二百十七話 ペルネーテに棲む怪物たち・後編
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フードが上げられ特徴的な揉み上げの金毛が揺れる。
鼻筋は高く、瞳は綺麗な群青色。
彼は太い指を櫛代わりに使い、長く垂れた前髪を掻き上げた。
イケメンなら絵になっただろう。
だが、彼の顔は見事に牛顔だった。
「――クロイツ様、ヴァーミナ様、万歳ッ」
「――【悪夢の使徒】に」
「――ヴァーミナ様に」
「――ベラホズマ万歳ッ」
鼻の孔に生えた鼻毛を自慢するような牛顔の人物に続いて周りの集団も顔を晒す。
顔を晒した者たちは口々にベラホズマ、ヴァーミナ様と連呼。
クロイツ様と呼ぶのは少数のみ。
牛顔の大柄な人物は首を縦に動かし頷く。
魔鯨の脂を元に作り上げたと言われている新製品のポマード香油は中々に素晴らしいですねぇ……香りといい髪型があまり崩れない。
牛顏の人物はそんなことを考えながら、そのまま目配せする。
そして、中割れしているローブから片手を出し周りに『静まれ』という意思を込めて腕を上げた。
その牛顔の男は、周りの集団の声が静まるのを待つ。
集められた贄の数からして、彼らは【悪夢の使徒】として与えられた仕事を着実にこなしたようだ。
そう考えた牛顔男は、捕らえた女たちの様子を満足そうに青い目で見つめながら、
「……この人数をよく集めましたねぇ。総帥ベラホズマ・ナロミヴァス様もお喜びになるでしょう」
素顔を晒した仲間たちへ得意気に語る。
そのまま中割れたローブから反対の腕も出し、その手に持つ黒色を基調とした、とんがり帽子を頭に被り直した。
帽子の中心に金色の大目玉の刺繍が施されてあった。
大目玉の刺繍は蠢くが、周りは、誰一人気付いていなかった。
それは仕方がない。
彼は【悪夢の使徒】の最高幹部だ。
そして、眷属化を果たした特異な魔術師。
帽子も特殊なマジックアイテム群の一つであるからだ。
魔力自体はあまり表に放出していないことも理由の一つ。
初見では只の刺繍にしか見えない。
「……クロイツ様。ありがとうございます。ナロミヴァス様の喜びは【悪夢の使徒】の喜びでございます」
「クロイツ様。我らも頑張ったかいがあります」
素顔を晒した者たちは牛顔男をクロイツ様と呼ぶ。
そう、彼の名前はバーナビー・ゼ・クロイツ。
表向きは冒険者、貴族でもある。
そんなクロイツの見た目は屈強で大柄な戦士だ。
魔術師には見えない。
闘技場で戦う剣闘士か、闘技大会に出場する武芸者のような体躯だからだ。
刃のように鋭い双眸には豊富な魔力が溜まっている。
「……そのようです。この人数を集めるのには苦労したのではないですか?」
クロイツは顔を晒した者たちを気遣うように聞いていた。
「何でも噛み付く狂騎士の存在が消えたので、女を集めること自体は楽だったのですが……途中から女大騎士の邪魔が入り、我らの仲間が数人……」
「……衛兵隊は無能と言えますが、白の九大騎士は厄介です。融通の利く【梟の牙】とは違い【月の残骸】もその縄張り内では仕事がやりにくくなっています」
クロイツの隣にいた人物は二名。
女の方は中割れたローブから蓬色の特殊な制服を覗かせていた。
男の方も蓬色の制服を着ているのがローブの隙間から見て取れる。
背格好からして、どこか軍人将校を彷彿とさせた。
「……縄張り圏外で活動している今なら【月の残骸】は放っておいていいでしょう。それよりも問題は女大騎士の方ですね……総帥ナロミヴァス様も対処を考えると仰っていましたよ」
クロイツは期待に溢れる眼差しで、語る。
「おぉぉ、ナロミヴァス様が……」
「ついに、あの煩い女大騎士に対処を……」
「さすがはナロミヴァス様、あの煩いのが消えれば、贄が集まりやすくなる」
「えぇ、儀式の際にはどうしても“夢教典儀”から連なる“三玉宝石”が必要で――証拠が残りますからね。他の宗派が起こす闇の事件とは違い、三玉宝石の連続殺人事件として表でかなり有名になってしまいました……」
「はい、公示人が口うるさく喚いていたので、頭の皮を剥ぎ取ってやりました」
クロイツの隣にいた軍人の雰囲気を持つ男の言葉だ。
彼は顔に独特の白粉の化粧を施している。
「ノーラン、仕事が早いのはいいですがねぇ……表であまり目立つことは止めてくださいよ?」
「クロイツ様……重々承知していますとも」
ノーランは薄ら笑いながら口の端が裂けて真横に口が拡がる。
歯茎を見せながら嗤っていた。
白粉の化粧の一部が崩れて床に落ちている。
クロイツはノーランを見ながら思う。
不気味な裂けた口を持つ彼は、サーカスのピエロ顔ですが……。
南の大国セブンフォリアの元軍人。
闇の仕事はしっかりとこなしてくれますからね。
「……そうですか、貴方のことですから深くは追及しませんが……ま、我々は表向きも多大なる権力を有した立場……大騎士の雌犬が吠えたところで、三玉宝石事件の真実は永遠に闇の中となることでしょう」
クロイツは口調の質を変えながら両手を頭上へ伸ばす。
掲げて伸びた手首にはブレスレットがある。
それは濃密な魔力が内包する三つの宝石が連なった勾玉風。
宝石の煌びやかな色合いは捕らえた女たちを魅了した。
しかし、一人の女は、まったくの無反応。
「我らの三玉宝石の魔力は偉大ですな」
彼らもクロイツの行動に合わせるように、同じ魔力が内包された三玉宝石を頭上に掲げた。
三玉宝石の効果か、茜色の空間が一瞬明るく光る。
夕日のような光が洞穴の形をスキャンする光線のように洞穴を照らす。
「えぇ、偉大なる悪夢の女王のお力ですからね」
そのクロイツに対して敬礼する皆は、
「「栄光なる【悪夢の使徒】!」」
と、声を揃える【悪夢の使徒】のメンバーたち。
「……我らの総帥ナロミヴァス様は、『今は時期がいい。帝国との争いを大いに利用するのだ』と仰った。帝国も王国も裏向きでは我ら【悪夢の使徒】派の大いなる敵と言えます。が、所詮は屑な者が支配する人族の国。で、ありますから、王族ではなく神に選ばれし者である総帥ナロミヴァス様の敵ではない。総じて偉大なお方の、お言葉を信じるだけで、我々は等しく身も心も救われるのです。永遠に……」
クロイツは宣教師のように仲間たちへ語る。
「……素晴らしきことです。我らはナロミヴァス様とクロイツ様に従います」
「わたしはクロイツ様に従います」
「……キャミス、嬉しいことを」
牛顔のクロイツは演説と皆の言葉を聞いて、承認欲求が満たされたのか、鼻息を荒くしながら鼻翼を拡げつつ右隣りの女を見る。
キャミスは長年、彼の部下として尽くしていた。
紺色の短髪でボーイッシュな雰囲気の女性。
糸を引いたような両目の奥にサファイアの宝石を彷彿する美しい瞳があった。
その美しい瞳に熱が入ると、
「……とんでもないです。そして、クロイツ様、この贄たちですが、今日も総帥のところへ運ぶ前に、クロイツ様ご自身が品定めを行いますか?」
「そうですねぇ……これも総帥から任されている大事な〝№2〟の務め。調べましょう」
気分をよくした牛顔のクロイツ。
自らを『ナンバーツー』と自称したあと……寒気を催すような視線で女たちを見据えた。
さっきから魔力を溜めていた青い瞳で、捕らえた女たちを観察していく。
「ん……」
クロイツは右から左へと順繰りに視線を動かす。
左の一番最後で、その視線を止めた。
金の太い眉をピクリと反応させ、青い目をギョロリと動かす。
その女は銀髪と浅黒い肌に婀娜な雰囲気を持つ美女。
クロイツは彼女の全身を注視する。
彼が注目するのは当然だ。
女は綺麗な銀髪に不自然なほど魔力を集中させている。
細い一本一本の銀髪が風もないのに逆立ちつつ生き物の如く蠢いていた。
「……クロイツ様、どうかされましたか?」
クロイツのことを見つめていたキャミスが問う。
クロイツ様が注目する?
この銀髪の女は他の贄と違うのかしら……。
と、キャミスはクロイツの牛顔を見て考えていた。
「……えぇ、頭の芯が疼くような少し気になる女性がいますね。この銀髪の女だけを、この場に残します。お前たちは他の贄たちを連れて総帥ナロミヴァス様の下へ行きなさい」
「は、はい……クロイツ様は?」
と、キャミスは聞きながら……。
クロイツ様は銀髪が気になるの?
あの銀髪は他と違うようね……。
我ら【悪夢の使徒】に仇をなす存在なのかしら。
そう思考しつつ……クロイツを熱い眼差しで見てから、
「わたしはこの銀髪女と個人的にお話します――」
と発言。
すると、クロイツはキャミスの問いに頷く。
そして、胸元から裂くようにローブを左右に広げると、その内側から魔法絵師の戦闘用の道具である絵画を出現させた。それは鋼鉄製の額縁だ。
その鋼鉄製の額物をクロイツは軽々と太い片腕だけで持つ。
反対の手には【悪夢の使徒】最高幹部が証拠であるナロミヴァスが彼に授けた魔界四九三書が一つ夢教典儀が握られていた。
クロイツこと、元人族のバーナービー・ゼ・クロイツの戦闘職業は<獄魔夢絵師>。
魔力が溢れる鋼鉄製の額縁の絵は……。
彼の戦闘職業らしい三つ頭を持つリアルな犬の絵が描かれてある。
「まさか……この女は普通ではないと……」
キャミスはそう発言。
彼女はクロイツの戦闘スタイルを熟知していた。
クロイツが額縁と魔書を出した理由は、二通りの意味があると知るキャミス。
一つは、魔法の額縁に封じたフェデラオスの猟犬の自慢と。
二つ目は、即座に戦闘態勢へと移る場合であると。
今は、自慢している訳じゃない。
尋常ではないわ。直ぐに撤収しないと。
でも……。
と、キャミスは思考。
彼女は愛用しているサーマリア伝承に伝わる魔剣の柄へと手を伸ばしつつ、周囲を警戒。
他にも何かあるのではないか?
そう疑心暗鬼となりつつも……。
クロイツを熱い眼差しで見つめていた。
そんなキャミスの視線を鼻で笑う女の声が響く。
「……あらぁ~、牛顔さん? 素敵な犬の絵を出して一緒に鑑賞してほしいの?」
キャミスはその声を発した銀髪の女を睨んでから、クロイツに視線を戻し、
「……クロイツ様の指示に従います。ベラホズマ・ヴァーミナ万歳っ。お前たち、移動だ――」
キャミスはそう発言。
ただならぬ気配と動きを察知した【悪夢の使徒】の面々たちは、キャミスの言葉に従うように……。
各自、最高幹部クロイツに指示されたことを思い出しつつ……。
総帥に捧げる予定の魅了された女たちを連れて、素早くこの地下場をあとにした。
因みに、ここは【迷宮都市ペルネーテ】の地下。
地下場には無数に出入り口がある。
あまり知られていないが【魔鋼都市ホルカーバム】のように歴史ある地下街と似たような小さい地下街は確実に存在した。
「ばいばい~」
一方、その様子を面白おかしく見ていた浅黒い肌の銀髪の女。
銀髪の女は連れて行かれる女たちへと向けて、何回も『ばいばい~』と腕を泳がしていた。
銀髪の女は……。
ふふ、まさかこんな展開になるなんて~楽しい。
十五階層の地上で、使徒たちが大集合しての、冒険者&魔王級モンスターの退治も、石にされちゃったりした使徒が出て面白かったけど。
この地上もまた別で、面白いわ。
あの五階層で出会った虎獣人たちの匂いを追い掛けて、買い物中の使用人らしき女に辿り着いたら……何故か、その女と一緒に攫われちゃったし、ふふ。
あ、牛顔の魔術師が睨んできた。
と、思考する銀髪の女。
クロイツの視線を受けても……。
浅黒い肌の銀髪の女は、楽し気に胸を躍らせるのみ。
クロイツは、薄い眉をピクリと動かしてから、
「――貴女は何者ですか?」
と、聞いた。
クロイツは双眸に魔力を溜めつつ左手が握る額縁にも魔力を込めた。
刹那、額縁から、圧縮された空気が外に急に出たような音が響く。
と、三つの頭を持つ巨大な獣が出現した。
「ガルルルゥゥ」
「グゥゥ」
「ガウゥッ」
巨大な獣はクロイツの大柄な体格を優に超えている。
甲殻鎧を身に着けた地獄の門番ケルベロスを連想させるモンスターだ。
それぞれの三つの大きな口には無数の牙が生えていた。
そう、彼が使役しているのは普通のモンスターではない。
ナロミヴァスと共にとある魔神具を用い魔界へと赴いた際に捕らえたモンスター。
魔界の女神たちも狩りに用いることがあると云われているフェデラオスの猟犬そのモノである。
「――凄い! 大きいワンコだ」
「……何者と聞いているのです。人族、この地域の言葉は理解できますか?」
「失礼しちゃうわねぇ、分かるにきまってるだろうが! 名はリリザって、可愛い名があるわ」
リリザと名乗った怪物は、途中で口を押さえるぶりっこポーズをしてから、ウィンクをするように片目を瞑る。
「リリザ……」
「それじゃ、そのワンコに対抗――っ」
銀髪の女は甲高い声を上げて、筋肉質な腕を左右へ伸ばす。
両肘を四十度位の角度にゆらりと上げ、魔力を纏わせた指先で小円の魔法陣を二つ描いた。
小型魔法陣を爪弾いた、その瞬間――。
辺りに異臭、魚の臭気が発生してクロイツの鼻を刺激すると同時にリリザの周りに、骨格状態の<魔骨魚>がぽこぽこと音を立てるように中空から生まれ出ていた。
リリザは嬉々とした表情を浮かべながら、宙に漂う<魔骨魚>の骨格の表面を、掌で優しく撫でる。
「お前たち~、出番よぉ、あのワンコをやっつけちゃぇ!」
鋭そうな骨歯が三百六十度口の中にびっしりと生え揃っている<魔骨魚>が海中を泳ぐ鮫のように骨の胴体をくねらせながら突き進む。
フェデラオスの猟犬は素早く反応。
「ガウッ――」
三つある口の一つから、指向性のある凍てついた息吹を正確に放っていた。
冷たい空気が風となって辺りを冷たくする。
あっという間に、自身に迫る<魔骨魚>たちの骨格を凍らせていた。
<魔骨魚>は冷凍保存された魚のように地面に墜落している。
「へぇ……」
リリザはあっさりと召喚した<魔魚骨>がやられたことに感心した表情を見せたが、それは一瞬だった。
細筆で書いたような眉を顰め頭に生えた銀髪の形を変え、両手の指に生えた綺麗な黒爪を螺旋状に伸ばしフランベルジュの剣刃のように変形させる。
そのまま十本の太いフランベルジュの黒い釼先のような黒爪が宙に弧を描く機動で、フェデラオスの猟犬の頭へ向かった。
フェデラオスの猟犬は、逆にフランベルジュ型の黒爪へ飛びついている。
口から生えている鋭い歯牙で太いフランベルジュの黒爪に噛み付き、その黒爪を金属音を立てながら噛み砕いていた。
そのまま黒爪を貪るようにむしゃむしゃと細かく砕きながら食べると、横へ跳躍。
四肢を躍動させながら重力を無視して洞穴の横壁を器用に走り抜けるフェデラオスの猟犬。
「犬のくせにわたしの魔力を喰ってる!?」
リリザが折られ食われた黒爪を素早く再生させながら叫ぶ。
「ムカつくぅ」
横壁を走るフェデラオスの猟犬に、リリザはその再生させた黒爪たちを向かわせるが、茜色の横壁に黒爪がドスドスと鈍い音を立てて突き刺さるのみ。
その大きな体格に見合わない素早い獣の動きは、何処かの黒き神獣を思わせる動きの質であった。
フェデラオスは自身に迫る残りの黒爪たち、槍衾のような爪突攻撃の全てを華麗に避けると、逆にリリザへ襲い掛かっていく。
「――フェデラオス、仕留めろ」
全身に魔力を溜めているクロイツが指示を出す。
同時に彼が手に持った夢教典儀は自動的に頁が開かれていたが、自然と頁が止まる。
そのページに記され刻まれたルーンの魔法印字が不自然に光を帯びると、その光った文字たちからDNA塩基配列の螺旋を思わせる魔線が夢教典儀の上に浮かんだその刹那、螺旋した魔線がぐにょりと形を変えて結合し、小型の積層型魔法陣の姿に変貌。
小型魔法陣は三層に重なって夢教典儀の上に現れ、クロイツの目とその積層型魔法陣から放たれている細い魔線と繋がっていた。
同時に大目玉から、常人では判別できない、薄い魔力が彼の上半身を包むように放出されている。
クロイツは青い目の中に魔法陣を映しながら愉悦めいた表情を浮かべた。
ふふ、夢教典儀の発動です。
このまま少し遊んでみますか。
と、考えていた彼はフェデラオスの猟犬を操ると同時に、目と連動した特異な独自魔法を発動させ操作していく。
「――わんこを殺すっ」
リリザは自身の指先から伸ばしていた黒爪が避けられることを、予め、分かっていたかのように銀髪を動かし反応していた。
三つの銀杭のように形を変えていたリリザの頭髪群が、空中から迫ったフェデラオスの三つの頭をカウンター気味に、貫く。
否、貫いてはいなかった。
三つの銀杭髪はフェデラオスの牙に噛まれ挟まれていた。
今さっき黒爪を噛み切り食べたように……フェデラオスの猟犬は鋭い歯牙で噛み付いた銀杭の形に変化している髪を噛み切ろうと、三つの頭を忙しなく動かしていく。
だが、リリザの銀杭の髪は噛み切れない。
黒爪とは違い切れもせず砕けることもなく、牙から垂れた黒い唾が大量に付着するのみだった。
「……フェデラオスの動きを止めたうえに、噛み切れないとは、その髪の毛は力もあり頑丈なんですねぇ」
「ふん、汚く唾をつけてくれちゃって! その余裕めいた態度を崩してあげる」
空中で銀髪に噛み付きぶら下がっているフェデラオスの猟犬を貫こうと、リリザの両手の指から生えた黒爪が伸ばされた。
「ガォォッ――」
フェデラオスは髪に噛み付くのを止め、空中に足場があるように跳ねる。
内腹をみせるように回転しながら器用に跳ねて、黒爪を華麗に避けると、クロイツの足元に帰っていった。
「何よその犬! 大きいのに素早いんだからっ」
浅黒い肌を紅潮させ銀髪の形を変えながら叫ぶリリザ。
片足で茜色の地面を踏みしめると、細いが綺麗な足跡を作り上げている。
その行動に青い目を細めるクロイツ。
彼の両手に嵌められたブレスレットの三つの勾玉が少し光った。
このリリザ、知能はそれほどでもないようですが、危険ですね……。
魔界の猟犬の攻撃をあっさり往なし、まだ奥の手があるような態度。
ですが、もう夢教典儀の特異魔法の中……このまま夢の中で踊ってもらいましょう。
「……フェデラオスが仕留められないとは……怪物ですねリリザさん。貴女、腐臭を漂わせる骨魚を愛好するようですが、もしや、魔界の神に連なる者ですか?」
「――魔界の神ぃぃ? 汚らわしい横取り共と一緒にするな! わたしは邪神ニクルス様に選ばれし使徒、第三使徒のリリザよ!」
クロイツの言葉を聞いたリリザは肩をいからせ、銀髪を逆立てながら強い口調で話していた。
この牛顔、イラつくわ。目に魔法陣を浮かばせて生意気よ。
それに、毛嫌いしている魔界の連中と一緒にするなんて。
リリザは嘲笑するような牛顔を見て、こいつは喰わずに殺すだけにする……と、考えていく。
「第三使徒……」
「殺す――」
リリザは両手を伸ばし変質させる。
黒爪ではなく両の掌を十字に切り裂く、どころか、無数に細胞分裂するかのように両腕の全てが裂けていた。
その裂けた肉と骨が、いけた菊のような花の形になりながら、青臭い香りが漂う絶望の菊花と化してクロイツたちへ向かっていく。
フェデラオスの猟犬は三つの口から凍てついた息を吹く。
だが、少数の菊の花肉が凍って床に落ちるだけだ。
クロイツは脅威が迫っても、冷静な態度を崩さない。
彼は片手に持った夢教典儀を操作していた。
夢教典儀の真上に浮かぶ積層型魔法陣の一番上の円盤積層型魔法陣の表面から、淡いネオンのような魔法文字が浮かび出すと、その文字たちが瞬時に、歪な魔法剣、魔法槍、魔法杭の姿に変わって、幾つもの魔法武器を彼の周囲に生み出し、多数の菊花を迎え撃った。
腐臭漂う菊花の乱舞と魔法武器の乱舞がクロイツの目の前で激しく衝突。
蝶の群れが一気に散るような火花が生まれ、粒子と粒子がぶつかったような閃光が発生し、茜色の洞穴が眩しく輝く。
「……迷宮に住まう神々の邪教徒ですか……邪魔ですねぇ」
クロイツの魔法陣と魔線が連なった青い目が輝く。
青い瞳にある魔法陣が、時計、鍵のダイヤルの如く不可思議に回転。
彼はその魔眼らしき青い目で、憎々し気にリリザを睨むと、突如、前傾姿勢を取り、魔法と菊花たちが衝突する隙間を縫うように、魔脚を使い前進していた。
反対の右手に持っていた鋼鉄製の額縁をリリザの頭に衝突させる軌道で振り抜いている。
「――ふんっ」
リリザは不満気な声をあげながら、包むような銀髪の形で、自身の頭に迫る鋼鉄製の額縁を手前で押さえ防ぐ。
彼女は、にんまりとした顔を浮かべた。
<妖艶花手>は防がれたけど、これは防げないはずッ。
その瞬間、リリザの浅黒い肌の美顔の半分が溶け、いや、骨と肉が歪な音を立てながら変化し、一つの巨大肉槍に変貌する。
それはシュウヤの<闇穿・魔壊槍>を連想させる肉槍だ。
巨大肉槍は、その質量から想像させる速度ではなく尋常ではない空間を切り裂くような速度でクロイツへ向かう。リリザが持つ最高速度の技でもあった。
「――何ですとっ!? ぐああ――」
クロイツは反応ができず、夢教典儀から現れていた魔法剣、魔法槍も反応ができずに、大柄な下腹をその肉槍に貫かれて吹き飛んでいた。
「ふふっー♪ 騙されたー。人の形に拘るからよーん」
身体の半分が肉槍に変わっていた得体のしれないモノが、蠢き、元の浅黒い肌を持つ美しい女の姿に戻っていく。
牛顔だけど、やっぱり吸収しちゃおっかなぁ。
クロイツは茜色の洞窟に背中をぶつけ項垂れているが……不自然に動かない。
「あれぇ? あれぐらいで死ぬわけがないんだけど……」
そこでリリザの視界が急暗転。
幻影のようにクロイツの肉体が消えていた。
「え? 何よっ!」
幻だったの? でも、わたしの黒い爪の残骸は落ちてるし、血も散らばってる……。
途中から、使徒のわたしが幻術を喰らっていた?
牛顔も居ないし……逃げられたというより、遊ばれたのかしらぁ?
魔眼? 分からない……あぁ、イライラしてきた……。
この間の冒険者たちにも逃げられちゃったけど、あの時は、あの子たちが必死で生きようとする意志が感じられて楽しかった。
でも、今回のは牛顔に遊ばれて楽しくないっ!
「……こんな敗北、ひさびさよ。次に人族をみたら、いきなり食べてやるんだから!」
そこに丁度良く……中肉中背の元教会騎士ツアンが現れてしまう……。
あ、こいつを食べて気を紛らわそう~♪
リリザは人型を保つのを止めていた。
◇◆◇◆
「――やるんだから!」
女の声?
元教会騎士ツアンは茜色の洞穴から聞こえる女の声の近くに歩いていく。
「魔ではないのか? 不自然な明かり?」
「――ぐぉぉん(いただきまーす)」
元教会騎士ツアンの最後の視界に映った映像は、渦を巻くように生え揃った巨大な歯牙群の姿だった。
◇◆◇◆