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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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2152/2157

二千百五十一話 王都の陰謀と、ハイグリアを囲む虚空の檻

□■□■


 ここはサーマリア王国。

 王都ハルフォニア、その外縁部に位置した陽の光すら届かぬ広大な廃倉庫街。


 ハイグリアは、銀爪の指先を石畳に食い込ませ、四つん這いの姿勢で低く唸った。


「……まただ。ここも完全に『消されて』いる。ダオンとリョクラインが言った通り、見事なまでのトカゲの尻尾切りだな」


 周囲には、ドイガルガの足取りを知っていたはずのバーナンソー商会やヘヴィル商会の末端たちが、一人の例外もなく自決用の毒、あるいは鋭利な刃で息絶えていた。


 ハイグリアの全身を覆うのは、古代狼族の誇りたる『銀爪式獣鎧』。

 両手の爪が溶けた蝋のように自在に移動し、体毛と融合して強靭な銀色の装甲を成している。かつて、大月ウラニリ、小月ウリオウ、そして神狼ハーレイアの加護を受け、愛するシュウヤとの儀式を経て真の力を得た聖なる輝きが、暗い倉庫内をかすかに照らしていた。


 傍らには、神姫隊を率いるダオンと、リョクライン姉妹が油断なく左右を固めている。

 彼女たちの表情は凜々しく、自信に満ちあふれていた。

 洗練された爪の鎧を纏い、凄まじい身体能力で幾つもの防衛線を紙切れのように引き裂いてここまできた自負があるのだろう。


「ハイグリア様。ドイガルガの『不浄な匂い』が、ここで不自然に途切れています」


 ダオンが低い姿勢のまま報告した刹那、周囲の空間がガラスを割るような音を立てて歪んだ。

 

「――なッ!? 鼻が……利きません……ッ!」


 リョクラインが悲鳴を上げる。

 古代狼族にとって最大の武器である嗅覚――。

 それが、突如として発生した無音、無臭の空間によって完全に遮断されていた。

 頭上を見上げると、魔導板を前に浮かべている深緑のローブを纏った男、虚空のラスアピッドが、感情の欠落した瞳で見下ろしていた。


「ヒヒッ……ドイガルガ様を追う野良犬ども。ムサカの遺物が放つこの虚空の檻からは、神狼の光とやらも逃れられん」


 ラスアピッドが指を鳴らすと、空間そのものが断絶し、ハイグリアと神姫隊の連携が物理的に裂かれる。視界が歪み、銀爪式獣鎧の神聖な輝きすらも、空間ごと魔力を吸い上げる『虚空』の圧力に耐えかね、明滅を繰り返した。


「ダオン! リョクライン! 固まれッ!」


 ハイグリアの叫びも、見えない壁に阻まれて届かない。

 周囲の影からはロルジュ公爵が周到に用意した対狼族用の振動兵装を纏った重装歩兵たちが、連携を絶たれた獲物を囲むように無言で殺到した。


 □■□■


 同時刻、サーマリア王国、王都ハルフォニア。

 王城に隣接する小高い丘の上にそびえる、豪奢なロルジュ公爵邸。

 その最深部にある執務室で、ロルジュ公爵とドイガルガは、琥珀色の酒を揺らしながら、冷ややかな笑みを浮かべていた。

 

 ドイガルガは元塔烈中立都市セナアプアの上院評議員で副議長だった男。


 二人の前の机の上には、セナアプアの天空閣でのテロ失敗と、ボレノンの地下大工廠が【天凛の月】によって完全に壊滅させられたという凶報が記された羊皮紙に、暗殺一家の【チフホープ家】の返事の手紙が転がっているが、涼しい顔色で、


「……ピサード大商会のエイドナめ。自らの尻尾を切り、あまつさえ我々にすべての罪を被せて王太子側に寝返ったか。商人風情が、浅ましい真似を」


 声音に焦りはない。

 むしろ、無能な駒が盤面から消えたことを清々しているかのようだった。


 ドイガルガは愛想笑いをしつつ


「ですな……」


 と発言。と相槌を打つ。そこに背後の影から、公爵直属の暗殺部隊【ロゼンの戒】の統括者、総監プルトーが音もなく進み出た。


「閣下。王太子ソーグブライトと軍師アドルフは、すでに証拠を握り、この王都へ向かっております。更に、あの忌まわしき『炎』を纏う剣士レオンも同行しているとのこと。いかがなされますか」

「放っておけ。奴らが証拠を突きつけ、中央貴族審議会を動かそうとした時が、この国の歴史が終わる時だ」


 プルトーは胸元に手を当て頭を下げた。

 

 ロルジュ公爵は立ち上がり、壁に掛けられたサーマリア王国の巨大な古地図を見上げた。

 その視線は、王都ではなく、南の古都市ムサカへと注がれている。


「六百年もの間、我ら貴族の一族たちが、ムサカの地で血と金を流し続けてきた……」

「はい、我らもネドーと共に協力してきました」

「うむ……すべては、あの地下に眠る『聖櫃(アーク)』や『遺物』を完璧な状態で王都の地下へ運び込み、起動させるためだ。王太子がどれほど吠えようと、我が公爵領の地下で産声を上げた、新たな『旧き神の兵器』の前では、塵芥に過ぎん」


 公爵は不氣味な光を宿した瞳で、振り返った。


「それよりも、目障りなのは身内だ。プルトー、ラスニュ侯爵の動きは?」

「はっ。エイドナの裏切りを知り、恐怖に駆られて王太子側へ密使を送ろうとしております。現在、王都外れの地下別邸に私兵を集め、逃亡の準備を」

「愚か者が。トハジェという三流の番犬を失い、完全に牙を抜かれたか。ではそろそろお前の出番だ」


 部屋の隅にいた影の一つが、動く。


「ハッ」

「……『牙絶ち』のギュラン。お前が直接赴き、ラスニュの首を獲れ。見せしめだ、あの豚の血で別邸を染め上げろ」

「御意に」


 ギュランと呼ばれた男は、残酷な笑みを浮かべて影へと沈んだ。

 すると、ドイガルガから、


「……状況は刻々と変化していますな」

「うむ、お前を追い詰めた、例の槍使いたちもだろう」

「はい、ご存知の通り、【血月布武】、否、【血星海月雷吸宵闇・大連盟】は塔烈中立都市セナアプアで、一大戦力となっています……」

「……あぁ、お前の言ったとおりだった。暗殺一家の【チフホープ家】にも手を回しているのも事実のようだな。個別の力だけではなく、実に、頭もよく回る……下界潰しの予定の災害と呼べるケアンモンスター、死蝕天壌の浮遊岩への対処といい……実に、ムカつく連中だ。だが、そいつらがソーグブライト王太子側の戦力だとしても……で、例のアレは?」

「はい、これを……」


 ドイガルガは、公爵の視線に急かされながらも落ち着いた所作で、懐から『ムサカの遺物』の制御核を取り出し、恭しく差し出した。それを受け取ったロルジュ公爵は、不敵な笑みを深める。


「……ドイガルガ。ボレノンの工場は惜しいが、このデータこそが王太子を葬るための最後の欠片だ。そして、例の狼どもも、ラスアピッドの檻に収まったようだな」

「は、はっ……! 奴らさえ始末すれば、あの槍使いの『鼻』は奪われたも同然。閣下の『下地』はもはや盤石にございます」


 ドイガルガは卑屈に笑うが、その視線は公爵の背後に鎮座する禍々しい魔力炉への恐怖で泳いでいた。


 公爵は彼を一瞥もせず、傍らに立つ【ロゼンの戒】の総監に告げた。


「ラスニュの豚は、保身のために逃げようとしているが、お前の勧めのギュランだが、本当に使えるんだろうな」

「『牙絶ち』のギュラン。一応、昔から聞いた名の一人です。あの陰のリエガを殺れるかどうかは、分かりません。でので、三重の罠は展開済みでございます」

「ふむ……ならば、黒薔薇の歴史も今宵でしまいか……」

「……閣下? なぜ、そのような……」

「ヒュアトス亡き後の我が王国の行く末を思えばこそだ。腐ってもサーマリアのれっきとした侯爵……盾としては使える駒だった」

「なるほど。腐っても、サーマリア王国のれっきとした侯爵。オセべリアやレフテンだけではなく……」

「うむ。東の旧フジク連邦の崩壊した獣人軍閥に、強大な【グルトン帝国】。更にはローデリア海を牛耳るローデリア王国や東の群島諸国サザナミ、大海賊たちに対抗するには、ラスニュの抱える戦力も多い。多様な『肉の壁』としては必要な面があったからな……」

「……はい」



 □■□■



 ラスニュ侯爵の地下別邸は、むせ返るような血の匂いと絶叫に包まれていた。


「ヒィィッ! 防げ! 奴らを中に入れるなァッ!」


 ラスニュ侯爵が、脂汗を滝のように流しながら金庫室の奥で震え上がっている。

 だが、彼が雇い入れた高位の魔剣師や重装傭兵たちは、侵入者の前に為す術もなく蹂躙されていた。


「ギャハハハッ! 脆い! 侯爵様の私兵ってのは、こんな紙装甲ばかりか!」


 血飛沫の中を、三日月型の巨大な双刃剣を振り回しながら進む男――【ロゼンの戒】の最高幹部の一人、牙絶ちのギュランだ。彼は単なる暗殺者ではない。

 かつて魔界の傷場を越えてきたとされる異端の狂戦士であり、彼が放つ<重牙の魔刃>は、結界ごと敵の肉体をミンチに変える威力を誇っていた。


「さぁて、豚の侯爵様はどこに隠れてやがる……ん?」


 ギュランが血塗れの双刃剣を肩に担いだ時、重厚な扉の前に、一人の男が静かに立っていることに氣付いた。豪奢だが動きやすい漆黒の装束。反りのない、真っ直ぐな刃を持つ見慣れない刀――『唐刀』を腰に差した、細身の男だ。


「……あァ? 誰だテメェ。トハジェが死んで、新しい番犬でも雇ったのか?」


 リエガは、狂氣を撒き散らすギュランを一瞥し、退屈そうにため息を吐いた。


「……ロルジュの狸め。我ら黒薔薇ごと、侯爵を刈り取るつもりだったか。……トハジェのような表で吠えるだけの三流を幹部に据えておいたおかげで、公爵も我らの底を随分と浅く見積もってくれたものだ」

「あぁ? 何をごちゃごちゃと……死ねやァッ!」


 ギュランが爆発的な踏み込みで地を蹴る。

 大氣を引き裂く轟音と共に巨大な三日月の刃がリエガの頭部めがけて振り下ろされる。大魔術師の結界すら両断する必殺の<重牙の魔刃>。

 直撃すれば体など跡形もなく消し飛ぶはずだった。

 だが――澄んだ冷ややかな金属音が地下空間に響き渡っただけで、血は一滴も流れない。

 振り下ろしたはずのギュランの巨体が、不自然に宙空で静止している。

 リエガは、腰の唐刀を鞘からわずか数寸だけ抜き放ち、その露出した『刀身の根本』だけで、ギュランの渾身の刃を完全に受け止めていた。


「な、に……ッ!?」

「『牙絶ち』のギュラン。力任せに振るうだけの雑兵が【ロゼンの戒】の幹部とは。サーマリアの暗部も随分と質が落ちた」


 リエガの冷徹な声と共に、抜かれた唐刀『無明唐草むみょうからくさ』の漆黒の刀身が姿を現す。

 刹那――リエガの足下から、不氣味な黒い茨の影が爆発的に這い出した。

 サーマリア王国建国の陰に隠れ、歴史から名を消された『無名の魔神』。その恩寵である<黒荊こくけいの呪界>が発動したのだ。


「グガァァッ!? 魔力が……吸われ……ッ!」


 ギュランの足から這い上がった黒い茨が、彼の強靭な肉体と魔力を瞬時に吸い尽くしていく。リエガは流れるような動作で唐刀を真横に振り抜いた。

 反りのない直刀が描く、一切の無駄を削ぎ落とした神速の刺突と斬撃の融合――<無明・一之太刀>。


「ガ、アァ……」


 ギュランの首が、音もなく胴体から滑り落ちた。

 血すら噴き出さない。彼の血と魔力は、すでに黒い茨にすべて吸い尽くされていたからだ。リエガは唐刀の血を振るうことすらせず、ゆっくりと鞘に納めた。チャキ、と硬質な音が響く。

 金庫室の扉が恐る恐る開き、中からラスニュ侯爵が這い出してきた。


「おぉ……リ、リエガ! よくぞ戻ってくれた! お前がいれば百人力だ、すぐに私を連れて王太子のもとへ……!」

「はい、お任せください。しかし、公爵側伏兵は他にもいると思いますので、慎重に動かねばいけません」

「ふむ……」

続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻ー20巻」発売中。

コミック版1巻-3巻発売中。

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