二百二十八話 影の潜入者&救出
最初は三人称が続きます。最後が主人公視点となります。
◇◆◇◆
ここは薄暗い地下の広い洞穴。
巨大な鉄檻が平行して並んでいる。
その鉄檻の中に多数の捕らわれた女たちがいた。
皆、総じて、暗い顔だ。
焦燥が誰の胸にも宿っている。
鉄檻から見える悲惨な状況を見て、いつあれが自分の番になるのかと暗鬱な気分となり、項垂れ、絶望し、すすり泣く。
そんな状況下、荒くれた男たちから解放されたばかりでも、しっかりと、気丈に振る舞うメイド服を着た女性がいた。
「……皆さん、元気を出しましょう。わたしのご主人様は普通じゃないのです。きっとわたしたちを探し出してくれます!」
「……」
「何が普通じゃないよ、もう同じことを言って何日経つ?」
一緒に閉じ込められている女性の言葉だ。
その女の瞳には絶望の色しか感じられない。
「それは……」
メイド服を着ている女性は言いよどむ。
それは当然といえた。自分自身も周りを励ましながら必死に主人が来てくれることを信じて冷静に心を保っていたのだから。
「多数の男に犯されるのは、もう別にいい……でも」
「……気が狂いそう」
「……見て、また……食われるよ。あの化け物に……」
鉄檻の内側から儀式の様子を眺めていた女たちの言葉だ。
その女は覇気のない死んだ魚のような瞳。
はは、と、現実逃避した。
弛んだ臓腑を抜かれたような表情で笑い悲観しながら、洞穴の中央部で行われている凄惨な光景を眺めていた。
中央は丸い窪んだ地形だ。
その地面に巨大魔法陣が描かれてある。
蝋燭が灯る銀製の燭台が、魔法陣の外円の縁を記号に合わせるように均等に配置されてあった。
燭台の上で揺れている蝋燭も特殊、大きい魔法の炎だ。
篝火のように広い中央部の一部を明るく照らす。
その蝋燭の魔法の炎が古めかしい血塗れた生贄台と歴史を感じさせる闇色の魔力を放出している祭壇を怪しく照らし、儀式を行う漆黒ローブを着た集団の男たちの姿を不気味に映し出していた。
その不気味な漆黒ローブたちの中心に立つ大柄な人物。
牛顔、見た目は人、だが、魔に連なる眷属になりかけの男。
名はバーナビー・ゼ・クロイツ。
オセべリア王国男爵の位にある貴族であり、冒険者でもある。
もう一人はそのクロイツの目の前にいる人物。
牛顔と同様に背が高い。
黄金色の頭髪といい、鋭い鷲を連想させる。
紺碧の瞳に目鼻の彫りが深く陰影に富む。
形のよい唇、耳朶が蛤のように丸みを帯びている以外は、北方人に愛されたエルガノフの樹木にたとえられる顔であった。
なおかつ体格もよく、角が張った肩を持つ。
偉丈夫に見えるその男が、控えていた部下であるクロイツへ目配せしながら、
「クロイツ、次はその金色髪の女にしましょう」
彼が威厳ある口調で指示をだした、その直後、全身から魔力を放出する。
そのまま目尻から先端が闇の炎を灯している特異な角を生やし、額から魔紋のような印を浮かび上がらせた。
それは細かな螺旋する刺青となり、耳の方にまで伸びる。
口端からは長い歯牙を生やしていた。
金髪、碧眼の瞳、蛤のような耳朶、偉丈夫らしい顔の造形は変わらないが、魔族の姿へ変貌を遂げていた。
「……はい、ナロミヴァス様」
牛顔のクロイツはナロミヴァスの顔が変わっても驚かず、指示通りに集団の男たちへ目配せして女を連れてこいと意思を示した。
「……いやぁぁぁ」
金色髪の女が叫んだ声だ。
魔族顔のナロミヴァスの姿を見て叫んだのではなく、クロイツから指示を受けて自身の両手を掴んでいる集団の男たちに対しての叫び声である。
金色髪の女は項垂れていたが、顔のすべてが口になったが如く喚き立て、叫ぶのをやめようとしない。
しかし、その女のけたたましい叫び声は、逆に漆黒ローブを着込む集団たちを喜ばせるだけである。
彼らは口端をあげ愉悦めいた表情を浮かべながら、生贄台の上に、その叫ぶ金色髪の女を載せていた。
「ひひぃぃぃ」
背中と髪が血に濡れたと分かり悲鳴をあげる。
巨乳を揺らし綺麗な裸体を芋虫のように動かし逃げようとした。
金色髪の女は両手と両足をがっちりと闇枷に嵌められて逃げようがない。
【悪夢の使徒】たち、筋肉質の無数なる荒々しい手たちが、叫ぶ金色髪の女を弄ぶように悩ましい裸体を触り押さえながら生贄台の上へ磔にするかのように押さえつけていく。
その様子をナロミヴァスは楽し気に見下ろしていた。
為す術がない金色髪の女だが、その目の内奥には、光の魔力を忍ばせ解放の機会を窺っていた。
「……これで五十人目。今思えば……記念すべき日ともいえます。わたしたちの邪魔をしていた大騎士を捕らえたのですからね」
「閣下、では、この女を下げ、代わりにその女大騎士を贄にしますか?」
「いや、今はこの女でいいのです。三玉宝石の影響下でありながら、ここまで強く叫び抵抗を示すのですからね。本人は隠そうとしていますが、神界セウロスに関係する神の影響下にあるのは……確実」
牛顔のクロイツはナロミヴァスの言葉に驚く。
「閣下、それは本当ですか?」
「クロイツ、錦大蛙竜グオンの帽子に頼りきりなのですか? その女神ヴァーミナ様からの賜物である、移植された幻魔眼でも見落とすとは……」
ナロミヴァスが指摘した錦大蛙竜グオンの帽子とは、今は被っていないが、常にクロイツが被っているとんがり帽子のことだ。
錦大蛙竜グオンとは、北にあるマハハイム山脈を越えたゴルディクス大砂漠に数多く棲む大怪獣の一種で討伐依頼はランクSのモンスター。
しかも、その素材を用いて作成したのが、数々の名だたる職人たちを抱えていることでも有名なオードバリー家に所属している職人のトーリ・ブロッセン氏。
彼が作る帽子は素材の能力を最大限に引き出すと言われている。
「はい、幻魔眼がありながらお恥ずかしい……いつもより騒ぐので、オカシイとは思いましたが……」
クロイツの語る幻魔眼とは、白銀色の髪を持つ悪夢の女神ヴァーミナが魔界にて、魔人へ転生させる下準備として、クロイツへ直接与えたモノだ。
彼はまだまだ使いこなせていないが、その幻魔眼から逃れられる人物は少ないだろう。
元々は悪夢の女神ヴァーミナが、魔界にて自らの領域に侵入してきた魔眼の悪神デサロビアに属する使徒である幻魔デウロサスを屠った際に手に入れた魔眼。
手に入れ方が……残酷で傍に住まう闇子鬼、闇黒兎たちも怯えるほどであったとか。
その魔眼から、クロイツは相対する指定した相手を条件下に置けば、幻術を生み出せる特殊スキルを取得していた。
「……気にしないことです。確かに珍しいですからね。ただの精神力、気概のある女ではない。この場で強固な意思を保っているのですから……どの神が関わっているかは、分かりませんが……」
そのナロミヴァスの言葉を聞いた金色髪の女は、周りに居る男たちを睨んだ。
「シャファの光を……」
野獣のように目を光らせた金色髪の女がそう呟いた瞬間――。
裸の体から光り輝く魔力が放出。
と、同時に衝撃波を周囲へ発生させる。
更に拘束を受けていた闇枷を弾き飛ばした。
「うわぁ」
「ぐああ」
押さえていた男たちが衝撃波を喰らい吹き飛ぶ。
魔法陣を囲う燭台も幾つか倒れていた。
希望を見いだしたのか、滅多に見ない光景に、多数の鉄檻の中に捕らわれた女たちが騒めき出す。
自由を取り戻した金色髪の女。
徐に生贄台に立ち上がる。
と、双眸から烈々たる気魂を光のように放射する。
鎧も光輝く。
右手に光剣と左手に光盾を握る。
その金色髪の女は眩い光を放つ光剣の切っ先をナロミヴァスたちに向けた。
「異教徒たち……シャファ神はお怒りになられた」
「……おや、驚きました、ここで覚醒ですか……」
「正義の神シャファに連なる者らしいですね……ナロミヴァス様、直に食べますか? それとも……」
ナロミヴァスとクロイツは光り輝く金色髪の女を見ても動揺を示さない。
ナロミヴァスはクロイツの言葉を聞き、微笑む。
碧眼の瞳の目尻から生えた闇炎が、灯る角へ手を添えていた。
すると、その闇角の形が柔らかく刀のような柄巻きへ変化。
ナロミヴァスの掌にぴたりと合う形に納まる。
「ふっ、クロイツ、直に決まっているでしょう」
そのまま柄巻きを握りしめたナロミヴァスは目尻から闇の刀剣の柄を一気に引き抜く。
魔力を放出している黒々とした長い剣身の闇剣を取りだしていた。
「そこの金色髪の女、女神ヴァーミナ様の前での不遜なる言葉ですよ。万死に値します。素直に生贄台の上で寝ていなさい!」
ナロミヴァスは鷹揚に語ると闇剣を金色髪の女へ振り降ろす。
シャファに連なる金色髪の女は、自身の右手に持った光剣で敏感に反応――その闇剣を迎え打とうと、シャファ神の戦巫女に纏わる剣術の構えを示した。
ところが、ナロミヴァスが振り下げていた闇剣が不規則な軌道に変化。
宙の位置で不自然に、ピタッと動きを止める。
その動きを止めた闇剣から闇の靄が滲み出るように発生し、溢れ出るように膨れた闇の靄はもくもくと左右へ展開し成長。瞬く間に、夜、小さい闇夜を感じさせる……暗澹たる悪夢の空を金色髪の女の頭の上だけに作りあげていた。
そして、ゼロコンマ何秒も掛からず、そのナロミヴァスが生み出した闇夜の中から芥火を纏ったような無数の黒腕たちが、金色髪の女へ向けて襲い掛かっていく。
「――シャファ神の裁きを!」
頭上から降ってくる黒腕たちを迎え撃つように、金色髪の女は神の名前を叫びながら光剣を天へ伸ばす。
光剣は眩く輝きながら身に迫る闇炎を纏う黒腕たちを一瞬で切り裂いた。
光と影を生むように強烈なコントラストを生む。
だが、それは一瞬の間だった。
肝心のナロミヴァスが生み出した小さい闇夜は切り裂けない。
金色髪の女が掲げた光剣は闇夜には効かず……。
闇夜からは地獄の亡者たちが闇に誘い入れるように、次々と新しい闇炎を纏う黒腕たちが生まれ出て、金色髪の女に降り掛かっていく。
金色髪の女が掲げた光剣は暫く黒腕たちを蒸発させるように燃やしていたが、次第に間に合わなくなる。
やがて光剣が飲み込まれると、彼女の身に着けていた光鎧、光盾、その全ても黒腕たちに覆われた。
シャファの力を用いて抵抗を示した金色髪の女は、強引に屈服させられたように闇夜から生み出されていた黒腕たちにより生贄台の上に押さえつけれていく。
そして、蒸発するような音が聞こえると、金色髪の女が身に纏っていた光鎧の力が消え、元の裸の姿に戻っていた。
「ぐぬぬ。よもや……<リスーグの針>が効かぬとは」
押さえつけられている金色髪の女は悔しそうに口ずさむ。
「シャファ神殿の関係者、戦巫女の系列でしたか……この贄ならば、我らの女神も気にいってくださるでしょう。ふふ、では、皆さんお待ちかねの、この魂を優先して、儀式を開始しますよ!」
ナロミヴァスは弾んだ口調で、クロイツを含めて悪夢の使徒たちへ語り掛けると、持っていた闇の刀剣を消失させる。
闇夜を生み出していた黒刀剣が手から消失しても、金色髪の女を押さえている闇炎の黒腕たちは消えていなかった。
「……悪夢の使徒たちよ。今宵の贄に感謝しようぞ。女の恵み、欲望の果ての悪夢を!」
生贄台の手前その中心に立つナロミヴァス。
聴衆へ語るように、仲間たちへ語り掛けている。
その顔は、まさに魔族らしく嗤っていた。
「「感謝しますっ――」」
「この贄を悪夢の女王ヴァーミナ様へ捧げます」
彼の父であるアロサンジュ公爵は知らない。
妻が息子を産んですぐに死んだ理由を。
息子が魔界の女神ヴァーミナに祝福を受け産まれたことを。
息子が【悪夢の使徒】という秘密結社を作り上げたことを。
息子が王都から離れペルネーテに屋敷を構えて過ごしていることを。
息子が殺人鬼へ成長し屋敷の地下に無数の死体が埋まっていることを。
息子が悪夢の女王に認められ身も心も魔族へ転生を果たしていることを。
息子があらゆる神々を畏怖させる槍使いと、黒猫を敵に回したことを。
「贄を捧げます――」
「贄を捧げます――」
【悪夢の使徒】たちは野太い声を発してナロミヴァスの声に続く。
「魔界の女神ヴァーミナ様が世界を導くように、我ら【悪夢の使徒】を導いてくださいます。そして、この贄たちを用いて、悪夢の女王たるヴァーミナ様に連なる神の子であるわたしが鴻漸之翼のように、この地に悪夢の王国を打ち立て、人を征服するのです」
ファウスト博士のようなテノールの声でナロミヴァスが歌い語った。
「悪夢の王国!」
「悪夢の王国!」
【悪夢の使徒】たちの喜びに満ちた低い声。
この円形の窪地がメフィストフェレスが歌うようなバスを中心とした戯曲で奏でられる。
窪地の魔法陣から不気味に光るネオンも加わりオペラ会場のような雰囲気にさせていく。
「……わたしが直に食し頂く。これは女神様だけでなく、我らの力となりこの場に居る【悪夢の使徒】全員の魔力へ変換されるのですから」
ナロミヴァスは魔界の女神の眷属としての力を隠そうとはしなかった。
そのままの魔族顔で、彼の抑制が外れた声が漣のようにいやらしく響く。
「さぁ、頂きましょう!」
耳の奥底に渦を巻くような言葉が、周りの鉄檻の中に閉じ込められている多数の観客と化した女性たちの恐怖心を煽る。
その効果は絶大で、床に敷かれた魔法陣から、魔界に住まう悪夢の女王ヴァーミナの喜ぶ声が地響きのように響き渡った。
そして、恐怖の視線を一手に浴びたナロミヴァス。
これは神が認めた死の芸術。
これは女神様が認めてくれた証。
これはわたしが神の子たる証。
ナロミヴァスは喜び心を弾ませる。
「頂きましょう」
「頂きましょう」
悪魔に魅入られたギラついた視線を持つ【悪夢の使徒】たちが、ナロミヴァスへ贄の食事を促すように、口を揃えて同じ言葉を発していた。
その重厚な声たちが一つの波となり、ナロミヴァスの蛤を思わせる耳朶を震わせた瞬間、碧眼の魔族ナロミヴァスが、にたぁ、と嗤う。
口を大きく広げ口の中に三百六十度、びっしりと囲むように生え揃った牙の歯を見せる。
生贄台で、金色髪の女は必死に顔を左右に揺らし抵抗を示す。
だが、ナロミヴァスは止まらない。
彼は生えそろった牙を光らせ、金色髪の女性へ噛み付いていた。
「アアァぁぁぁ」
女は噛まれた瞬間、悲鳴とは違う厭らしい声をあげる。
そう、ナロミヴァスが噛むと女は快感を感じるのだ。
これは彼が持つエクストラスキル故でもある。
「どうです? 鼻毛を抜くのと同じで気持ちいいでしょう?」
ナロミヴァスは自身の癖である鼻毛抜きをたとえにねっとりした口調で語る。
噛まれて恍惚の表情を浮かべている女の耳元へ息を吹きかけ、優しく接吻でもするかのように囁いてから……
「どれ、もう一度~」
もう一度ヴァンパイアとはまた違う、化け物、魔族らしい無数なる鋭い牙の群れを見せ女の太腿へ噛み付いていた。
「アアァぁぁ」
金色髪の女は汗を掻く。
同時に汗とは違う、むあんとした卑猥な匂いを感じさせるものを臀部から垂らしていた。
◇◆◇◆
「またか……」
多数の女たちが捕らえられている鉄檻の側で佇んでいた男が呟く。
彼の顔にはピエロのように白粉が塗られ口が大きく横に裂けていた。
名をノーラン。彼の見た目は嗤って見えるが、心は違う。
……任務とはいえ長らく潜入しているが、女を犯すのとは違い、あんなのは見たくねぇんだよ。
シャファの戦巫女、神官娘といえば……戦神ヴァイスを信奉する【戦神教】の神官と並び有名だが、怪人、魔人のナロミヴァスが相手じゃ分が悪い。
しかし、こんな糞集団から早く離れてぇもんだ。
と、彼は思う。
毎回、毎回、行われている今の光景を見て、彼は反吐が出る思いだった。
裂けた口を持つノーランの表向きは【悪夢の使徒】の幹部であり、クロイツの配下だが、実は違う。
そう、彼の右足には……とある組織の証である黒翼の刻印が記されている。
現在は偽装潜入のためとある人物にとあるスキルを用いてもらい、その刻印は見えず、南の大国セブンフォリアの軍罰特殊群のみ印されることが許されるというエリート部隊のマークである二つの桃をついばむ烏の絵に変わっていた。
その口が裂けたノーランの背後、鉄檻の中に捕らわれているメイド服を着た女が、またも気丈に声を出す。
「あんな光景を見ちゃだめです! ご主人様は、槍使いと、黒猫。と呼ばれた方なのですから、絶対に来ます!」
その言葉を聞いた口が裂けたノーランはハッとしてそのメイドの女を見る。
なんだと……【月の残骸】の関係者を拉致ったのか?
そのうちに手を出してしまうと思ってはいたが……。
あの女が本当に噂に聞く槍使いの関係者なら、この任務を放り投げて逃げた方がいいかもしれねぇ。
槍使いは【月の残骸】が勝利した闇ギルドの三つ巴の争いでの活躍だけじゃなく、ペルネーテを本拠地にしながらも他の都市にも進出していた【梟の牙】を搗くように潰した張本人だったと聞く。
……この都市の情報を得るのが俺の仕事でもあるから、謎が多い槍使いの情報をかなり調べた。
しかし、盗賊ギルド【幽魔の門】も槍使いの情報をあまり握ってないようで、酒場で聞けるような情報しかよこさねぇ。
ま、それはしょうがないのかもしれない。槍使いは【月の残骸】のトップであり八頭輝の一人と目されているらしいので、余計な軋轢を生み出すような真似はしないか。
それでも俺は【悪夢の使徒】の潜入任務の傍ら、独自に動いて調べてはいた。
槍使いには優秀な冒険者仲間、優秀な配下が居ることも掴んだ。
かなりの強者たちと推測できる。
南の繁華街で闇ギルド【髑髏鬼】の幹部たちと【月の残骸】が戦った際に、その槍使いの仲間、部下が、戦いに参加し【髑髏鬼】の幹部、兵士たちを根絶やしにしたという怪情報が出回ったからな。
あくまで未確認情報なので信憑性はあまりないが。
何にせよ、あの槍使いの仲間たちだ。ナロミヴァスとクロイツの件もある、普通じゃないかもしれない。
そして、槍使いと、黒猫。というように使い魔である黒猫の情報も調べた。
豹、馬、獅子へ変身をして壁を走り、空を飛んだという怪情報もある。
確かに、そういう魔獣を使役する従魔使い、魔法絵師、獣使い、テイマー系の存在はこの迷宮都市ペルネーテにごまんと存在するので、十分にあり得る話だ。
ここからは俺の想像だが……その黒猫は使い魔というが、内実は槍使いが生み出した“魔造生物”の類かもしれねぇと思っている。
古代、暁の時代に流用されたといわれる秘術系の古代魔法。
団長のような能力を持ち合わせている奴が、他にも居るかもしれないと、あまり考えたくはないが……。
団長という存在が居る以上、可能性は無きにしも非ず。
それ以外の【月の残骸】のメンバーたちも侮れない。
他の都市には目立って進出していないが、中々優秀とみえる。
その中でも月の残骸の元の総長“閃脚”は足が速いだけじゃなく手も速い、根回しも利く。
彼女が動き【幽魔の門】と独自に取引を行いトップである槍使いの情報を制限しているのかもしれない。
そんなメンバーのトップに立つ槍使いの【月の残骸】はこの都市の最大勢力。
年末の仕事がやり難くなるのは必定だろう。
俺は死にたくないんで、中止を、団長と仲間へ直訴したいところだ。
そして、後ろのメイドが、本当にその槍使いに関わりがあるのなら、年末までの予定だった【悪夢の使徒】の単独潜入任務はこれで終了させてもらう。
そこで思考を止めたノーランはメイドの話へ耳を傾けた。
……暫くメイドの話を聞いた彼は、何回か顔を頷かせる。
自らが調べていた内容とメイドが話すことは一致していた。
次第にノーランは顔色を青くする。
こりゃ……確実に槍使いの関係者だ。
決めた。保険のために鍵を開けて解放しよう。俺もこんな辛気臭い場所とお去らばだ。
たっくよぉ、団長も俺一人にこんな任務を負わせるなよなぁ。
盗み、暗殺、情報取得、どれも俺一人じゃキツイ。
クロイツも確実に凄腕で暗殺処の話じゃねぇ、隙もみせねぇし……。
側にいる女幹部キャミスも鬱陶しい。
あの女、一々、俺の行動に突っ掛かり詮索してきやがる。
しかし、最低限の仕事はこなし、力を失っていない三玉宝石は無事に手に入れた。
他にもナロミヴァスが持つ魔界四九三書の夢教典儀を含めて、魔界に纏わる品も手に入れたいところだが……。
クロイツ同様、教祖ナロミヴァスも隙を見せない。
公爵の息子だが……今も、人食いを行っている最中のイカレタ魔人。
魔界の神に通じ、人から魔人へ転生を果たしたナロミヴァスだ。
あんな行為が悪夢の女神のお気に入りとか、悪夢の女神なぞお断りだな。
俺も生皮を剥ぐのが好きな変人で悪人だが、わざわざ生きたまま女の肉を食うことはしねぇ……。
ノーランはそんな思考を繰り返しながら漆黒色のローブに付属するフードを深々と被り直し顔を晒さないように注意する。
そして、鉄檻の鍵穴へ鍵を差し込んでいた。
カチャッと鍵を回し鉄扉の鍵を外し、ゆっくりとそっと音を立てずに鉄扉を開けていく。
「……お前ら騒ぐなよ。この通り扉を開けてやった。あの魔人に食われたくなかったらさっさと逃げろ。今は見ての通り、儀式の最中だ。端の出入り口に立つ見張りたちが居るが、まぁ、集団で逃げればチャンスはあるだろう」
女たちが喰らっていた幻術は解けているはずだ。
だが、手枷は外せないので、そのままだが、顎をクイッと動かし逃げろと意思を込める。
「え?」
「わたしたち逃げられるの?」
「チャンスです逃げましょう」
「今よっ」
女たちは鉄檻から脱して逃げていく。
口が裂けているノーランは黙って次々と、他の鉄檻の鍵を開けていった。
大騎士も捕まえるのに協力したが、この際だ、そいつも逃がすか。
この人数の贄たちが一度に逃げ出せば、潮騒が途切れなく続くような混沌が生まれ、儀式に夢中な【悪夢の使徒】たちも大混乱を催すだろう。
ヴァーミナの使徒であるナロミヴァスと眷属クロイツの二人とて、その全てを収拾するのには時間を要するはずだ。
俺も、この混乱に乗じて盗めるもんを盗んで、さっさとタンダールへ撤収する。
◇◆◇◆
爆速的な速度で血鎖の方向を辿っていた馬獅子型黒猫が急に速度を落とした。
ここは位置的にペルネーテの北側、貴族街との境目だ。
馬獅子型黒猫は徒歩ペースとなり、小さい家が密集している界隈の中へ進んでいく。
家の中に捕らわれているのか?
そんな疑問を持ちながらも馬獅子型黒猫は<血鎖探訪>の血鎖が方角を示す通りに歩みを止めず。
細かな横丁通りを幾つか曲がり一番奥に進んだところで、その四肢の動きを止めた。ここは袋小路。
目の前の地面に不自然な形で左右へ引き裂かれた鉄板が転がっている。
右隣には床下へ続く階段らしきものがあった。
破られた鉄板は、この階段を隠していた蓋か。
依然として小刻みに揺れている鎌碇型の血鎖もこの階段の先を示している。
しかし、この蓋の壊され方から推察するに……俺と同じ部外者の何者かが、この下へ続いている階段を降りて侵入したということか?
「……この階段の地下にミミが居るかもしれない。降りよう」
生きているか死んでいるか……とにかく、この階段の先だろう。
『この地下は怪しいです』
ヘルメの念話を感じながら馬獅子型黒猫から降りた。
一緒に乗っていた皆も俺の行動に続いてロロから降りてくる。
しかし、ヴィーネだけ足がふらついていた。
「ヴィーネ、大丈夫?」
「は、はい、すみません」
ユイがヴィーネに対して心配気に聞くと、ヴィーネは妙に上ずった声で動揺しながら謝っていた。少しは慣れたと思っていたが……。
治りそうもないな。
高所恐怖症&ロロの速度恐怖症。
一方で心配気に聞いていたユイはジェットコースターのようなロロディーヌの速度を味わっても何でもないようだ。へっちゃらな顔。
「にゃお」
皆を降ろして姿をいつもの姿に戻した黒猫はトコトコと前方を歩き、床下の深淵へ続いているような階段を覗いていた。
「シュウヤの使い魔は凄い能力なのだな」
フランは目の前の黒猫の姿を見ながら呟く。
彼女は初めてロロディーヌの速度を味わったはずだけど、ヴィーネのように恐怖は味わっていないようだ。
彼女は確か幽鬼族とのハーフだっけ。
普通の人族じゃないから恐怖を感じなかったのかもしれない。
「……あぁ、最高の相棒だ」
「にゃお」
黒猫も鳴く。
『そうだニャ』と返事をしたのかもしれない。
「さ、あの階段の先に向かうぞ、全員武器を抜いておけ」
階段は横幅が狭そうに見える。
室内戦を想定した方がいいかもしれない。
とりあえず、右手に魔槍杖を召喚してから、先に階段を降りていく。
黒猫が遅れて、肩に乗ってきた。
「了解」
「はい、黒蛇を抜いておきます」
その剣の名前じゃないが、うねる大蛇のような階段を降りながら視界が暗闇に覆われた。
<夜目>を発動させる。
「地下か、邪教信奉者かしら……」
ユイは闇ギルドの暗殺仕事で地下戦を経験しているんだろう。
こういう地下戦の相手は俺も想像がつく。
一度ホルカーバムの地下街で十層地獄の王を信奉している邪教徒と戦ったからな。
あの時は黒猫が火を吹いて消毒してやったが。
今回も消毒パターンかもな……。
『閣下、ヴェイルが薄いです』
『だろうな……』
ますます怪しくなってきた。魔界の神系か?
歯軋りのような不気味な空気音に、靴音が物憂く反響する。
視界は闇……気温が少し下がった? 湿った落ち葉をむりやり焚きつけたような匂い。
そんな匂いを感じながら寒気で鼻孔の奥がじんじんと痛むような気がした。
一応、確認のために背後を振り返って
「視界は真っ暗闇だが――フランは大丈夫か?」
「平気だ。前にも話したが、わたしは普通の人族じゃないからな」
大丈夫だった。
「そか」
彼女の鳶色の瞳に少し魔力が溜まっているように見える。
暗闇でも確りと俺の顔を視認しているようだ。
因みに眷属たちは全員暗闇でも大丈夫だ。
ま、彼女はBランク冒険者であり多重スパイをする凄腕だ。心配する必要もないか、目の前に集中しよう。
前に振り向き直し、階段を足早に降りていく。
階段が終わると、洞穴の先から無数の魔素を感知した。
そこで<分泌吸の匂手>を発動。
血の匂いの索敵を久しぶりに使う。
同時に、ここは俺のヴァンパイアとしての縄張りと化した。
「あ」
「ご主人様の、匂い……」
「にゃおん、にゃ~」
ユイ、ヴィーネの選ばれし眷属と黒猫たちは、一瞬で鼻をくんくんと可愛く動かし、俺の匂いを感知。
フランは怪訝そうな表情を浮かべて、俺たちを見ている。
彼女は片手半剣を構え、左手の包帯は脱いでいた。
いつぞやに見せていた……複数の眼たちが複数ぎょろぎょろと蠢いている。
掌に穴があるので、やはり何か飛び道具なのだろう。
そんなことを考えていると、ほんのりと女たちの汗、汗の臭いではないオレンジとチーズが合わさった女らしい体臭、夥しい血、血を出している女を複数、饐えた男共の位置を匂いで大体把握した。血か……嫌な予感。
出血している匂いの主たちは動いている?
ミミの血の反応に<血鎖探訪>の先端が示す位置も<分泌吸の匂い手>の反応と同じ場所だ。
確実にミミは、この洞穴の中に存在している。
「……この先の洞穴が、ミミの反応を示した。女たちも複数いるようだ。もしかしたらミミのように誘拐された女たちが他にもいるのかもしれない。出血している女も居るようだし、全員が敵の女とも考え難い」
「……今の一瞬で、そこまで情報把握できるものなのか?」
フランが驚いた表情を浮かべて聞いてくる。
「できるから話した」
「武術だけではないのだな……【幽魔の門】に、いや、姉が国に推薦したがる訳がわかったぞ……」
レムロナが推薦? ま、今はこの反応の方向へ急ぐ。
「ここから横幅は広い。各自、戦闘態勢を取れ、いくぞ」
「はい」
「いこう」
「了解」
「ンン、にゃ」
黒猫はむくむくっと黒豹型に変身。
ルシヴァルの身体能力を生かす爆速で、フランを置き去りにはできないので、足元に黒豹を連れ軽く走りながら反応を示した場所へ向かった。
暫くしてトンネルのような場所を左に曲がると、ばたばたと足音を響かせて人々が駆け込んでくる。
「きゃぁぁぁぁ」
「皆、暗いですが、こっちへ逃げるのですっ」
「男たちがぁ」
「前が見えないーーーきゃぁぁぁ」
「後ろから明かりがぁあ、追っ手が来てるーー」
「いいから走るのよっ」
「あっあぁ……」
「きゃっ」
「まてやぁぁぁぁ――」
女たちの悲鳴と男の追う声が耳底でエコーが掛かったように谺した。
そして、その逃げている多数の女たちと遭遇。
彼女たちは俺の姿を見ても構わず、洞穴の端を走って一目散に逃げていく。
その瞬間<血鎖探訪>の先端がぶるりと震えて大反応。
血を垂らしながら鎌碇型の先端が勢いよく逃げる女の中へ突進していく。
「これはなんですかぁ――」
直ぐに否定的な女の悲鳴が響いてきた。
そして、血鎖に絡まれて転がるように運ばれてきたのは、見知った服、破れているがメイド服を着ている。
屋敷で働いていた人族の子だ。
顔は少しだけ覚えている。
「もしかして、君がミミか?」
「あぁぁぁ、ご主人様だ! 本当に助けにきてくれたのですねっ! よかったぁぁ……」
生きていたのか……本当に良かった。
彼女は血鎖に絡まれた状態。
だが、ほっとしたようだ。力が手足から抜けしなびれたようにぐったりと脱力感に襲われている。
そのタイミングで<血鎖探訪>を解除した。
仕事をやり終えた渋い鎌碇型の血鎖は、闇の世界へ染み入るように儚く消えていく。
「もっと安心させてやりたいところだが、少し話せるか?」
「はい、なんでも聞いてください」
彼女は息を調えると、レソナンテ気質なのか、元から気が強いのか碧眼の視線を強めて喋っていた。
「偉い子だ。では、尋ねるが、この女性たちもそうだが、状況からして、ミミ、君はここまで逃げてきたんだよな」
「はい、助けられました。その時……助けてくれた方はフードを深く被っていたのでよく見えませんでしたが、口が裂けている感じでした。その人が鍵を開けてくれたんです。そして、魔人に食われたくなかったら逃げろと」
潜入者? やはり、俺たちが侵入した箇所か。
あの階段を塞いでいた鉄板の壊されかたも尋常じゃない感じだったので、この地下の中へ侵入したヒーローが居たのかもしれない。
それとも、元々内部の誘拐した側も一枚岩じゃなかったとか?
ま、どっちでも、第一目的であるミミの救出は成った。
女たちも逃げて混乱が起きているようだし、良しとする。
「そか、生きていてくれてよかった。皆も安心するだろう」
「はい、ご主人様……」
ミミは労いの言葉を聞くと、身体を震わせて目元を潤ませている。
一瞬、彼女の体験した怖さが心の奥底に碇の重石となっていると感じたので、俺は膝を折って、そんな彼女を安心させるために抱き寄せてあげた。
「あ……ごしゅ、さま、……その」
「いいから、怖かったろうに……よく頑張ったな」
小柄な彼女は力を込めてギュッとしてきた。
着ているメイド服だったものは破け、金髪はべとついていた、糞が……。
「は、はい」
ミミは涙を流す。
そこで、その涙を優しく親指で拭き取ってから、ハグしていた彼女から離れて立ち上がり、ヴィーネの方へ顔を向ける。
「ミミの確保を優先とする。お前はミミを連れて先に屋敷へ戻り、皆へ状況を説明しろ」
「はい、ご主人様は?」
「俺とユイはこの逃げている女たちを助けながら前進する。もしかしたらレムロナがこの奥に居るかもしれない。だからフランも付いてこい」
「当然だ。この状況下で、退けと言われても退けないが」
フランは笑う。
「それもそうだな」
俺は怒りを抑えながら微笑んで応える。
「了解しました」
ヴィーネは軽く頭を下げ了承すると、素早くミミのもとへ移動。
「では、ミミさん。お屋敷まで護衛します。歩けますか?」
ヴィーネは左手に持った黒蛇を鞘へと華麗に仕舞う。
腰の剣帯に差し戻した。
「はい。ありがとう、ご主人様もありがとうございます」
「礼はいい、急げ」
「はい」
ヴィーネはミミを抱えると素早く走り出す。
<筆頭従者長>として成長を遂げているヴィーネは小柄なミミを抱えると迅速に俺たちが来た洞穴の道を駆けていく。
銀髪の揺れが見えなくなってから踵を返す。
女たちが逃げている洞窟へと視線を向けた。
「……このまま奥へ向かう」
「うん」
「姉さん……」
次話は11月12日、0時更新予定です