二千七十一話 樹海八狼月伝の胎動と神狼の啓示
と言いながらキッシュに近づく。
潤んだ瞳のキッシュは微笑む。そのキッシュを抱きしめた。
「はは、すぐに戻ってくるさ」
「あ、うん、シュウヤ、私も行っていいだろうか」
と、キッシュが聞いてきた。
「あぁ、構わないが」
トン爺たちを見る。
キッシュは、
「大丈夫。ここにはデルハウトとシュヘリアたちがいる、ヒヨリミ様とも会合しておきたい」
デルハウトとシュヘリアは、拱手をして、
「はい、ここはお任せを」
「そうですね、キッシュはいつも、ここでがんばってますから」
頷いて、
「では〝知記憶の王樹の器〟による記憶共有をしておこう。トン爺たちにも飲んでもらう」
「「はい」」
「うむ」
「承知しましたのじゃ」
すると、背後からジョディとシェイルとホワインが現れる。
続いて、バーレンティンたちも現れた。
「あなた様! お帰りなさいませ!」
「シュウヤ様、魔界セブドラの傷場をまた押さえたのですね!!」
「「主――」」
「「シュウヤ様!」」
皆に、
「丁度良い、皆にも記憶を得てもらおう」
アイテムボックスから〝知記憶の王樹の器〟を取り出す。
<血魔力>を送ると自然と〝知記憶の王樹の器〟に神秘的な液体が溜まる。
その液体に指を入れて<血魔力>を注ぐと神秘的な液体が煌めく。
内部にゆらゆらと出現している海馬体のような物質が生まれたところで、サクッと、記憶操作を開始した。
プライベートな……いわゆる大人の時間については、徹底的なフィルタリングが必要か。子供たちに英才教育を施すわけにもいかないし、飲んだ全員が鼻血を吹いて倒れるような事態は避けたい。だがまぁ、本来の男と女にエロなんてもんは、大人がどうこう隠すより愛を伝えたいから本音、否、ここは――。
精神を集中させ、全年齢対象……否、せめてR指定がかからないギリギリのラインを攻めるとしよう。
それでいて俺と彼女たちの愛の深さだけは損なわないよう、神業に近い記憶の剪定作業を完遂した。自分で自分にアカデミー編集賞を授与したいぐらいにはがんばった……。
作業中の俺の様子が変だったのか、ヴィーネが心配そうに視線を送ってくるが、努めてフレンドリーな笑みを浮かべて事なきを得る。そして、
「……では、キッシュから、皆、これを飲んでくれ」
と〝知記憶の王樹の器〟をキッシュに差し出した。
キッシュは、なぜか戸惑ったように俺とヴィーネたちを見比べる。
とヴィーネたちが『お疲れ様です』と言わんばかりにクスクスと笑っているのを見て、彼女もつられたように小さく微笑んだ。
「では、飲むとしよう――」
〝知記憶の王樹の器〟の神秘的な液体を飲んでいく。
と、すぐに体を震わせて、隣にいたデルハウトに〝知記憶の王樹の器〟を渡していた。
「……なるほど、西のフロルセイル地方と魔界のルグナドの類縁地近辺の戦いに、吸血神ルグナド様の傷場の奪回か。闇遊の姫魔鬼メファーラ様の傷場の奪回といい、わたしたちの光魔ルシヴァル側は大活躍だな」
キッシュの言葉に帰還組の皆が頷いた。
「おう」
その間にもデルハウトが〝知記憶の王樹の器〟の俺の記憶入りの神秘的な液体を飲んでいく。デルハウトは、
「――陛下、西へ東へと、素晴らしい戦果です、吸血神ルグナド様からの褒美も、見たことのない魔神槍・血河と夜魔の神血鎧を得ては、フレザガークという地底神セレデルの大眷属を屠るのに利用されていた! それにしても地底も広い……」
「おう、デルハウト、地底のことだが、一応念頭に入れてくれるだけでいい。現在のサイデイル防衛に活かせる範囲でな」
「はい!」
メルが、「はい、この十二樹海には様々な勢力がいますからね。人族のオセベリア王国についての懸念は完全に払拭されたので、楽にはなりましたが」
と言うと、ミスティが、
「たしかに、オセベリアには、<筆頭従者長>のナロミヴァスたちがいるし、ペルネーテと王都グロムハイムについては心配は要らないでしょう。それよりも、オークの大帝国と樹怪王の軍勢、そして、旧神ゴ・ラードの蜻蛉軍団だけが問題ね。ま、これは永続的に続く問題かな」
と発言し、皆が頷く。
その間に、デルハウトはシュヘリアに〝知記憶の王樹の器〟を渡す。
シュヘリアも神秘的な液体を飲み、体を震わせながら、隣にいるドココさんに、〝知記憶の王樹の器〟を渡して、
「……魔界側のヴァルマスク大街を得ての、傷場を得て、セラ側の傷場も得たことは、非常に大きいです。これで、フロルセイル地方と、ゴルディクス大砂漠の地下の傷場と、この南マハハイム地方の十二樹海の地下の傷場、三カ所を光魔ルシヴァル側が得たことになる」
と語るとメルたちが頷きながら、自作の資料を渡していた。
資料には、魔界セブドラ側の光魔ルシヴァルの勢力範囲などが細かく記されていた。俺の記憶を得たシュヘリアは深く頷き、
「魔蛾王ゼバル……魔界の地にこれほどの領地を……私たちが知る頃よりも強くなっているようです」
と発言すると、デルハウトも表情を険しくし、「……ふむ、我をゴミに捨てた魔蛾王……そして、陛下たちに手出しをするとは許せん……」と呟くと、彼の海老のような触角器官の先端が強く煌めいた。
そうして、皆と記憶を共有したところで、最後のシェイルから〝知記憶の王樹の器〟を返された。それをアイテムボックスに入れて仕舞う。
キッシュは、
「行こう」
頷いて、執務室を広間の転移ルームに繋がる階段を見てから外に出た。
黒猫がトコトコと歩いて子供たちに近づく。
頭を撫でられていく。そんな子供たちと球投げ遊びを始めるアドリアンヌが、
「ふふ、周りの戦国に近い環境から、この平和を保てるまでに成長しているサイデイルは、見事な施政ですわ」
そのアドリアンヌのキッシュを褒める言葉に、
「そうだな、キッシュは凄い」
と言いながら、隣にいるキッシュを見る。
キッシュは頬を朱に染め、
「はは、それもこれもシュウヤたちがいるからだぞ、アドリアンヌ」
「ふふ、そうですね」
アドリアンヌは黄金の仮面を揺らす。
その隣で、勿忘草色の髪を揺らしたホワインが、
「……シュウヤ様、狼月都市ハーレイアに向かわれるのですね」
「そうなる。昔から続く因縁の土地だから、ホーブスルタンの極上の魔酒も手土産にしようかと思っているが、どうなるかだ」
「はい」
「そこの地下には、月狼環ノ槍は納めてあるが、ホワインも氣になるなら、行ってみるか? 神狼ハーレイア様と邂逅できるかもだ」
「……あ、そうですね、途中で付いていきます。狼月都市ハーレイアに入り次第、導きもあるかと思いますから途中で、一人で月狼環ノ槍のところに向かいたいと思います」
「了解した」
ホワインとアドリアンヌがマラカイトグリーンの魔力を展開し、ホワインを見やる。ホワインは部下だが、神界側の眷族になったのを氣にしているのかな。
オフィーリアやエルザとアリスたちにも挨拶を済ませ、広場へ向かった。
「ご主人様、共に行きます」
「ん、行く」
「わたしも行く」
「はい、行きましょう」
ヴィーネ、エヴァ、キサラ、レベッカの言葉に頷く。
「私もです」
ファーミリアの言葉に頷いた。
「ンン、にゃお」
言葉に応じた相棒は、一瞬で体を神獣ロロディーヌへと変化させた。
その頭部に乗り、サイデイルを飛び立った。
進路は南西、ハイム川寄りにある狼月都市ハーレイアだ。
やがて、巨大な鍋の蓋を思わせる双月樹の屋根が見えてくる。
神獣ロロディーヌは大正門の前を飛び越えていく。
門の周囲では、指が四本あるテルポット族の商人がマジュンマロンを売り捌き、街にはウクレレのような音色による、この都市特有のハワイアン風の陽気な音楽が流れている。
頭上の屋根の隙間からは魔力を帯びて光る枯れ葉が舞い落ち、街全体を銀梨子地のような幻想的な光源となって彩っていた。
すると、地面の一部がセピア色に変化。
「ンン」
神獣が、喉声を響かせ、大通りから外れて、空き地に着地。
「にゃ~」
と鳴く。
皆が降りて、狼月都市ハーレイアの土地に着地。
ホワインが、「……シュウヤ様、何かが……目から『カッカラ、カッカラ』と、熱く響いています……。」と発言し、通りの奥を見やる。
自らの片眼を押さえていた。
勿忘草色の髪が揺れ、彼女の白い頬が瞬く間に朱に染まっていく。
すると、圧倒的な虹を帯びた白銀色の光が地面を塗り替えた。
相棒が、
「ンンン、にゃお~」
と挨拶するように鳴く。
途端に、白銀色の巨大な狼像と、月光を纏った無数の幻狼が出現した。
「にゃおおぉぉ~」
と遠吠えするように鳴いた。
すると――。
『ドウォッ ウァォッ オァイッ――』
重低音の鳴き声。白銀色の巨大な狼像の幻影から、地殻を揺らすような思念が轟いた。
前にもあったが、重低音は増している。
「あぁ……」
ホワインの片眼から月狼環ノ槍に嵌まっていた環の幻影が出現。
それが幻狼に変化し、白銀色の巨大な狼像の幻影に吸い込まれていく。
途端に大地から、吼えるような狼の鳴き声が響く。
銀色の毛並みをなびかせた幻狼たちは、俺とホワインを祝福するように幾重もの円を描いて疾駆し、俺たちを導くように走り始めた。
「ンンン――」
相棒が追い掛けていく。
皆に、笑みを浮かべながら、
「相棒も行動したように、ヒヨリミ様より、神狼ハーレイア様のほうを先に挨拶しとくか」
「そうね~」
「うん」
「「「はい」」」
俺たちも幻狼たちに導かれるように走った。
黒猫は、巨大な黒豹に変化し、もう地面を掻いて、というか、もう巨大な穴を造り上げていた。前と同じく、その穴の中に入った黒豹。
「行こう――」
「「はい」」
俺たちもその穴に突入し、狼月都市ハーレイアの地下に向かう。
相棒の掘った穴は地下道。
前にも来たところか、青白い炎の壁が出現していくが、相棒の走りに合わせて消えていく。あらかじめ事前に壁の中に設置されていたかのような巨大な空間に突入した。
昔に来たところ。奥行きもある地底遺跡。
奥の間では、前と同じく無数の幻狼たちが後脚を揃えた『エジプト座り』のような姿勢で俺たちを見据えていた。幻狼たちはそこに集結していく。
並ぶ幻狼たちは、一匹一匹に個性があった。
シベリアンハスキーにも似ている狼さんたちだ。
神々しさを感じた。すると、黒豹から黒猫の姿に縮小させる。
黒猫の姿に戻った相棒は、
「ンン、にゃおぉ~」
と、幻狼たちに挨拶していく。前と同じだ。
そのまま幻狼たちの下へとトコトコと歩いていった。
宙空に、蛇が樹を登るような滑らかな動きで、点滅しているルーン文字が出現し、相棒たち、俺たちを祝福するように輝いていく。
途端に、奥の間にスポットライトのような光が生まれた。
古代神殿、古代遺跡の中央の大広場の奥に、白銀色の巨大な狼像が鎮座している。
大広場には、小さい八つの狼像もあった。
同時に高位な存在からの優しげな、ふんわりとしたほどよいプレッシャーを感じた。
ヴィーネが、
「ここは神狼ハーレイア様との邂逅の場所……あの白銀色の巨大な狼像が神狼ハーレイア様ですね」
「はい、アルデル師匠との出会いの場でもあります」
「ミレイヴァルを体現させた場所でもあるのよね」
キサラとレベッカの言葉にも頷く。
周囲の雰囲気から、前と同じ、身が引き締まる思いを得た。
構わず皆と進む。
左右にずらりと並ぶ幻狼たちの間を通っていく。
その幻狼たちの瞳が輝く。
透き通るような声音の遠吠えだ。
余韻が残り、心が洗われるような感覚を得た。
同時にデボンチッチのような気配を感じる。
俺の視界にはデボンチッチはいないが……。
「ねぇ、この遠吠え、シュウヤの記憶にあった、ローゼスの精神世界に似ている」
「ん、たしかに」
「「はい」」
皆で、月狼環ノ槍が嵌まっている壁画近くの遺跡の中心に向かう。
すると、月狼環ノ槍から大きな幻狼の頭部が現れて、白銀色の巨大な狼像の前で静止すると、緩やかな曲線を宙に描きつつ白銀色の巨大な狼像の頭部に突入。
刹那、白銀色の巨大な狼像が煌めく。
続けて、壁画全体から衝撃波のような魔力波も発生。
白銀色の毛が逆立ちウェーブを起こす。
白銀色の巨大な狼が、本当に草原を駆けて、風を受けているようにも見えた。
『ドウォッ ウァォッ オァイッ――』
重低音の鳴き声。白銀色の巨大な狼像から思念のような声が轟いた。
おぉ、確実に前より強い、重低音――。
「ドウォッ――」
「ウァォッ――」
「――オァイッ」
幻狼たちからも響く。
周囲から、重低音の拍子をとるような掛け声が始まる。
ドウォッ ウァォッ オァイッ
古代狼族たちの重低音と足踏み音も加わる。
ドッドッドッ、ドッドッドッ
ドウォッ ウォッ オアァイッ
ドウォッ ウァッ オアァイッ
ドッドッドッ、ドッドッドッ
魂を揺さぶる重低音の奔流……。
古代狼族たちの足踏みが地底遺跡を巨大な太鼓へと変え、その振動が骨の髄、更に<血魔力>までもを強烈に揺さぶり、狂おしいほどに共鳴させていく。
ドウォッ ウァォッ オァイッ
ドッドッドッ、ドッドッドッ
大小様々な幻狼たちの声は独特の韻を踏む。
そして、風流な重低音を奏でる幻狼や古代狼族たちの声と連動するかのように……神殿の床にある複数の足跡が輝きを放っては、消えた。
風流な重低音を奏でる幻狼や古代狼族たちの声と連動するかのように……
白銀色の巨大な狼像の双眸が煌めく。
その白銀色の巨大な狼像は、呼吸するように、膨らみ、縮む。
白銀の毛の一部が透けて、心臓の位置から内臓のような器官も透ける。
立体的な壁画だが、リアルだ。
いや、本当に呼吸と心臓の活動が始まった?
神々しさを持つ心臓の音も狼たちの声に加わった。
掛け声のリズムと、心臓のリズムが重なる。
と、更に白銀色の巨大な狼像の双眸が、カッと見開く。
――その見開いた瞳は不思議な虹彩だ。
昏いが、まばゆいビーズたち。
否、宇宙を彩る綺麗な星々を思わせる瞳と虹彩だ。
すると、アルデルさんの幻影が現れて、地響きを思わせる音程に合わせて、バリトン風に歌い始めていく。
腰のタンバリンのような楽器も宙に浮きながら音程を刻む。
ドゥアァァ ドドゥアァァ ドドドゥ
アァァァァァ ガァァドゥ ドゥハッ ドゥハッ ドゥゥゥゥゥゥゥ
続いて、幽霊の古代狼族の兄弟姉妹も、足踏みを実行。
リズムを刻み、歌う。
幻狼の親と子供も加わった。
ドゥドゥア! ドドッア! ドゥドゥッアッ!
ラルルラァァ ドゥララアァァァアァァ
ドゥラルルラァァ ドゥララアァァァアァァ
ストレンジャー ストーリー
シュウヤァァァ ライク トゥ スカィィ ナァブビィィ ナァアァァ?
ナブィリァァ ナァァァッァアァ
シュウヤァァ ナブゥリナァァァァ
ウォォ キングダム シュウヤァァァ
ナブィリァァ シュウヤァァ ナブィリァァ
ナブィリァァ ナァァァッァアァ! シュウヤァァ ナブゥリナァァァァ
ストレンジャー ストーリー
シュウヤァァァ ライク トゥ スカィィ ナァブビィィ ナァアァァ?
ナブィリァァ ナァァァッァアァ
シュウヤァァ ナブゥリナァァァァ
前にも聞いたが、理解の及ばぬ古き言語。
だが、聖なる旋律の中に俺の名が組み込まれていくたび、神話の重みに押し潰されるような全能感と、肌を刺すような魔力の火花が周囲に弾ける。俺という存在が、この古い遺跡の記憶と一つに溶けていく感覚が強くなる。
二度目だからか。
ランサー ストーリー
シュウヤァァァ ライク トゥ スカイゥゥ
トゥリンジャ アイスカインブ ウォォオオ アーチィリン ツカイィンジャァァ
シュウヤ! シュウヤ! シュウヤァァァァ
ドゥドゥア! ドドッア! ドゥドゥッアッ!
アァァァァァ ガァァドゥ ドゥハッ、ドゥハッ、ドゥゥゥゥゥゥゥ
ドゥラルルラァァ ドゥララアァァァアァァ
トゥリンジャ アイスカインブ ウォォオオ アーチィリン ツカイィンジャァァ
シュウヤ! シュウヤ! シュウヤァァァ
重低音を響かせる幽霊の古代狼族と幻狼たち。
バリトンとソプラノが合わさったかのようなオペラの戯曲を思わせる。
俺の名と槍使いを意味するような歌詞があるが、理解が及ばない。
歌が終わると静寂が辺りを包む。
刹那、壁画から虹の魔力を放出させながら白銀色の巨大な狼像が息衝く。
壁画から、巨大な前足が出た。
続けて反対の足もぬっと前に出る。
師匠のアルデルさんも幻影としてまた現れるが、消えた。
俺を見下ろすような形で、白銀色の巨大な狼の幻影が姿を現した。
神狼ハーレイア様の幻影――。
神々しい威圧感に、ヴィーネやエヴァたち、そして同行するキッシュまでもが息を呑み、静かにその場に跪く。
唯一、相棒の黒猫だけが「ンン、にゃお~」と親愛を込めて喉を鳴らし、その巨大な足元へとトコトコ歩み寄って鼻を擦りつけていた。
「……久しいな、我の認めた神獣と槍使いシュウヤ。そして、我が環を宿した娘よ、我は神狼ハーレイア」
その重厚で慈愛に満ちた声が響く。
神の権能を肌で感じるような圧倒的なプレッシャーだ。
ヴィーネやエヴァ、更に記憶を共有したばかりのキッシュまでもが、抗えぬ敬意を示すようにその場に跪く。
唯一、相棒の黒猫だけが、
「ンン、にゃお~」
と挨拶。大物すぎるが、それこそ、相棒ちゃんだな。
ホワインは自らの片眼を震える手で押さえ、熱に浮かされたような、恍惚とした表情で神狼を見上げている。
神狼ハーレイア様に、
「ハーレイア様。……お久しぶりです。この地下に槍を納めてから、多くの戦いがありました。……今日は、貴方の環を宿した彼女と共に参りました」
そう告げると、神狼ハーレイア様は星々が渦巻く双眸を細め、広場に並ぶ小さい八つの狼像、そして地下祭壇の深淵へと視線を向けた。
「うむ。……槍を彩りし七つの環は八狼の像へと還り、最後の一つはこの娘の瞳に宿った。槍使いよ、其方は気付いておるな。これこそが、かつて仙人が謳った古き伝承――樹海八狼月伝の胎動であることを」
神狼の言葉に、俺の脳裏を過るのは習得しつつある仙魔術、※仙玄樹・紅霞月※の術理だ。
「……樹海八狼月伝。……かつて仙人、仙玄樹ツキヨミが『蓮は泥より出て泥に染まらず』という言葉と共に遺した伝承。この八つの環こそが、神狼ハーレイア様の八人の眷族を指すのですね」
「ふむ、玄智の匂いがしたが、なるほどな、其方の言う通り。ツキヨミが魔界ガサドラの泥濘にて見出した真理……それは泥を食らいてなお清廉なる月光を放つ魂の在り方。其方が月狼環ノ槍を自在に操り、幻狼を呼び出せし時の如き資格……それは伝承の担い手に相応しきもの。……だが、その資格は其方一人に留まるものではない」
神狼ハーレイア様の金色の瞳が、俺の魂の奥にある記憶を覗き込むように強く輝いた。
「……槍使いよ。其方の傍らに、我の風を、月の香りを纏いし幼き魂が居るな。其方の弟子、ムーと呼ばれし者……。あの幼き者にもまた、月狼の環を受ける資格、我が眷族として連なるべき萌芽が宿っておる。……其方がかつて我が槍を振るったように、あの者もまた、月狼の謳を継ぐ器となり得るのだ」
「え? ムーに……そこまでの資格が」
驚きと共に呟くと、ハーレイア様は静かに首を振った。
「……ムーがその運命を受け入れるか否かは、分からぬ。我ら神格が強いるものではない。……刻印を宿せし娘、ホワインよ。其方の目は今やこの都市の魂と一つ。いずれ其方の導きにより、あの幼き弟子ムーをこの地へと導くがよい。そして、他にも我の環を扱える者たちはいる。真に揃い、樹海八狼月伝が完成するかは……まだ不透明……」
ハーレイア様が大きな鼻先をホワインの額にそっと触れた。
刹那、銀色の魔力が彼女の全身を包み込み、ホワインの顔を焼いていた熱烈な赤みは、穏やかで澄んだ銀光へと変わっていく。
「あ……ぅ……。……シュウヤ様。私、分かりました。ムーちゃんを……そして八狼月へと連なるべき者たちを、この月の光の下へと導く……それが、私の役目なのですね」
ホワインは潤んだ瞳で俺を見つめ返し、自らの使命を噛みしめるように深く頷いた。
「……槍使いよ。地底の闇は浄化され、今、樹海は新たな息吹きを求めておる……其方の望む地へ向かえ。ヒヨリミが、其方たちの到来を待っておるぞ」
神狼ハーレイア様の幻影は、穏やかな眼差しを俺に、そして再び黒猫に向けてから、幻狼たちの謳の残響と共に銀の粒子となって消えていった。
キッシュが唇を震わせ、「これが奇跡……シュウヤの夜行光鬼槍卿などの称号は聞いて記憶を体感しているが、生で味わうと違うな、体と精神へのなんという精神的な圧迫感に加えて、妙な幸福感……」と呟く。
薄緑色の瞳は揺れている。
キッシュは透明感のある表情のまま、俺をジッと見て、
「……神狼様の直々の啓示。シュウヤ、お前の弟子にまで及ぶその伝承の深さ……改めて、お前と出会えた幸運に感謝するぞ」
と、感銘を受けた様子を語る。
立ち上がって俺の隣へ歩み寄ってきた。
ホワインも震える足で立ち上がり、俺の袖をギュッと掴んだ。
その皆を見て、
「あぁ……まずは、ヒヨリミ様に会いに行こう。報告すべきことが増えたな」
再び、相棒が掘り抜いた地下道を戻る。
地上の喧騒へと向かった。
ウクレレの調べが流れる銀梨子地の街を抜け、沼の畔に建つ森屋敷へ。ザハという名の鯉に似た魚が跳ねる沼を渡り、奥の回廊を通り、本屋敷に部屋に入った。
古代狼族を束ねるヒヨリミ様が静かに佇んでいた。
傍らに控えるファーミリアの姿を視認したのか、周囲を守護する狼族の戦士たちの空氣が鋭く張り詰めた。
まずは、
「――ヒヨリミ様、こんにちは」
「はい、シュウヤ様、お久しぶりですわね」
ヒヨリミ様はファーミリアのことには氣にも止めていない。
だが、周囲は異なる。
ヒヨリミ様は、キッシュたちを見て、
「キッシュも元氣そうでなにより、互いの防衛と使節団は続けていきましょう。混合の警邏のチームも順調で、狼将たちは戦士たちが死ぬことが極端に減ったことを大喜びしていますわよ。そして、人族たちへの偏見も徐々に薄らいでいると実感できています。貴女の仕事、施政は本当に素晴らしいですわ」
と告げると、キッシュも、「お褒めにさずかり嬉しいです。そして、それはこちらも同じ。古代狼族との同盟は今後も続けていきたい思いが強い」
「はい」
狼将たちからも拍手が起きる。
そこで、ファーミリアとアイコンタクト。
ファーミリアは前に出て、光魔ルシヴァルの<筆頭従者長>としての矜持を保ちつつ、淑やかに一礼した。
「ヒヨリミ様、お久しぶりです……今の私はシュウヤ様の剣。かつての因縁は、既にルシヴァルの血の中に溶けております」
ヒヨリミ様の視線がファーミリアを射抜く。
広間に流れる空氣が一気に氷点下まで下がったかのような錯覚を覚えた。
一方、黒猫はヒヨリミ様に近づき、神獣猫仮面を装着しては消してを繰り返している。
ドヤ顔だ。
……ヒヨリミ様は黒猫のことは氣にせず、ファーミリアの澄んだ瞳を見つめる。
と、やがてふっと氷を溶かすような微笑みを浮かべた。
「……ふふ、ご安心を。かつての吸血鬼の重鎮、私たちの同胞を散々に泣かせてくれた敵であったことは事実です。ですが、それはもう『過去の戦記』の一節に過ぎません」
一氣に安堵感が広間に広がった。
「……ファーミリア・ラヴァレ・ヴァルマスク・ルグナド……貴女が、光魔ルシヴァルのシュウヤ様の眷族となられた以上は、もう敵どころか、私たちの家族と同じ……ですので、氣を楽にしてくださいませ。そして、この周りの反応、狼将たち古代狼族たちの態度は、その氣性故と……ご理解を頂ければ嬉しく思いますわ」
ヒヨリミ様の慈愛に満ちた宣言に、ファーミリアの肩からすっと力が抜けるのが分かった。
周囲の狼将たちも、それまでの険しさを消し、武人らしい節度を持って胸元に手を当て、会釈を贈る。
かつての宿敵が、一つの「絆」の中に組み込まれた瞬間だった。
ファーミリアたちはそれを見て、頷く。
「はい、温かい言葉に嬉しく思います」
「ふふ、当然です。シュウヤ様は、この狼月都市ハーレイアに及ばず、南マハハイム地方を掬った本当の英雄なのですから。更に、魔界と神界に繋がりを持つ偉大な殿方……更に言えば、神狼ハーレイア様との繋がりを持つんですからね」
ヒヨリミ様の言葉にファーミリアは頷き、俺を見て、
「それは、はい、たしかに」
と告げ、ヒヨリミ様は笑みを交換。
そこで、ヒヨリミ様は、
「それでシュウヤ様、こちらにお越しになった理由は?」
「はい、ファーミリアたち、かつての吸血神ルグナド様との争いは理解しているつもりですが、その因縁の土地への出入りの許可を求めたい。できれば、土地、【樹海のハーヴェストの泉】、【キュルハ様とレブラ様の同盟の血碑】の土地ももらえたら嬉しい思いです」
「はい、構いません。アゼラヌ、オウリア、ビドルヌ、ただちに同胞に指示を展開している兵士を退かせなさい。また警邏の予定も光魔ルシヴァル側にすべてを託すと指示を」
ヒヨリミ様は周囲の狼将たちに指示を飛ばすと、
「「ハッ」」
「承知しました!」
と、狼将の二人が掛け声を発して部下の古代狼族の戦士に指示を飛ばしては、二人の狼将が去り、続けて最後の一人も俺たちに敬礼をしてから去った。
「ありがとうございます」
「ふふ、双月神様や神狼ハーレイア様のことを思えば、反対する気持ちもありますが、現実的に、十二樹海は、古来より、知記憶の王樹キュルハの支配力も強いまま、吸血神ルグナドだけなく闇神リヴォグラフ、旧神ゴ・ラード、樹怪王の軍団など、私たちだけで対処はできない。ですので、今後とも、神と魔を統べる勢いの光魔ルシヴァルに全幅の信頼を寄せるつもりです」
ヒヨリミ様の言葉に安心感を覚えた。
続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻-20巻」発売中。
コミック版1巻-3巻発売中。




