二十一話 その兎は凶暴につき
2021/02/02 15:11 修正
明くる日の朝、鳥の囀りで目が覚める。
もう朝か。
その鳥たちの歌に誘われるように、空を見上げた。
梢には鳥たちが飛び交い、囀りの歌が木霊している。
体を起こしつつ、目の前の大樹の表面に指を伸ばした。
樹の肌の柔らかさを指の腹から得ていると、不思議な匂いが鼻をついた。
フィトンチッドかな。
異世界ならではの病原菌を殺菌する効能がありそうだ。
樹齢は数百年ぐらい、否、もっとか。
この大樹が生きた途方もない歳月に思いをはせた。
大樹の根本には羊歯のような大きな葉が元気よく繁る。
葉から朝露の切ない水滴が零れ落ちて地面に小さい水溜まりを作っていた。
その水溜まりを避けて移動する小さい蟻の行列もあった。
彼ら、彼女らの蟻には大きな湖なんだろう。
蟻の行列だが、この土地が生命力豊かな土地なんだと実感できた。
「目覚めたか?」
そう話しかけてきたのはラグレン。
ラグレンも今起きたらしい。
「ああ、今さっき」
睡眠時間は短いけどスッキリだ。
「朝食は昨日の残りの肉にこの固いパンで済ませる」
「分かった」
「それにしても、ここらで子精霊が現れると思ったんだが、現れないな」
「あぁ、あの不思議な音色の?」
「そうだ。シュウヤの旅路に現れれば縁起が善い。とな?」
「暫く進めば会えるかも? ロロもいるし」
根拠は何も無い。
「ははは、そうだな、神獣様が幸運を呼び寄せるか」
招き猫ってか?
そんな他愛もない会話を行いながら早々に朝食を済ませる。
皮の水筒を口にして一口分の血を補給。
その間にラグレンはポポブムに乗っていた。
「さぁ、少し進むぞ」
と、手綱を操りさっさと先に行ってしまう。
黒猫のほうもすでに準備万端のようだ。
ポポブムの後頭部に居座り陣取っている。
俺も急ぎポポブムに乗り込みラグレンの背中を追った。
ラグレン、早く行きすぎだろ――。
と思ったら、木々の間から日が差すちょっとした場所で、徐行しながら待ってくれていた。
「来たか。エルフの領域には近付いているが、まだまだ先は長い。行くぞ」
「了解」
俺とラグレンは森林地帯から続く様々な地形の地域を突き進んでいく。
崖と崖の間にある谷間では地面が湿地特有のぬかるみへ変わり、ポポブムの足元が重くなってしまう。
そこで大きい蚊型のモンスターに襲われた。だが、しょせんは蚊だ。
血を吸われるなんてことはなく、難なく倒す。主にラグレンの斧無双だが。
そうしてぬかるみ地帯を抜けていく。
暗緑色の大森林が広がる地帯ではデゴザベアを超える大きさの大熊モンスターに遭遇。見るからに狂暴な面をしてるが、ラグレンは無視。
危険と判断したらしい。
俺も同様に無視――。
ポポブムを走らせ一応注意しながら進んだ。
と、森林地帯の小高い丘となった。
ポポブムの後頭部を抱くような姿勢のロロディーヌが、「にゃおおおおお~」と鳴いて、ポポブムの首を触手の裏で叩く。
ポポブムも「プボッ!」と鳴いて応えると、丘を勢いよく下りていく――。
再び丘となったが、魔素の気配だ。
斜面を上る最中にゴブリンや木のモンスターが出現。
これらのモンスターも難なく倒した、主にラグレンが。
そして、再び、丘に到達した。
森の丘と言っても木々が邪魔で視界は悪い。
ラグレンは何も言わずに、丘の先へ駆け下りていった。
俺も続いてポポブムを操作。木々を避けながら降りていく。
すると、先頭を駆けていたラグレンがポポブムの脚を止めていた。
魔素の気配は無いがどうしたんだろう、とラグレンの側へ移動すると、厳つい顔で振り返り話しかけてきた。
――ここからはもう完全にエルフの領域だと。
木々を縫うように移動していくと、すぐにその証拠が現れる。
今までは暗緑色の鬱蒼と繁る森ばかり通ってきたが、木々の間に土で舗装された道ができていた。
舗装された土の街道。
ポポブムの鼻息も荒くなく、足取りが軽い。明らかに楽になったようだ。
移動速度もぐんと上がりスムーズに進むことができた。
その楽になった土の道から突然石の堅い小道へ変化。
蹄のせいで地面から火花が散り始めたとき、頭上から――。
「止まれ!!」
と大声で呼び止められた。
何だ? と声の方を見る。
そこは大木の上、木の板でできた見張り台があった。
見張り台には鎧兜を装備した兵士が二人、その兵士たちは弓を構え、矢を俺たちへ向けている。
ラグレンがその兵士たちがいる見張り台へ分かりやすいように手を挙げて、口を開く。
「俺、山の、角生えた者」
と、エルフ語とみられる片言で話しかけていた。
「何!? 山の民の者か? それが何故人族を連れている!」
言葉はラグレンと違うが理解できる……。
スキル様々だなぁ。
ラグレンたちゴルディーバ族は山の民と呼ばれているようだ。
「コノ人間、イイヤツ。山の民と友。コノ人族ミナミへいきたい。人族の国ニ、イカセテくれ」
俺が交渉してもいいが……話が拗れるとやっかいだ。
このままラグレンに任せる。
「分かった。俺の判断では無理だ。ここで待たれよ、山の民」
エルフの兵士の一人がそう言うと、後ろに跳躍して消えていった。
しかし、もう片方の兵士はまだ弓に矢をつがえて俺を狙った状態だ。
ラグレンはそれを見ながら、俺の耳元で囁く。
「今、仲間に知らせて判断を仰ぐそうだ」
「そうか、気長に待つよ」
少し待っていると、先ほど後ろに消えた兵士と共に、山吹色の長髪が目立つ女エルフが見張り台の上に立っていた。
「山の民よ、この地域を担当する、ランファ・セヤルカという者だ。ここを通りたいと言っていたようだが、山の民も一緒にか?」
「いや、オレはココマデだ」
ランファと名乗った女エルフは片言のラグレンの言葉を聞くと、山吹色の長い眉を動かし、目付きが鋭くなって口を開いた。
「なに? その人族だけここを通せと?」
「そうだ」
女エルフは青い目を向けている。
その瞳からは疑いや困惑を感じられた。
逡巡しているのか、沈黙が続く。
「……山の民とは取引で付き合いもある。それに、長老たちの知り合いだ。無下にはできない。いいだろう。だが、南からは行かせられない。東なら近いので、わたしが誘導してやろう」
南は無理か。東……。
「そうか、エルフよ。ありがとう」
「……良い、山の民。取引で世話になっているからな」
ラグレンは笑顔で俺に振り向く。
「やったな、シュウヤ、大丈夫そうだ。ただ、東と話していたが……」
「あぁ、いいよ。とりあえず領域から出られるし、良かった」
「そうだな。それじゃ、案内も済ませたし……俺はここまでだ。家に帰るよ」
「ンン、にゃ~ん、にゃ!」
ラグレンが帰ろうとすると、黒猫はその話を聞いていたようで、珍しく長めの鳴き声を発しながらラグレンが乗っているポポブムへ飛び乗る。三角飛びで素早くラグレンの分厚い肩へ跳躍していた。
「神獣様?」
ラグレンは吃驚したのか思わず身を引いている。そんなのはおかまいなしに、黒猫は触手をラグレンの頬へ当てていた。
黒猫は髭と触手を少し揺らしながら自身の感情を伝えている。
ラグレンは珍しく頬を紅く染めてなんとも言えない顔を浮かべていた。
「はい。神獣様もお元気で」
黒猫とラグレンは視線が混じり合う。
巨漢と子猫だが、不思議と和やかな雰囲気に包まれる。
黒猫はラグレンに気持ちを伝えて満足したのか、こちらのポポブムへ戻ってくる。
何事もなかったように、どてんと腹を見せるように座り、小さい頭を上下に動かして自身の胸毛を整え始めていた。
「黒猫も別れの挨拶をしたのか?」
俺は毛繕いをしている黒猫の邪魔をするように小さい頭を撫でて首元を掻いてやる。なでなでと手を動かしながら、視線をラグレンへ向けた。
「ラグレン、案内ありがとう。師匠に、レファとラビさんにもよろしく。そして、ラグレンにも、ラ・ケラーダッ」
俺は師匠の真似をして、胸元に手を当てラ・ケラーダの手印を作り、感謝の意を表す。
「おう。シュウヤの旅の無事を祈る、ラ・ケラーダ!」
ラグレンも笑顔になり胸に手を当てラ・ケラーダの手印を作り応えてくれた。そのままポポブムを後ろに翻させると、大きな背を見せゆっくりと立ち去ってゆく。
ラグレン、枯淡の風格を持つ漢だった。
この一年間、ありがとうございました――。
俺は自然とラグレンの大きな背中にそう語りかけながら頭を下げていた。
女エルフはラグレンが離れていく様子を確認すると、俺に話しかけてくる。
「……人族よ、こっちに来い。南の国境を通すわけにはいかない。と言っても、言葉が解らんか」
頭上からエルフの女性が腕を上げるジェスチャーを取りながら言っている。
俺は聞こえてるよ。と暗に示すように、ポポブムの腹を少し叩き手綱を動かして、その見張り台に立つエルフたちへ近付いていった。
見上げて、改めて、エルフたちの姿を近くから見る。
兵士たちの頬には入れ墨で、何かの印である動物や生物が描かれていた。
二人共違う絵柄だ。
派閥とかの印?
入れ墨のマーク、気になるな……と、俺がジロジロ見ていると、エルフの兵士は怪訝そうに見つめ返してきた。見てる場合じゃないな。言葉か。
やっぱ話が通じた方が楽だし、話しちゃおっと――。
「――言葉なら分かるよ。ランファさんだっけ。よろしく、俺はシュウヤ・カガリ。シュウヤでいいよ」
「なっ……エルフ語。しかも訛りもなく、ベファリッツの古貴族なみに流暢だと?」
すると、不審に思った男兵士の一人が女エルフに近寄っていく。
「ランファ小隊長、このままこの人族を行かせていいんですか?」
その言葉を聞いたランファと呼ばれた女エルフの小隊長は眉を寄せる。
「行かせるもなにも、しょうがないだろう? 偉大な山の民と直々に約束したのだぞ? おまえだったら、山の民の話を無下にできるのか?」
彼女は部下の兵士を冷たく諭すように語気を強める感じで話していた。
「できません」
「だろうな。それに南じゃなく東の領域ならここから直ぐだ。人族一人ぐらい平気だろう。それと……この件は長老たちには内緒だからな?」
「はぁ、分かりました」
男のエルフ兵士は不満顔を浮かべるが、納得したように答えている。
「人族のシュウヤと言ったな。これからわたしが先導する形で進むことになる。なるべく、村の密集地を避けていくぞ?」
「分かった。ついていく」
ランファは話を終えると背後へ振り返り、見張り台の高台から飛び降りて見えなくなった。どうやら後ろの厩まで走っていったらしい。
彼女は馬に乗って戻ってくると、馬上から俺に向けて、
「こっちだ。ついてこい!」
と命令するように言い放つ。
ランファは馬首を転じ、颯爽と駆けていく。
「っ、はやい……」
ランファの乗る馬はどんどん先にいく。
彼女の纏うマントが風をはらんでふくらんでいる。
俺も負けじとポポブムの腹を足で叩き、速度を上げてついていった。
すると、変な声が聞こえる。
駆けながらポポブムの後頭部を見ると……また黒猫がポポブムの頭首に胴体を密着させ抱きつく体勢になっていた。
相変わらず面白い体勢だ。更に、黒猫は触手を伸ばす。
そのまま小さい顔をランファが乗る馬に向けて、追い付けと急かすように、片方の触手を鞭のように扱いポポブムの首を叩いていた。
スマホがあったら動画で撮るんだけどな。
ビールの帯袋に突っ込んでいく猫の姿を思い出す。
そんな前世のおもしろ動画を思い出していると、ランファが先導する馬は石の道を逸れていった。
きっと、エルフの集落へ続く道から外れたのだろう。
――森の横道を駆け抜けていく。
俺もポポブムを巧く操り、ランファが操る馬に遅れまいと続いた。
速度を出し、追い付き、彼女の操る馬の傍へと寄せる。
その際にランファの顔をじっくりとみる。いやぁ、美人だ。
ラビさんも大人の女性だったが……。
山吹色の髪に綺麗な長耳。
それに綺麗な青い瞳。右頬には蛇の入れ墨がある。
エルフとは皆、こんなに綺麗なんだろうか……。
すると、彼女は俺の視線に気づいたのか、馬の速度を緩めてくれた。
「何だ? ん? 猫もいるのか……かわいい」
ランファは黒猫を見ると微笑む。
女の子らしい声で呟いていた。
「ん? ああ、そうだ、ロロディーヌっていうんだ」
そう言うと、ランファはハッとして顔を振り、気を取り直したかのように厳しい視線を向けてくる。
「……まったく、不思議な人族め。わたしたちの国とお前が行こうとしている人族の地域、特に【オセベリア王国】は犬猿の仲なのだぞ? 過去には戦争も起きている。現在も小競り合いが起きているところもある。まぁ、五十年以上は目立った争いはないが……」
「へぇ、そんなことが……あんまりその辺のことは詳しくないんだ」
その台詞に、ランファは眉を広げて驚いた表情を見せている。
ほぅ、俺のような人族は珍しいのか?
ま、俺は人族ではないが、そんなことを考え、じっと見つめ返していく。
「……本当なのか怪しいが、このまま東に向かう前に、一つ約束してほしいことがある」
「何を?」
「東の領域だけでなく、また戻ってエルフの領域に入らないでもらいたい」
エルフは随分と閉鎖的なんだな。
ここで暮らすエルフだけかも知れないけど……。
「了解。約束しよう」
ランファは俺の言葉に安心した表情を浮かべて笑顔になっていた。
「良し。なら話はここまでだ。とりあえず、東の国境までもうしばらく掛かる」
「了解」
ランファはさすがに森のエルフ。
森の道を事細かく知っているようだ。
木々が生い茂る中、獣道をどんどん力強く疾走して駆けていく。
俺も速度を上げて何とかついていった。
が、太い幹から伸びた枝にぶつかりそうになってしまう――。
何とか頭を屈め、避けることができた。
ふぅ、ひやひやした。
「大丈夫か? この辺りは獣道しかないからな。速度を緩めよう」
ランファは俺の様子が分かっていたようで、馬の速度を遅くして待っていてくれた。
「悪いね、さすがにこうも木々が入り組んで鬱蒼としていると大変だ」
「そうか? それにしては、その魔獣の扱いが上手いじゃないか」
ランファは視線をポポブムに向けていた。
「扱いには結構自信があるから」
「だろうな。もうじき一角兎の丘だ。そこが【テラメイ王国】の東の国境となる」
「その一角兎の丘とやらは、もうエルフの領域外?」
「そうだ」
ランファとは、他愛のない話を続けていたが、しだいに会話が少なくなった。
黙々と手綱を握る手だけに意識を強めていく。
三時間ほど経っただろうか。
木立からの日だまりが眩しく見えた時、突如――森が開けた。
エルフの森の巨樹が最後の森の門の如く感じられながら、エルフの領域外へ出ることになった。
森をぬけると地平線が続く空が見え、目の前には小高い丘が見えた。
これが一角兎の丘か。
一角兎というからには兎のモンスターでも出るのかな。
「わたしはここまでだ」
「ランファさん、案内ありがとう」
「あっ、うん」
ランファは人族にお礼を言われたのは初めての様子。
彼女は返事に困ったように頬を紅く染めている。
だが、また気を取り直すように頭を振って厳しい目付きに戻ると「去らば人族」と簡潔に言い残してさっさと森の中に戻っていった。
「エルフは、皆あんな性格なのか?」
ランファのにべのない返事。
冷たい印象を受けた。
まだ聞きたいことがあったんだが、まぁしょうがない。
気を取り直して、目の前の丘を見る。
あそこからなら見晴らしも良さそうだ。
山頂とは言わないが、あの丘の頂上を目指す。
ポポブムの頭を頂上へ向けて登っていく。
丘の頂上につくと、一大パノラマの景色が目に入ってきた。
起伏豊かな小高い丘が幾つも続く。
朽ちた大きな砦の跡も見えた。
その後ろは広葉樹の森林が続く地平線。
風が生き物のように草花を揺らし、丘の斜面に漣が立つ。
それが丘から丘へと続く道標にさえ見えた。
空を見上げると、雲の間から日光が漏れるように差し込んでいる。
地面を陽が彩った。
――幻想的だ。
行ったことはないがニュージーランド的。
素晴らしい風景が広がっている。
この風が織り成す自然音、天籟。
自然が作る音も匂いも全てが、豊かな地上がここにあると示している。
映像や写真では伝わらないだろうな。
身に染みる景色を堪能。
俺はそのタイミングで、手綱を引き丘を下り始めた。
ゆっくりと進めながらポポブムの頭の後ろに地図を広げる。
え~と、今はテラメイ王国の東。
つうことはこのまま右、東へ行くと……レフテン王国辺りが一番近いってことかな。
このまままっすぐ行けばハイム川が見えてくるはず。
と地図を見ていると、
「にゃ?」
黒猫が声を出し、俺の股間辺りからモゾモゾッと顔を出して、地図を覗き出した。
黒猫は地図の地名に右足をそっと伸ばし、肉球を押し当てている。
今から向かうところを示したのか? と一瞬思ったが……。
今度は両前足と後ろの両脚の全部を乗せ出した。
黒猫は体ごと地図の上に乗ってごろんと寝っ転がる。
「にゃん」
小さく鳴き、しまいには地図の上に丸くなって落ち着いてしまい、地図を占領してしまった。
邪魔だが可愛い。
「お~い、ロロ君。地図が見えないぞ?」
尻尾でポンッと地図を叩き返事をしている。
可愛いが、しょうがない。
「地図の紙質、感触がそんなに良いのか? ま、かまってほしいんだろうけど。せっかくの良い寝床のようだが、この地図はしまうぞ?」
地図を引っ張ると、黒猫は体をずらして「ン、にゃ」と声を発して起き上がり俺の肩へ飛び乗ってきた。
地図を鞍の袋に仕舞う。
俺は肩に戻った黒猫へ微笑を浮かべながら、手綱を少し動かしてポポブムの速度を速め、なだらかな丘を下っていく。
丘は道という道はなく、ヒースに似た草が生え、疎らに生えた木々が点在しているだけだった。
◇◇◇◇
数時間進むと、太陽が沈み夕刻を迎えて夜になってくる。
そこに丁度良い、天に突き出た拳のような岩の下の窪みを発見。
中央に立つゴツゴツした石柱が、月明かりによって長い影を投げていた。
あそこで野宿をしよう。
ポポブムもその窪みに頭を下げながらうまく入ってくれて、平らな岩場に足を畳み落ち着いてくれた。
「大丈夫か?」
俺がそう聞くと、返事をするように、
「ブボッ」
と鼻孔から返事の息を出していた。
そんなポポブムの背中を撫でてやりながら鞍を下ろし、荷物の中から乾燥した鹿肉を取り出しポポブムに食わせてやる。
黒猫はポポブムの頭の後ろで丸くなったまま、ひょいっと首を上げて、『何してるの?』的な視線をポポブムへ向けていた。ポポブムの肉を食ってる様子や鼻息で揺れる埃や毛を興味深そうに見つめている。
俺も腹が減ったので同じ乾燥肉と堅いパンを食べた。
今は火を起こす薪が無いし、これで食欲を満たすしかない。黒猫にも乾燥肉と堅いパンを小さく千切ってから食わせてやった。食後は鞍の背にしまってある毛布を足元に掛け早々に寝ることに。
まどろみながらも、師匠がくれた古代金貨の事を思い出す。
どっかの街についたらこの金貨の交換をしてもらうかな……価値があれば良いけど。
◇◇◇◇
次の日、雷の音で目が覚めた。遠くに雷が響き、ごろごろの中にばりっと稲妻の音もまじっていた。にぶい赤っぽい光が闇夜を照らす。
すると、雷光と共に岩の窪みの縁から子精霊が現れた。
天井にぶら下がっている……。
「でぇ……ぼぉん……ちぃ……」
久々に見たな、子精霊。
でも、こないだ見たのと、少し顔の形が違うような。歌声も小さいし。
轟く雷音と光に合わせるように、一匹、二匹と現れ始め、五匹目で出現は止まった。
数が少ない。前に一度見たときは、溢れんばかりの数が居たのに。
まぁ、当たり前か。ここは大森林といった自然豊かな場所じゃない。モンスターもどこかにいるかもしれないし。
そんな子精霊たちへ、じゃれるように黒猫がちょっかいを出した。
だが、子精霊はスルリとすり抜け、数匹は黒猫を弄ぶように窪みの天井を移動していく。
「ロロ、あれは一応精霊だからな? 無駄だぞ。それに縁起の良いものらしいから、手は出すな」
「にゃぁ」
黒猫は僅かに耳を凹ませる。俺に振り返り『わかったにゃ』的な顔を向けて、ポポブムの後頭部へ戻っていった。
乾燥肉を咀嚼しながら、外を見る。
朝日はまだ昇っていない。が、さっきより雨粒が小さくなって少なくなった。少しずつだが、外の雨が弱まっているのかな?
良かった。雨が止みそうだ。
雨水が溝に流れこんでいたからな……。
底には水溜まりが少しできていた。
岩の窪みから顔を出し、雨が止むのを暫く待っていると……丘の向こうから朝日が昇ってくるのが分かる。
すると、丁度良く雨が止み、晴れた。
「おぉ……」
自然と漏れ出る感嘆の声。
丘の上に虹が発生していた。
丘から丘を跨ぐように虹が大きな橋を作っていて、思わず渡りたくなる。
綺麗な虹だ……。
少ない子精霊たちも、虹の出現を祝うように岩の縁で踊っていた。
雨の暗い陰鬱な気分から解放されて、気分が良くなる。
綺麗な虹を見つめながら出発した。
進むごとに、丘の起伏は小さくなっていく。だが、川に出るまで数日は掛かりそうだった。
黙々と進んでいると、甲高い声が聞こえてくる。
声は上空の高いところからか?
太陽の光が眩しい中、掌で光を隠しながら上空を見上げた。
鳥が何百と舞っているじゃないか。
ほぁぁ、すげぇ数だ。鶴系の群鳥か? 山脈を目指してるのかな?
ん? 鷹に似た鳥もいる。
「んな!? デカイ」
鳥は大きく、翼を広げると三メートル強の大きさだった。
大鷹や狗鷲に似ている。猛禽類か?
ん? 足先に鋭そうな鉤爪を出してるし。
――うおっ、俺に向けて急降下してくるじゃないか!
急ぎ、鞍の背にある槍を取り出しポポブムを走らせる。
急襲してきた大鷲は俺がいたところに二本の脚を突き出し、ばっさばっさと翼をはためかせ、八本の鋭そうな鉤爪を地面に突き立てていた。
その大鷲の横腹は異常に膨らんでいる。
鷲だと思ったが違う?
翼は鷲と似ていたが、頭部の嘴が大きく尖り胴体から首にかけて異常に太い。
色も胸の太い部分だけが異常に赤いし。その部分だけ血管が浮かび上がり筋肉が盛り上がっていた。
肉の塊が左右にも付いていて、赤い筋と粒が絡み合うように沢山付着していてキモい。
そんな大鷲擬きはもう上昇して空を旋回している。
どうやら一回りしてまた突っ込んでくるらしい。
黒猫は大鷲の動きを追うように上空を見上げながら毛を逆立て、「シャアアア」と威嚇声を発していた。
大鷲擬きは、今度は鉤爪じゃなく、嘴を前に出し急降下してくる。
迎え斬ってやる。
俺はポポブムに乗りながら大鷲を見据え、黒槍を構えた。
すっと立ち上がり、タイミングを合わせるように上空へと跳躍。
宙で黒槍を下から掬い上げ、縦に一閃――。
翼を斬られた大鷲擬きはバランスを崩し地面に頭から激突。
ポポブムからの跳躍なので、狙いは少々外れたが、大鷲擬きの翼の片方を根本から斬ることには成功。
確かな感触を腕に感じながら地面に着地した。
良し、斬った大鷹を確認しようと近付いていく。
大鷹擬きは斬られた箇所から血が噴出していて、体をピクピク痙攣させている。
こいつを解体しよう。ナイフを出し、ツンツクツン。
――死んでる。
あ、この大鷲擬きの膨らんだ胴体は肉塊かと思っていたが、違った。
肉塊どころか、赤とピンクの大きな目玉の集合体だった。
キモいが、これ栄養になるのかな……。
取れる時に取っておかないとな。切って焼けば良いか。
肉を解体して血を少し吸ってから血抜きを施す。
両脚の爪を軽く紐で縛り<生活魔法>で氷漬けにして袋に詰めた。念のため袋の内部にも氷を詰めておく。
今日の夕飯ゲッツ。
大鷲擬きは、まだ上空に何匹か見えていたが、もう俺を襲っては来なかった。
そこに、魔素の気配――。
結構小さいが、周囲に複数の反応あり。
観察すると魔素の反応は一角兎の群れだった。
どうやら大鷲擬きはこいつらを狙っていたらしい。
兎かぁ……地下生活では真っ黒なヂヂって兎をよく食べていたことを思い出す。そんな一角兎の群れの中の数匹が俺に気付くと、次々と襲いかかってきた。
この世界の兎は小さい癖に性格は結構狂暴なのか?
普通の兎よりかは体長は大きいけど。
そんな思考を抱きながらも俺はすぐに反応――。
タンザの黒槍で兎を突く。
兎は頭を垂らし角を前面に押し出していたが、黒槍の穂先がその頭ごと胴体を串刺しにした。刺さった兎を振り払うように黒槍を振り、兎の死体を遠くへ投げ飛ばす。振り払った黒槍を素早く一回転――近くにいた兎へ槍の後部にある石突を喰らわせた。
兎は一瞬で胴体が潰れて地面と繋がる。
その槍を振り回した強撃で、周りの兎たちは一瞬動きを止めた。
その隙に<導想魔手>を発動。
<導想魔手>にククリ剣を握らせてポポブムを守るように宙を漂わせる。
そして黒猫を肩に乗せた状態でポポブムから降り、兎の群れと向かい合った。
本格的に一角兎たちとの戦いに突入。
一角兎はこの周りに十匹以上はいる。
さぁ、全滅させてやろう。
黒槍を扇方向へ回転させる。
群がる兎たちを一度に薙ぎ払って吹き飛ばした。
俺は休まずに前進を続けながら黒槍で兎たちを突き殺していく。
黒猫も途中からやる気になったのか――。
俺の肩から飛び出して、狩りを楽しむように兎をわざと逃がし、追いかけて首元を噛み切り殺している。こうして、俺たちは兎を狩りまくり、最後の一角兎が残った。
こいつはスキルで殺る。――<刺突>っ!
硬い角の頂点へ螺旋する黒い刃が突き進む。
兎の角と黒い刃が衝突すると、兎の頭蓋と背骨が折れながら畳まれて兎は潰れた。
潰れた兎の肉片が辺りへ散らばった。
周りを確認。もう兎の反応はない。
遠くにオコジョらしい鼬系の姿が見えた。
そのオコジョは俺と兎の戦いの様子を見ていたようで向かってはこなかった。
この兎たちと縄張り争いでもしていたのかな。
それより兎の角だ。
立派だから売れるかもしれない。
少しだけ回収しとくか。
転がる兎の死骸から綺麗な角を選ぶ。
角を叩くと、こんこんっと金属っぽい音を出していた。
回収ついでに血を吸うのも忘れない。
魂は完全に殺しちゃうと吸収できない。
おあずけだ。
黒猫も獣の性分なのか兎の血肉を舐めている。
この肉も取っておこうか。
兎肉の解体を始めた。切り分けて皮紐で結んでいく。
纏めた兎肉は念のため大鷲擬きの肉と同様に凍らせておいた。
回収を終えて鞍の袋へ仕舞う。
ポポブムの頭を撫でてから背中の鞍に乗り込む。
丘の先へ進み出した。
おっ、草原だ……。
丘を上ったところで西から見える景色が違っているのが確認できた。
起伏が激しかった丘から緑豊かな平原へと、いつのまにか見える景色が変わっていたようだ。
ハイム川がもうすぐ見えるかも。
遠くには野生の馬らしき集団が見える。
俺はポポブムを進めながらその野生の馬たちの行動を眺めていた。
そこから一日半後、のんびりと進んでいると、景色が変わる。
大きな川――ハイム川が見えてきた。
これがハイム川か。早速地図で確認。
ハイム川はマハハイム山脈から沢山の支流が集まる一つの巨大な河川であり大河。
この南マハハイム地方最大の大河であるハイム川は、支流と合わせると南マハハイム地方全域にも及ぶ。
あのハイム川って、ほんとに海まで続いてるんだなぁ。
現在地からすると、あのハイム川を南に辿っていけばデルタ三ヵ国と呼ばれる地域に出るんだよな。
地図とにらめっこしながらポポブムをゆっくり進めた。
南には三角州があり、北東に【レフテン王国】、その南東に【サーマリア王国】が存在する。そこを越えてローデリア海へとハイム川は続いている。
三角州の西にもハイム川は続き、エルフの領域や【オセベリア王国】の【城塞都市ヘカトレイル】があり、南西には【迷宮都市ペルネーテ】が存在する。そこからハイム川を南へ下ると【オセベリア王国】の王都である【王都グロムハイム】があり、ハイム海へ至る……と。
現在地はだいたいこの辺り……とんとんっと地図を指で叩く。指はエルフの領域の真東を叩いていた。
このままハイム川を南沿いに行けば、レフテン王国の王都である【ファダイク】へ近付ける。
俺は地図をしまい、暫く川沿いを進んだ。
 




