二千三十七話 空飛ぶ鯨の歌と去りし日の幻影
「ん、あれは……」
進行方向の雲が大きく揺らぐのが見えた。
巨大な影が、ゆったりと雲海から背中を見せる。
――空飛ぶ鯨の群れだ。
「わぁ、大きい……」
「優雅ですね」
ユイとヴィーネが感嘆の声を漏らす。
鯨たちは、俺たちには氣付かない。
腹に響くような低い鳴き声を上げながら泳いでいく。
「クォォォォォン……」
その声は、どこか平和的で、この空の旅を祝福してくれているようにも感じられた。
時折、ヘルメが水飛沫のような魔力を飛ばして挨拶をすると、子鯨が嬉しそうに身をよじらせて応える。
だが、そんな穏やかな時間は唐突に破られた。
――ギャァァァァァッ!
空氣を切り裂くような甲高い咆哮。
平和な鯨の歌声を掻き消し、上空の雲を突き破るようにして、とてつもない速度で何かが降下してきた。
「敵襲!」
「にゃおッ!」
相棒が即座に反応し、巨体の身を翻すように上昇、旋回していくと、俺たちがいた空間を巨大な鉤爪が通り過ぎた。
通り過ぎざまに発生した風圧だけで肌が切れそうだ。 大型のモンスターは、全身が鋼鉄のような青黒い羽根に覆われ、四枚の翼を持つ巨大な怪鳥だった。
頭部には王冠のようなトサカがあり、その嘴からは紫電が迸っている。
エヴァが、
「ん、嵐帝雷鳥!」
宙空にエヴァの周囲に浮いた融解されている白皇鋼の群れが展開すると、一瞬で、それが、白い大きな盾に変化した。
相棒を覆うほどの大きさの盾が、嵐帝雷鳥が放った遠距離攻撃と衝突、俺たちを守ってくれた。
雷状の爪牙のような遠距離攻撃が弾け飛び、爆発を繰り返す。無数の巨大な花火にも視えた。
俺も《闇壁》と氷縛柩を使い、嵐帝雷鳥に衝突させていく。
使い方がオカシイかもだが、これはこれでかなり有効だ――。
更に両手から<鎖>を射出し、嵐帝雷鳥の翼を貫くが、力と飛翔した力で、一瞬、持ってかれそうになったが、相棒の触手が腰に巻き付いて押さえてくれた。<鎖>を消す。
皆も攻撃していく。
「――相手はSランク相当です」
「空では、このようなモンスターが大量にいるってのが、また厄介なのよね――」
レベッカの大きい<光魔蒼炎・血霊玉>と、ヴァルアの腕甲・暗器刀キルシュナから飛び出た暗器刀キルシュナが、嵐帝雷鳥の胴体を豪快に貫いて、あっさり倒したが、数が多い。
続いて、メル、ヴェロニカ、ベネットが動く。
〝血宝具カラマルトラ〟を活かしたゴシック系の戦闘装束が似合うヴェロニカは、周囲に無数の血の刃を生む。
更に、〝ラヴァレの魔義眼〟による魔力弾を放つ。
メルは<血光蝶>を使い、〝ラヴァレの魔義眼〟も用いた。ベネットも魔弓から聖十字金属の魔矢に、〝ラダガの炎印〟を用いて、幾重もの軌跡を描くように、嵐帝雷鳥へと殺到。
次々とその硬い羽根を弾き飛ばし、肉を抉っていく。
「うん、先程の空飛ぶ鯨のようなモンスターばかりなら平和なのに――」
ユイも<バーヴァイの魔刃>を飛ばす。
「そうね、とりあえずは、がんばりましょう」
「山脈の主にも思えるモンスターの群れの掃除も大変――」
キサラはダモアヌンの魔槍を<投擲>する<補陀落>を繰り出して、嵐帝雷鳥を一体仕留めていた。
先ほどのワイバーンロードなど餌にもならないだろう大物。狙いは俺たち以外にもいるようで、一部は離れていく。
と、周囲の残っている雷鳥はバチバチと放電しながら急降下してきた。
「あれは俺が迎撃しよう――」
魔槍杖バルドークを構え、相棒の背を蹴って跳躍した。
「シュウヤ、一応――」
ユイも呼応して<バーヴァイの魔刃>を放つ。
雷鳥が無数の雷の障壁を展開した。
<バーヴァイの魔刃>を数十と雷の障壁を貫いたところで相殺される。
俄に、逃げる嵐帝雷鳥目掛け<鎖>を射出――雷の障壁を貫いて、雷鳥の足首に巻き付かせることに成功――。
収斂させ、一氣に肉薄した。
「グゥオォォォッ!」
雷鳥が嫌がり、全身から全方位へ雷撃を放出した。
だが、<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を召喚、雷撃を防ぐまま<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を盾にし――嵐帝雷鳥の体に<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を衝突させた。
「グェェェ――」
同時に<血道第三・開門>――<血液加速>。
<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を消し嵐帝雷鳥の懐から魔槍杖バルドークを振るう。
<魔皇・無閃>を繰り出した。
紅斧刃の一閃が雷鳥の体を断つように振るい抜く。
巨体なだけにすべては切断は無理だが、鮮血と共にバランスを崩す巨体――。
<滔天神働術>と<滔天仙正理大綱>を発動させ、
「――墜ちろ」
追撃の<龍豪閃>で、その胴体から頭部の脳天までを、粉砕するように斬り上げた。
止めの、<風柳・魔打棍殴>――から<風研ぎ>――。
嵐帝雷鳥の残った分厚い血肉を吹き飛ばしていく。
嵐帝雷鳥だった肉の塊は、断末魔を上げることもなく、マハハイム山脈の谷底へと真っ逆さまに墜落していった。
相棒が下に来たから、その頭部に着地――。
「ナイスキャッチ」
「ンン、にゃ~」
大物を退けたことで、周囲の空域に再び静寂が戻った。
遠くに逃げていた空飛ぶ鯨たちが、感謝するかのように一度だけ大きく鳴き、雲の彼方へと消えていった。
◇◇◇◇
眼下には、雪を頂いた険しい峰々が連なり、人が立ち入ることを拒むような大自然の威容が広がっていた。
やがて、見覚えのある地形が見えてきた。
更に、天を衝くように切り立った断崖絶壁。
その頂上、神が手ずから削り取ったかのような平らな土地。
「見えた。ゴルディーバの里だ」
「ンンン、にゃおぉ」
相棒が鳴きながら速度を緩め、ゆっくりと降下していく。 懐かしい、ゴルディーバの里。
里といっても、一般的な村とは違う。
断崖の上の限られたスペースに、漆喰の小屋が五つほど繋がった大きな家と、俺がかつて寝泊まりした倉庫兼客室の小屋、そして地下へと続く『礼拝堂』があるだけの、アキレス師匠の一家のみが暮らす場所だ。
あ、石畳の広場だ……。
師匠と朝いつも稽古した場所。
表面が摩耗した石の一つ一つに、汗と血の記憶が刻まれている。そして、レファがいた小屋。
岩場を利用した段々畑には、寒さに強い根菜の緑が見える。
相棒が石畳の広場に音もなく着地した。
流れる雲が足下よりも低い。
天空の孤島に降り立つような錯覚を覚えた。
マハハイム山脈特有の、肺腑を刺すような冷涼で澄んだ風が吹き抜けていく。
鼻孔をくすぐるのは、土とかすかな薬草の香り。
記憶の中にある我が家の匂いだ。
しかし、静かだ。風が岩肌を叩くヒュウという音以外、何も聞こえない。普段なら、氣配に聡いアキレス師匠や、元気なレファが飛び出してきてもおかしくないんだが……。
「……少し変だ」
相棒の背から降り、地面を踏みしめる。
ヴィーネたちも続いて降り立ち、興味深そうに周囲の景色、特に眼下に広がる雲海や険しい山々を眺めている。
母屋へと近づいた。
木と石で組まれた古民家風の建物。
軒先には干し野菜が揺れている。
生活感はある。だが、静寂が重い。
とりあえず、
「師匠! 修業から戻りました! シュウヤです!」
声を張り上げた。
すると、重厚な木の扉がゆっくりと開いた。
現れたのは巨躯の戦士。
レファの父であり、赤い大斧を背負った歴戦の猛者ラグレンだ。その背後から、妻のラビさんも顔を出す。
だが、二人とも表情が硬い。
俺の姿を認め、
「シュウヤ!」
「シュウヤさん……あ、神獣様も……」
笑顔で応えてくれた。
「ラグレン――」
「――ハッ、シュウヤ!」
ハグ――ラグレンは、
「ははは、あのシュウヤだ、元氣にして――」
「にゃごぉ~」
「おぉ――」
と、黒猫が、ラグレンの肩に乗って、顔をロペロと舐めていた。
「神獣様も元氣そうで何よりです」
ラグレンはそう言うと離れた。
その黒猫は、「ンン、にゃぉ~」と鳴いて、ラグレンの肩から飛び降りると、ラビさんの足に頭部を突けていく。
「ふふ、神獣様……」
と涙を流すラビさん。すると、ラグレンが、ヴィーネ、エヴァ、キサラ、レベッカ、皆を見てから、安堵を覚えたように微笑む。しかし、深い疲労を含んだ溜息をついたラグレンには、いつもの豪快な笑みはない。
「ラグレン、ラビさん。師匠とレファは?」
挨拶もそこそこに核心を問う。
嫌な予感がした。この静けさは、ただ事ではない。
ラグレンは太い腕を組み、苦渋に満ちた顔で首を横に振った。
ラビさんが、涙を堪えるように口元を手で覆う。
ラグレンは、
「爺は、ここにはいない。里を出たんだ」
「里を出た? え? 狩りの季節? それとも……」
「違う」
ラグレンが俺を直視する。
「お前が来る少し前、ここに客が来た。……招かれざる客だ。闇ギルド【くるみ割り人形】の追っ手、ルアンと名乗る魔族だ」
「闇ギルド……魔族……」
聞き覚えのない組織名と、魔族という単語。
師匠が冒険者だったことは知っているが、そんな因縁があったとは聞いていない。
「爺は、そのルアンって奴を撃退した。だが……自分の過去が、この場所に、俺たち家族に災いをもたらすと判断したんだ。これ以上、ここに留まらず、憂いを無くすつもりのようだ」
と語ると、ラグレンは懐から一通の手紙を取り出した。
そこには乾いた血の跡が付着している。
「これを読め。爺が残していった書き置きだ」
手紙を受け取る。
師匠の達筆な文字。
そこには、いつか来るだろう俺たちへの思いやりに溢れた言葉……。
そして、己の過去が招いた事態への謝罪。
何より、レファを守り抜き、共に旅に出るという強い決意が、震えることのない筆致で記されていた。
「レファも……一緒なのか」
「あぁ。あいつは……『シュウヤ兄ちゃんみたいに強くなるんだ!』と言って聞かなくてな。爺も、レファの才能と想いを認め、外の世界を見せる良い機会だと、連れて行っちまった」
ラグレンの声がわずかに震える。
娘を、そして父同然の爺さんを送り出した男の苦悩。
「あの子……毎日、毎日、あの石畳で槍を振るっていたんですよ。雨の日も、風の日も。『シュウヤお兄ちゃんが帰ってきた時、驚かせるんだ』って……ボロボロになりがら」
ラビさんの言葉に、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
あの小さな体で、俺の背中を追っていたのか。
「シュウヤさん……あの子の『夢』を守ってください。どうか……」
手紙を握りしめた。
師匠らしい。そしてレファらしい……。
俺もそこに居れば、否、何事もタイミングか。
「行き先は?」
「南東だろう。エルフの領域を越えた先、レフテン王国のサムラレイトの町だと思う。だが、相手は組織。追っ手に追跡を考えれば、警戒を含めて、様々にルートを変えているかもしれん」
サムラレイト。
まだ間に合うか?
否、間に合わせる。
振り返り、ヴィーネたちを見た。
彼女たちは既に状況を察し、戦意を瞳に宿して頷き返してくる。相棒も「グルル」と低く唸り、戦闘態勢のままだ。
頷いてから、振り返り、
「ラグレン、ラビさん」
二人に力強く告げる。
「すぐに追う。必ず、師匠とレファに追いつくよ。そして、そのふざけた追っ手どもを、俺たちが駆逐してくる」
ラグレンとラビさんは笑顔となって、
「……ふっ、お前ならそう言うと思ったが、見るからに強くなったと分かる。その口振りも何か、前とは異なるな」
ラグレンの表情と言葉に、
「はは、そうかもだが、心は何も変わってない。槍を、武術の向上を目指し続けている」
「ふっ、相変わらずの槍馬鹿ということか」
「そうだ」
「あはは」
「はははは」
と、ラグレンと笑い合って腕を組むように昔、狩りを終えた直後のちょっとした挨拶のようなことを拳を突き合わせて笑い合った。
そのラグレンは、俺の肩をバシッと叩く。 その大きな手が止まった。
俺の筋肉の質、骨格の密度が以前とはまるで違うことを掌から感じ取ったのだろう。
「……硬い。岩盤のようだ。今の爺とやり合っても、お前なら勝てるかもしれん」
ラグレンの瞳に、縋るような光ではなく対等な戦士への信頼の灯が宿る。
「頼んだぞ、シュウヤ! 爺とレファを……俺たちの宝を、頼む!」
「あぁ、任せてくれ!」
ラグレンと握手をした。
「お願いいたします、シュウヤと神獣様と皆さんも」
「「「はい!」」」
俺たちは休息を取ることもなく、再び相棒の背へと飛び乗った――目指すは南東、レフテン王国――。
血文字で、『ペレランドラ、今からレフテン王国に向かう。ネレイスカリとコンタクトができれば、お願いをするかもだ。できるだけ急ぎで』と血文字を送る。
『分かりました、緊急連絡のための魔通貝と連絡員は常駐していますが、連絡し、私もレフレン王国に向かい、ネレイスカリ様に会いましょう。すぐに向かいます』
『悪いな』
『いいえ、それで急ぎとは?』
『あぁ、俺の師匠、アキレス師匠と、その孫娘のレファが、昔の闇ギルドの揉め事で、サムラレイトに移動しているらしい。それで、俺たちも緊急的に加勢しようかと』
『なるほど、それを聞いたら、もう、直ぐに移動しますので、また後で』
『了解』
ペレランドラとの血文字連絡が終わると、レザライサが魔通貝を嵌めている耳に指を置いて、誰かと話をしていた。
「槍使い、もう、【血星海月雷吸宵闇・大連盟】と【白鯨の血長耳】の人員に連絡したからな。レフテン王国側にいる我らのモグラである、キューウェルを筆頭とした猛者をレフハーゲンからサムラレイトに向かわせた」
「了解した、助かる」
「ハッ、私も槍使いの記憶を見ているのだ。いてもたっても居られないのは同じ気持ち」
「「はい!」」
ヴィーネたちは涙ぐんでいる。
ありがたい。そこで、
「行くぞ、相棒!」
「にゃお!」
黒猫が巨大化し、皆が乗り込む――。
触手手綱を握りながら最後に一瞬だけ――。
相棒の目尻から外を見るように広場の石畳に視線を落とした。
師匠と何千回と打ち合った、あの摩耗した石。
――必ず、ここに連れ戻す。
心の中で短く誓い、相棒の鼻先に移動した。
下にいるラグレンとラビさんは、こちらを見上げ、
「おぉ……」
「まぁ……」
当たり前だが、ラグレンとラビさんは驚いている。
そのラグレンたちに「また、後で会いに来ます――」と言ってから、頭部に戻った。
待っていろ、アキレス師匠! レファ! 今、行く――。
続きは明日を予定。HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻~20巻」発売中
コミック版1巻~3巻発売中。




