二十話 旅立ち
2023年2月1日 20:33 修正
「行くぞ」
ラグレンは崖下へ続く小さな道を行く。
俺も足でポポブムの腹を押すように叩き、ポポブムを進めた。
崖下に進んでいると、
「しゅうや兄ちゃぁぁんっ!! 元気でねぇぇ! それからぁぁ、わたしもぼうけんしゃになるうぅぅぅぅ!!」
レファの大声だ。前方にいたラグレンも当然聞こえている。
「――ぶはっごほっごほっ」
と息を吐き出し詰まらせた。ラグレンは急ぎポポブムの手綱を引き振り向くと、俺に話しかけてきた。
「レファは……シュウヤに影響されたようだな?」
「えっと、すまん……」
「いや、良いんだ。レファが決めることだしな? それに、シュウヤが出ていくと言った時の、レファの悲しみの表情……親としてすごく胸に響いた。だから、レファが望むことはできるだけ叶えてやりたい」
「そうだよな……」
大切な自分の娘だもんな……。
「シュウヤも娘を持てば解るさ……」
ラグレンはそう語ると、手綱を握り直す。
「娘……俺は無理だよ」
この世界に好きな人、愛する人ができるんだろうか?
いや、それ以前にヴァンパイア系だからな……。
すると、ラグレンはまた振り向き、ニヤリとした。
「ははっ、分からんぞ? 数年後に俺の娘なんてどうだ?」
「えぇ?」
「ハハハ、冗談だ冗談。娘には誰一人触れさせん。男なぞ認めんワ!」
「はは……」
語尾が怖い、レファは将来苦労しそうだな……。
「さっ、ここから下は更に急な坂があるぞ。一気に行った方がいい」
そう言いながらラグレンは手綱を握り、ポポブムの速度を維持させながら降りていった。
下を見ると、急な下り坂になっている。
「行くかっ」
手綱を強く握りラグレンの後を追う――急な坂道を岩肌に沿う形でぐるぐると回るように下へ下へと降りていく。
一時間ぐらい降りただろうか?
うぉっ、狭!
目に入ってきたのは、山岳地帯特有の幅の狭い険しい稜線だった。
今度は上りだ。
俺とラグレンはポポブムの手綱を握りしめ、慎重にその稜線を進む。
ナイフで切ったような狭い稜線の幅はポポブムが通れるぎりぎりの幅しかなく、思わず冷や汗が噴き出していた。
この辺は歩いた方が速い気がするが、しょうがない。
荷物もあるし、ポポブムが通れる道は限られている。
また下りだ。
そんな上り下り激しい狭い山道が終わると、今度はガレ場の太い道が出現。
暫く下り道が続く。
ポポブムは歩き難そうにその岩を慎重に踏みしめていく。
ガレ場が終わると、高山植物が至るところに生えている山道になる。
これは地球の花に似ているな――。
紅い花、シモツケソウだったっけ、白い花もある、なでしこなんとかって名前のピンクの花もある。似ているだけで、種類も名前も違うのだろうけど。
花々が咲く一帯を通り抜けると、急な下り坂に変わり、木々が多く繁る森林地帯へと様変わりしてきた。
「この森林地帯の先には滝がある。モンスターは出ないと思うが、出現したら狩るぞ?」
「了解、ラグレンはいつもこの辺で狩りを?」
「そうだ、傾斜を下り滝の下へ降りて、エルフの領域近くまで行く時もある」
「もっと下か」
滝かぁ。その話から想像するに……高そうだな。
「下といっても、急激な崖は後一つだけだ。その後は、つづら折りの道もあるが……まぁこの先の滝を越えれば楽になるだろう」
「分かった」
「にゃっにゃお」
と、黒猫も何故か鳴いてラグレンに返事をしていた。
そんな黒猫の態度に驚いたのか、ラグレンは眉を大きく動かし、黒猫へ顔を向ける。
「これは、神獣様。ご機嫌は大丈夫ですかな?」
「にゃお」
黒猫は一鳴きすると、小さい鼻を少し膨らませて尻尾を左右へ揺らし始めた。
『楽しみ』とか『遊べる』とか考えてそうだ。
ドヤ顔ぎみなのが少し笑える。
「おぉ、それは良かった」
ラグレンは黒猫の返事に笑顔で頷く。
そんなやりとりをしながら、なだらかに続く斜面をポポブムの重い足取りで降りていく。
下りが終わると森林地帯になった。
ここ、山裾を覆う木々が邪魔だ。
だけど、ラグレンが鉈のような武器で枝や細い木々を切り刻み道を作ってくれたので楽に進むことができた。
すると、川の流れる音が耳に届く――。
ラグレンは乗っているポポブムを音の方向へ向けていた。
どうやら川の方へ向かうらしい。
ついていくと、水の流れる音が強くなった。
お、見えた。川は激流の岩場だ。
ラグレンはポポブムから素早く降りて、岩場を歩く。
端に着くと、腰を屈めて激流の川の中へ太い両腕を突っ込んでいた。両手で作った椀で水を掬いあげて顔にかけている。
何回か水を掬い顔を洗ってから美味しそうに水を飲んでいた。
洗顔のCMに使えそうな勢いだ。
水筒も川の中へ乱暴に突っ込むと、激流にしばらく浸してから掬い上げている。
「――知っていると思うが山脈の水だ。水筒に入れることを勧めておく」
「うん。そうしとく」
俺は水が作り出せるから大丈夫なんだけどね。
だけど、綺麗な山の清水のようだし、容れておくか。
ラグレンの真似をして、激流に水筒を浸す。流れが速いので、水筒が川下に持っていかれそうになるが、耐えて浸し続ける。
水筒が満杯になったのを確認してから持ち上げた。
「水も補給したし、先に行くぞ」
「分かった」
そこから川沿いを南下した。
「この先に崖があり大きな滝がある。そして、急な坂につづら折りの山道がある」
「了解」
ラグレンが話していた通り、川の水が崖から流れ落ちて滝へ変貌を遂げていた。
崖の横下には斜め下へと延びている丸太橋が見える。
あれに乗るのか。
橋は丸太が四重に引き締め合った状態で岩と岩の間で固定されてある。
丸太の橋は頑丈と分かるが、直ぐ下は崖であり、滝だ……。
ポポブム、頼むぞ。と思いつつ一歩ずつ丸太橋を進ませる。
――ザァァァッと、急流の轟音は凄まじい。水飛沫も飛び散っている。
急流はモノスゴイ速度だ。川は崖の下へと流れ落ちている。
夥しい量の水が水飛沫となって空中に消えていた。
水の翼が飛び立つようにも見える。
怖い。ポポブムはそんな俺の気持ちなど関係なく、ゆっくりと丸太の上を進む。
黒猫もジッとして、動かない。
ポポブムが歩く度に、みしっみしっと、丸太からきしむ音が……心を削った。
思わず下を見てしまう。
――うひゃっ。
しょんべんちびる、は大袈裟だが、自然と声が漏れていた。
ラグレンが厳しい視線で俺を捉える。
しょうがないだろう……。
ポポブムに乗っていると正直びびるよ。
滝の下を覗くと、何百メートル下にまた森が見える。
――高、怖っ……。
丸太橋の真下には川が激しく流れているんだからな。
岩場に衝突した水が弾ける水飛沫が段々と激しくなってきている。
湿気も多く、丸太や岩場には苔がびっしりと生えていた。
その湿気と苔により、ポポブムが歩く丸太が滑りやすくなっているんじゃないかと心配になってきた。
ポポブムの足は太い。
太いからこそ重量が気になってしまう。
ラグレンは手綱を握りながら何度か此方へと振り返り、俺が不安そうな表情になっているのを察したのか、笑みを浮かべて安心させるように話しかけてくれた。
「……安心しろ、この丸太の橋はかなり頑丈だ」
「うん。でもコイツ重量ありそうだから……」
ラグレンは俺が弱気の口調になっているのを見て、笑みを増しながら喋る。
「ははっ、意外に高い所が苦手か?」
「べつにそういう訳じゃないんだけど」
はい、実は強がりです。
「ほら、もうすぐ丸太の橋は終わりだ」
おおぉ、終わった。
「良かった」
丸太橋は無事に終わったが、急な土手はまだまだ続いていく。
つづら折りになった坂道。
手綱をしっかりと握り、慎重にポポブムを進めた。
坂道か。こんなの楽勝だ。
先ほどの滝のほうが怖かった。
やがて、つづら折りの山道はなだらかな斜面へ変わる。
徐々に坂道は平坦な山道に変わっていた。
お、やっとだ。
最後の斜面からポポブムの重そうな片足が離れて平坦な地面に降り立った。
ここが一番下か――。
滝壺から降りてきた坂道と、下から上へと眺めた。
上では急流に見えた滝だったが……。
滝の水が岩や崖に当たって砕け散った水飛沫が上昇気流の風に乗る。その滝だった水飛沫を風が吹き上げて、上空を白い霧に変えていた。
エレガントな水気を帯びた霧の翼か……。
その水蒸気的な霧の翼は、一気に下降気流に乗って、俺たちの所に吹き下りて来ている。
ほぁ、気持ちいい風――水の風のまにまに空を飛びたいな。
マイナスイオンか?
すぅ〜と息を吸う。すぅ~、ふぅ~、気持ちよかばい。
と、綺麗な空気を吸い込んで吐き、深呼吸していたが、その脳内では、何故か九州弁の訛り声が響いていた。
ラグレンは何も言わずに待っている。
その態度に甘えるように雄大な景観を楽しんだ。
近くの湿った崖では、樹木の幹が崖を覆うように大量にあちこちへ伸びて成長を遂げている。
そこから僅かな水流が岩肌や樹木を伝い、ちょろちょろと流れ落ちて沢を形成していた。
やはり、滝から吹き下りる水気を含んだ風が、周りの自然を作る養分になっているのだろう。
それにしても、大きい樹木だな……。
側にある樹木の幹に手を触れる。
茶色の太い幹。この太い幹の木々は崖を支えるように育っている。
師匠と最初にキャンプをした時の大木が小さく感じられるほどだ。
そこで、崖の反対を見ると……。
小さな川が支流を作り森林地帯の中へと続いている。
大自然の入り口が出迎える感じだ。
ここからが、本格的な森林地帯。
その森で、何かの気配を感じる。
掌握察に引っ掛かったのは、川の向こうにいる鹿だ。
袋角の生えた牡鹿と牝鹿の群れだった。
ラグレンも気付いていたのか、視線を鹿へ向けている。
「あそこに鹿がいる。だが、今日は無視だな」
狩りをしたそうな顔だ。そんなラグレンに質問した。
「ここには色々な動物たちが出現する?」
「あぁ、この辺りは獲物は豊富だ。その分モンスターも多いがな?
おっと――噂をすれば、出たぞ」
ラグレンが視線でそのモンスターの位置を知らせてくる。
木々の上に数匹の猿が現れていた。見た目はヒヒを大きくしたような感じだ。頭に縦に生える黄緑色の毛がモヒカンのように目立つ。
口端には二本の大きな牙が生えていた。
かなりの数がいるぞ……。
キーキー、ギー、ガー、と猿のような鳴き声を発し、興奮している感じだ。
「マウンテンエイプだ。あそこに数匹見えるが、周りの木々にはもっと隠れているはず……今は様子を見ているだけだが、直ぐにでも襲ってくるぞ」
そう話した後、ラグレンは武器を交換。
鉈のような武器をしまい、背から巨大な斧を取りだす。
「何か対策は?」
「近付いてくる奴だけを狙えばいい、凶悪なモンスターだが、俺やシュウヤなら問題ない。それと、飛び道具は何でも投げてくるが、まず当たらない。あの牙だけ気を付ければいい。しょせん猿系だ」
「分かった」
俺はポポブムの鞍の背にある黒槍を取り出し、穂先を覆っていた布の鞘を外す。そして、騎士がランスチャージをするように右手と脇で黒槍を持ちながら構えた。
先にラグレンがポポブムを蹴り、駆けていく。
その動きに釣られたのか、ラグレンに群がるようにマウンテンエイプが何十匹と飛び掛かっていくのが見えた。
マウンテンエイプは、一、二メートルぐらいの大きさ。ラグレンは巨大な斧を振り回して近寄る猿共を確実に葬っていく。
俺にも、凄い形相を浮かべた猿が口から牙を剥き出した状態で襲いかかってきた。
と俺を守るように黒猫が飛び出していく。
襲い掛かってきた猿の体へとカウンター気味に触手骨剣を喰らわせていた。
突き刺した触手を収斂させて一瞬で猿へ近寄ると、猫から黒豹っぽい黒い獣へと素早く変身。
そのまま猿の体へ爪を立てながら抱き付くようにしがみつく。
黒い獣のロロディーヌは、獣の本能のような唸り声をあげた。
鋭い牙を見せながら猿の首筋に噛み付き、肉を引きちぎる。鮮血を浴びながら、噛み殺した猿の死骸を踏み台にして跳躍を行う――。
違う獲物へ移っていった。凄い、姿は黒豹と似た黒い獣だが、やはり、神獣だ。
「っと!」
のん気に見ていた俺にも猿が襲い掛かってきた。
口を広げて俺に噛み付こうとする猿。
自然とランスチャージを解いて片手に持った黒槍を反射的に前へ伸ばす。
黒槍の刃は猿の眉間を突き破る。豆腐を刺すように容易く頭部を貫いた。
一瞬、黒猫の戦いに気を取られたが、ポポブムに乗りながらでも、冷静に黒槍を動かし対処できた。
そこに左からまた違う猿が俺に噛みつこうと飛び掛かってくる。
――即座に反応し、血濡れた黒槍を引き抜きながら、コンパクトさを意識して黒槍を振るう。猿の頭部を右側から石突部位で叩き潰してやった。
続けて襲いかかってくる猿共を、一匹、二匹と、順調に殺していく。
そのタイミングでポポブムの下腹部を足で軽く叩き、一段階ギアを上げるように速度を引き上げた。
ポポブムの手綱を離し、左手を自由にする。
鞍を押さえるように両足の内股に力を入れた状態で、自由になった左手を斜め上へ向け<鎖>を放出した。<鎖>は一直線に直進――木々から飛び掛かろうとしている猿の胴体を突き抜けて後ろの猿も貫くと、最終的に木の幹へ先端が突き刺さり止まった。
一気に二匹撃破。
瞬時にその伸びている<鎖>を消す。
まだまだ猿は多い。
次々と俺へ迫る猿共。
右手に持つ黒槍で猿を突き、猿を払い、猿に叩き付け、猿へ<刺突>を撃ち放つ。
更には<導想魔手>を発動――透明な魔力で構成された歪な魔手がククリ剣を引き抜き、後方へ向かわせる。
後ろから迫る猿たちをククリ剣が迎え撃った。
俺はポポブムに乗りながらの戦闘は初めてだったが、流れるように連撃が決まり、次々と殺すことができている。
<魔獣騎乗>のお陰だな。
最初に中世の騎士を真似してランスチャージをやろうとしたが、自然と解いて、訓練で身に付いている槍の動きを行っていた。
ま、当たり前か。槍を脇の下で抱えるランスレストも無いし。
それと、<鎖>は恒久スキル<鎖の念導>のお陰で自由自在に動かせるようになっていた。
ポポブムに乗りながらでも正確に獲物を狙うことができる。
この自由自在な<鎖>は戦術的にかなり重要だ。
今後は攻撃だけでなく、防御、フェイク、奇襲、移動にも使えるだろう。もっと柔軟になって考えれば、この<鎖>でありとあらゆることが可能になるかもしれない。
可能性は無限大。螺旋のパワーだ。
大きいグラサンが欲しくなるな?
そんなアニメのことを考えてニヤつき、<鎖>を自由自在に動かして試していった。
黒槍も同様に振り回し、馬鹿の一つ覚えのように迫ってくる猿共を次々と突き殺しながらポポブムで駆けていく。
そうしたラグレンと俺の連撃が功をそうしたのか、マウンテンエイプの数は減っていった。
仲間の数が減ったのを理解しているのか分からないが、マウンテンエイプのリーダー格だと思われる猿が今までとは違う質の奇声をあげ始める。
撤退の合図か?
音に釣られるように猿共が俺たちから離れていく。
ラグレンと俺はそんな猿たちの行動を確認。
互いに頷き、ポポブムの速度を緩めて動きを停める。
辺りを確認していると、「ンン、にゃぁっ、にゃぁん」と声が聞こえ、獲物の返り血によって全身が赤く染まっている黒猫が走って追い付いてきた。
ラグレンはその姿を見るなり、繋がりそうな太い眉を僅かに離して驚きの表情を浮かべる。そのまま心配そうに話し出した。
「――神獣様、大丈夫ですか?」
「にゃっ――」
『大丈夫にゃ』的な軽い返事をした神獣こと黒猫は、犬のように頭や体をぶるぶると揺らし、返り血を四方八方へ飛ばしていく。
「……さっきロロディーヌの動きを少し見てたけど、凄かった。まさに獲物を追いかける獣のように狩ってた」
「ほぅ……流石神獣様だな」
「あぁ、確かに神獣だ――って、元の猫の姿に戻ってる……」
ラグレンも不思議そうに黒猫を見つめた。
「不思議な神獣様だ」
「ああ」
ラグレンは俺の短い返事に頷くと、周りに視線を移しながら口を開く。
「――しかし、マウンテンエイプの死骸をこのまま放っておくのはもったいない。シュウヤ、皮を回収したいから手伝ってくれるか? ポポブム一頭分だけでも回収しときたい」
「勿論手伝うよ。それに、コレに血を入れておかないと」
と、水筒を手に持ち揺らす。
「おお、そうか、そりゃそうだな。それじゃ、さっそく」
ラグレンはポポブムから降りると、ナイフを使い、マウンテンエイプの皮を剥ぎ取っていく。
俺もナイフで剥ぎ取りを手伝う。
この獲物を剥ぎ取る作業は、だいぶ手慣れた手つきになったと思う。
きっと傍目から見たら、自信に溢れる顔つきになっていることだろう。
我ながら上手くなったと思う。
ラグレンみたいな職人クラスとは言わないけどね。
一段落してから、皮水筒の中へ猿の血を注ぐ。
これで三つの水筒は、血、水、水で満杯に成った。
血は死骸からでも大丈夫だが、味は落ちるんだよなぁ。
やはり、生きてる方が遥かに旨い。
だが、今回は我慢だ。
酸っぱい葡萄か甘酸っぱい葡萄的な違いだが……。
あらかた猿の皮の回収を終えると、ラグレンのポポブムの鞍の背が嵩張る荷物に変わっていた。
「回収ありがとな。なんだかんだ言って最後まで手伝わせてしまった」
「良いよ。案内してくれるだけでもありがたい」
「はは、そう言ってくれると嬉しい。よし、エルフの領域はまだ先だ。先を急ごう」
ラグレンは笑いながら手綱を操り先導してくれる。
そこからはモンスターの姿は遠巻きでしか見なくなる。
その代わり、近くで見えたのは動物と森の気まぐれのような木漏れ日による幻想的な光景だった。そんな光景には目を奪われるが、天然の要害のように進みにくい地形に変化しているので、ポポブムの足も自然と遅くなっていく。
ここは太くて背丈の高い樹木が多い。
天然の大岩や見たことのない動物たち。
しかし、整備されていない森の道を進むのがこんなにも大変だったとは。天然の凹凸は厳しいね。これが歩きだったら、もっと大変だっただろう……師匠に感謝だ。
そんなこんなで数時間経って――夕暮れ時。
エルフの領域に近付いたのか、ラグレンは大樹の前で動きを止める。
「エルフの領域まで後二日半ってとこだ。もう夕暮れ時だし、ここで一旦野宿としよう」
まだ二日もあるのか。
「了解」
ラグレンはポポブムから降りながら話を続けた。
「夜になれば、エルフの斥候が俺たちの火を見て気付くかもな」
夜にか、視力が良さそう。
「エルフは、そんなに夜目が利くのか?」
「エルフ族が全て夜目が利くとは限らないと思うが、俺が会ったことのあるエルフは全員夜目を使えるようだったな……」
「へぇ……」
ラグレンはそんなエルフに関する情報を語りながら、ポポブムに繋がれた手綱を木に巻き付けている。
「それじゃ、この辺で焚き火の薪と夕食用の大きい獲物を探してくる。この木の根にポポブムを繋いでおくから、一応、ここで待っといてくれ」
「分かった。手伝わなくていい?」
「大丈夫だ。ポポブムを見ておいてくれ」
「了解」
ラグレンはそういうと、巨大な斧を肩にかけ森の羊歯の茂みの中へ消えて行った。
一時間ぐらい経っただろうか……。
ラグレンはまだ戻ってこない。
辺りはどんどん暗くなっていく。
すると、森からガサッと音がした。黒猫と俺は、その音の方向を凝視する。
「――すまんな、待たせた。薪はすぐに集め終わったが……つい、獲物を取りすぎた」
ラグレンだった。
その腰には、子兎、アライグマやビーバー系の獣に子狐? が数匹付いていた。
凄いな。ラグレンって、狩人のレベルを超えてるよな……。
この短い時間で獲物取りすぎ。
「それにしても、獲物の数が凄い」
「ああ、俺は斧や鉈だけじゃないからな、コレを使って遠くの獲物も狙える」
ラグレンが見せたのは小さな皮布と石。
その皮布で石を包んでブンブンと振り回し、石を投げつけていた。
――シュッと音を立てて飛んでいくと、木から鈍い衝突音。
石は木にめり込んでいた。
「おおっ」
石の威力も凄いが、ラグレンの腕力も凄い。普通は一回の射撃に十秒や二十秒は掛かるはず。更に言えば、狙いも正確だし。
「この通り威力も中々だ。音に敏感な獲物や遠い獲物はこれで仕留めるのさ」
「凄い」
「はは、狩りには慣れてるからな。よし、そろそろ食事の準備をしよう。薪はここに置いて、火は後で点ける。他にもやることがあるからな」
ラグレンはポポブムの鞍に付いてる袋から、白っぽい木屑に葉が乾燥した何かと黒い粉が入った袋、最後に細い骨筒二本を取り出す。
骨筒? 何に使うんだ?
その筒に注目しながら、ラグレンの行動を見守る。
ラグレンは周囲を歩きながら白っぽい木屑を撒いていく。
あれは、師匠もやっていた。
虫避けのカチョの木屑だったっけか。
撒き終えたラグレンは火でも点けるつもりなのか、薪の側に戻っていた。
そこで、火打ち石では無く、細い筒の先に黒い粉を詰め込むと、太い筒の内側に細い筒を差しこみ、一気に中へと押し込む。
――すぐにその押し込んだ細い筒を取り出していた。
へぇ……。
細い筒の先が赤く燃えているのを確認できた。
その火種を予め置いた乾いた草と薪へ付け、慎重に息を吹き掛けている。
ボッと火種から薪へと火が燃え移り、あっという間に火は強くなった。
骨筒に入れたあの黒い粉は炭か?
空気圧の摩擦を利用するのか……。
「<生活魔法>があれば一発なんだがな?」
ラグレンはそう話している最中にも、手を動かしていた。
兎の皮を剥ぎ取り、肉を切り出していく。
その肉にナイフを突き刺し、今度は何かの香草? を取り出している。それを肉に巻き付けてから、肉の内部に乾燥した何かを入れて、火の近くに並べていく。
「魔法といえば、<生活魔法>ではなく、言語魔法と紋章魔法が主流だとか、アキレス師匠が話してたよ」
「その通り、俺はエルフが使うのを見たことがある。なにやら言葉……詠唱か、を言った後に火の玉や風が起こるのをな。中には指輪や杖に宝石を使い、詠唱なしでも魔法を使える魔道具系の武器もあるらしい」
やはりファンタジーの王道だ。魔法、見てみたいな。
「まさしく魔法……見てみたいかも」
そういえば、ラグレンや師匠が魔法らしい魔法を使ってるところはあまり見たことがない。
ラビさんが料理に<生活魔法>らしき火を使っていたのを何回か見ただけだな。
「これから先、嫌でもたくさん見ることになるさ……このビビラも焼くぞ?」
ラグレンはそういうと、そのビビラの肉に木の棒を突き刺し、焚き火に当てながら回して焼いていく。
棒を回しながら、ラグレンは懐から小さい陶器の瓶を取り出し、肉へ何かを振りかけていた。
すると、香ばしい匂いが漂ってくる。
「焼いた兎肉は美味しいぞ~、この太いビビラも旨い」
確かに、分厚い肉だ、旨そうでテンションが上がる。
「ビビラ肉は分厚いねぇ、肉だ肉~」
「先に兎の肉が焼けているから取れ」
兎の肉はよく焼けていた、肉汁がナイフの柄の下まで垂れている。
「うん、貰うよ。今ふりかけていたのはセリュの粉?」
肉を見ながら聞いてみた。
「これか? そうだ、セリュの粉だ。肉を焼くときに時々かけて食べる香料だ。クルックの実じゃないが、似たような香ばしい香りになる。クルックの実はエルフがいうには金貨クラスの高級品だからな。ま、そんなことより、早く兎肉を食え」
アキレス師匠もセリュの粉を振りかけていたし、意外にゴルディーバ族はグルメ?
ま、当たり前か。いつも狩猟生活してるんだし、それに特化した調理法もマスターしてるよな。
勧められた通りに、焚き火に並べてある兎肉ナイフへと手を伸ばす。
一緒に焼いてある香草を先に取りながら、肉汁滴る肉を口へ運んだ。
おおぉ、ほふぉほふぉ、あつい、けど、うまうまだ。
さっぱりと香ばしいのは、セリュの粉だな。
だけど、フルーツの味が濃くなってきた。
「うまうま……表面はさっぱり風味だ。しかし、中はオレンジっぽい味がする」
「ははっ、それはオレンジとかいう名ではないぞ? サイカという果実で、それを乾燥させた皮だ。肉の臭みを取る香草に似た作用をしてくれるから重宝している。ほら、食え食え、ビビラはもっと旨いぞ」
これ、オレンジに似た味だけど、サイカという名なのか。
「にゃ~にゃっにゃ!」
黒猫が鳴いている。
わたしにもくれよっ! と言わんばかりの鳴き声だった。
「おっと、神獣様の分もあるから安心してください」
ラグレンは嬉しそうにそういうと、焼いた兎肉とビビラの肉を葉っぱの上に丁寧に添えて、黒猫の目の前に置いた。
「にゃお」
黒猫は嬉しそうに鳴くと、それを食っていく。
顔も嬉しそうだ。
ほくほくと食ってる食ってる。
あ、俺より多いような……。
「ははは、神獣様はよく食べる」
ラグレンは調子に乗り、どんどん葉っぱの上に肉を乗せていく……。
「ラグレン、あんまりあげ過ぎは良くないと思う」
あ、思わず言ってしまった。
「そうか? ビビラ肉ならまだあるぞ」
「にゃお」
黒猫は声を発すると、ラグレンの頬へと触手を伸ばしていた。
「おぉ、神獣様の気持ちが伝わる……」
「何て?」
「満足したぞ。的なことだと思う……」
本当に黒猫は満足したらしく、頭を掻くように口元へ前足を動かし、ペロペロと小さい舌で足先を舐めている。
「それじゃ、このビビラ肉貰うね」
待っていましたとばかりに残りのビビラ肉をどんどん胃の中に詰め込んだ。
大人げないかも知れんが、この焼き肉、分厚くてうまいからな。
肉を噛んでいく。うまうま。セリュの粉、肉に合うなぁ。
まだ肉は余っていたが、大いに満足。
ラグレンもにこやかに笑いながら、伸びた髭を掻いていた。
黒猫も『満足だにゃ』的に前足を洗っている。
ペロペロタイムが続いた。
今は焚き火の側でぽこっと大きくなった腹を横へ向けている。
相棒は火を眺めながらぼぉっとしていた。
紅色の光彩と黒色の瞳で構成されている可愛い双眸。
無意識を凌駕するようなちゃんとした意識があるのだと感じさせる。
ラグレンは余った肉を取ると、その肉の一部を香草の葉っぱにくるんで袋に入れた。
それ以外の肉を持ったままポポブムのところに行くと、その肉をあげていた。
俺のポポブムにも食わせている。
香草の葉にくるんだほうの肉は、鞍の荷物の中へと仕舞っている。
そして、そのままがさごそと何かを探して取り出した。
取り出したのは毛布だった。
俺も毛布を取り出そうと、ポポブムの鞍の背に連結されている袋を覗き見る。
そこには毛布以外にも色々と入っていた。
旅に必要とされる物が一通り……。
正直、何回も思うが……アキレス師匠たち一家には感謝感謝だな。
毛布を掴み、感謝の念で目を瞑ってから取り出す。
「それじゃ、余った肉は明日の朝食べることにして、もう横になるぞ? 明日に備えて寝る」
「分かった。けど、寝ちゃって平気?」
「大丈夫だ。俺は慣れている。何かが近付いたら自然と目覚めるよ」
さすが狩りの申し子。
デストロイヤー的な狩人だ。
「それもそうか。了解」
「あぁ」
会話はそれで終了。
俺は木に寄りかかりながら足に毛布を掛ける。
膝かしらの上までを毛布で包み、静かな夜の森に身を預けた。
自然と聞こえてくる音は限られてくる。
風が森を揺らす音。
夜行性の動物たちのたてる音。
夜の静寂が一つの音のようにさえ感じた。
焚き火から微かに聞こえる燃える音が耳に残る。
黒猫は焚き火の側で寝ていたが、むくっと上半身を起こす。
何かを訴えるように光彩と瞳で俺を見つめてくる。
そんな黒猫と視線が合うと、相棒ちゃんは毛布の上に足をかけて乗りこんできやがった。
ロロめ、ここの溝を狙っているな?
俺の両足の間に丁度いい毛布の溝が出来上がっているのを黒猫は発見したらしい。
その溝へと体を埋めるようにして眠ろうとしているようだ。
前世のねこ鍋を思い出す。
猫は狭い場所が好き。
すっぽりと嵌まるのが好きなことは万国共通だ。
黒猫は目的の溝に嵌まり、満足したように目を細めていた。
はは、やっぱり嵌まったか。
よ~し。
そんな黒猫の小さい頭部を指の腹で触る。
ふさふさした耳を横に引っ張ったり、もみもみと耳の感触を楽しみながら……。
目を瞑った。
黒猫は耳を揉まれて軽く引っ張られることが気持ちいいらしく……。
指で触られる度にごろごろと喉音を鳴らしていた。
お返しと言わんばかりに、両前足の肉球を毛布ごしに俺の内股へと押し当ててきた。
肉球の感触が可愛すぎる。
黒猫は肌を優しく握るように爪を交互に出し入れしながらもみもみを繰り返してきた。
母親のミルクを吸っている時を思い出している?
しかし、相棒は神獣だ。
そんな記憶はないはずだが……。
ま、獣の習性かな。
そんな調子で、いつもはあまり寝付けないが……。
黒猫とまったりと夜を過ごし、次第に寝入っていく。




