二千五十話 聖域の空とフェンロンの再来
ランファは、
「そのふてぶてしい笑い方は、あの時のシュウヤ……まさか、この空で再び会うことになろうとは……」
「あぁ、俺もだ。ランファが、その鳥の魔獣を活かして飛翔しているとは思わなかった」
「……たまたまだ。そして、ホールゴトンの出撃は滅多にない」
と、語ると、右手の槍の穂先を俺たちに向けてくる。
直ぐに、ヴィーネ、エヴァ、レベッカ、ファーミリア、ユイ、ルリゼゼ、真紅のドレスアーマーを纏ったビュシエが相棒の頭部から少し離れ浮かぶ。
師匠たちにエトアとフーとバフハールたちは後頭部の黒毛のソファー席から立ち上がろうとしてこない。
ランファの部下であろう空騎兵たちは、ホールゴトンを制御しながら、引き攣った顔でこちらを包囲するように旋回していく。
ランファは困惑を隠せない様子で、
「その巨大な黒豹、否グリフォン? ドラゴン? 大魔獣は見たことがない。そして、そこにいる皆も尋常ではないぞ」
相棒のことを指摘してきた。
「あぁ、あの時の黒猫だよ。ロロ、正式の名はロロディーヌ。神獣としての姿を取り戻したから、このように巨大な姿になっている」
「なんだと? あの黒猫が、そのような巨大な……」
「にゃご」
と、神獣が鳴くと、ランファたちが、
「「ひぃ」」
と怯えだした。
右頬の蛇の入れ墨をぴくりと動かし、
「なんの用でここに来た」
彼女の視線が、ヴィーネと竜杖を携えたレベッカへと移る。構わず、
「通りがかりだ。この先に用があってな。少し懐かしくなって高度を下げたんだが、驚かせて悪かったな」
「通りがかりだと……? この行為には、山の民と関係があるのか?」
「ない。ラグレンは元氣に暮らしているよ」
「ふむ、長老たちの知り合いのゴルディーバ族……だが、シュウヤ、お前は、人族だと思っていたが、違うのか?」
「そうだ。俺は人族ではない。光魔ルシヴァルだ。ここにいる皆も光魔ルシヴァルで、一部は、魔族のみ」
「……光魔ルシヴァル……魔族に、神獣……冗談ではないと分かるが、今のテラメイは、他国の軍勢はおろか、渡り鳥一羽通さぬ厳戒態勢……それを、これほど巨大な神獣で――」
ランファが言いかけた時、隣にいたエルフの若兵が、鋭い声で口を挟んだ。
「ランファ隊長! 相手が何者であれ、ここは聖域です! 汚らわしい人族や、得体の知れない魔力を放つ女共をこれ以上進ませるわけには――」
「黙れ!」
ランファの怒声が風を切り裂く。
若兵はびくりと肩を揺らし、口を閉ざした。
彼女は再び俺に向き直ると、苦渋に満ちた表情で溜息をつくが、レベッカとクレインを見て、怪訝そうな表情を浮かべてから、また、俺を見て、
「……シュウヤ、ゴルディーバの里には長老たちも恩がある。だが、今のこの国は『エルフの純潔』を謳う強硬派が力を持っている。私の一存で『どうぞお通りください』とはいかないのが現状だ」
「あぁ、迂回する。今日はたまたまだ。しかし、サムラレイトの町から北上し、師匠を送る時にも、このエルフの領域は、素通りしていたんだが……ランファたちの警戒網も完璧ではないのかな?」
ランファは眉をひそめて唇を噛むと、
「……当たり前だ。エルフの領域は広い。シュウヤたちが南西のサムラレイトから北上し、上手く私たちの警邏を掻い潜っただけだろう。それに、今は、レフテン王国の内乱に合わせて、この北方を含めて警戒に人員を割いている。野盗が国境付近を多く徘徊しているのだ。一角の丘には、レフテン王国とも争っている野盗が巣くい始めている。そんなこともあり、異質な魔力の持ち主たちを、いちいち追いかけている余裕はない」
ランファが忌々しげに槍を引き戻す。
すると、相棒の背後にある後頭部の黒毛のソファー席から、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
「【ベファリッツ大帝国】の名残を持つエルフの者たちか」
「俺たちは戦いにきたんではない、観光だ、な? 弟子」
「はい」
「……だが、旋回中の鳥の魔獣にぶら下がっている」
グルド師匠は、獄魔槍を右手に召喚し、立ち上がった。
すると、ランファはホールゴトンを強引に旋回させながらも、背後を射抜くような視線で睨みつける。
だが、強気な眼差しはすぐに蒼ざめた表情に変化した。
一名を除き、後頭部のソファー席に鎮座する、魔軍夜行ノ槍業の八槍卿の師匠たちと、バフハールとシャイナスにセリア、セレスティア、ラムー、エトアの姿を捉えた瞬間、凍りついたように動かなくなった。
ランファが騎乗するホールゴトンが、異様な恐怖に喉を鳴らし、羽毛を逆立てて後退りを始める。
「……その魔力……強い者たち……座っているだけだというのに、高古代竜や我が国の古き神話の怪物たちを見ているような……」
ランファの声が震え、言葉が続かない。
彼女の乗騎であるホールゴトンもまた、主の動揺を敏感に感じ取ったのか、あるいは上位捕食者の気配に本能が警鐘を鳴らしたのか。金切り声を喉の奥で押し殺し、宙空で身を小さく縮こまらせている。対峙するだけで肌を刺すような、濃密な死の氣配。
歴戦の空騎兵である彼女たちですら、槍を握る指先から力が抜け落ちていくのが見て取れた。
「ランファ。眷族たちは無論だが、皆、魔界セブドラで活躍した猛者中の猛者。八槍、否、俺を合わせての九槍卿の方々だ。雷炎槍流などの師匠たち。エルフの常識で計れるような存在ではない」
「そ、そのようだな、それよりも、隣にいるエルフたちが氣になるのだが……」
「さすがに分かるかな。実は、たまたま寄っただけと言ったが、眷族の中に、【ベファリッツ大帝国】とも関連している女性がいるんだ」
ランファの青い瞳が限界まで見開かれた。
隣で浮遊していたレベッカが、
「シュウヤの記憶にあるランファさんね。素敵だけど、シュウヤのせいで、怯えちゃっているじゃない」
「ん、迂回してフロルセイル地方側に戻る?」
「シュウヤ様、吸血神ルグナド様のルグナドの類縁地には、ハンカイたちが残って戦っているはずですから、そこに戻りましょうか」
「あぁ」
「うん、テラメイの方々と、無理をして干渉しなくても、【ベファリッツ大帝国】の復興は、まだまだ時間がかかる。生命の泉も苗から緑の葉が生えたばかりなんだし」
「そうですね。でも、クレインは、テラメイの長老と呼ばれている方々と面識があるのでしょう?」
「ある。ランファとやら、古貴族フェンロン一族は聞いたことがあるだろう」
ランファは、クレインが口にしたその家名を聞いた瞬間、持っていた槍を激しく震わせた。
「え……ありますが、あ、あなた様がフェンロンの血筋……長老たちとも協力したことは聞いたことがありました……」
以前、クレインがテラメイの長老たちとも通じていると話していたのを思い出す。
目の前の隊長クラスのエルフがこれほどまでに戦慄するのを見ると、その『名』がこの国においてどれほど重く、そして厄介な劇薬であるかが改めて肌で伝わってくる。
ランファは言葉を飲み込み、困惑と畏怖が入り混じった表情でクレインを凝視した。
クレインの、金色と朱色のメッシュの髪が風に舞う。
銀と漆黒、朱華の色合いが混じる防具服に包まれた、しなやかで美しい肢体。
クレインはまだ、頬の<朱華帝鳥エメンタル>の印を浮かび上がらせてはいない。
だが、名乗った事実と、隠しきれない<血魔力>の波動だけで、ランファの防衛本能は限界を迎えているようだった。
ホールゴトンさえも、主の尋常ならざる動揺を察したのか、翼を羽ばたかせる音を控え、静かに滞空している。
「フェンロンの名に聞き覚えがあるなら、話は早いねぇ」
浮遊していたクレインは、ふわりと舞うように相棒の目元の上へと着地した。上空の強い風が、彼女の金色と朱色のメッシュが入った髪を激しく、しかし美しく靡かせる。
ゆったりと腕を組むその姿。
魅惑的な乳房が、両腕の前腕に乗る形で強調されているが、そこにあるのは媚びではない。
圧倒的な自信と、かつて帝国の歴史を背負った者だけが纏う、不可視の覇氣だった。
素敵だが、不敵に笑うクレイン。
その態度は、かつての皇女としての威厳を誇示するようなものではなく、政治の道具として担ぎ上げようとする者たちを撥ね退けてきた一人の自立した女性冒険者のものだった。
「私はクレイン・フェンロンさ……そして、今日はシュウヤ、わたしの主が言ったように、ただの寄り道でしかない。あんたたちの言う『聖域』を荒らすつもりは、皆無さね。実は、少し懐かしくなったのはある。だからシュウヤが高度を下げて、寄り道しようとしてくれて嬉しかったさ……それと、長老の老人共にも、わたしは元氣にやってると伝えておきな」
「……は、はい。フェンロンの姫君様……テラメイが独立し、この森を守るようになって久しいですが、長老会があなた様の再来について、危惧をして抱いて、嗚呼……」
ランファの声が震えている。
かつて庶子として隠され、あるいは『女帝』として担ぎ上げられようとしてきたクレインにとって、その反応は辟易とするものでしかないのだろう。
クレインは、「姫君も皇女も止めな……」と言うと両手を拡げ、俺たちを見てから、ランファを見て、
「今は、シュウヤの従者……第十<筆頭従者長>だよ。……ランファと言ったかい。あんたの役目は『不審な魔力の排除』だろう? この宙空で言うのもアレだが、さっさと私たちを通しな」
と、金火鳥天刺のトンファーの切っ先を向けた。
それを降ろし、笑顔で、
「……あんたたちが後生大事に守っているこの森を、土足で踏み荒らすつもりはないからさ」
「……は、はい。承知いたしました」
ランファは恐縮している。
その彼女は俺を見て、
「……シュウヤ。お前は……大帝国の正統なる系譜、高貴なる女性を連れて歩いているのか。人族ではない、光魔ルシヴァルだと言ったが、それ以上の存在であることは疑いようがない」
ランファは、そう語ると、後頭部のソファー席で獄魔槍を手にしたまま微動だにしないグルド師匠たちを凝視。
そのランファに、
「騒ぎにするつもりはないと言っただろ。俺たちはこのまま迂回して南へ向かう。お前に迷惑はかけない」
「……承知した。これ以上の接触は、我が隊にとっても命取りになりかねない……助かる」
ランファが、ふぅ、と小さく息を吐きながらそう言うと、クレインが、
「ランファ、長老たちに、私の生存と【ベファリッツ大帝国】の復活の兆しは出ていることを、この出会いも含めて報告すべきだろう。そしてレベッカとシュウヤ……」
「ん?」
「なに?」
「あぁ、レベッカのことも、この際伝えておくべきかと思う」
と、クレインが言うと、レベッカは頷いて、
「うん。いいわよ。ハイエルフと言っても、今は、光魔ルシヴァルだからね。霊廟の『生命の泉』の復興も、ヴェルデグリの名を得た罪エルフが守人として霊廟も守っている。ただ、クレイン。わたしたちを捕まえることは不可能だと思うけど、【スィドラ精霊の抜け殻】に、余計に狙われるようになるかも知れないわよ」
「ふっ、たしかに、魔界とセラを行き来する私たちだ、捕まらないとは思うが……望むところ。私たちはもう昔の【ベファリッツ大帝国】に囚われることはない。本当の不死鳥、朱華帝鳥エメンタルになったのだから」
「うん、それはそうね」
「「ふふ」」
その凜とした佇まいと言葉に、皆が、自然と微笑む。
クレインは、皆を見据え、
「フェンロンの末裔の再来訪、そして、長老たちと会合を持てば、すぐに、その噂はテラメイに広まる。尾ひれがついて、レフテン王国、オセべリア、サーマリアなどにも広まるだろう。そして、ランファ……禁忌とされ、使われていないはずの、マハハイム山脈の地下道、【帝都キシリア】の地下道だが、使うように、議論を進めたほうが良いと思うさ。……【ベファリッツ大帝国】の名を継ぐかは、まだ不透明だが……その【帝都キシリア】があった場所では、シュウヤとわたしたちの活動のおかげで、復興中なんだからね。テラメイの者たちが、長い地下道を抜けることさえできれば……復興中の【帝都キシリア】で、おまえたちを受け入れることも視野に入れようと思うさ」
その発言に、皆がクレインを注視した。
「え……それは重大な言葉です。ドフォール最長老などと会合をして頂いたほうが……」
「いやいや、今、話をしたことは、あくまでも、予定。百年、二百年、否、もっと、先を見据えての話さ、ホフマンの千年王国ではないが、大規模なグランドデザインが必要になると思うからねぇ。そして、地下道を抜けて……と、あっさりと語ったが、それは至難の技なのは、ランファも知っていると思うが?」
「……それは、はい。地下道があるのかどうかも分からない立場が多いです」
その言葉にクレインは俺たちを見て頷いた。
風のレドンドたちとの依頼のことを暗に言おうとしているんだろう。
頷いた。クレインはランファに、
「……だろうね……しかし、抜けた先の地上と地下の一部は、シュウヤたちの配下、タロゴモクンとダゼックスと<従者長>キスマリが活動しているさ。後は、キュベラスの配下でもある、【闇の教団ハデス】の連中、炎極ベルハラディ、豪脚剣デル、飛影ラヒオク、闇速レスールなども、キュベラスの<異界の門>で合流、離脱を繰り返し、各地で活動しているさ」
その言葉にエヴァたちが頷いた。
キュベラスは微笑む。
「ンン」
相棒の喉声が響いた。
神獣ロロディーヌの大きさだから、宙空にいる皆にも振動のように響いていると思う。
すると、ランファは、こちらの様子を見てから部下たちを厳しく見渡し、全員に武器を完全に収めるよう手信号を送った。
「……すべて承知した。そして、シュウヤ、南の国境線だが、『一角の丘』にはレフテン王国の政変の影響か、野盗が住み着くようになっている。もし、レフテン王国に向かうならば、十分に注意してくれ」
「了解した。助かったよ、ランファ」
そこで相棒に合図を送ると神獣は「ンン、にゃあ~」と短く鳴き、翼を拡げて、ランファたちから離れた。
一氣に加速し、後方へと遠ざかっていくランファたちの姿。
背後でグルド師匠たちが、得物を消し、再びソファー席へと深く腰を下ろした。
「ふむ、弟子よ。エルフの娘たちか。なかなか見どころがあるが、いいのか?」
「干渉して、内部の争いの解決も可能だとは思いますが……」
とクレインを見た。
クレインは金色と朱色のメッシュの髪を風になびかせ、遠く南の空を見据えた。
「……別にいいさ。滅びた国の名前にいつまでも執着しているのは、ああいう閉じた連中だけさ……さぁ、行こう。愛しの主、そして、エヴァ、ふふ、神獣ロロディーヌは分かっている、さぁ、しっかり掴まって」
と、クレインは目の前に来ていた神獣の触手手綱を掴む。
にぎにぎと、触手の先端の裏にある肉球を押してモミモミしていた。
肉球は押されると、自然と先端から爪が出ている。
あれは、くせになるんだよなぁ。
弾力のある肉球を押すと、隠されていた鋭利な爪が、ニュルッ、パッとリズミカルに顔を出す。
その危険な爪さえも愛らしく見える。
鼻を近づければ、香ばしいような、お日様の匂いがするに違いない。
本当は今すぐ顔を埋めて、スーハーと深呼吸したいところだが……今は我慢だ。
まさに、グッドスメル~状態への渇望。
「ん、先生」
エヴァがクレインの腕に寄り添う。
レベッカも竜杖を肩に担ぎ直し、
「うん、いつかはわたしもテラメイの長老たちと会うことになるのかな」
「なるかもな」
と、笑みを見せながら語る。
神獣ロロディーヌは、テラメイのエルフの領域の空域を離脱し、フロルセイル地方に再度向かう。降りて転移したほうが速いが、皆、それは指摘しない。
なんだかんだいって、この空旅の景色は最高だからな――。
と、遠くの地平線を眺めた。
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