭輝とはまた違うのか。
「輸出ですよ。北は【砂漠都市ゴザート】と【教都メストラザン】。南東ですと【鉱山都市タンダール】。西ですと、帝国に取られた【緑竜都市ルレクサンド】。南西ですと【貿易都市デニム】と【迷宮都市イゾルガンデ】といった都市へとある専門ルートを使い捕まえた贄の一部を輸出。変わりに対価とアイテム、兵を借りたりしているのです」
奴隷を含めて捕らえた人を売り渡すか……。
「他の都市へ輸出……」
こいつはお偉いさんか?
やはり宗教団体は税金が掛からないから金を儲けられるのだろうか。
「えぇ、キュイズナーというモンスターは地上では希少ですからね、戦人形師の傭兵並みに使えます。僅かですが帝国との戦争で投入を予定しているのです。あ、それと、地底といってもただの地底世界ではないのですよ」
キュイズナーなら知っている。
地下で粉砕した中に居た。
だが、混乱する……帝国の動きに備えているということは一応は、宗教家のくせにオセベリアを維持しようとは思っているのか?
単に団体の邪魔をするのを排除しようとしているだけかもしれないが。
「……地底世界が普通じゃないのか?」
「はい、地底、【魔神帝国】という名ですが、あそこは悪夢が信奉する魔界の神々ではなく、【黒き環】から来訪したと言われている他次元世界【獄界ゴドローン】と通じている地底神を信奉している都市が魔神帝国には多いのです」
【獄界ゴドローン】初めて聞いた。他次元かよ。
そういえば、俺がエリボルから奪ったウォーターエレメントスタッフも……。
次元世界の扉を開ける鍵杖らしいからな。
「その【魔神帝国】は【獄界ゴドローン】だけでなく、魔界の神々も関係性があるので、魔神具、魔道具を通じて繋がりを持つ場合が時としてあるのです。勿論、地底の神に連なるモノたちが多いですから、そこには神界の神々のような反吐が出る関係ではなく、魔界の神々たちが喜ぶ、騙し裏切り潰し利用といった関係性ですがね……」
しかし、次元世界は幾つあるんだよ。
魔界セブドラ、神界セウロス、黒き環も迷宮都市のように幾つもあるらしいし、海光都市、塔烈中立都市セナアプア、そして、獄界ゴドローン……。
入り乱れているなぁ、まさにカオス。
だが、この都市の邪神界については知らないようだ。
「邪神にはあまり詳しくなさそうだな」
「そうですね。わたしは一応はこの都市に住んでますが、儀式、交渉で忙しく内情にさほど詳しくないのです……言い訳ですが、この都市の表向きの責任者はクロイツです。とはいえ、このペルネーテに邪神の使徒が複数居るのは存じていますよ。敵ですからね。現に、さきほど不意打ちを喰らってしまいました。しかし、クロイツなら仕留めてくれるでしょう」
ナロミヴァスはクロイツの様子を少し見る。
クロイツVSリリザ。
犬型魔獣VSロロディーヌ。
今も周りで激しく戦っているが、俺はこいつに集中する。
「邪神の使徒か……」
「知っている顔ですね? 貴方もそっち側の使徒でしたか……」
碧眼を鋭くさせて睨んでくる。
「……その神々の誰かが、俺を動かしていると、言いたいんだな?」
「ええ、そうです。宵闇の女王レブラの使徒の小生意気なコレクターと、貴方は仲間である可能性が高いですからね」
「確かに、知っているが……違うな」
あの額と魔眼の瞳におっぱいは覚えている。
不思議な部下たちと、ゴルディーバの召使いも居た……。
ナロミヴァスは口をまだ動かしていく。
「……そうですか? では、古いアブラナム系の荒神系、光神ルロディス直属の神界騎士、或いは、神聖教会の闇アイテムを豊富に隠し持つ教皇庁八課対魔族殲滅機関の一桁の方々。愛の女神アリアの聖者オプティマス、戦神ヴァイスの【戦神教】の神官マシュー。職の神レフォトの【未開スキル探索教団】、生命の神アロトシュの【命の鎌】、知恵の神イリアスの【輪の真理】、秩序の神オリミールの【聖ギルド連盟】、炎神エンフリートの【炎教団ラエアル】水神アクレシスの【水教団キュレレ】、風神セード、大地神ガイア、植物の女神サデュラ、等々、他にも可能性は沢山あると思いますよ? どこぞの無知を装っている使徒な槍使いさん」
組織名を言われてもさっぱりだ。
やはり、皮肉ってるらしい。
イケメンだが、余計にムカつく顔だ。
しかし、
「神々か……」
あながち間違いではないのかもしれない。
カザネの言葉が脳裏に過る。
『盲目なる血祭りから始まる混沌なる槍使い』
今回のことも含め、血祭りとは、混沌な俺が進むところに巻き起こることなんじゃないかと考えてしまう……レベッカへ冗談的に語っていた釈迦の掌で踊る孫悟空のように、俺はアシュラー神、いや、神々の掌の上で遊ぶ存在なのかもしれない……。
「……おやおや、この間は、図星でしたか?」
微笑しながら問うナロミヴァス。
俺は思わず目を細めた。
「違う、精神の在りようは人それぞれと改めて感じただけだ」
「ほぅ……随分と高尚な考えをお持ちのようで」
ウザイがまだ聞いておこう。
「……そんなことはどうでもいい、抽象的な神々の話より、お前がさっき話していたことの方が気になる。イーゾン王国とは何だ。南ならセブンフォリア、アーゼン文明とかなら聞いたことある」
「フッ、地政学的な知識はあまりないようですね」
いちいち、癇に障るやつだ。
魔槍の紅矛で突くのは決まりだな。
「すまん。何分、宗教団体を運営している教祖と違い、無知な一般人なもんで」
「……何が一般ですか、使徒のくせに、まぁいいでしょう。わたしは帝王学で育ちましたからねぇ」
人食い教祖の何が帝王学だ。
「……いいから早く話せ」
「生意気な使徒ですね、いいでしょう。イーゾンとは西のフロルセイル七王国に所属しているフロルセイル連合国の一つ。イーゾン山の山間部にある国です。隣接している西のラドフォード帝国と南のセブンフォリアとも争っていた小国。その両外国か、内戦か、何かしらの影響でイーゾン国は崩壊し、凄腕の戦人形師でもある姫も行方知れずとか。そのお陰で、戦人形師の特殊傭兵たちを、他の国々が雇えるようになったのですがね……他には“魔人武王ガンジス”も利用していたとされる【迷宮都市イゾルガンデ】辺りも有名でしょうか。【貿易都市デニム】等の都市もあった国ですよ」
西方のフロルセイル七王国なら聞いたことある。
イーゾンは滅びたか、崩壊したらしいが。
しかし、聞いてみるもんだ。高等教育は受けているようだ。自ら帝王学というだけはある。
少しそのイーゾンについて聞いてみるか。
「その戦人形師たちが有名なイーゾンは滅びたのか?」
「滅びたと聞き及んでいるだけですね。問題は魔傀儡人形のように正確に扱える魔槍杖ですよ。その重そうなハルバードを、只の木の棒のごとく扱う技術、父上たちが好きな王槍流という門派ですか? クロイツが名を知っているようでしたが、改めて、貴方の正式な名前を知りたいところです。教えて頂けますか?」
そう尋ねながらも、隙を見せない。
魔力を込めていた闇剣の準備は調っていると思われる。
「……自分から名乗ったらどうだ?」
「これは失礼。わたしの名はナロミヴァス・ゼフォン・アロサンジュ」
「ゼフォン? そりゃ貴族か?」
「そうです。今は女神ヴァーミナ様から名を頂いたベラホズマ・ナロミヴァスですので、オセベリア王国公爵家の嫡男としての名は必要ではないですが」
公爵だと?
だから帝王学とか話していたのか……。
金を持った公爵の息子がわざわざ魔人へ転生を果たした?
ま、こんな、超記憶症候群の捜査官も驚愕する凄惨な生贄儀式を行う羊たちの沈黙だ。
生まれながらにして六百六十六の文字が頭に刻まれていたに違いない。
この場所もオペラ座の怪人が住んでいそうな雰囲気だしな。
しかし、俺たちも角は生えていないが転生を果たしているから人のことはいえない。
俺も黒猫がじゃないが、心に黒い獣が棲んでいる。
深淵を覗くものはなんたらとかの言葉が脳裏に過りながら口を動かしていった。
「……公爵家とはな。だから、これほどの規模の施設を地下に作れるわけだ」
周りにある地下施設を視界に入れながらの言葉だ。
この神殿と思われる祭壇、生贄台、地面に刻まれた魔法陣は別にしても、魔力漂う燭台、周囲の壇上のような盛り上がった地形に
ある鉄檻群、巨大な壁のように並ぶ棚類、無数にある寝台、銀糸のカーテン、象嵌された机、椅子。
……本のような物も転がっている。
その一つが“カラムニアンの侍女”とかいうタイトルだ。側には使用済みな汚い布が丸まっていた。
色々と金が掛かっている。
「……公金の流用を含めて他にも財源は色々と豊富にあるので資金は潤沢です。公爵家としての力、権力は大いに利用させていただいていますね……ところで」
ナロミヴァスは如才なく語り、碧眼をギロリと動かし、俺を見つめてくる。
名前を聞いていたっけ。お望み通り、
「俺の名は、シュウヤ・カガリ」
「そうですか、シュウヤ・カガリさん。長々とお話をしましたが、そろそろ御仕舞いの時間です」
笑って望みに応える。
「おう、やろうか」
「……そもそも、ここは悪夢の女神様の御前! その生意気な態度は改める必要があるのです――」
名前を聞くまで攻撃しなかったくせに。
意外に礼儀正しいナロミヴァスは声を荒らげ闇の剣を頭上に掲げた。
斬り掛かってくるのか? と思ったが……予想と違う。
小さい闇夜を俺の頭上に展開させてきた。
その闇で俺を囲い、脳を侵食し、精神を侵すとか?
『閣下、闇炎を纏う黒腕が、沢山……』
本当だ。回りくどいが物理的な攻撃なのか。
無数な黒腕を発生させてきやがった。
だが、それは“悪手”だろ。闇なら闇だ!
<始まりの夕闇>の範囲を限定して発動させる。
重く冷たい真の闇が濛々と広がった。
俺の夕闇が新たなる闇の潮流の波煙となる。
頭上で蠢くナロミヴァスが作り出した小さい闇夜を、俺の夕闇が侵食していく。
牛顔クロイツと銀髪女リリザが戦う場所から隔離。
真の闇が、瞬く間に、魔法陣が敷かれた左の空間を埋め尽くした。
水底のように謐まる。
その間にも、ナロミヴァスの闇夜から伸びていた闇炎を纏っていた黒腕たちが真の闇に飲み込まれ焼けて乾燥したポークウインナーのごとく萎えていた。
そこで<夕闇の杭>も無数に発生させる。
冥途から出現したような闇杭の群が、萎れた黒腕たちを次々と貫いていく。
「……な、なんだこれは! こんなのは知らない!」
ナロミヴァスはこめかみに赤黒い血管が浮かばせながら見上げる。
自らの闇剣から発生させた闇夜が侵食されていく光景を見て、火がついた扇で煽られているかのように、狼狽えていた。
<始まりの夕闇>は精神的な汚染を齎す。
だが、彼も魔族だ。
魔界の女神に連なる者のようだから彼の精神に直接は効いてないと思われるが……あの表情から推察するに、少なからず、精神を削り取っているようにも見えた。
俺は怒りを滲み出すように、
「……しらないのか? お前だって魔界の女神に連なる者だろう? そんな“ちっぽけな闇じゃなく”、もっと広大な深淵の闇を感じさせろよ。俺を凍え震わせる滂沱を感じさせる真なる闇夜を作りあげてみせろ……」
<始まりの夕闇>により、闇に包まれた空間をゆっくりと歩き、彼へにじり寄っていった。
「わ、わたしの闇夜を、ちっちっちっぽけだとぉぉぉぉ」
感情の均衡が破れた声だ。
ちっぽけというフレーズが彼の心に楔を打ったようだ。
凄い剣幕で狂信的な碧炎が浮かぶ瞳をぎらぎらさせ興奮したナロミヴァス。
お粗末な内股走りで闇剣を振るってきたので、逆に魔槍の石突で横殴ってやった。
「ぐあ――」
ナロミヴァスは横に吹き飛ぶ。
だが、ただの竜魔石で殴っただけなので、闇炎を殴った凹んだ顔の部分はすぐに闇炎が灯り、ぷっくりと膨れてから瞬時に傷を癒していく。
「くっ、この闇世界といい、そのヴァンパイアのように血走った目に変化……やはり魔界の者か?」
「俺は俺だ――」
ナロミヴァスの言葉を打ち消す魔槍で闇を薙ぐ。
あの端正の口を潰す。そのまま突進した。
「くぅ、こっちにくるなぁぁぁ」
ナロミヴァスは両手の魔力を出している。
闇剣ヴァローハから闇夜を作り出す動きを止めた。
普通の闇剣へ戻しながら身構える。
来るなというから止まったわけじゃないが、急遽、動きを止めてやった。
そして、不自然な間を作り出した直後。
ナロミヴァスの胴体を斬るように《氷刃》を放ち、魔槍杖の右上から《氷矢》を、左手の側から《連氷蛇矢》を無詠唱で連続で繰り出す。
最後に左手首の因子マークから<鎖>を発動させた。
先をゆく氷刃と氷矢は、ナロミヴァスの操る二つの闇剣ヴァローハに相殺される。
だが、上級の連氷蛇矢はナロミヴァスの足、ぎらぎらしい銀色と臙脂の鎧服と一体化したような皮膚コスチュームに突き刺さる。
彼は苦悶に顔を歪めた。
突き刺さった部位の周りが凍っていくのが見える。
「ぐっ」
痛覚は普通なのか? 続いて左手から射出された弾丸速度で向かう<鎖>は、足に氷矢が刺さり体勢を崩したナロミヴァスの下腹部を貫いた。
「わたしの身体を貫く? だが、これしきのこと」
痛がる素振りはハッタリか。
その腹を貫いた<鎖>を破壊しようと、ナロミヴァスは二つの闇剣ヴァローハを逆手に持った状態で、闇の剣刃を<鎖>へ打ち付けるように衝突させる。
その闇剣で<鎖>を斬ろうとするが、切断はできない。
さぁて、このまま引き寄せての天誅! といこうか。
そう考えながら<鎖>を収斂させてナロミヴァスの身体ごと手元へ引き寄せようとする。
「ぐああ」
ところが、ナロミヴァスは予想外なことをしてきた。
何を血迷ったか、逆手に持った闇剣ヴァローハを素早い所作で扱い自らの身体を両断している。
それも、きれいさっぱりと余韻もなく……。
胴体を貫いていた<鎖>から解放されたナロミヴァス。
上半身だけで宙に漂い浮いていた。
切断した断面から出ている血の量は極端に少ない。
僅かに血が垂れているだけだ。
代わりに蛇のような赤黒い炎がその断面から渦を巻いて伸びていた。
しかも、氷矢が刺さっていた下半身は倒れない。
突き刺さっていた氷矢の傷口から排出していた闇炎が当たると自然消失している。
更に、その下半身だけで機敏に動き蹴りを放ってきた。
――マジか。
俺は驚いて身を退いて間合いを保つ。
引き寄せてからの魔壊槍プランが脆くも崩れた。
その下半身を操作していると思われる宙に漂う上半身だけのナロミヴァス。
彼は俺の強い凝視に対し碧眼の瞳を刃のように鋭くさせる。
暗中に白刃を見る思いがする強い視線で見つめ返してくると、
「……この影を曳く舟もない単調なる闇世界ですが、純粋な闇を感じさせます。そして、貴方の使う氷魔法、硬い鎖、魔槍、その未知なる実力」
さっきの狼狽し怒った表情から一転。
今度は冷静な闇の使徒らしい表情だ……。
彼は魔族に転生したが、まだ人の精神を引きずっているのかもしれない。
「どの魔界に連なる者なのか……判断できませんが、とにかく、わたしと同じ類なのは確実――」
その直後、上半身の下部にある切断面からジェットエンジンを噴かすように赤黒い炎を爆発的に放出させる。
細かな木屑のような闇炎の軌跡を宙に残しながら、神の恩寵を感じさせる速度で、両手に持った闇剣を振り下ろすように襲い掛かってきた。
俺は暫し、避けることに専念。
猛然とした剣術家を彷彿とさせる動きで、袈裟がけに斬り下げ、真向から振り下ろし、横薙ぎ、頭上の闇を幾つも切り裂いていく。
下半身も呼応したのか、蹴りの動きを再開して詰め寄ってきた。
兵は詭道、敵を偽り欺くことが不可欠というが、下半身まで別意識があるように攻撃してくるとは……。
孫武が齎した兵法でたとえながら<導想魔手>を発動。
歪な魔力の手でナロミヴァスの下半身が繰り出す蹴りに対抗。
ナロミヴァスの上半身の両手に持った闇剣、俺の胸を一突きしてくるような闇の剣術に対しては、円を描くように魔槍杖を動かし剣突を弾いていく。
ナロミヴァスの闇剣を防ぐたびに、けたたましく金属音が鳴り、紫色の火花が目の前に幾つも生まれ出る。
隙を見て左手から<鎖>を射出するが、ナロミヴァスは上下に分裂して軽くなったか、速度が上がったのか判断できないが、上半身と下半身がUFOのように奇抜にくるくると回り避け続けて華麗に<鎖>を避けてきた。
こいつ強い……。
暴を禁じ、兵を治め、大を保ち、功を治め、民を安じ、衆を和せしめ、財を豊かにする。七徳の舞とは、対極の七魔の舞剣といえるかもしれない。
やがて、上半身と下半身の両断した断面から放出している赤黒い炎が、中空の位置で渦を巻いて繋がると、その激しい機動で避けていたナロミヴァスの上半身と下半身が引き寄せ合って繋がり元の姿に戻っていた。
「……この闇の世界になってから女神の声が聞こえにくくなりました。ですので、魔界四九三書が内包された特別な三玉宝石! この女神様の七重宝樹を用いて、貴――」
うざそうな口上なので邪魔をする。
闇世界から<夕闇の杭>を無数に射出。
しかし、ナロミヴァスは素早い所作で手首に嵌めていた三玉宝石の腕釧を頭上へ翳した瞬間、三つの勾玉らしき宝石から闇の炎で縁取られた魔法陣が出現していた。
彼は嗤いながら自らの眼前に浮かぶ闇炎の魔法陣の中へ入り姿を消す。
放出した闇杭たちが、その魔法陣に突き刺さると、その闇炎魔法陣は虚空へ消える。
そして、違う方向から闇炎の魔法陣が俄かに現れると、そこから蜘蛛の巣にかかった虫のように宙吊りになった体勢でナロミヴァスが現れた。
『転移しました! 魔道具、魔法、スキルか分かりませんが、あんなことも可能なのですね』
『……あぁ、吃驚だな。上下に分断したり転移したり、まさに詭道』
ヘルメと脳内会話を続けながら、そのぶら下がるナロミヴァスへ闇杭を向かわせる。更に<鎖>も射出。
彼は宙吊りの逆さまの状態だが、華麗な動きを見せた。
あんなぶら下がった状態が、本来の動きなのか?
そんなことを思わせる巧な腕捌きだ。
上下に分断していた時より素早さが増して見える。
闇剣の刃を右や左へ薙ぎ払い、闇杭を弾く。
鈍色の反射光を生み出すように闇杭を斬り捨てる。
同時に<鎖>を避けていく。
魔法陣から垂れる両足と繋がる闇の炎を纏った魔線を揺らす。
それは、さながら左右に激しく揺れる振り子時計のようだ。
揺れながら、身に迫る闇杭たちを弾き、斬り、嵐を感じさせる闇杭の群れと<鎖>の遠距離攻撃のすべてを、ナロミヴァス自身は横回転も加えた機動で、器用に避けていった。
そして、転移を繰り返す。
範囲が小さく簡易とはいえ転移は転移だ。
ヘルメが念話していたようにスキルか、魔法か、曲芸か、分からないが凄い。
真似はできない。
盗みようがない曲芸な回避魔法剣術だ。
だが、彼は次第にしゃべる余裕がなくなった。
宙吊り体勢で闇の世界の中を踊るように避け続けることが多くなる。
魔法陣の中へ再度突入して消えないことから推察すると連発が不可能、クールタイムが必要系?
俺の光条の鎖槍と同じ使用制限があるスキルか。
どちらにせよ、また転移されると厄介だ。
今のうちにあのナロミヴァスを強引に捕まえてやる。
その思った瞬間に<邪王の樹>を発動。
太い樹木の幹たちを大量に両腕の先に誕生させる。
その真新しい樹木の幹たちを操作し、成長させるように真っ直ぐ伸ばしながらナロミヴァスへと向かわせた。
闇杭と<鎖>を避け続けているナロミヴァスは、この樹木攻撃に対応が少し遅れた。
その遅れは致命的――。
彼の片足に成長した樹木の枝が、蛇が巻き付くように捕らえた。
ナロミヴァスの胴体を樹木の枝で捕まえることに成功。
「――樹木を作る能力!? 驚きました。ですが、脱してみせましょう。この闇世界とて、完全に女神ヴァーミナ様の力が届かないわけではないのです。シャイサード・ブルム――」
狂乱めいた表情を浮かべたナロミヴァス。
呪文めいた言葉を叫ぶ。
そして、三玉宝玉から発生した魔法陣の中へと、樹木に掴まった足と胴体の一部を俺の樹木ごと吸い込ませていく。
彼が語るように一瞬で俺の樹木から脱していたが……。
そのナロミヴァスの姿は片足と胴体がむしり取られ萎んだ身体に変化している。
その直後、俺の首筋に微かな電流のような痛みを味わう。
――指で首を触り確認。
血が流れていた……首筋にある傷跡のような入れ墨からだ。
<夢闇祝>の入れ墨が反応したのか?
こりゃ悪夢の女神ヴァーミナに何か盛られたのか?
スキルを得たように闇属性のなんらかの力だと思うが。
このスキルは瞬間的に分かるタイプじゃない。
タッチすればある程度情報がわかるかもしれないが、今は戦闘中。
――首筋に微かな痛みを覚えていると、ナロミヴァスの一部の体を吸収した魔法陣からぬぅっと闇炎を身に纏う巨大黒兎が現れる。
もしかして捕らわれたことを利用して、自らの体を触媒にしたのか。
召喚した黒兎は大きい……。
ん? あの造形……。
闇の炎を纏った巨漢黒兎。
闇印の首筋からくる微かな痛みといい、女神ヴァーミナ関係か?
それにあの黒兎……。
白濁水を浴びていたヴァーミナの世界で見たぞ。
……宙に浮いていた黄金の樹の近辺を漂っていた黒兎とそっくりだ。