二千百四十七話 祝詞と髪飾りに事務所開き
すると、エヴァが小さく首を傾げ、
「ん、でも、クナたちの血文字からは、急ぎのようなニュアンスはなかった」
「うん、魔法都市エルンストから鉱山都市タンダールへの流れも急だったし。ここの事務所の周りの土地について、メルたちは知っていたようだけど、わたしは知らないことが多いから、街巡りがしたいわ」
レベッカも身を乗り出して頷く。
ヴィーネやユイ、キサラたちもその言葉に賛同するように微笑んでいる。
たしかに、エルンストからタンダールへと目まぐるしく事態が動き、戦い通しだった。ジンザとセンリのこともある。
「そうだな。エルンストの監視はクナたちに任せてあるし、ボレノンの裏取りもセナアプアで忙しいペレランドラたちも加わっての調査を進めているからな。マダム・ルージュの情報は氣になるが、今は、出発は少し遅らせるか。まずはこの大宿の朝食を堪能し、タンダールの街を観光しよう」
「はい」
「承知」
「了解~♪」
「「「やったー!」」」
「ん、お肉と甘いもの」
「にゃお~」
黒猫も尻尾をピンと立てて、朝食の氣配に喉を鳴らした。やがて、大宿の従業員たちが豪華な朝食を広間へと運んでくる。
最初に目に付いたのは、タンダール名物の巨大な岩魚の塩焼き。
次は枝豆、トマト、キノコ入りのタレが乗った目玉焼きとハムの焼き物。厚切りハムと薄いハムとベーコンもある。
オリーブオイルと粉チーズ、黒胡椒のタレも用意されていた。
続いて、複数の料理人と給仕が、無数の小鉢を載せたお盆を運んでくる。料理人の一人が、
「タンダール特産の魔導石を削り出して作られた椀に用意したのは、地熱の蔵でじっくりと発酵させた特製の豆料理です。他にも、大滝の清流で洗われた山菜のお浸し、魔獣肉と根菜を甘辛く煮込んだ小鉢、ピリッと辛味の効いた川魚の卵の塩漬け、そして温泉の源泉に浸して絶妙な半熟トロトロに仕上げられた『地熱卵』と特製の旨味醤油でございます」
と説明してくれた。
青み掛かった花をモチーフとしたお椀の見た目も美しい。
それらが、お膳を彩る花のように所狭しと並べられていく。
更に地熱でふっくらと炊き上げられた香り高い米、そして湯氣を立てる山菜と魔獣肉の出汁が効いた温かいスープも用意された。
和の朝食を思わせる、目に鮮やかで品数豊富な極上の御膳だ。
ここの料理人もやる、フクナガの料理に負けていない。
「「「おぉ」」」
「うまうま~」
素直に、ウマし!
皆で舌鼓を打っていると、十分な休息をとって見違えるほど顔色の良くなったセンリが、ジンザに付き添われて部屋に入ってきた。
「おはようございます、シュウヤ様、皆様……」
「おはよう、ジンザ、センリ。体の具合はどうだ、よく眠れたか?」
「……はい。こんなに温かくて、静かな朝は……初めてです」
はにかむように微笑むセンリ。
その瞳には、もう暗殺者としての虚無的な暗い影はない。
「こっちに座って、一緒に食べよう」
二人に席を勧め、皆で卓を囲んで朝食が再開される。
「ん、シュウヤ。目玉焼きと厚切りハム、取り分けるね。黒胡椒と粉チーズもかける?」
エヴァが魔導車椅子から身を乗り出し、俺の皿へバランス良く料理を取り分けてくれる。
そのさりげない優しさと氣遣いが、たまらなく愛おしい。
「あぁ、頼む。ありがとうな、エヴァ」
「ん、どういたしまして。ふふ」
エヴァは優しく微笑むと、隣のレベッカや、まだ少し緊張氣味のセンリたちの分も甲斐甲斐しく取り分けていた。
和やかな空氣が大広間を包む。
相棒の黒猫の前には、これまた特別仕様の『グレートイスパル大滝産の巨大川魚の姿盛り』がドォンと置かれていた。
「にゃおぉ~」
黒猫は歓喜の声を上げ、器用に前足を使って身をほぐしながら、一心不乱に極上の魚肉にかぶりついている。
その食べっぷりの良さに、見ているこちらまで頬が緩んだ。
センリは、エヴァに取り分けてもらった温かいスープを一口飲むと、ピタリと動きを止めた。
「……美味しい……」
湯氣と共に、ぽつりとこぼしたその言葉の後、目元からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
「センリ……」
ジンザが優しく妹の肩を抱いた。
「……あ、ごめんなさい。ただ、温かくて……こんなに美味しいご飯や、たくさんのおかずを食べたのが嬉しくて……」
袖口で涙を拭いながら、センリは年相応の、無邪氣で可愛らしい笑顔を見せた。
「にゃ」
自分の魚を平らげた黒猫が、トコトコとセンリの膝に前足をかけ、さらなる魚のおねだりをする。
「ふふ、ロロちゃん、食べる?」
センリが自分の岩魚のほぐし身を差し出すと、相棒はペロリと平らげて「にゃご」と幸せそうに喉を鳴らした。
その平和な光景に自然と笑みがこぼれる。
美味しい朝食に満たされ、食後の腹ごなしにアイテムボックスから魔煙草を取り出す――。
火を点け、深く吸い込んでから、窓の外で白く煙る大滝へ向かって紫煙を細く吐き出した。
朝の澄んだ冷氣と魔煙草の香りが心地よく混じり合う。
「……シュウヤ、その煙草の香りは、タンダールの朝の氣によく馴染むな」
温かい茶を啜っていたアシュレイが、窓辺の景色を見やりながら微笑みかけてきた。その隣で、山盛りの肉と米を平らげたアキレス師匠が、「ふっ、たしかにな……」と満足げに腹を叩く。
「師匠たちは、この店をよく利用していたのでしょうか」
「いやいや、利用はできんよ」
「ふふ、あぁ、数える程度の利用だ。皆との記念で利用している」
アシュレイの言葉に皆が頷く。
アキレス師匠は、
「ここの店主カシナハは武神寺に寄付をちょくちょくしてくれた手前、わしたちは知っていたが、ジメクやアシュレイたちと武神寺で修業していた頃は、このカシナハの宿は高嶺の花だったんだ」
「へぇ」
「てっきり、お馴染みの店かと思ってた」
レベッカの言葉に、アキレス師匠とアシュレイは目を合わせ、笑うと、
「無論、知り合いは何人かいるが、馴染みではない」
「はい、シュウヤたちだからこその最上級の店の紹介だ。そして、私たちのために活動しているカシナハのためでもある。この山の近くの自然を活かした祭壇の維持にも力を入れている偉人」
「ふむ。シュウヤの昔に言ったが『じんじゃ』に近い施設や文化維持などだな。『かぐら』だったかの」
アキレス師匠の言葉にアシュレイは頷いた。
そのアキレス師匠は、
「しかし、たまに道場の裏で安酒を飲むくらいだったが……こうして最上階の貸し切り部屋で、タンダールの地熱を活かした極上の飯を食える日が来るとはのう。武神に感謝じゃ!」
「えぇ、本当に。これもシュウヤたちのおかげだ。この宿の地熱と滝の魔力は、武を練る者にとって最高の滋養になるからな」
アシュレイの言う通り、ただ休むだけでなく、この都市の自然と魔力が体力を底上げしてくれている感覚がある。
「さて、腹も満たされたことだし、事務所開きをかねて、タンダールの街へ繰り出すとするか。ジンザ、センリ。案内を頼めるか?」
「はい! タンダールの表の道なら、いくらでもご案内しますよ」
「ふふ、兄様は地下都市を訪問した時でも、食べ歩きが好きでしたから」
ジンザが頼もしく胸を叩き、センリがくすくすと笑う。
極上の朝食を終えてから、ジンザたちの新しい事務所の周辺確認も兼ねて、タンダールの街へと繰り出した。
アキレス師匠とアシュレイは武神寺へ顔を出すとのことで、ここで一旦別行動だ。
カリィとカルードとハンカイも【天凜の月】としてメルたちの代わりに【大鳥の鼻】の事務所に顔を出すため離れた。
坂道は霧で視界が悪いが、遠くから大滝の重低音が響く。
啄木鳥の音と鳥たちの声があちこちから響いてきた。
アシュレイから神社のような場所があるということを聞いていたので、皆で、そこに向かう。石段が続く参道へ足を踏み入れると、どこからか、水飛沫の音程に合わせたような篠笛の音が響いてきた……。
……どこか遠く、風の谷を吹き抜ける息吹のような……。
懐かしくも切ない調べ。それが滝飛沫の霧に溶け込み、タンダールの街全体が巨大な楽器になったかのように響き渡っている。
すると、徐々にアップテンポに――。
楽器の音は自然と小さくなると、ベースや和太鼓、三味線を模したような声の重なり――高度なボイスパーカッションを交えたアカペラか。
「かむろぎぃ~、かぁむろみのぉ~、みこともちてぇぇ~」
「ハレの宴に 神楽が舞う~」
祭りの熱氣を帯びたような力強いメインボーカルが響く。
――かむろぎ、かむろみのみこともちて。
まさか、実際の祝詞の一節か。
幾重にも重なるコーラスが複雑な周波数を生み出し、独特の和の音階を激しく、そして滑らかに上下していく。
神々しい詞を乗せた疾走感のある旋律が、アカペラ特有の生々しい響きとなって石畳の通りにビリビリと反響していた。
その小氣味良くも神秘的な歌声に癒やされる。
同時に二人の姿と重なる、長いジンザとセンリの物語を想起させた……。
いつの間にか皆も鼻歌を歌っているし、エトアは楽人コヨの笛を取り出し、キサラはダモアヌンの魔槍をギター化してリズムを取っていた。
まだ音は出していないが、皆楽しそうに鼻歌を歌う。
その透き通るような綺麗な鼻歌を耳にすると……砂城タータイムにいるシャナにも、この歌を聴かせてやりたかったなと想わせた。
皆の足取りが軽くなっているような印象も抱く中――。
朝から活氣に満ちたバラモン大通りを歩く。
むせ返るような鍛冶の熱氣だ。
行き交う冒険者や商人たちの喧騒、だが、そこには殺伐とした疾走感はなく、ゆったりとした穏やかな流れが存在していた。
行き交う皆には、笑顔が多い。幸せな氣分になる。
深い闇社会がこの街に存在しているとは考えられないほどだ。
道沿いには特産の魔導石を利用したタンダール式の机や小物を売る店、そして様々な露店がずらりと並んでいた。
以前この街に来た際にも見かけた、ドワーフの曲芸師や四眼四腕の魔族による見事な演武を横目に、賑やかな通りを進んでいく。
地熱で蒸し上げた巨大肉饅頭や、色鮮やかな『鉱石飴』、甘辛いタレの焦げる匂いを漂わせる串焼きなどが視界を彩る。
「わぁ! エヴァ見て! あの色鮮やかな飴!」
「ん、魔導石を模した『鉱石飴』。キラキラして綺麗」
「にゃお!」
レベッカとエヴァが目を輝かせ、肩に乗った黒猫も同調するように鳴く。
皆が、坂道に密集している様々な店に入っていく。
俺は、武骨な石屋の隣の露店に移動し、お洒落な髪飾りを数個買っていた。
すると、その傍らで野次馬を煽っていた男と目が合った。
以前も見かけた、背に『天上天下唯我独尊』と記された旗を持つ虎獣人の武芸者だ。
「おっ! そこの黒髪の兄ちゃん! その後ろのべっぴんさんたちを守るだけの腕はあるのかい!? 賞金に金貨二枚! どうだ、俺と一勝負!」
虎獣人の威勢のいい挑発に、皆も戻ってくる。
レベッカとエヴァが目を輝かせて俺の袖を引いた。
ヴィーネも、
「ご主人様に挑戦するとは、是非ともに勝利を!」
「しゅうやん、やってみてよ!」
「ん、シュウヤの圧勝まちがいなし」
ジンザとセンリも興味深そうに見守っている。
苦笑しながら一歩前に出て、
「勝負しようか」
と、虎獣人は「おっ、いいねぇ、では行くぜぇ!」と地を蹴り、鋭い爪を立てて突進してきた。
右腕を突き出し、それを見るように普通に横に移動して避けた。
――次は左腕の拳を突き出してくる。
力任せの鋭い連撃だが、昨日のアシュレイや師匠たちとの極限の打ち合いに比べれば、止まって見える。
<風柳・槍組手>をも使う必要はないが、使う――。
足を止め、誘うように諸手にした。
「ハッ、腹がガラ空きだぜぇ!」
虎獣人の突きに合わせ、腕を下ろし――。
素手の甲と、手首の上部で、その腕を柔らかく受け――円を描くように右に流し、俺は<闇光の運び手>の歩法で、スルリと懐へ入り込むまま脇腹に軽く掌底を二発当て、右足と腰をわざと残す。
風槍流『流楽落』――。
隅落としにも似た技を繰り出す。
虎獣人の左足が、その右足に引っ掛かり、円運動のまま、つんのめって、「――うおわッ!?」と、派手に地面を転がった。
ピコーン※<風柳・流楽落>※スキル獲得※
おぉ、スキルを得た――。
虎獣人はポカンと目を白黒させた。
野次馬から「おおぉっ!」と大きなどよめきが上がる。
「……な、なんだ今の動き……。ぜ、全然見えなかったぜ。俺の完敗だ、約束通り金貨二枚を持っていきな!」
潔く金貨を差し出す虎獣人に、俺は笑って首を振った。
「金貨はいい。その代わり、そこの露店の鉱石飴を、俺の連れ全員に奢ってくれないか?」
「へっ? あ、あぁ! そんなことでいいならお安い御用だぜ! 兄ちゃん、粋だねぇ!」
虎獣人が豪快に笑い、色鮮やかな鉱石飴を人数分買い込んでくれた。レベッカやエヴァたちは「ふふ、ありがとう!」と大喜びだ。
そのやり取りを見ていた人ごみの中から、野太い声が響く。
「おおお! やはりシュウヤ殿ではないか!」
「こんな所でお会いできるとは!」
声の主は、額に六文銭の印を持つ丸坊主の豪槍流のゴルゴンと、細身の王槍流のジンだった。昨日、武神寺で手合わせをした八槍神王のランカーたちだ。
「ゴルゴンさんにジンさん。奇遇ですね」
「ガハハ! 今のも見事な体捌きだったぜ! 昨日は本当に世話になった。あの甘味は虎の兄ちゃんに取られちまったからな。そっちの甘辛いタレの串焼きは、俺たちに全部奢らせてくれ!」
街の強者たちからの厚い敬意。ジンザとセンリは、八槍神王のランカーたちが俺に平身低頭する姿を見て、改めて驚いたように目を丸くしている。
皆で賑やかに串焼きや鉱石飴を頬張っている最中。
ヴィーネとユイが、センリの姿をまじまじと見つめてから顔を見合わせた。
「……ご主人様。センリの服ですが……」
「そうね。ずっと暗殺者用の黒装束のままだわ。せっかく呪いも解けたのに、これじゃあタンダールの観光氣分が出ないんじゃない?」
「【天凜の月】の専用服もありますが、私服の買い物もしましょう」
ヴィーネとユイとキサラの指摘に、レベッカとエヴァもハッとしてセンリを囲み始める。
「たしかに! センリちゃん、すっごく可愛い顔してるんだから、もっと明るい服を着なきゃ!」
「ん、センリの着せ替え作戦、開始」
「えっ!? あ、あの、私はこのままでも……きゃっ」
戸惑うセンリの腕を、レベッカたちがグイグイと引っ張っていく。
バラモン大通りにある、色鮮やかな布地が並ぶ高級そうな服屋へと、彼女たちはあっという間に吸い込まれていった。
ジンザは「妹が、あんな風に普通の女の子の顔をして……」と、店の前で早くも目を潤ませている。
しばらくして。
服屋の試着室から、レベッカたちに背中を押されてセンリが出てきた。
暗殺者の黒装束は脱ぎ捨てられ、タンダールの街並みにも似合う、白と淡い若草色を基調とした可愛らしいワンピース姿に変わっている。
小柄な体型にふんわりとしたスカートがよく似合い、どこからどう見ても普通の、愛らしい女の子だ。
「ど、どうでしょうか……。こういう服、着たことがなくて……変じゃないですか?」
顔を真っ赤にして、もじもじとスカートの裾を握るセンリ。
「すっごく似合ってるわよ! ね、しゅうやん!」
「あぁ、すごく似合っている。ジンザもそう思うだろ?」
「……っ、はいッ! 最ッ高に可愛いです、センリ……!」
ジンザはついに堪えきれず、顔を両手で覆って号泣し始めた。
その兄の姿にセンリもくすくすと笑う。
そこで――。
アイテムボックスから、先ほどの武骨な石屋の隣の露店で密かに買っておいた小箱を取り出した。
タンダール特産の、淡い緑色の魔導石があしらわれた綺麗な花の髪飾り。
「センリ、これ、新しい門出の祝いだ。その服にもよく似合うと思う」
そう言って、彼女の髪にそっと髪飾りを挿してやった。
「あ……シュウヤ様……」
魔導石の髪飾りに触れ、センリはパァッと顔を輝かせる。
そして、今度は悲しい涙ではなく、嬉しさに満ちた瞳で極上の笑顔を向けてくれた。
「ありがとうございます! 私、一生大切にします!」
その言葉と笑顔に、俺たちも自然と笑みを返す。
肩の上の黒猫も、「にゃご~」と祝福するように優しい声を上げた。
賑やかなバラモン大通りを抜け、メルたちが確保したという新しい事務所――【天凜の月】タンダール支部のセーフハウスがある区画へと向かって歩き出す。
大通りから少し離れ、住宅や工房が入り混じる坂の多い路地に入ったあたりだった。俺の足首の高さに、透明な極細の糸が張られているのを<隻眼修羅>と<風読み>が捉えた。
足を止めることなく、自然な歩幅でヒョイと跨ぐ。
その直後、頭上の建物の隙間から、泥水を詰めた小さな水風船が幾つも降ってきた。
――子供の悪戯か。
軌道は完全に読み切っている――。
歩みを止めず、右手と左手を軽く翻し、落ちてきた水風船を割らないようにふわりと全て手のひらで受け止めた。
「えぇっ!?」
「全部取られたぞ!」
路地の木箱の陰から、泥だらけの服を着た数人の子供たちが驚いたように顔を出す。タンダールの裏路地を根城にしている流浪の孤児たちのようだ。
子供たちは、
「やべえ!」
「逃げろ!」
と蜘蛛の子を散らすように背を向けた。
「待て待て、怒ってないから」
敵意のない温かい声で呼び止める。
ビクッと肩を震わせて立ち止まった彼らの前に歩み寄り、しゃがみ込んで目線を合わせた。
手の中の水風船を地面にそっと置き、代わりにアイテムボックスから、先ほど露店で多めに買っておいた巨大肉饅頭と鉱石飴を取り出す。
「悪戯に頭と体力を使うくらいなら、これを食って元氣を出せ。美味いぞ」
「え……これ、俺たちにくれるの?」
「あぁ。残さず食え、元氣と笑顔が一番だ」
「うん!」
「あ、ありがとう、黒髪の兄ちゃん!」
「あはは、うん!!」
恐る恐る肉饅頭を受け取った子供たちの顔が、温かい湯氣の匂いにパァッと明るくなる。
「にゃお~」
肩から飛び降りた黒猫が、一番小さな女の子の足下にすり寄った。
尻尾をゆらゆらと揺らし、無邪氣に「撫でていいにゃ」と腹を見せてゴロンと転がる。
「わぁ……黒猫ちゃん、可愛い!」
「すっげぇ毛並みがいい……」
子供たちは相棒の愛らしさに警戒心を解き、わしゃわしゃと撫でては歓声を上げた。
その黒猫も喉をゴロゴロと鳴らしてご満悦だ。
「兄ちゃん、ごめんなさい! そしてありがとう!」
「猫ちゃんもバイバイ!」
お菓子を抱えた子供たちは、俺たちに何度もお辞儀をしてから元氣に路地の奥へ走っていった。
ジンザとセンリが、少し驚いたような、それでいて温かい目で俺を見つめている。
「……シュウヤ様。貴方というお方は……どこまでもお優しいのですね」
「孤児だった俺たちにも、あんな風に手を差し伸べてくれる大人がいれば……ふふ、でも、今はこうしてシュウヤ様たちがいてくれます」
センリの言葉に照れを覚える。
ヴィーネたちは微笑んでいた。
頷き、皆で、再び路地を進む。
すると、前方の急な坂道の上から、「危ねぇ! 避けろぉ!」というドワーフの男の怒声が響いた。
見上げると、車輪の軸が外れた重い荷車が、制御を失って猛スピードで転がり落ちてくる。荷台には大量の魔導石の原石が積まれており、かなりの重量だ。
そしてその直線上には、逃げ遅れて立ちすくむドワーフの母親と、幼い男の子の姿があった。
「――キャアァァッ!」
母親が子供を庇うように抱きしめ、目を閉じる。
直ぐに<雷炎縮地>を発動。
一瞬で二人の前に立ち塞がり――。
迫り来る重い荷車の先端を、<闘気玄装>を強めた片手で、ガシッと受け止めた。
もう片方から先に大きい駒の<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を用意し、親子を確実に守る。
荷車は俺の手のひらの前でピタリと完全に静止した。
子供の母親は唖然として、
「……へ?」
子供はお尻を地面につけて唖然としている。
笑顔を意識し、
「……怪我はないか?」
と、静かに声をかける。
ドワーフの母親は、
「あ、あぁ……! 助けていただいて、何とお礼を言えば……!」
「坊主も、無事でよかったな」
震える男の子の頭を優しく撫でてやる。
「にゃ」
黒猫がひょいと荷車の上に飛び乗り、男の子の顔を覗き込んで鼻先をペロリと舐めた。男の子の顔に、ようやくホッとしたような笑顔が浮かぶ。はは、可愛い。
荷車の持ち主たちも慌てて駆け寄ってきて、何度も頭を下げて感謝を伝えてきた。
そんな人助けを経て――。
目的の場所へと辿り着いた。
大通りの喧騒からは適度に離れつつも、立地の良い頑丈な三階建ての石造りの建物だ。
「総長、お待ちしておりました。街の散策は楽しまれましたか?」
建物の前で、優雅に微笑むメルと、腕を組んだハンカイ、そしてヴェロニカが出迎えてくれた。
「あぁ。中々良い街だ。ここが事前に買っといたという、新しい事務所か?」
「はい。元は中堅の魔導商会が使っていた物件で、地下には広い修練場や隠し通路も完備されています。防犯の魔道具も最新のものを設置し終えました。クナのセーフハウスも近いです」
副長メルは、やはり優秀。
そのメルに案内されて、茶色の玄関口から中に入る。
玄関と地続きの一階は、広々とした清潔なロビーになっており、天井と右側から日差しがたっぷりと入り込んでいた。敷かれている絨毯の質も高そう。家具の調度品のセンスも良い。
かつての暗殺者たちのアジトのような、血生臭さや淀んだ空氣は微塵もない。
振り返ると相棒を抱っこしているレベッカの傍らに、キサラとユイもいる。
彼女たちは、相棒の頭部を撫で、前足の肉球をモミモミしつつ新しいシャンプーについて会話しながら奥に向かう。
天井の魔道具からの光源が、その廊下の先ごとレベッカたちを美しく照らしている。
一枚の絵画にしたくなる瞬間だ。
そして、傍にいるジンザとセンリは、広々とした館内を見回していた。
そんな二人に、
「……ジンザ、センリ。今日から、ここがお前たちの家だ。タンダールのことは任せたぞ」
そう告げると、兄妹は言葉を失って涙ぐむ。
「……私たちの……家……」
「……シュウヤ様。こんな立派な拠点を……我らのような者のために……」
ジンザが感極まって膝をつきそうになるのを、手で制して立たせた。
「ははっ、俺たちはもう仲間だ。遠慮は要らないさ」
「はいッ! 【天凜の月】タンダール支部、この命に代えても守り抜きます!」
ジンザが力強く誓うと、センリも新しいワンピースの裾を握りしめ、満面の笑みで宣言した。
「私も……シュウヤ様と皆さんの居場所を、綺麗にして待っています!」
「おう。魔通貝と光紋の腕輪で、セラ側にいる仲間たちと連絡も取るように」
続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中。
コミック版1巻~3巻発売中。




