二千百四十四話 毒蜘蛛のセンリ
豪勢なタンダール名物の料理と極上の酒が並ぶ円卓の裏、少し離れた静かな一角で密談の席を設けていた。
エヴァたちに、ジンザ、メル、カリィ、カルード、ホフマンの裏社会に精通した面々もいる。
アシュレイとアキレス師匠とエトアたちは、<風牙槌閃>の進化と<天瞬・雷霆時角>の使い用と、槍武術と己の角を活かした頭突きなどについて、楽しそうに、語り合いながら別部屋に移動した。
「ンンン――」
相棒がアシュレイに向かって走っていく。
アシュレイの手には、貝の身が握られていた。
相棒がアシュレイに絡むところを見ていたかったが、ジンザが、
「……私の妹、センリは、無意識に、『符丁』を使っていた」
「『符丁』?」
「はい、首筋の印と同じ、【奈落の澱】で私と妹しか知らない暗号です。地上に出る直前まで、二人で地下を放浪し生き抜いてきた証拠です」
メルも静かに頷き、
「それはセンリさんが、まだ貴方をかすかに覚えている証拠では? もしくは、洗脳が解けかけている兆候を見せたためかもしれません」
メルの言葉に皆が頷いた。
ジンザは、
「私に氣付かなかったフリを彼女がしていたと?」
「その可能性もあります、一流の殺し屋ならば、己の感情を悟られないように、表情筋の動きは、訓練しているでしょう」
メルの考察には、一理ある。
ヴィーネは、
「先程、ジンザさんが、センリの魔点穴の奥底深くに、寄生虫のように呪いの針が根を張っている<傀儡の呪針>のことを指摘していました。それの効果ですね」
「はい、……呪神の作用かもです」
「なるほど。では、センリさんの記憶もその呪針で操作されていると仮定して……彼女が『毒蜘蛛のセンリ』としてタンダールの裏社会で名を馳せているのは、かつての追跡者から身を隠すためではなく、単純に暗殺者としての腕が飛び抜けていたから。都合良く使い潰すために、組織側がいいように泳がせていた……?」
メルの言葉に、皆が思案げな表情を浮かべていく。ハンカイは両手を組んで黙って皆を見ている。
レベッカが、
「特定の組織に属さないフリーの暗殺者として動く必要があったのは確実ね」
ジンザは頷く。
カリィが短剣『怪士ノあやかし』を指先で器用に回しながら、悪態笑顔を深め、
「アハ♪ ジンザも一流の仕事人だから、君を、【呪渦の顎】が選んだ理由を考えるに……実は、君たちが兄妹だってことは知らないのでは?」
「あぁ、そうかもな」
「ん」
エヴァも頷いた。
カリィは、
「アルフォードのような存在がいるなら別だけど、でも、<千里眼>のような能力も完璧ではないからネ」
皆が頷く。
キサラが、
「では、すみません、口が悪くなりますが……限界が近づいて用済みになった暗殺者、『毒蜘蛛のセンリ』。その始末を、【呪渦の顎】は、凄腕の外部に丸投げをした?」
その推察が正しいかも知れない。ジンザの顔色が悪くなる。
ヴィーネは、
「二人の出身の【奈落の澱】からの追跡があるように聞きましたが……このタンダールにおいて、それらの地下都市からの暗殺者とは遭遇をしていないのですね?」
ジンザは頷いて、
「仕事柄、ないとは断言できないですが、はい。そのはず。地下も広大ですし、地上も色々な都市がありますから」
と言うと、皆が頷いた。
「それはありえる」
すると、カルードが腕を組み、
「……【大鳥の鼻】はこの都市の最大手。対して【呪渦の顎】は中小に過ぎません。奴らは旧神ゴ・ラードの呪いを与えて暴走させた【天衣の御劔】や【髑髏鬼】の残党をけしかけ、最大手と共倒れさせるという冷酷な盤面を描いた。そして……皆様の推察通り、センリ殿の持つ『魔脈を腐らせる力』は、そうして暴走させた後、用済みとなった化け物たちを秘密裏に処分するのに極めて有効なのです」
「つまり、彼女は暗殺者としてだけでなく、暴走した化け物たちから組織のアジトを守る『生きた盾』として、最前線で使い潰されているということか」
俺の言葉に、ジンザが苦痛に顔を歪めた。
ホフマンが燕尾服の裾を揺らし、不気味に肩を揺らす。
「クク……その呪針の維持には、強烈な毒の魔力とアズラの呪詛が濃く溜まる環境が必要ですな」
その意見に、カルードが、
「では、情報の少ない【呪渦の顎】の関係どころは、樹海や地下に近い、タンダールのどこかですな」
「……条件に合致し、身を隠すにも最適なアジト。鉱山タンダールの地下ならば好都合か、屋敷も岩だらけの山のどこか……」
と俺が言うと、メルが、机に拡げられている鉱山都市タンダールの資料と地図に指を差し、
「……【大鳥の鼻】の縄張り外で、強烈な毒の魔力が淀む場所……。旧第七魔石坑道の奥深くだとすれば、条件に合致しますね」
「あぁ、そこの地下はタンダールの暗黒街、戦争通りにも近いからありえル♪」
カリィの指摘に、地元のジンザも深く頷いた。
場所は決まりだな。
「宴会はここまでだ。センリを助け出し、外道どもをまとめて掃除するぞ」
傍らで聞いていたユイやエヴァ、レベッカ、ヴィーネ、キサラたちが強い怒りを宿した瞳で立ち上がった。
たった一人で化け物の群れから外道なギルドを守らされ、用済みになれば兄と殺し合わせようとする。
そんなふざけた真似を、見過ごすわけにはいかない。
「ん、許せない」
「えぇ、絶対に助け出しましょう」
「ジンザさん、俺の後ろから離れるなよ。必ずセンリを取り戻す」
「ンンン――」
廊下側から相棒の喉声が響く。
「……はいッ! シュウヤ様!」
相棒と合流し、皆で、夜のタンダール地下へ向けて、宿を抜け出し静かに出撃した。
□■□■
タンダール地下深層、旧第七魔石坑道の奥に位置する廃砦。
有毒な魔力が淀む広場は、凄惨な血肉の匂いと狂氣に満ちていた。
「ギガァァァァッ!」
旧神ゴ・ラードの呪詛に呑まれ、肉体を醜悪な異形に膨張させた【天衣の御劔】と【髑髏鬼】の残党が、津波のように押し寄せてくる。その群れの先頭を歩くのは、【髑髏鬼】の元三副長の一人、『巨刃のバルボ』だった。
顔の半分から無数の呪触手を蠢かせたバルボは、自我を失った狂聲を上げながら、身の丈を越える大剣を暴風のように振り回す。
その圧倒的な凶刃と呪氣の前に立つのは、小柄な一人の女性――『毒蜘蛛のセンリ』。
彼女の瞳には光がなく、まるで精巧な人形のように無感情だ。
バルボの放つ必殺の大剣が、岩盤を豆腐のように叩き割る――。
センリは舞うように、その一撃を紙一重で避けていく。
次の連続とした突きも華麗に避け、「……無駄」と小声で言い、指先の角度を変化させた刹那――。
半透明の扇子が出現し、目眩ましのようにバルボの上空を舞った。
扇子には、無数の蜘蛛の幻影と糸のような魔線が出現している。
巨漢の視線が斜め上へ誘導された隙を突き、宙を翻るセンリ――その細い指先には、すでに黒く変色した暗器が握られている。
着地と同時にバルボの懐へ音もなく肉薄し――黒塗りの暗器を、胸元の十六経の魔点穴へと正確に突き立てた。
「……」
バルボの体内を巡る強靭な魔脈がどす黒く変色し、呪いのオーラごと爆発的に腐り落ちていく。
絶叫すら上げる間もなく、強者であった巨漢の魔剣師が、内から溶け出した汚泥のように崩れ落ちた。
だが息つく暇もなく、「そこだァァッ!」と狂聲を上げながら、旧神の呪詛に侵された新手の者たちが暗がりから次々と這い出してくる。
「ふぇふアァァ――」
「お前は、タベル――」
「女だァァ」
センリは無表情のまま、微動だにしない。
群がりに飲まれかけるが、振り下ろされる大剣の雨を――すべて見切るように紙一重で避けた。
そして、ゆっくりとした動きにも見えるが、<魔闘術>を一瞬で四系統使いこなし、猿臂のように腕をしならせる――。
直後、一人の頭部が破裂。続く二人の首が不自然に折れ曲がり、三人目の両腕と両足は、逆方向にねじ切られていた。
センリは死の指先を振るい続け――次の旧神の呪詛に侵された新手の者には低空から近付くと――。
宙空に、半透明な扇子が出現し、黒い『呪』の文字が浮かび上がった刹那――。
十三人の暴走者の額に漆黒の針が同時に突き刺さる。
毒蜘蛛の幻影が彼らの顔面を這い回るように広がっては頭部が内から破裂していった。
中小ギルド【呪渦の顎】は、最大手である【大鳥の鼻】を潰すために禁忌の呪いを利用し、その後始末を彼女たった一人に押し付けていた。
彼女は狂氣の防波堤としての役割を強要されていた。
群がる敵をすべて処理し終えたセンリは、ふらりと、糸の切れた人形のように岩壁に寄りかかった。
首筋に深く埋め込まれた『傀儡の呪針』がドクドクと禍々しい光を脈打たせ……彼女のわずかな感情と記憶を濃い靄で覆い隠していく。
光を失った瞳のまま……遠くの虚空を見やる。
かすかに口が震え、
「……だあれ? 私を知っているの? ふふ……」
壊れたように呟く。それでも細い指先は無意識に動き、握りしめた暗器で硬い岩壁に小さな傷を刻み込んでいた。
それは遠い昔、過酷な【奈落の澱】を生き抜くために、ただ一人の兄とだけ交わした符丁。
心が完全に死滅する前に魂の奥底が発する無言のSOSだった。
その後方の安全な高台から、【呪渦の顎】の幹部、呪術師ザイラスと剣士ゲオルグが毒酒を煽りながら冷酷に戦場を見下ろしている。
「フハッ。旧神の呪いの後始末には便利だが、あの毒蜘蛛もそろそろ呪針の限界で壊れるな。動きに精彩がなくなってきた」
「あぁ。完全に暴走される前に、外注した殺し屋にさっさと処理させよう。凄腕と名高いジンザだ、手間はかからんだろう。あの化け物を始末すれば、この地下は我ら【呪渦の顎】のものよ」
幹部のザイラスたちは、冷酷な嘲笑を旧第七魔石坑道の闇に響かせていた。
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